アランとハロウⅠ

 うなだれた僕の頭から、ぶかぶかの帽子がずり落ちる。

 視界の端で、そいつが器用にふちを立たせて地面の上を転がっていくさまを捉えていた。そして秒も経たずに、誰かの足にぶつかってコテンと引っくり返ってしまった。


「あら、落としたわよ」


 ハスキーボイスに、癖のある口調。

 細長い腕が帽子を拾い、足は僕らのいるテーブルへとまっすぐ近づいてきた。その動きが止まる前に、僕はうなだれていた頭を元の位置へともたげた。


 顔を上げてみれば、目の前に見知らぬ男が立っていた。


 背が高く、細身で、洒落しゃれた男というのが僕の抱いた印象である。上から下までのりの利いた服装がなんとなく、知り合いのシルバー・ロードラインを連想させた。だが同類と呼ぶには、目の前の彼のほうがずっと洗練されているというか、アクが強いというか……とにかく、この運河の街にはちょっと浮いているような雰囲気をまとっていた。


 その男はニコリと愛想のよい笑みを浮かべ、僕へ拾った帽子を差し出した。

 おずおずとそれを受け取った僕が礼を述べようとしたその時、「うっげぇ……」と、なんとも品のないうめき声が隣から聞こえた。


「アラン……おまえ、いったいなんの用だよ」


 テーブルの向かいにいる、ニール・ブリッジの声だ。彼は椅子に座ったまま、男を見上げてひどく嫌そうな顔をしていた。


 僕はそそくさと帽子をかぶり直し、露わになっていた紅茶色の髪を隠した。風貌もごまかすためにコートの襟を立て、そのなかへ潜り込むよう身を縮めた。


(どうやらニールの知り合いのようだが?)


 交互に二人の顔を見やった。一方は苦々しく見上げ、もう一方は挑発的な目で見下ろしている。……仲のよろしい間柄でないことは、よくわかった。


「たまったま、そこの通りを歩いていたらアナタの顔を見つけたのよ。それでご進捗しんちょくをうかがいにきたってわけ」


「からかいに来たの間違いだろ? わりぃが、いまはおまえの相手をしている暇はないんだ。さっさとご自分のお仕事に戻ってくれよな」


「あら、つれない。せっかくハッパをかけに来てあげたのに。のんきに早めのランチに舌鼓を打っているようだけれど、そんなに悠長な構えでいいのかしら? ふふっ、せっかく……例の殺人事件に、新たな展開が訪れたっていうのにねぇ」


「……あなたも、新聞記者なんですか?」


 コートのなかから、僕はつい口を出してしまった。

 とたんに、ニールが僕を睨みつける。「バカ、おまえはなにもしゃべるな」と、小声で釘を刺されてしまった。


 アランという男も、僕のほうへ顔を向けた。好奇な目で頭から足元までじっとり見つめられる……正体がバレるんじゃないかとヒヤヒヤしたが、同時に別の意味での寒けも走った。


「そいつは……俺と取引した情報提供者だ。いま飯を食いながら話を聞いていたとこなんだよ」


 すかさず、ニールが適当な嘘をつけ加えた。それ以上、余計なことをつつかれないためだろう、「安心しろ。俺だってなぁ、おまえを出し抜くために、ちゃんとやることやってんだよ」と間髪入れずに、彼はアランに食ってかかった。


「わかったら邪魔すんな。とっとと、どっかに行けっての」

「ふぅん……もしかして、この彼がアナタの切り札なのかしら?」


 アランは、ニールのことなど見向きもしない。彼はじろじろと探るような視線を僕ばかりに向けてくる。

 蛇に睨まれたカエルの気持ちがいまならわかる。耐えかねた僕は「どうも、しがない労働者です……」と、これまた適当な自己紹介をして場をにごした。


「さっきの、アナタからの質問に答えていなかったわね」


「は、はぁ……」


「スパロウ新聞社のウォルタ支部に所属する、記者のアラン・クレスと言うわ。どうぞお見知りおきを」


 やはりニールと同業者であった。

 アランは懐から名刺を取り出すと、それを丁寧に僕へ差し出した。僕が慌てて立ち上がって受け取れば、横から不機嫌なニールが「半年前に流れてきたやつだけどな」と悪態をついた。


 その時、店のほうから給仕がこちらへやってきた。きっと新たな客が来店したのだと思って、注文をうかがいにきたのだろう。

 背後から給仕に声をかけられ、アランが一瞬振り向く。その隙を狙い、僕はニールのほうへ顔を寄せて小声で話しかけた。


「君たちの事情はよくわからないけれどさ」

「おう、なんだよ」

「僕としては、この機を利用しない手はないと思う」

「……利用? 利用ってなんのことだ?」


 僕は視線を動かして「彼だよ、彼」と、背中向きの洒落男しゃれおとこのことを示した。


「はぁ? おまえ、なに言ってんだよ」


 ニールはけげんそうに声を荒げる。

 同時に、件の男が給仕との会話を済ませて、再びこちらへ振り向こうとしていた。僕は「いいから僕にまかせておいて」と早口で言ったのちに、ささっと寄せた顔を戻した。


(この場に現れた、もう一人の新聞記者――彼を利用しない手はないってことさ)


 ニールが恨めしい目で僕を見ている。彼の顔には一刻も早くアラン・クレスを追い払いたいのにと、不満の二文字がはっきり書かれていた。


(ごめんよ。でもいまの僕にはもっと情報が必要なんだ。君には悪いけれど、もしかしたらこのアランという記者なら……なにか耳寄りな情報をつかんでいるかもしれない)


 下手をすれば、僕がくだんのお尋ね者であることがバレる恐れもある。しかし、迷ってはいられないのだ。僕は危険を承知で、このアラン・クレスという新聞記者との会話を試みることにした。


「へぇ、あなたもこちらのニールさんとおなじで、新聞社のかたなんですか。新聞はいつも読ませてもらってますよ」


 ニコニコ下手したてな愛想笑いをしながら、僕はさっき購入した新聞を手に取って広げてみせた。「いやしかし、とんでもないことになりましたね」と、表紙のギルの記事に目を落とす。


「僕も長いこと、この運河の街で働いている身なのですが、まさかこんな恐ろしい殺人事件が身近で起きるだなんて……。特に彼、名探偵のギル・フォックス! 新聞でもよく名を見かけるあの有名人が亡くなってしまったなんて、いまだに信じられませんよ」


 設定は先程口にしたとおり、しがない街の労働者ということにしておく。自分でも驚くほど白々しい言葉ばかりが出てきて、ひっそり感動すら覚えた。三流の台本なんてないほうが、演技がいける口らしい。

 ギルのことを話題に出せば、アランもうんうんと、うなずいてくれた。ほっそりした手を顔に当てて、彼は悲しそうな表情をする。


「ええ、とても残念だわ……。というのも、なにを隠そう最初に彼の才能に目をつけたのは、このワタシなの。新聞の一面を飾る、彼の仕事ぶりを評した記事をたくさん書かせてもらったわ」


「はぁ、あなたが――」


 はたと、僕はいま彼がしゃべったことについて頭を巡らせた。

 そういえば以前、事務所の目を避けてギルと二人きりで会話した時に、やつがたびたび苦言をこぼしていたことがあった。


(いやに馴れ馴れしくてうざったい新聞記者がいるって、珍しくゲンナリしていたけれど……なるほど、この人のことだったのか)


 ビジネス相手だから、あからさまに嫌な顔はできないとギルは言っていた。それから、相手は記者として非常に腕が立ち、抜け目なく、役に立つ情報網を豊富にそろえていると。


「ギル・フォックスは、この街の誇りでもありました」


 心にもないことを口にしつつ、改めてアランから情報を引き出そうと試みる。ひとまず雑談をしながら、遠まわしに質問できる隙を探してみよう。


「こんな物騒な世のなかでしょう? どんな難事件も解決する――いわば正義の味方が街にいてくれるのだと思うと、みんな安心して暮らすことができましたよ。……ですが、ほんのつかの間の平和でしたね。名探偵は殺され、代わりに恐ろしい殺人犯が街をうろついているというのですから」


「あら、アナタ話しちゃったの?」


 話の途中で、アランは急にニールのほうへ、くるっと顔を向けた。当人はすっかりふてくされているようで、黙々と食事の続きをしていた。睨まれても、素知らぬといった態度を貫いている。


「……まぁ、いいわ。たしかに守衛には口止めされているけれど、向こうから協力をうてくるのも時間の問題よ。逃げた男の捜索のために、ワタシたちの宣伝力が必要だと思うしね」


「しかし、守衛側の対応ももっともです。だって、そんなことが街中の人間に知られてしまったら、それこそ大パニックに陥るでしょう」


 アランは横目の視線だけを僕に寄こした。「一理あるわね。でも秘匿ひとくにされ続けるのも大問題だわ」と、返してきた。

 対して、僕はかぶりを振って応える。


「ウォルタの一住民いちじゅうみんとして、どうかこのまま内密に捜査を進めてほしいですね。聞けば、すでに二人目の探偵も、今朝がたに殺されてしまったらしいですし……」


 次ははっきり顔をしかめて「ちょっと、ニール坊」と、アランが厳しい目つきでニールを睨みつけた。


「無関係の人間にペラペラと、まぁしゃべってくれちゃって。これじゃどっちが情報提供者じゃわかりゃしないわね」


 アランの苦言に、今度はニールのほうが嘲笑して返した。


「ドカンと表紙を飾るにゃ、記事のインパクトがなによりも重要だもんな。どんなネタもすでにウワサとして街中に広まっちまえば、しょせん二番煎じってことで使い物にならないってか?」


「それ以上に、守秘義務に関する責任感が著しく欠如しているほうが問題よ。やっぱり、アナタはまだまだひよっこね。記者魂だのと熱苦しく騒いでいるだけで、肝心の中身が伴っていないところが余計に鼻につくわ」


 バチバチにぶつかり合う火花に、周囲の空気も震え出す。

 店の前の通行人も、奥に控える給仕も――みな恐れ二割、興味八割と固唾かたずをのんで二人の記者を見守っていた。

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