メイラ・リトルⅡ

「…………」


 しばらくうずくまって気を落ち着かせてから、アタシは立ち上がった。もう一度、テーブルへ戻って椅子に座る。


 心なしか、さっきよりも室内が薄明るい。そろそろ夜明けか。結局、今夜もマリーナは家に帰ってはこなかった。


(思えばアタシ……探偵をやっているけれど、あんまり殺人事件を取り扱ったことないのよね)


 もっともそんな危険な依頼自体、事務所に舞い込むことはまれである。


 いくつか例はあれど、大抵死体はその村や町の守衛が片づけた後だったりする。直接、お目にかけることもなければ、ふれることもない。


 死体を見ずとも、周囲の人間への聞き取りだけで解決できる。なぜなら殺人事件は、人間関係のトラブルが発端で起きる。痴情のもつれや、ご近所トラブルなどを調査していくうちに、犯人もあっさり特定されるのが常であった。


(たぶんアタシが女だから、所長が気をつかって外してくれているのかも。それはそれで、しゃくには思うのだけれど……)


 養子として引き取られた農場を飛び出し、アタシとマリーナはこのウォルタの街へやってきた。しばらくは酒場の給仕なりをして生計を立てていたが、まさかちゃちなスリを捕まえたことが人生の機転になるとは思わなかった。


(探偵事務所の一員としてアタシをスカウトしてくれたデュバン所長には、いまでも感謝しているわ。お人好しではあるけれど、そんな気まぐれのロマンチストに人生を救われたようなものだからね)


 さむけの反動か、次第に体に熱が戻ってくる。息を吸って、吐いてをくり返す。さすがに冬場とちがって、口から白いけぶりが出ることはなかった。


 たしかにギルが死んだことは、ショッキングな出来事だ。陰惨に殺されたことも相なって、しばらくは夢に出るだろう。


(でも、ギルの事件は解決したわ)


 なんてことない。

 犯人は、ハロウ・オーリンだ。


 気弱で、ぱっとしない眼鏡の男。殺害の理由はこれまたしごく単純で、ギルに事務所を追われたその逆恨みからである。


「だとしても、まさか殺した上にたまをえぐるなんてね。意外に怖いところもあったのね、あいつ……」


 ギルの死体を発見した直後、すぐに守衛を呼んだ。そこには例のオルソー・ブラックの姿もあったが、さすがの中年親父も惨状を前に皮肉の一つも吐けなかったようだ。


『犯人の心当たりは?』と問われて、満場一致でハロウの名が上がった。若干の戸惑いはあったが、誰もかれも、あいつがやったのだと認めていた。


(こうして無能な眼鏡くんはお縄につきましたとさ。……でもあいつ、いましぶとく逃げまわっているらしいじゃないの)

 

 捕まるのは時間の問題だ。

 これで、この事件はおしまい。

 だからなにも怖いことなんて、ないの。


 目を閉じて、自分に言い聞かせて、アタシはうんうんとうなずいた。

 

 ……ただ一つだけ。その場では口にしなかったが、アタシにはどうしても気になっている点があった。


「あの部屋の窓……壊れていたはずよね……」


 事務所を追われたハロウは、すぐに道を引き返し、外から二階の窓を通じて空き部屋に侵入した。そしてギルを刺し殺したのだと、そう事務所のみんなで推理を立てた。


 しかし、出入りに使ったと仮定した窓は……その日の昼間に、自分が壊してしまったはずだ。

 いや、正確に言うなら勝手に壊れた。建物が古いのが悪い。秘書のシトラスが後日、業者を呼んで修理してもらうと話していた。


(上げも下げもできない、中途半端に詰まった下ろし窓。守衛はちゃんと調べたのかしら? かくいうアタシも死体に驚いてて、その後はよく確認しなかったし……)


 ハロウがギルを襲う際、都合よく直ったのかもしれない。

 とりあえず前向きに考えて、不安を取り払う。けれど、一つ浮かんだ疑念の点は、また別の思案を引き寄せた。


「そういえばハロウが追い出された後、なんだかんだ、ほかの人たちも外へ出入りしたわね」


 演劇鑑賞のため、外出していた所長は置いておく。時の流れを思い返しながら、アタシはそれぞれの人物の動きを頭のなかでまとめていった。


 まず、ハロウが事務所を追い出される。

 そのすぐ後に、ギルが空き部屋に閉じこもった。

 談話室で自分とマリーナがちょっとした言い合いになる。

 そして妹は雨のなか、事務所を飛び出していった。

 次にシトラスも、ハロウを探しに出かける。

 続いてシルバーも、マリーナの後を追って外に出た。


(談話室に居残ったのは、アタシ、ゴート、ロイの三人。そのロイも食べ物を探して台所へ行き、ゴートも……なんか本を取りにいくとかいって、どこかへ行ってしまった)


 結局、自分一人だけが談話室に残った。しばらくの間、ひとりでやきもきしていたのはよく覚えている。


(その後、事務所に帰ってきた順番は――)


 ――コンコンッ。


 思案は中断された。

 ふいに聞こえてきた物音に、びくっと肩が跳ね上がる。警戒と緊張から、アタシはしばし硬直していたが……二度目の物音で、その正体をつかんだ。


 ――コンコンッ。


 音の出所は、玄関だ。

 なんてことはない。誰かが外から玄関の扉をノックしているだけである。


「マリーナ……?」


 アタシは、すっと立ち上がった。

 すぐに頭によぎったのは、妹の姿であった。


 しかし、おかしい。妹ならば、家の鍵を持っているはずだ。わざわざ扉をノックしなくとも、さっさと開けて入ってくればいい。だって、ここは二人の住まいなのだから。


(誰? マリーナじゃない……?)


 立ち上がったままの状態で、アタシは注意深く玄関を見つめた。


 現在の時刻は、夜明け前である。そろそろ日が昇りはじめる頃合いなのか、室内の青みがかった闇はだいぶ薄れて、空気が透明になりつつある。


 そんな時間帯に、誰が、いったいなに用でこの家にやってきたのだろうか。


 いぶかしむアタシであったが、疑念はあっさりほどけた。扉の向こうで、来訪者が名を名乗ったのだ。

 その名前と声を聞いて、とたんにアタシは脱力してしまった。


(なんだ、ビビって損をしちゃったじゃない……)


 マリーナではなかったが、来訪者はよく知った人物であった。


(こんな時間になんの用かしらね?)


 いそいそと、玄関へ向かう。

 なにか急ぎの用件でもあるのだろうか。もしかしたら、マリーナが見つかったのかもしれない。


 朗報を期待して、アタシは玄関の扉を開けた。


 と同時に、来訪者の足が勢いよく踏み出される。まるで駆け込んでくるかのような挙動に、アタシは慌てて後ろへ下がった。

 あやうく、ぶつかりそうになった。

 それほどまでに素早く距離を詰められて――。


(あ――)


 目線が下がった瞬間、光る銀色が見えた。


 声を上げる間もなく、ソレはアタシの腹部へ突き刺さる。

 激痛――全身がしびれるような衝撃に襲われる。骨も肉も機能を失い、体がゆっくり後ろ向きに倒れていった。


「あ……ぅあ……」


 冷たい床と肩が激突する。

 上半身が右向きにねじれたためか、急所の頭はぶつけずに済んだ。ただ、中途半端に床から浮いた頭から、自身の腹部に刺さる異物の姿が目に入ってしまった。


 震える左手で、異物にふれる。指先を染めた赤い色は、あの夜、廊下に流れていたものとおなじであった。


 ナイフだ。

 鋭利なナイフが、腹に突き刺さっている。


 もう夜明けだというのに、暗い影が落ちた。

 来訪者は静かに、アタシを見下ろしている。


 アタシは疑問しか浮かばなかった。だが、嫌でも察してしまう。ギルを殺した犯人は……きっと、この人物なのだと。

 そうでなければ、壊れた窓の説明がつかないのだ。


「ぅあ……あッ、アア!」


 死ぬわけにはいかなかった。

 最後の希望にけて、アタシは悲鳴を上げようとした。

 しかし、すぐさま黒い手袋に口を塞がれる。単なるくぐもった音にしかならなかった。


 口を塞ぐ手とは別の手が、腹部のナイフを抜き取った。血が垂れ落ちるナイフを高く掲げて、今度は喉元めがけて振り下ろされた。


 日の光を浴びることもなく。

 夜よりも暗い闇のなかへ、アタシの意識は引きずり込まれていった。

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