約束

「ロイくん、これを」


 僕は服の内側に忍ばせていたものを、少年に渡した。

 彼は受け取った茶封筒ちゃぶうとうのそれを、しばらく不思議そうに見つめていた。何度か指先で表裏おもてうらにひっくり返したのち、僕に向かってぽつりと口を開く。


「手紙、ですか?」

「そう。デュバン所長に渡してほしい」


 手紙といっても時候じこうのあいさつもなく、中身はほとんど謝罪の言葉で埋めつくされている。

 僕はこの大事にしたためた手紙を使って、事のすべてをあの人に打ち明けることにしたのだ。


 ギルと僕との関係を。

 彼と一緒におこなった、今回のはかりごとについても。みなをあざむき、余計な混乱を招いてしまい申し訳ないとつづった。


 そして、どうかもう一度、会って話がしたいと。


「僕はどうしても所長と、じかにお会いしたいんだ。すべてはこの手紙に記したけれど、それだけじゃ足りない。

 今回の殺人事件に関する誤解を解きたいって気持ちもあるけれど……それ以上に、あの人の熱意と期待を裏切ってしまったことに対して、ちゃんと頭を下げたいんだ」


「ハロウさん……」


 物言いたげな視線を、ロイは僕に向ける。

 少しして、視線は石畳の地面へと逸れた。「所長もほかの人とおなじで、ハロウさんのことを疑ってますよ?」と、彼は言った。


「それは仕方がないよ。運悪く、僕の不利になるよう状況がぴったりはまってしまったからね。大丈夫、所長はお優しい方だ。事情を話せばきっと……わかってくださるよ」


「どうだか。いくら誤解が解けたとしても、もう笑って済むような状況じゃないですよ?

 探偵事務所も今回の件で信用ガタ落ちのようですし、もう仕事が続けられないかもってシトラスさんも言ってました」


 じっさい所長もひどく気が滅入ってうなだれていたと、ロイは教えてくれた。そのことを聞いた僕は、ふと、いつかの新聞に載っていたヘリオス探偵事務所の広告を思いだした。


 ――どんな難事件も、すばらしき七人の探偵たちが見事解決いたします。


 デュバン・ナイトハート所長は、いつだって希望に満ちた未来を夢見ていた。きっと誰よりも、僕ら若い世代の成長を楽しみにしていたんだと思う。


 なのに、かなめである探偵事務所で殺人が起き、七人のうち二人の若者の未来までもが失われてしまった。理不尽な現実を前に、打ちひしがれてしまうのも無理はないだろう。


(けれど、僕は信じている)


 己の理想を、あんなにきらきらした目で語る人だ。

 あの人の信念が、こんなところでくじけるはずはない。時間はかかるかもしれないが、きっといつかまた――。


「しょせん、新聞屋や野次馬たちが求めているのは刺激的なゴシップさ。おもしろがって、つつき合うのも最初だけ……そのうち、すぐに飽きてしまうものだよ」


 言うなり、僕はさっきの新聞を広げていた中年男性をこっそり横目で見やる。それから通りを歩く人々や、道端でおしゃべりをしている主婦たち、無邪気に駆けまわる子どもなんかに視線をぐるりと向けて、苦笑とともに肩をすくめた。


「所長は強い方だ。あの人なら、また立ち上がれるよ」


 不安がるロイに、僕ははっきり言いきってやった。


「なんたって、亡くなった親友の名を継いで探偵事務所を一から立ち上げた方だもの。そう、やすやすと自身の夢を手放すはずはないさ」


 夢を語る時に見せる、あの目は本物であった。

 聞いていてこちらがいてしまうほどに、デュバン所長にとって、ヘリオス・トーチというかつての名探偵は大事な人だったのだろう。


「それに、所長はひとりきりじゃない。秘書のシトラスさんもついているし、探偵も――シルバー、ゴート、マリーナ……そして君もいるんだ、ロイくん」


 僕は身をかがめて、ロイと目丈を合わせた。

 ポンと優しく肩を叩けば、焦げ茶色の目がやや大きくなる。「ハロウさんがいないじゃないですか」と彼は僕の目を見つめ返して、そう言った。


 そのひと言に、僕は苦笑で返す。

 ゆるりとかぶりを振ったのち、静かに告げた。


「僕はいらない」


 いてはいけないんだ。

 と、短くつけ加えた。


「謝って、誤解を解いて……すべてがうまく片づいたのなら、僕はこのウォルタの街から去るつもりだ」


 ロイは珍しく「えっ……」と不意を突かれたような驚きの表情を見せた。そんな彼の顔を無視して、僕は淡々と説明を続けていく。


「もともと、僕はギルの腰巾着みたいな役だから。あいつがいない以上、探偵事務所に居座る理由がないんだよ。

 むしろダメだ、僕がいちゃいけない。……探偵なんていう人前に出るような仕事も自分には向いていないって、見習い期間でほとほと思い知らされたしね」


 僕はかがめていた姿勢を元に戻した。帽子を深くかぶりなおして、立てたコートの襟の隙間からニッと笑いかける。


「まだ十分にやりなおせる。僕は、君たちの成功を祈っているよ。ほら、君が前に言っていた――若者みんなが抱く夢ってやつをさ」


 だけど、どうかギルがいだいたような無謀な夢には挑戦しないでほしい。


 例の談話室の茶番劇で、あいつが語っていたことだ。

 たしかに追放の件は演技であったが、それ以外のすべては彼の本音である。けして、単なるあおりや発破がけだったわけではない。


(イルイリスの国中で起こっている凶悪犯罪を片っ端から解決するという――いくら探偵としての名声がほしいからって、危険すぎる)


 そこまでやる覚悟がなければ、人生など変わりはしない。

 亡くなる前に、ギルはそんなことを言っていた。いまとなっては空虚な遺言に聞こえてしまう。


「手紙の件、頼んだよ」


 そう告げて、僕は背を向けようとした。

 だが、上半身をひねったところで、つんと後ろから引っぱられる力に動きが止まる。


「なに、全部終わったような気になっているんですか……」


 うめくような声に振り返れば、ロイが僕のコートの裾をつかんでいた。

 彼はすっかりあきれた顔をして、子どもらしさの欠片もない、くたびれた大人がするのとおなじため息をついた。


「事件はまだ終わっていませんよ。ハロウさんが犯人じゃないなら、別の殺人犯がいるってことになります」


「……ギルとメイラをあやめた相手ってことかい?」


「ええ、でもそれだけじゃありません。続けざまに殺された二人の共通点は探偵、そしておなじ事務所――その人物はきっと、ほかの探偵の命も狙ってくるでしょう」


 ボクとあなたを含めた、残り五人の探偵をね。

 と、ロイは言う。


(どいつもこいつも、どうして変な想像力ばかりを働かせるんだ……)


 それだけ、日々の生活が穏やかすぎて退屈に満ちているってか?

 頭をかきむしりたかったが、いまは帽子をかぶっている。取って髪と顔をさらすのは怖い。だから、代わりに曖昧なうなり声で返した。


 去りかけた足の向きを戻す。僕は再びロイと向き合う形になった。

 もう一度だけ、面倒だがこの年下の少年の気をなだめるべく、できるだけ優しくゆっくりとした口調で僕は話した。


「下手なことを言うもんじゃないよ。身近で殺人なんてものが起きたから、きっと君の気が変に高ぶっているだけさ。

 ドラマチックな妄想に酔うことを、僕は悪いとは言わない……でも、なにごともほどほどに、ね?」


「じゃあ、ハロウさんはいったい誰があの二人を殺したと、説明するつもりですか?

 自分でもない、誰も犯人じゃないとおっしゃるなら、なんです? まさか勝手に凶器だけが動いて、人のお腹をブッ刺したとでも?」


「……行きずりの強盗って線が妥当だと思っていたけれど、君のそのアイデアも悪くないね。

 メイラはともかく、ギルは輝かしい名探偵として、相当、人から恨みも買っていたはずだ。恐ろしいまじないかなにかで、殺されてしまったのかも――」


「んもう! ボクが子どもだと思って!」


 片手でコートの裾をつかみつつ、ロイはもう片方の腕を僕に突きだした。その手には、僕がさっき渡した所長への大切な茶封筒の手紙が握られていた。

「んっ!」と、無愛想な音が響く。彼は手紙を、僕へと突っ返してきたのだ。


「これ、自分で渡してください」


「ええ……。それは、すごく困るんだけど……」


「よくよく考えたら、ボクがそんな面倒くさいことをする義理はありません。ましてや、いい加減なことばっか言う人の頼みなんか、律儀にこなすのもバカバカしいですし!」


 ロイは完全にへそを曲げてしまった。

 これだから、子どもは苦手なんだ。


 とはいえ、僕にも多少の責はある。でも、もう事件のことなんか考えたくないってのが正直な意見だ。

 ふと、僕はあることを思いついた。


「そうだ。もし、手紙を届けてくれたのなら、君にいいものをあげよう」


 ロイは「いいもの?」と、きょとんと目を丸くさせた。への字だった口元が、わずかにゆるむ。


「いいものって、なんですか?」

「君がほしがっていたもの、とだけいまは言っておくよ」


 もったいぶっていえば、少年の頬に好奇心の赤みが差す。そうとも、子どもは単純なのが一番かわいいのだ。


 ロイはうなってしばし考えこんだのち、「わかりました、約束ですよ」と答えてくれた。つかんでいた裾を離し、彼はその手を軽く握って、僕の前へ差しだす。


 互いに約束ごとをかわす仕草の一つである。僕もならってゆるい握りこぶしをつくると、やや身をかがめてひとまわり小さな手にそれを当てた。


 手紙をデュバン・ナイトハート所長に渡すこと。

 所長以外の人には渡さないこと。

 中身を開けて読まないこと。

 もろもろの約束も、ついでに取りつけておいた。


 これで、手紙の件はおしまいだ。


(とりあえず、この後はニールと合流しよう。手紙には、落ち合う場所の時間帯を指定しておいたから、そこに所長が現れるなり、ほかのアクションがあるまでは……しばらく、僕は待機ということになるかな?)


 走り去っていったロイを見送った僕は、次の行動を決めたのちに、再び路地のなかへ引き返そうとした。

 しかし、体を横向きにしたところで、ロイが駆け足で戻ってきた。どうしたのかと尋ねれば、「伝え忘れていたことがありました」と、少年は言った。


「ハロウさん。もしこのあと、大丈夫なら――ちょっと橋のほうを見にいってくれませんか?」

「橋?」


 このウォルタの街で『橋』といえば、西方角にある大橋のことを指す。

 河にかかる大橋は、街のシンボルだ。すべては河の治水工事と橋の建設からウォルタの歴史ははじまったのだと、その昔どこかで耳にしたことがある。


「さっき、アランって新聞記者さんが教えてくれたんですよ。マリーナさんが橋のほうへ向かうのを見かけたって」


 ――マリーナ。


 思いがけない人物の名に、僕は目を見開かせた。

 マリーナ・リトル。今朝方に殺されたメイラ・リトルの妹である。ギル殺人事件の夜を境に、行方知れずと聞いていたが……。


「ボクはこれから買い物に行かなくちゃだし、これ以上事務所にいるシトラスさんを待たせるわけにもいきません。

 だから代わりにハロウさんが行ってくれませんか? もっとも、もういなくなっているかもしれませんけれど……」


 言葉尻を弱めたあと、ロイは一度頭を左右に動かして周囲を見まわした。それから、ここだけの話とでもいうように、彼は声をひそめて続きを話しはじめた。


「じつはボク、マリーナさんが怪しいと思っているんです。

 こういうことを口にすると特にシルバーさんが面倒だから、人前では言えなかったんですけれど……でも、ほら、彼女があの夜、事務所に戻ってきた時の様子はさっき説明しましたよね?」


 ロイの言うことに、僕はこくんとうなずいた。


 路地裏の迷路のなかで、彼が僕に話してくれたあの夜のこと。

 メイラが悲鳴を上げる前、ほかの人間はみな談話室にいたということになっているが……じつは一人だけいなかった。帰ってくるタイミングが遅かった人物がいたのだ。


 ロイが外から空き部屋への侵入を試みようとして、事務所の玄関から飛びだした時――ぶつかりそうになったのだという。


 雨にぬれて戻ってきたマリーナ・リトルと。

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