迷路のなかでⅡ

 街の守衛所から移送されるさなかに、まず馬車が突然停車した。その時起きた車輪の不具合も、自分がやったのだとロイは語る。


 車輪の修理に勤しむ守衛の隙をついて、鍵をスリ取るのは簡単であった。扉の錠を開けて、その隙間に鍵を放りこんでやったのも全部自分の手腕である――と、しゃべる少年の頬は誇らしげに紅潮していた。


 さも間近で見てきたかのような饒舌じょうぜつな口ぶりに、一切の偽りは感じ取れない。僕は素直に、少年の言ったことは真実であると認めることにした。


「前々から、君には危なっかしいところがあると思ってはいたよ。でもそれにしたって、とんだ無茶をしてくれたね。

 危険を冒してまで僕のことを助けたメリットはなんだい? 君の真意を教えてくれないか?」


 こちらが苦々しく物を言えば、向こうは不服そうに唇をとがらせる。「難しいことを聞かないでくださいよ。ただ僕はあなたのことを思って、助けたまでですから」と言って、段差の上のロイは肩をすくめた。


「せっかく窮地を救ってあげたのに、お説教はなしですよ。それとも、ハロウさんはあのまま馬車にゆられて判事の元まで連行されてもよかったというんですか?」


 段の手すりから、ロイはよりぐっと身を乗りだす。首も伸ばして、段下にいる僕の顔を覗きこむにして彼は尋ねた。


「知ってます? 人殺しはとても重い罪が課せられるんですよ? 酌量しゃくりょうもなければ、弁明べんめいの余地もなし……死には死を、首を吊られておしまいです」


「…………」


 僕はしばし黙ったのち「……そうだね」と、小声でつぶやいた。頭によぎった嫌な光景に眉を寄せてからそれを振り払い、今度は僕がロイの焦げ茶色の目を覗き返した。


「事務所のみんなが口を揃えて、僕がギルを殺した犯人であると主張しているのなら、が悪い。

 僕はしょせん、この街に流れ着いただけの身だ。後ろ盾なんてものも、一切ないからね」


 先に身を引いたのはロイのほうだった。彼はすっと手すりから離れると、小走りに階段の上へ戻っていく。


「僕はちがいますよ」


 一段一段、階段を下りて、ロイは僕の元まで近づいてくる。


「ハロウさんは犯人じゃないってわかってます」


 階段をりきって、ロイは僕と対峙する。

 等身の差分、彼はまっすぐあごを上げて見つめてくる。その視線には、やはり子どもらしいあどけなさを感じた。


 けれど同時に、言いがたいような熱を帯びているのは僕の気のせいか。


 信じてくれてありがとう。

 孤立無援の僕には大変心強い言葉だ。

 味方は一人でも多いほうが助かる……。


 ――などと、いくつか素直な回答が出そろっていたというのに。僕の口からこぼれた言葉は……じつにひねくれ曲がっていた。


「でも、本当に殺人犯だったらどうする?」


 僕は、不用心に近づいてきたロイの肩をつかんだ。

 無論、左手で。そのまま手荒に引き寄せれば、少年のやわな体が前へつんのめる。


「昼間とはいえ……ここは人けのない路地裏だ。まさに殺しには打ってつけの場所じゃないか」


 ましてや、相手は子どもだ。

 骨格の造りもまだ未熟な、成長途中の人間である。

 首筋は細く、腹も薄い。絞めるのも、突き刺すのも、すべて一瞬のうちに終わってしまうだろう。


 僕は首を傾け、少年の顔色をうかがった。そのかんも左手は華奢きゃしゃな肩を捕らえたまま、服の肩口に皺をつくっている。


 すぐに総毛立そうけだって、肩をつかんだ手を振り払われるかと思った。


 ……いったいこの少年の目には、向かい合う僕の赤みがかった瞳はどう映っているのだろうか。湧いた疑問に、かすかに眉を寄せるしかなかった。


「わぁ、どうしよう!」


 ロイの声は明るかった。

 うきうきした、という言葉の表現がぴったりの声色であった。「叫んでみようかな、助けてーって」と続いた口調にも茶化すようなとげは見当たらない。

 キラキラと目を輝かせて、少年は興奮していた。


「…………」

「…………」


 沈黙に、風も静止する。


「……悪趣味なことを聞いた。ごめん」


 僕はロイの肩から手を離した。そのまま両手を頭の位置まで上げる。


「君が助けてくれたことには感謝しているよ。いわれなき罪でしょっぴかれるのは、僕も嫌だから」


 ロイは「いえいえ、どーも。借り一つってことで」と言って、ぺこりとお辞儀をする。

 僕は上げていた手を下ろして、腕を固く組んだ。体を横向きにし、「その借りなんだが……」と、少年から身をそらしたまましゃべりはじめた。


「すぐに返してあげよう。君、さっき新聞記者の男と話していたね。そのことに目をつむっておいてあげるよ」


「ああ……ハロウさん、見ていたんですか。あれはその、ちょっとしたおこづかい稼ぎと言いますか、エヘヘ……」


「その口の軽さのおかげで、ここまでたどり着けたようなものだよ。僕とギルとがおなじ孤児院育ちだなんて――それを知っているのは、君くらいだからね」


 ギルが殺される前の、朝の軽食屋でのやり取りが僕の頭のなかにぶり返す。

 ロイとアランが、どんな会話を交わしたかまではわからない。 けれど、あんなに釘を刺してまで黙っていろと忠告した秘密を、おおっぴらに横流しされたのだ。きっと事務所の人間関係や、これまで請け負ってきた仕事のあれやこれやも暴露されたにちがいない。


 事実、ロイは「あちゃー」と、間の抜けた声を上げた。気まずそうに口をもごもごさせるだけで、なんとも思っていないような雰囲気であった。


「でも、そんなに大したことじゃないでしょう?」

「……それは、まあね」


 ロイの言うとおり、ギルが死んだいまとなっては些細な秘密ごとだ。この際だからと、僕はもう一つ隠していた嘘も正直に打ち明けてしまうことにした。


 ギルと僕が、密かに手を組んでいたことを。

 そして本人が殺された晩に談話室でくり広げられた、一連の追放騒動はでっち上げの茶番劇であったことを。


(そういえば、あのお芝居はギルが自分の命を狙う人間を探すために仕組んだとか言っていたな)


 いまさら考えても仕方ないが、効果はいかほどだったのだろう。じっさいに本人が殺されていまった以上、ただの被害妄想ではないと説得力は増したような気がしたが……真偽は闇のなかである。


「へぇ、あれはお芝居だったんですか。だからハロウさん、ずーっと黙りっぱなしだったんですね。ようやくわかりましたよ」


「こっちの話も好きに売りこめばいいさ。むしろあの程度の演技できれいに騙されてくれる、みんなの単純さに助かったよ」


 いや、逆に首が絞まっている。

 ひとりツッコミを心中のとどめて、苦笑いして終わらせた。


「さて、これで借りがチャラになったね」


 僕は体の向きをそのまま、顔だけロイのほうへ向ける。「君にはいくつか質問したいことがあるんだ」と言えば、彼は「僕のほうが借りが大きい気がする。まぁいいですけれど……」と半分不満をあらわにしつつも、うなずいてくれた。


「手短にお願いしますよ。ボク、これでも買い出しを理由にこっそり抜け出している最中なんですから。早めに帰らないと、事務所にいるシトラスさんに怒られちゃいます」


 ロイの意向もあって、僕たちは歩みを再開させることにした。 もうあと少しで大きな通りに出るという言葉を信じて、僕は彼のあとに続いて階段を上り、また狭い路地へと入っていった。


 路地を歩きながら、僕はまずみんなのことを尋ねた。

 所長はいまの時間、守衛所にいるらしい。シトラスとロイは事務所で待機を命じられ、厄介なことにシルバーとゴートの二人が僕を探して街なかをうろついているとか。


 そして殺されたメイラの妹、マリーナの所在はいまだに不明らしい。


「しばらくの間は、みんなで事務所にこもることになっています。あの付近には守衛も見張っていますし、ハロウさんは近寄らないほうがいいと思いますね」


「そうか……」


 この時、僕はニールの話を思いだしていた。


 僕の数少ない協力者である新聞記者のニール・ブリッジは、今回の一連の事件の犯人が事務所の関係者のなかにいると疑っている。


 僕はそれを妄想だと笑ったが……一瞬だけ、みなが一箇所に集まれば次の犠牲者が出てしまうかもしれないと不謹慎な考えがよぎった。


(いや、変なことを考えるな。そんなことはない……あの気のいい人たちのなかに、殺人を犯す人間がいるだなんて……ぜったいにないんだ)


 敵が多いギルはともかく、メイラまで殺される理由はない。

 バカバカしい見立てに、紅茶色の頭を左右に大きく振るのだった。

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