アランとハロウⅡ

 ニールが椅子から腰を浮かしかけたところで、僕は慌てて立ち上がり、無理やり二人の間に割って入った。


「す、すみません、僕がうかつでした……さっき言ったことはけして口外しないので安心してください」


 それでも双方とも睨み合いを止めない。彼らの気をなんとか逸らすべく、僕はじつにわざとらしくポンと片手を叩いた。


「え、ええっと……たしか殺人犯の名は――ハロウ・オーリンという男らしいですね」


 僕は自分の名を口にする。

 ケンカの邪魔をするなとニールが睨みを利かせてくるが、僕はそれを目配せしてなだめた。


「じつは僕、彼のことを少々存じているんですよ。その件で、こちらのニール・ブリッジさんとお話をしていたんです」


「殺人犯のことを?」


 話に食いついてくれたようで、アランが再び僕のほうへ視線をよこした。そのままうまく彼の気を惹きつけ、僕はいかにも手持ちの情報を新聞記者に売り込む一人の労働者を演じていった。


「あれは半年以上前のことでしたかな。彼、ハロウ・オーリンという青年は運河の倉庫所で働いていました。その時、僕は当人と知り合ったんです。ただ、知り合ったと言っても……ほんの少しだけ会話をかわした程度でしたけれどね」


「……それって、彼が探偵事務所にスカウトされる前の話ね?」


 ケンカの仲裁と同時に、釣り針にかかる手応えを感じた。僕は喜んで頭をブンブンと縦に振る。「ええ、そうなんですよ!」と若干声を高くして。


(相手の情報を引き出す前に、まずは向こうに僕のことを信頼してもらわないとな)


 だからといって、自分自身のことをさも他人のように語るのは、大変むずがゆいが。それでも、ハロウ・オーリン本人だからこそ語れるとっておきの情報を、この新聞記者に渡してやることにした。


「どうでしょう、興味ありますか?」


「そうねぇ……」


「別にたかろうって気はないんです。あくまで街の平和のためにお役に立てればいいなと、情報提供の協力をしているまでですから」


 さすがに無償提供だと胡散臭うさんくさく聞こえるため「……まぁ、多少軽食くらいを、こちらのニールさんにおごってもらいましたけれど」と、とっさに言葉を繕う。


「そのわりには、さっきからこいつばっかり食べているような気がするけれど……」

「えっ、いや……ははは」

 

 逆に蛇足だそくだったようだ。

 アランの冷ややかな指摘に、言葉を詰まらせた僕は振り返ってニールに視線を向けた。


 ニールは黙って食事を再開させていた。僕からの視線を受け取ると、彼は手に持っていた食いかけのパンを不服そうに皿に戻し、それを僕の席へと押しやった。よこされても困るのだが……とにかく、苦笑うことで僕は場をごまかした。


「ともかく……ハロウ・オーリンが倉庫の仕事をやめてしばらく経ってからのことです。とある酒場で彼と会ったんですよ」


「会った時期はいつの頃かしら?」


「春に入る手前……でしたね」


「なら、その頃には彼は事務所で見習いをやっている時期ね」


「よく知っているな……じゃなくって、経緯は省きますが、そこでとてもおもしろいことを彼の口から聞きました」


 これはぜったいに、誰も知らないことである。

 僕はもったいぶるように、じっくり間を置いた。そして握った拳を熱くゆらして、語気を強める。自らの口から僕らの秘密をひと息で暴いてやった。


「あの名探偵のギル・フォックスと、ハロウ・オーリンは――なんと探偵事務所で出会う前に、すでに旧知の関係だったんです!」


 二人は、おなじ孤児院で育った間柄でした。

 と、最後に一言添えた。


 予想どおり、敏腕の新聞記者は「まぁ……」と声を高くした。開いた口をわかりやすく片手で押さえ、大きく見開いた目で僕の顔を見つめてくる。


(とびきりのネタを提供してやったんだ。これで少しくらいは、この男の信用を得られたかな?)


 もっとも、いま言ったことが確かな事実であると、彼が信じてくれなければ元も子もないのだが――。


「なんて偶然……ワタシもその話、知っているわ」

「……え?」


 耳を疑った。


 目を点にして、今度はこっちが相手の顔をまじまじと見つめてしまった。「まさかほかにも、『二人は、じつは幼なじみの関係だった』ってことを知ってる人間がいたとはねぇ」などとアランの感心したような口ぶりが、けして僕の聞き間違いでないことを後押しした。


「そうよ。ギル・フォックスと、ハロウ・オーリン――この二者の因縁はもっと古くからあったらしいのよ。探偵事務所での出会いはお互い偶然のようだったけれど……人はそれを『運命』とも呼ぶわ」


 完全に言葉を失っている僕をよそに、アランはつらつら好き勝手にしゃべっていく。


「己の出自を知られたくなかった名探偵は、後から事務所にやってきたハロウ・オーリンを念入りに脅していたみたいね。『下手なことを口にしたら、殺すぞ』なんて、怖いことを言ってまで。かたや花形、かたや見習い……どちらの力関係が強いだなんて言うまでもないわ」


 アランは「ごめんなさいね」と、茶目っ気たっぷりに片目をつむった。すぐにテーブルにいたニールが「おい、その話誰から聞いたんだよ」と問い詰めるも、敏腕新聞記者は不敵に微笑を浮かべるばかりだ。


「ヒ・ミ・ツ」

「…………」


 けれど僕には一つ、心当たりがあった。

 ごく最近、アランのしゃべったこととおなじ内容の会話が記憶によぎったからだ。


「こちらのかたには申し訳ないのだけれど……ニール坊、この程度の情報でワタシの裏をかこうとは思わないでちょうだいね」


「なに言ってんだ。いまの話はハンデだよ、ハンデ」


 必死に頭を巡らせる僕の前後で、引き合う磁石のごとくまた二人が口喧嘩をはじめる。ようやく記憶のなかのあどけない瞳の色を思い出したところで、ニールが荒々しく音を立てて椅子から立ち上がった。


「おとっときは、まだ残ってんだよ。すべてを引っくり返すほどの、超強力な切り札がな」


「いい大人が強がりなんて言うもんじゃないわ。ちなみに、ワタシのほうにも素敵な協力者がついているの」


 とっても優秀な子なんだから。

 アランのその一言は、図らずとも僕の予想を確信へと変えてくれた。


「事件のほぼ中心部にいて、内部の情報をいろいろ提供してくれる頼もしい味方よ。これからその子と待ち合わせをしているの、だからこれ以上油を売っている時間はないわ。そろそろおいとまさせてもらうわね」


 それじゃあね、と片手をパタパタ振って、アランはその場から立ち去ろうとした。彼が通りの人の流れに混ざる寸でのところで、僕は声を上げる。


「ち、ちょっと待ってください!」


 呼び止めた背中が、くるりと優雅に振り返る。

 変装中であるとか、忍ぶ気持ちもかなぐり捨てて、僕はストレートな質問を口から吐き出した。


「探偵事務所の……所長やほかの人たちがどこへ行ったか、ご存じないですか?」


 変な質問だと思われたにちがいない。けれどアランは特別、眉を吊り上げたり、いぶかしむ様子もなく、ただ一言だけ「さあね、知らないわ」と肩をすくめた。

 それから彼はもう一度ニールのほうへ顔を向ける。不敵な眼差しをよこしてきた。


河上かわのぼりの練習、しておいたほうがいいわよ」


「はっ、なにがなんでもギャフンって言わせてやるぜ」


「あ、そうそう。社のほうで編集長がアナタのことを探していたんだっけ。『街で見かけたら、用があると伝えてくれ』って頼まれていたの、すっかり忘れてた」


 じっと睨むニールに「嘘じゃないわよ、本当のことよ」と、アランは笑った。そして彼はまた、僕らに背を向ける。


「遊びのつもりならやめなさい。記者ってのは覚悟がいる仕事なんだから」


 最後に短く言い残して、アラン・クレスは去っていった。



 * * *



「ったく、相変わらず嫌みな野郎だぜ。せっかくの飯がまずくなっちま――おい、ハロウ。どこに行くんだよ?」


 通りへ足を向ける僕に、まだテーブルにいたニールが声をかけてくる。僕は手短に「彼を追わなくちゃ」と言った。


「あん? アランのやつをか?」


「うん。彼がいまから会おうとしている人物……その人間に心当たりがあるんでね。大丈夫だよ、そんなふうに不安な顔をしなくても、うまくやってみせるから」


 尾行なら、何度か事務所の仕事でやったことがある。そう言って胸を叩いてみせれば、ニールは少し考えたのちに了承してくれた。


「俺もいったん新聞社に戻って、編集長の用事をうかがわないとな」


 僕とニールは、ここで一度別れることになった。再び落ち合う場所は彼の家とだけ決めて、僕は通りの人の流れにまざっていった。

 新聞記者のアラン・クレスの跡を追って――。

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