迷路のなかでⅢ

「なぁ、ロイくん」

「なんですか?」

「その……ギルの事件のことなんだけれど――」


 それでも一抹の不安にあおられて、僕は前を歩くロイにギルが殺された晩のことを尋ねてみた。現場にいた当事者の彼ならば、新聞記事には載ってない事件のこまかな様子まで、よく知っていることだろう。


 ロイは承諾して、歩きながらつらつらと僕に事件のことを話してくれた。

 僕が事務所をあとにしてから、ギルの死体が発見されるまでの経緯を、それぞれの人物の行動を踏まえて少年はわかりやすく説明していく……。


 ひととおりロイの話を聞いた時点では、特別不審な点は思い浮かばなかった。

 それでもニールなら、この程度の情報でも喜ぶかもしれない。後で彼と合流した際、いま聞きかじった情報を含めて、改めて事件内容をまとめてあげることにしよう。


(ああ、そういえば……)


 はたと、僕はあることに気づいた。

 最初にギルの死体を発見したのは――たしか、このロイ・ブラウニー少年であったと、ニールが言っていた。


「第一発見者は君らしいね、ロイくん。なんでも空き部屋のドアが開かないから、事務所外の壁をよじ登って……窓からの侵入を試みたとか」


 僕の質問に「ええ、そうです」とロイは素直に答えた。

 眼球がくり抜かれた死体というショッキングな光景を目の当たりにしただろうに、思いのほか、彼はけろりとした様子で話を続けた。


「異変に気づいたのは、メイラさんです。空き部屋のドアの下から廊下へと、赤い血だまりができてましてね。ひと目で部屋のなかにいるギルさんになにかあったのだと、みんな察しましたよ。

 はじめは、所長やゴートさんがドアを蹴破ろうとしたんです。でも、そこに僕が『外から行ったほうが手っ取り早いです』って口を挟んで――」


「それで君は雨のなか、壁を? 器用だねぇ……で、部屋の窓のほうは、ちゃんと開いていたのかい?」


「はい。でも、なんか壊れていたみたいで、中途半端にしかひらきませんでしたね。それでも僕には余裕です、問題なく通り抜けることができました」


 やはり空き部屋の上げ下げ窓は壊れたままであったか。

 これだけでも、有力な情報だ。僕の侵入が不可能であることを十分に説明できるだろう。


 黙ってひとりうなずいていると、ロイの頭が振り返る。「もしかして、ボクのことを疑ってたりしますか?」と、なにやらけげんな面持ちで聞いてきた。


「言っておきますけれど、ボクが空き部屋に入った時にはギルさんはすでに死んでました。お腹から血を垂れ流して、部屋のドアへ背中向きに寄りかかってね」


 だから、彼の血が廊下に流れだしていたんです。

 と、ロイは特にそのひと言を強調した。メイラが廊下の血を見つけた時点ですでにギルは死んでいた、自身のアリバイはゆるぎないものだと少年は主張したいのだろう。


「わかっているよ。僕は君を含め、誰のことも疑っていないよ。それだけは信じてほしい」


「いや、誰も疑っていないというのは……ご自分が濡れ衣をかぶっているのに、さすがに人がすぎる気がしますよ?」


「でも、空き部屋のドアは閉まったままだったんだろう? ロイくんが窓から侵入するまで、誰もあの部屋には入れなかった」


「そうですね。部屋のなかから見ても、ドアの鍵はしっかりかかっていました。そのあと、僕の力じゃ死体を動かせられないから、仕方がなくそのまま鍵を開けちゃいましたよ。

 開いたドアごと、血まみれ死体のギルさんがバターンと廊下に倒れたものですから、向こうの人たちの阿鼻叫喚あびきょうかんと言ったらもう――」


「…………」


 その光景を想像するだけでも、喉から胃液が込み上げてきそうだ。倒れた拍子に跳ねる血しぶき、目をえぐられた虚ろな顔が仰向けにあらわになる……。


 たしかにギル・フォックスはいけすかない男だ。

 とはいえ、そんな悲惨な目に遭うのは間違っていると、僕は思った。


(鍵のかかったドアか……)


 僕は口元に手を当て、ややうつむきながら考えた。

 視界に映るのは、狭い通路のなかで交互に前へ出る靴の動きだけである。その単調なリズムに乗って、頭を巡らせた。

 

(もはや誰が殺したかというよりも、……どうやって・・・・・殺したか、だな)


 探偵事務所の内観と外観の図をイメージしつつ、僕はロイから聞き知った、それぞれの人物の行動を当てはめていった。


 僕以外にも、事務所の外へ出入ではいりをした人間は複数名いる。メイラがギルを呼びに二階に上がった時点では、みんな談話室に集まっていたそうだが……それよりも前の時間に、いったいなにが起こったというのか。


「正直、どのタイミングでギルさんが殺されたのか。ボクにもてんで見当がつかないんですよ」


 思考のかたわらで、ロイの声が耳をかすめる。


「ボクは基本、事務所の一階にいました。二階には近づきませんでしたけれど、それにしたって事務所内はずっと静かでしたよ?

 争う物音とか悲鳴とか、襲われたんなら助けを呼ぶ声くらいあってもいいんですけれどね。まったく聞こえませんでした」


 犯人は音もなく人の命を奪った。

 そして両眼をえぐり取って、残った死体を鍵のかかった部屋に閉じこめたというのか……。


(そんな暗殺者というか……奇術師まがいの犯行が、本当に可能なのか?)


 規則的に歩く、靴の爪先に地面の割れ目を見た。

 はっと、僕は瞬時に足を止めた。うつむいていた顔を上げてみれば、眼前にはレンガの壁がそびえていた。

 

 いわゆる、行き止まりというやつである。


 危うく、壁に衝突するところであった。

 背後から「ハロウさん、行き過ぎです。そっちには道はありませんよ」と、呼びかけるロイの声が聞こえる。体を振り向かせれば、すぐ手前の角から少年が焦げ茶色の髪をゆらしながら、腕を交差してバツ印をつくっていた。


 僕は慌てて道を引き返し、ロイのいる曲がり角へ戻った。彼は僕の顔を見るなり、なにやらニコニコ笑みを浮かべた。


「へへっ」


「なんだい? 人の顔を見てニヤついたりなんかして……」


「なんだかんだ言っても、ハロウさんも探偵なんですね。すっごく真面目な顔で、事件のことを考えちゃって」


 茶化してくるロイに、僕はあきれまじりのため息を返した。

 そして小刻みに上下するその両肩をつかむと、少年の体をくるっと反転させてやった。再び前と後ろに分かれた列で、僕は彼の背中を軽く押して、さっさと先を歩くよう促した。


「考えることくらいなら、べつに誰だってできることさ」


 皮肉げに一笑する。

 頭をよぎった所長の受け売りをまんま口にして、少年との会話を強引に終わらせようとした。


「本当の探偵なら、そこから真実を突きとめなくっちゃね。そう、ひたすらに真実だけを追いかけ、己の正義を信じて……人々を惑わす闇を払う存在にならなくては」


 僕には到底、できっこない。

 何度だって言ってやる――元より、そんな資格もない最低の人間なのだから。



 * * *



 ようやく、狭い路地裏の迷路を脱した。

 人が行きかいする、ごく普通の街の通りへ僕らはたどり着いたのだ。


 最後に通った建物の隙間をロイはするりと抜けていったが、大人の僕には窮屈きゅうくつすぎた。体を横向きに押し進まなければならず、強引にい出るさまは人をネズミの気分にさせた。


 それゆえに、とたんに広がった視界の開放感はひとしおであった。

 喜びに、僕は思わず頬をゆるませる。新鮮な空気にありつこうと大げさに深呼吸したものだから、すぐ近くにいた中年の男にけげんな目で見られてしまった。


 その男がまた例の新聞を広げていたものだから、僕は慌てて身を縮こませて、長ったらしいコートを身に寄せた。


 僕とロイが出た通りは、普段の生活でもお世話になっている店が多く建ち並ぶ区画であった。事件が起きる前の日中に、シトラスを入れた三人で買い物をした場所でもある。


 懐かしさに浸ろうとすれば、遠くで鐘の音が鳴り響く。

 正午を知らす鐘の音だ。顔を上げれば、高台に小さく見える教会の鐘がゆれていた。


(ほんの二日前だというのに……)


 ロイと一緒に教会の集会に参加したのもよく覚えている。ただただ平穏で、平凡で、身に余る幸せな時間をこの身でたっぷり味わい、過ごしてきた。


 それが、事件で一変してしまった。

 流れた雲に、日が陰る。少し薄暗くなった辺りに合わせて、浮かれた気持ちも引き、今度は切なさの余韻に僕は浸るのであった。

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