情報集めは捜査の基本Ⅱ

「やっぱりそうなるのか……」


 うなだれる僕に「もっとも、おまえは昨日の晩からウチにいたんだ。その点は安心していいぜ」と、ニールが言った。

 からっとした笑顔で言ってくれるが、擁護ようごなのか、はげましなのかよくわからない。第一『その点は安心していい』とは、どういう意味なのか……。


(寝ている間に、僕が無意識に人を殺したってか?)


 そんな夢遊病患者むゆうびょうかんじゃじゃあるまいし、と僕は心のうちで悪態をつく。毎夜毎夜、眠る僕は夢のなかに囚われているのだ。まさかうつつでも呪われているだなんて……たまったもんじゃない。


 いつの間にか、左手を握りしめていた。

 はたと気づいて、やんわり指をほどく。一瞬見えた手のひらに残る赤い跡は見なかったことにして、僕は気さくな表情を取り繕った。


 軽く流すことにして、なにかしゃべろうと口を開きかける。そこへさっきの給仕が軽食の載ったお盆を運んできた。僕はまたしても、新聞で顔を覆い隠すはめになった。


「よく食べるね、君」


 気配が遠ざかり、紙を下ろしてから僕は言った。

 狭いテーブルの上を支配する皿とその料理を見て、自然と肩の力が抜けた。僕のあきれまじりの吐息に「あったり前だろう」と、はつらつした声でニールが返す。ちなみにいまの時刻は午前の十時ごろ、昼飯にしてはやや早すぎる。


「記者ってのは、体力が必要なんだぜ? 常にネタを追ってあっちこっち駆けまわらにゃいけねぇし、時には張り込みをして水の一滴も飲めない長丁場ながちょうばに出くわすこともあるんだ。食える時は食っておく、それが長年やってきた仕事のツボだわな」


「仕事熱心でけっこうなことだ」


 言いつつ、若干引き気味になって僕は椅子の背もたれに寄りかかった。

 そんな僕に、ニールがパンの載った皿を勧める。


「おまえこそ、今朝からぜんぜん飯に手をつけてないじゃないか」

「…………」


 見知った人間が、二人も殺されたのだ。

 食事なんて喉を通るはずもない。表情だけでそれを示すと、彼は皿を退しりぞけるどころかますます僕の手前へと押しつけてきた


「心情は察するがよ、とりあえず胃になにか入れておけよ。あっ、一応おふくろがおまえのぶんの朝食の残りを包んで俺に持たせてくれたから、食いたかったらいつでも言えよな」


「悪いね……」


「俺はこの事件に賭けているんだ。一世一代の大勝負ってやつよ。大穴のおまえに、つまらねぇことでギブされちゃ元も子もないからな」


 昨晩までは、まだ僕が事件の犯人かどうか疑っていたのに。心変わりの決定打になったのは、きっと今朝のメイラの事件なのだろう。


(僕としては複雑な気持ちだけれど……でも、少なくとも彼はまともに事件の真相を追いかけてくれる気のようだ)


 逃亡中の僕をかくまういという、大きすぎるリスクまで負って。

 いろいろと雑な性格だが、母親に似て根は真面目なのだろう。その真面目さで損をするタイプだなと、僕は同時に思った。


(だって、そうだろう? 真実なんて放っておいて、さっさと僕を守衛所に突き出したほうが、みなが注目するような刺激的な記事が書けるものな)


 それをしないのは、彼自身があくまでも公平性を重要視しているからか。そんな実直な不器用さに救われているのだ、僕は。

 信頼と熱意に応えるため、僕は皿の上のパンを小さくちぎると、それを口に運んだ。


「……食事中に悪いんだけれどさ。メイラの事件のこと、もっと詳しく教えてくれないか? ほら、朝に守衛が家から立ち去った後に、君も現場を見に飛び出していったろう? その時の話をぜひ聞きたいんだ」


「ん? ああ、いいぜ」


 豪快に噛み切ったパンを咀嚼そしゃくしながら、ニールはどこからか例の手帳を取り出した。ペラペラとページをめくりながら「ほぅだな……」と、半端な声でうなる。


「事件現場となったメイラ・リトルの家は、俺んからわりとすぐ近かったな。近所の人間に話を聞いてみたところ、妹と一緒に一室借りていたとか」


「それは僕も知っている。そういえば昨日の夜に君、言ってたよね……妹のマリーナの行方がわからなくなっているって。昨夜も彼女はメイラの元に帰ってなかったのかい?」


「らしいぜ。一人でいたところを押し入られて――ナイフらしき小型の得物で、グサリとやられたそうだ」


 また、ナイフか。

 反射的にひとりごちれば「傷跡から察したんだろうな。凶器そのものは今回も現場には残ってなかったようだぜ」と、ニールが情報をつけ足した。


「普通に持ち帰ったんだろうな。刺されたのは腹部と、もう一つ喉を切られていた。たぶん、悲鳴を上げられると困るからそうしたんだって、現場にいた守衛たちがこそこそ話をしてたよ」


 二口目にと、パンをちぎった手をそのまま止めて、僕はニールに尋ねた。「……目はどうだった」と。

 その質問にニールは首を左右に振って「いいや、くり取られてない」と答えた。


「メイラ・リトルの場合は、刺されただけだ。さっき言った傷以外は、死体に目立った損傷はないらしい」


「ギルの事件とはちがうな……なら、怨恨えんこんや私情が絡んだ殺人じゃあなくって、本当にただの押し入り強盗かなにかだったのかな?」


「いや名探偵の場合は、やつが新聞で『真実を映す両眼』と宣伝文句にしていたから、目をえぐられたまでだ。おまえの言うとおり、強盗の可能性も捨てきれないが……でもやっぱり、俺は二人の殺人は同一犯によるものだと睨んでるぜ」


 それはなぜか、わかるかね? 見習い探偵くん。

 と、パンを片手にニールが茶化すように言ったため、僕は少しむっと顔をしかめた。


「同一犯だって? それはまたドラマチックな妄想だね」

「俺のほうが探偵としてのセンスがあるかもな。まぁちょっと、俺の立てた推理とやらを聞いてくれよ」


 指につまんだままだったパンの欠片にふと目を落とし、二秒ほど考えてから僕はそれを口のなかに押し込んだ。「……いいよ、どうぞ」と促せば、ニールが上体を前に寄せ、小声で話しはじめた。


「あのな、メイラ・リトルはどうも夜明け近くに殺されたようなんだ。たまたま自宅前を通りがかった労働者が、彼女の死体を発見したんだよ。半開きの玄関の扉から、女が倒れているのを偶然目に留めてな」


「うん……」


「そいつは朝方の仕事に向かう途中だったらしい。その発見時、床に流れた生々しい血はまったく乾いていなかったんだとさ」


「だから死体の発見時刻と、彼女が殺害された時刻は近いってことか」


「玄関の扉が壊された様子もなければ、外から鍵を無理やりこじ開けられた形跡もない。仮に強盗や怪しい人物が外からやってきたとしよう。しかし、家に年若い娘が一人だけなんだ……メイラ・リトル本人だって用心するのは当然じゃないか?」


 そうだ、それこそ悲鳴を上げたっていい。と、僕はニールの話を聞きながら考えた。あの苛烈な性格のメイラが甲高い悲鳴を上げる姿は想像つかないが、扉に向かって大声で罵ることくらいはするだろう。


「……けれど、近隣住民は口をそろえてこう言うんだ。夜から朝にかけて、その晩は怪しい物音はしなかった――とても静かな夜だったと」


「…………」


 話を聞いているうちに、嫌な予感がしてきた。

 胸がむかむかするようで、僕はとっさに自分が注文したお茶のコップをつかんで、唇に当てるなり大きく傾き上げた。しかし残念なことに、お茶は舌先をぬらす程度の量しか残っていなかった。


 向かいでは、ニールがガブガブとうまそうに自分の水を飲む。パンを押し流してひと息ついた彼は、改めて僕の顔を見つめて……ニヤリと笑った。


「つまりだ」

「つまり……彼女自ら、誰かを家に招いたと?」


 玄関の扉の状態と、悲鳴も上がらぬ静かな夜――この二つの要素が、メイラ・リトルの家に強盗が押し入った線をかき消した。


「そうだ。と、いうと?」


 続きを促されるが、言いたくなかった。


 しばし、昼前の穏やかな軽食屋のテラスに、奇妙な沈黙が漂う。すぐ手前の道を流れていく、街の人々の足音が心地よく感じた。時折、薄い紙の音が聞こえるのは、件の新聞を誰かが開いているせいだろう。


 ニールが短いため息を吐いた。僕の返事を聞くのをあきらめて、彼は自分で続きを語り出した。


「一夜ともにいたか、それとも夜分に招き入れたか……この際、タイミングはどうでもいい。わかっているのは夜明け前、殺される直前までにメイラ・リトル本人が自宅へ招いたと思われる誰かさんは、よっぽど気の知れた相手だってこ――」


「ちがう」

 

 長々としゃべる口を、たったひと言で黙らせる。いったん口を閉じたニールであったが、数回まばたきをした後にまたしゃべりはじめようとした。

 その前に僕がまたひと言、突き刺した。


「ぜったいにちがう」


「俺はまだ肝心なことを言っていないぜ?」


「わかるよ、君の言いたいことくらい。ギルとメイラを殺したのは同一犯、メイラが警戒せずに家に招いたってことは――探偵事務所の人間が犯人だって言いたいんだろ!」


 変装していることも、街なかにいることも、すべて忘れて叫んでいた。通りから何人かがこちらに振り向いたが、ニールが気にしないでくれと軽く手を振った。


「ぜったいにない!」

「なら、反論をどうぞ」

「とにかく、ぜったいにありえない!」

「あ、そう。じゃあ、疑わしきはおまえのままだぜ」


 通りに聞こえないよう、彼はより静かな低音で言った。


「事務所を追放された逆恨みで、名探偵を殺害。一度はお縄についたが脱走して、追い詰められた青年は探偵事務所の人間たちに復讐を誓う。そしてじっさい、次なる被害者が出てしまった……ああ、見事に型にはままったシナリオだよ、まったく」


 僕はなにも言えなかった。

 なにも言葉にできず、崩れるようにうなだれる。それでも得意気に言い放ったニール・ブリッジに一矢報いっしむくいたく、頭を巡らせる。ようやく経って吐き出せたのは、ほとんどうめくような音だった。

 

「……ったら……うきは?」


「あん? なんだって?」


「……動機はなんなのさ、って言ったんだよ。君の言う……同一犯とやらは、どうしてギルとメイラを殺さなくちゃいけなかったのさ。自分の手で何度も……恨みでもあったのか? 彼や彼女が、なにか恨まれるようなことをしたのか?」


 伏せた顔の下から響く、僕の恨みがましい声とは正反対に、ニールの返答はさっぱりしていた。「さぁな」と、ひと言だけ返して、またパンをほおばる音が聞こえた。


「人殺しの気持ちなんて、俺ぁ考えたくないね」


「…………」


「ましてや一人目は両眼をえぐって殺し、日の浅いうちに二人目もあやめちまうようなやつだ。これだけははっきり言える……真犯人は、異常者だ」


 うなだれた姿勢のまま、より深く頭を沈めて……僕の額がテーブルについた。わずかな衝撃と同時に、頭につけていたぶかぶかの帽子がずるりと地面に落ちていった。

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