Chapter 10
一方、その頃Ⅰ
右方向へ数歩ほど、カツカツカツと単調な靴音が鳴る。壁にぶつかる手前で、その男はくるっと身をひるがえした。そして今度は左方向へと歩みを進めていくのだ、ひたすらそのくり返しである。
飾り気のない部屋のなかを、しきりにうろうろしている男の名はシルバー・ロードライン。表情は終始、苦虫を噛み潰したようなしかめ面で、神経質な挙動からもうかがえるように彼は相当いらついていた。
対照的に、部屋の隅っこで彫像のようにまったく身動きをしない人物もいる。その人物の名はゴート・イラクサ。黄ばんだ壁紙を背に、彼は静かにまぶたを閉じていた。ちなみに軽く目を伏せているだけで眠ってなどないことは、なんとなしに気配でわかった。
廊下に対して縦に伸びた長方形の部屋に、いま、
室内にはボクを含めて、五人の人間が集まっている。縦長の手前半分のひらけたスペースには、シルバーとゴートがいる。そして残り半分奥の、大きな
廊下側の一番手前端に座っているのは、デュバン・ナイトハート所長だ。相当気が滅入っているのか、上半身をくの字に折り曲げてぐったりうなだれていた。
あの、いつもきれいな夢を見てキラキラと輝いていた瞳が、いまは見る影もない。膝の上に肘をつき腕を立てて、組み合わせた両手を
そのすぐとなりで寄り添うように座っているのが、シトラス・リーフウッドである。この五人のなかで、唯一の女性だ。
へこんだ所長のかたわらで、彼女は何度も励ましの言葉を投げかけていたが、そのうち当人から「そっとしておいてくれ」と憂鬱気味に言われてしまった。
いまは背筋をピンと伸ばし、
はてさて、そんな二人から離れて、直角の対の辺にボクは座っていた。
大人用にしたってかなり大きめのソファだったから、まだ子どものボクはタッパが足りず、床から足が浮いてしまう。両足をぷらぷらゆらしながら、ボクはさっきから順々に……ここにいるヘリオス探偵事務所のメンバーを観察していた。
もう一度、一人ずつ目で追っていくことにしよう。
せかせか歩きまわる、シルバー・ロードライン。
腕を組み微動だにしない、ゴート・イラクサ。
座ってため息ばかりついている、デュバン・ナイトハート。
毅然と顔をまっすぐ向けている、シトラス・リーフウッド。
そしてお行儀よくしている、ボクこと――ロイ・ブラウニー。
合計五人の人間が、ここウォルタの街の守衛所のなか、ボロい応接室に集められた。
改めて人数を数え終わったところで、水を差すかのように部屋の扉が開いた。一人の大柄な体格の部下を引きつれた、小柄で猫背の中年男――オルソー・ブラックがやってきた。
「ようやくご登場か、税金
足を止め、さっそくシルバーが食ってかかる。そんな彼に、さっと顔を上げたデュバン所長が「シルバーくん」と険しい声で名を呼んでたしなめた。
静かに首を振る所長を前に、いつものシルバーだったら大人しく身を退くはずであった。なんだかんだ言って、自分を探偵として拾い上げてくれた恩人には、彼も頭が上がらなかったから。
でも、今回ばかりはちがう。
所長の意向など無視して、シルバーは部屋に入ってきたばかりのオルソーらの前に立ちはだかった。
「話は一から、すべて聞かせてもらった。いったい、どう説明してくれるんだ? そしてあんたらはこの最悪な事態に対して、どう責任を取ってくれるんだよ」
「……脇に控えてろ、若造」
恐れ知らずにつっかかるシルバーに、オルソーも普段のわざとらしい丁寧な態度を最初から引っ込めて言い返した。
ますます顔を歪めて怒りを露わにするシルバーであったが、即座に後ろからゴートに肩をつかまれてしまった。
その隙に、守衛たちは部屋の真んなかへと移動する。集まった――いや、集めさせられたボクたち一同の顔をぐるりといちべつするなり、オルソーは部下が差し出した書類を読み上げた。
「すでに知ってのことだと思うが……今朝、日の出前におまえたちの関係者がまた殺された。メイラ・リトル、年齢が十八の若い娘だ」
メイラ・リトル。
その名が部屋に響くなり、場の空気がざわついた。
「凶器は、死体の傷口から小型の得物――ナイフだと判断。腹部を刺され、喉元を切りつけられていた。現場を確認した者の報告から、玄関の扉は開いたままで特別壊れてはいなかったという。強盗の見解も捨てきれないが、その線は薄いと――」
「あんたらのせいじゃないか!」
室内に罵声が響いた。
シルバーの声だ。彼はゴートの手を振り払って、淡々と資料を読み上げるオルソーへつかみかかろうとした。だが伸ばした腕が相手の襟を捕らえる直前、控えていた部下に阻止され、あまつ今度は背後からゴートに羽交い締めされてしまった。
シトラスが驚いて、ソファから腰を浮かせる。落ち着けと警告するゴートに「これが落ち着いていられるか!」とシルバーは返し、じたばたと暴れ出した。
オルソーに向かって指をつきつけてやりたいのだろう。彼は人さし指を立てた腕をしきりにまっすぐ伸ばしているが、羽交い締めにされているため斜めに傾いてばかりで……その姿がなんともボクには虚しく映った。
(でも、彼が怒るのも無理はないよね。ギル・フォックスに続いて、メイラ・リトルまで殺されちゃったんだから)
一昨日の夜、ボクら探偵たちが所属するヘリオス探偵事務所の花形、ギル・フォックスが殺害されてしまった。翌朝、さっそく新聞記事になったから、それはこのウォルタの街中の人が知っていると思う。
そしてなんと今日の朝方に、またしても当事務所の探偵が殺されてしまったのだ。
殺されたのは、姉妹探偵の姉のほう、メイラ・リトルである。とっても勝ち気というか、いつもヒステリックに怒り散らしている女の人だ。
(これはボクにとっても、驚きの展開だ)
ここで普通ならば、犯人はいったい誰かと疑心暗鬼に陥るだろう。でも、残った事務所の人たちにそんな心配は不要だ。だってもう……犯人役は、決まってしまっているのだから。
「あんたらが……ハロウの野郎を逃がしたせいでッ!」
ハロウ・オーリン。
ボクとおなじ、見習い探偵だった男の人だ。
ギル・フォックスが事務所で殺された際、その殺人の容疑者として……いや、ほぼ確定で殺人犯と決めつけられたのが、このハロウ・オーリンさんなのである。
理由はしごく単純だった。殺人事件が起きる直前にハロウさんは、殺された名探偵に事務所を追放されたからだ。みんなの前で無能者の
(ハロウさんが犯人に間違いないと、あの夜、ボクも含めた事務所の人間全員で守衛に申し立てたんだっけ)
翌日になってから、守衛側からハロウさんの身柄を拘束したと連絡が入った。ところが、その日の夕方にもっととんでもない情報がボクらの元に知らされた。
ハロウさんが、
「待ってください、シルバーさん」
シトラスがしゃんと立ち上がって言った。「まだハロウさんが、メイラさんを……」一瞬言いよどむ彼女であったが、すぐにきりっと表情を引きしめて「……
シトラスの言葉に続いて、ゴートも「そうだな」と同意を示す。羽交い締めにしているシルバーへ言い聞かせるよう、彼もしゃべり出した。
「運よく逃走できたのなら、普通はとっとと、この街から去ろうと考えるはずだ。わざわざウォルタに残って、あまつ殺人を重ねるなど……慎重な性格のあいつがそんな大胆な行動を取るとは俺には思えん。なんの利点もないだろう」
「いいや、オレにはわかるのさ」
シルバーは一度ゴートの顔を見上げ、それからシトラスのほうを睨んだ。口元を吊り上げて、せせら笑っているようにも見えたけれど……どちらかというと頬が引きつっているというか、強がりと恐れを感じているようにも見えた。
「やつはな、オレたち全員に復讐するつもりだよ」
「復讐……だって?」
困惑気味に言葉を返したのは、所長だった。少したるんだまぶたを大きく開いて、シルバーの顔をまじまじと見つめている。
続いてシトラスが「わ、わたしたちにですか?」と尋ねる。シルバー本人はゆっくり、こくんとうなずいた。
「あいつがギルの野郎を殺したのは、明白の事実。現場の鍵のかかった扉が犯行を物語っているのはもちろん、事務所の誰よりも強い殺意の動機ってやつをハロウは持っている。
オレたちの正義の告発によって、やつは守衛にとっ捕まってしまった。だが、守衛らの不手際のせいで恐ろしい殺人犯は罪から逃れるチャンスを手に入れてしまったんだ……きっと、いまごろやつの腹んなかは怒りで煮えたぎっているはずだぜ?」
探偵たちに復讐を、ってな。
と、シルバーはみなに仰々しく語った。
三文芝居のような安っぽい仕草はいつもの癖として――発想は悪くない。むしろそちらのシナリオのほうがスリリングでおもしろそうじゃないかと、思わず共感してしまう魅力があった。
「だから、メイラさんは殺されてしまったんですね」
ボクは乗っかった。
華奢な肩をすぼめ、声もふるりと震わせて……恐れを抱いたような、か弱い雰囲気を装った。
「そして、件のハロウさんはいまも逃亡中。シルバーさんの見立てどおりなら……ああ、まだまだこの殺人事件は続くのかもしれませんね。
残る探偵は当人と、ギルさん、メイラさんを除いて四人。事務所の関係者として、所長と秘書のシトラスさんを入れれば六人です。もしかするとボクたちのなかで、次なる犠牲者が現れるかもしれませんよ?」
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