一方、その頃Ⅱ

 咳払いがさえぎった。

 音のほうへ視線を向ければ、オルソー・ブラックが握った拳を自身の口元に当てていた。「探偵ごっこなら後でしてくれ」と、彼は苦言をこぼした。


「そんなつまらんものを見るために、わざわざおたくらに守衛所までご足労をお願いしたわけじゃあないんだからな」


 所長が「すまない、どうぞ続けてください」と促した。改めてオルソーの口から、メイラの事件について詳細が語られた。


「メイラ・リトルの殺害状況から仕切り直させてもらおう。先程も伝えたが、事件現場となった彼女の自宅の玄関には、扉が無理にこじ開けられたような形跡はなかった。

 この借り屋には、若い姉妹が二人だけで暮らしていたらしいな。仮に夜分に来訪者があったとしても、娘が不用心に玄関の扉を開けたとは考えにくい……」


「なにをごちゃごちゃ考える必要がある? だから犯人はハロウで決まりだって、こっちは再三さいさん言っているだろうに」


 またしても、シルバーが横槍を入れてくる。

 けして手出しはしないとゴートと約束した彼は、ようやく太い腕から解放されていた。不服な面持ちに変わりはないが、おとなしく腕を組んで、横向きになびく髪先を指でいじっている。


「たしかに知った相手ならば、なかへ招いても……いやしかし、その相手がハロウ・オーリンだというのは余計に無理な推理じゃないか?」


 邪魔をされて、オルソーは顔をしかめると思いきや、逆に挑発的な視線をシルバーへ返した。


「ハロウ・オーリンが逃亡したことは、そこにいるデュバン・ナイトハート氏を通じて、すでに娘の耳に伝わっていたはずだ。そうだろう?」


 自分の名が挙がったためか、所長が「ええ、たしかに彼女にも伝えました」と応える。オルソーはフンと鼻を鳴らして、嘲笑した。不敵な表情は横槍を入れたシルバーへの仕返しのつもりなのだろう、彼はそのまま話を続けた。


「すべてを承知の上で、メイラという娘はハロウ・オーリンを家に上げたのかな? おたくのところの名探偵を殺して、その目玉までえぐっていった残虐で恐ろしい殺人犯の男を?」


「メ、メイラなら……ありえるぜ」


 すかさずシルバーが反論するも、なかなか苦しい推理であることは誰の目にも明白であった。


「彼女は人一倍、手柄と名声に飢えていたからさ……それできっと、たぶん……自分の手でハロウを捕まえようとして……」


 ボクはよく覚えている。

 あの夜、廊下にまで流れた大量の血と、陰惨な死体を前にして、すっかり怯えきってしまった彼女のことを。震えて、凍りついてしまった、そのかんばせを。


(いつも強がってばかりのうるさい女。彼女が本当に人一倍・・・だったのは――臆病な気持ち、なんだよね)


 シルバーの見解は途中で切れてしまった。

 オルソーは素っ気なく顔の向きを変えた。「デュバン・ナイトハート」と、湿った声色で今度は所長の名を呼んだ。


「は、はい……」


「あなたにお尋ねしたい。事務所の関係者以外で、メイラ・リトルと親しい間柄の人間、もしくは知り合いはこの街にいるかな?」


「さぁ、それはなんとも……。彼女は幼い頃に両親を亡くし、養子先からもほぼ飛び出すような形でウォルタの街へやってきたと言っていました。おそらく頼りにするようなツテはないかと……」


「近親者なら、妹のマリーナさんがいるくらいですわね」


 シトラスが何気なくつぶやいた後、場に沈黙が漂った。

 それは奇妙な沈黙であった。誰もが頭のなかで最悪なことを考えているんだろうなと、ボクでも簡単に察してしまった。特にシルバーの顔がひどく青ざめたことが、すべてを物語っていた。


「マリーナ・リトル」


 オルソーが、その名を復唱する。


「殺された娘の妹か。たしかギル・フォックスが殺された夜あたりから行方をくらませていると、部下からの報告があったな。どうだ、あれからそちらのほうでなにか進展はあったか?」


 その場にいる全員の顔を眺めるオルソーに、「い、いえまったく……」とシトラスが声をどもらせて答える。そうかそうかと、年老いた守衛長はひとり意味深にうなずいた。


「相手が逃亡中の殺人犯ならば警戒されて当然だ。だが、血を分けた肉親となれば――」

「まさかあんた、マリーナを疑っているのか?」


 ようやくシルバーの口から、みなが想像しているであろう最悪な展開が吐き出された。

 怒りを超えて、もはや侮蔑ぶべつの感情が彼の瞳に宿っている。それも当然だ。このシルバー・ロードラインというキザな男は、いつもマリーナ・リトル相手に気取ったアプローチを仕掛けていたのだから。


高飛車たかびしゃな姉に振りまわされる、哀れな妹か。自分を束縛する相手をふと殺したくなる衝動……ボクにもちょっとわかるかも)


 またしても応接室に一触即発の空気が満ちる。

 パンパンに膨らんだ緊迫感に、ひと針突き刺してやるのも悪くない。だが、ボクはあえて大人しくソファに座ったまま、もうしばらく事の成りゆきを見守ることにした。


 下手に前にでないほうがずっと賢いし、なによりも楽だと思ったから。


「もっぱら家からは妹を怒鳴りつける姉の声が聞こえていたと、近隣住民も話している。唯一の肉親とはいえ、その関係に辟易へきえきしていたもう一人の娘が今回の名探偵の殺人事件に乗じて事を成そうと考えても、けして不自然では――」


「いいや、それはありえませんよ」


 キザおとこ堪忍袋かんにんぶくろが切れる手前で、弁護の口を差したのはデュバン所長であった。


「マリーナくんがいなくなったのは、ハロウくんの身柄を押さえたという報告を受け取ったその直後です。彼が護送中の馬車から逃げ出したことまでは知らないと思います。

 彼女には動機に当たるような不満の感情を、姉のメイラくんに抱いていたかもしれませんが……少なくとも、いまあなたが話してくれたような『ハロウくんに罪をなすりつけて殺人を犯す』などということは、しょせん過剰な憶測に過ぎないでしょう」


 所長がきっぱり言ってくれたため、シルバーも「そ、そうですよね!」と、ほっと胸をなで下ろした。一方のオルソーは「なるほど、そういう考え方もあるか……」と無愛想につぶやいたのち、口をつぐんだ。


「下手に勘ぐり合うのは、正直もうたくさんです」


 ここへきて、ずっと力なくソファに座ってばかりの所長が、ようやくすくっと立ち上がった。ヘリオス探偵事務所の代表として、そして一番の年長者として、彼は堂々と守衛たちと対峙した。


「そもそも今日、あなたがたが我々を――ヘリオス探偵事務所の関係者全員をこの場に呼び集めたのは、今後のことについて、いくつか取り決めをしておくためだったのではないですかな?

 犯人捜しはいったん止めにして、ひとまずそのことについて話し合いましょう」


 みなが所長の意見に賛同し、愉快ゆかいなショーはあっけなく幕を閉じてしまった。


(…………)


『今後の取り決め』と大げさに言っていたが、守衛側の提案はじつにシンプルでこれもボクの退屈さを助長させた。

 オルソーはこう言った。事件の関係者であるヘリオス探偵事務所の人間は全員、一つの場所に固まっていてほしいと。事件現場となった事務所内の調査はひと通り終わったので、願わくばそちらのほうへ集まってもらいたい、とのことである。


 理由はボクも推理したとおり、これ以上の犠牲者を出さないためである。犯人役のハロウさんが現在も逃亡中のため、彼と接触する危険性をできるだけ下げたいと考えてのことらしかった。


「オレは反対だぜ。ぬくぬく安全地帯に引きこもるのはガラじゃないんでね」


 威勢よく発言したシルバーに「では、おまえはどうするつもりだ?」とゴートが尋ねる。問われた彼は自身の胸を勇ましく叩いて「もちろん、探偵としての職務を果たすまでさ」と答えた。


「行方知れずのマリーナを見つけて保護してやらなくっちゃな。少なくとも、彼女にも危険が迫っていることを伝えないと」


 ゴートはフムとうなった後、「なら、俺も手伝おう」とシルバーに続いた。


「おとなしく事務所で待ち続けるというのもな。ハロウの足取りについても、なにか有益な情報はないか街なかで聞き込みするのも悪くない」


「そうこなくっちゃな。オレたちの手で、ハロウの野郎をとっ捕まえてやろうぜ!」


 意気揚々、シルバーは高らかに腕を振り上げた。「おい、下手に手を出すな。追い詰められた人間は、時になにをするかわからんぞ」とオルソーが警告しても、二人の探偵は聞く耳を持たなかった。


 ぜったいに無茶をしないと所長に約束した二人は、さっそうと応接室から出ていく。その後ろ姿を見ていたボクは、ハッと我に返る。いけない、ふてくされている場合じゃなかった……。


「ああっ、待ってください! ボクも一緒に――」


 慌ててシルバーとゴートの後を追おうとするも、デュバン所長に止められてしまった。「さすがに君は危ないから、ここはあの二人に任せておきなさい」と、所長は目尻にしわを寄せて、ボクにやんわり言った。


(ええっ、冗談じゃないよ……)


 表面ではやや困ったように眉だけを寄せてみるも、心の裏では思いっきり悪態をついた。なにも探偵ごっこがしたいわけじゃない、単に行動を制限されるのはごめんってだけだ。

 ましてや、この後、人と会う約束をしているのに……。


「ロイくん。君はシトラスくんとともに、事務所で待機していてくれないかね?」


「……でも、いま事務所のまわりは野次馬がたくさん囲んでいるって聞きましたよ? ボク怖いし、あそこにいくのは逆に危ないと思います」


「大丈夫、いまも何人かの守衛が警備に当たっている。物騒な殺人現場だけれど、いまこの街で一番安全な場所であるのもたしかなんだよ」


 それでも渋るボクの肩を、所長は少し背を屈めてポンと優しく叩いた。


「女性を一人きりにさせては危ないからね。頼んだよ、小さなボディガードくん」

「…………」


 かくして、ボクは秘書のシトラス・リーフウッドとともに、中通りにあるヘリオス探偵事務所へ戻ることになってしまった。

 ちなみに所長自身は、まだ応接室でオルソー・ブラックからの聞き取りが残っているため、後で合流するとのことである。


 これ以上、ボクの口から無理を言うことはできなかった。事を優位に進めたければ、聞き分けのいい子どもを演じるのが一番だからだ。


(でも、どこかで適当な理由を見つけて、一人抜け出すチャンスを探さないとな)


 現在は午前十時ごろ。

 なに、まだ考える時間はたっぷりあるさ。

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