推理【密室殺人】Ⅱ

 ニールはひと息ついて、机の上の水差しとコップに手を伸ばした。トプトプとコップに水をそそいで、しゃべったぶんだけ喉の乾きをやす。


 黙りこくった僕を見かねてか、彼はついでに僕のぶんのコップにも水をついでくれた。

 ニールにならって、僕も水を口に運ぶ。一気にあおったわりには、けしてうるおうことも、熱が引くこともなかったが。


「まぁ、おまえの言うとおり……内部での犯行は難しいな。なんたって、名探偵が殺された部屋のドアには内側から鍵がかけられていたんだし、仮に殺してから鍵を閉めたとしてもそんな芸当ができるのは奇術師くらいだぜ」


 ニールはぼんやり斜め上を見て、「唯一、出入りが可能な窓から侵入するのが一番現実的だろうな」とつぶやいた。

 僕は、今度は自分の手で水差しをコップに傾ける。もう一口だけあおって唇をぬらしてから、彼に言葉を返した。


「新聞にもそう書いてあったね。事務所から追放された僕が、その後すぐに道を引き返して――窓から事務所へ侵入、部屋に一人でいたギルをナイフで刺し殺したのだと」


「おう、それが守衛側の見立てだ」


「…………」


「じっさい、死体がドア元に寄りかかっていたことが状況を説明しているとも、俺が金を渡したやつは言ってたぞ。窓から侵入してきたおまえにふいを突かれ、名探偵はナイフで腹をぐさり。部屋の外にいる仲間たちに助けを求めようとして、哀れドア元で力尽きてしまった……とな」


 僕は息を吸った。胸が上向きにふくらんだところで止めて、それから肺がしぼむまでゆっくりと息を吐き出していく。


 それはそれは、大きなため息であった。


 あまりにもわかりやすく、うんざりとした気持ちをあらわわにした僕の吐息は、その辺の紙をすべて吹き飛ばしてしまいそうだった。

 ニールがけげんな顔で僕を見る。目がかち合えば、僕は力なく頭を振った。


「雑な仕事をする連中だとは、かねがね思ってはいたけれど……ここまでひどい見立てをするなんて」


 悪態をつく僕に、ニールが「守衛のことか?」と聞き返す。その物言いには『それとも自分たち、新聞社側の人間のことを指しているのか?』とうかがうような含みがあった。

 僕はかたわらの新聞に目を落としてから「まぁ、どっちもかな」と、改めて返しておいた。


「いいかい、現場の空き部屋は事務所の二階にあるんだ。そのことは知っているよね?」

「あん? そりゃもちろん、知ってんよ」


「もう一回言うよ。二階・・だ」

「ああ」


「なんだっけ、犯人は二階の窓から侵入したって言ったね?」

「おうよ、壁をよじ登ってな」


「……その時点で、君はなにも疑問に思わないかい?」


 親切丁寧に、質問をしたつもりだった。

 しかし、この新聞記者の男はなにもわかっていないようで、パチパチとまばたきをくり返すだけである。

 その瞬間、僕は爆発して叫んだ。


「登れるわけないだろうがッ! この僕が、建物の二階なんかにぃッ!」


 仮に窓からロープを垂らされたって、僕には無理だ。自分の身長よりもはるかに高い頭上の場所へ、登っていくなんてことはできやしない。そんな都合のいい力技フィジカルなど、あいにくこのせた体には持ち合わせていないのだから。


 不可能な犯罪だと僕が主張するも、ニールはやはりきょとんとした顔のままだった。「じっさいに子どもがやってのけたんだ。いけるだろう」と、いい加減なことをのたまってくれる。「一緒にするな」と僕は冷たく吐き捨てた。


「だってよ、誰しもガキの頃に木登りで遊んだ経験とかあるだろう? 俺だって、よくババアに家から閉め出されたときゃ、外からよじ登って……そこの窓から部屋に入ったもんよ。まっ、すぐにまた追い出されちまうんだけどな」


「孤児院育ちとはいえ、上品な子どもだったからね、僕は。まぁ……となりの建物との幅はせまいし、雨樋あまどいなんかをよじ登っていけば、大人でも可能だとは思うけれど――」


 いや、待てよ。

 と、僕ははたと口を止めた。


 談話室に集まる前、僕はあの空き部屋にいた。すっかり忘れていたが……たしか探偵仲間のゴート・イラクサも一緒にいて、珍しく彼としゃべっていたのだ。

 

(一階にいるのが気まずくて、空き部屋にこもろうとしたんだっけ。そしたらゴートがいて、びっくりして、その後……僕は……)


 あの時、室内に冷たい風が吹いた。雨が降っているのにも関わらず開けっぱなしだった窓に、僕がけげんな眼差しを向けたのだ。

 そして窓に近寄り、木枠に手をかけて――。


「――そうだ。あの窓は壊れていた」


 昼間にメイラが壊したのだと、ゴートは言っていた。

 閉じることも開けることも叶わず、上げ下げ窓は中途半端な位置で詰まっていたのだ。泥棒を警戒して、僕はためしに自分の頭を窓の隙間へ突っ込ませてみたけれど……肩が引っかかって通り抜けることはできなかった。


「壊れた窓ね……いや、そんな情報は守衛からもらってないな」


 手帳をめくり、うなるニールに「だからだよ!」と僕は晴れた口調で強調した。


「もし、まだ壊れたままの状態なら、ずさんな見立ても簡単に否定できるじゃないか!」


「にわかには信じがたいが、調べてみる価値はありそうだな。……いや、でもそうなると――」


 ほかの人間の侵入も不可能になるな。

 と、ニールはつけ足した。その言葉に、僕もはっと我に返る。


「……たしかにそうだね。あの隙間を通れそうなのはロイみたいな子どもか……それとも小柄な女性くらいしか……」


「あんだよ。それじゃあ、じっさいに窓から侵入してみせた、その少年が殺したって言うのか?」


 気だるげに口にしたニールの発言に、僕はすぐさま「そんなわけないだろう!」と声を荒げて否定した。彼は両方の手のひらを僕に向け「わかった、わかった」と、なだめるような口調で返す。


「冗談だよ、冗談。そもそも、その子どもが窓から部屋に入った時点で、名探偵はとっくに殺されていたんだからな」


「…………」


「だから睨むなって。……それに、たとえ武器を持っていたとしても、子どもじゃ男一人をどうこうできるとは俺には思えねぇからな。絶対に抵抗されるだろうし、よっぽどきれいに不意を突かなきゃ成功しないだろうよ」


 僕がやっていないとはいえ、事務所の人間が疑われるのはやっぱり不愉快だ。


 モヤモヤした気持ちを眉を寄せて表す僕の正面で、ニールがせっせと手帳になにかを書き込んでいる。いま僕らが話していることを記録しているのだろうか。ひょいと上から覗いてみるも、逆さまだから読みにくい上、字もひどく汚くてよくわからなかった。


「ちなみに、犯人が外から入ってきたってことは当然、部屋のなかは雨にぬれていたのかい? あの夜の時間帯は、まだ雨が降っていたからね」


「あっ、そこら辺は聞き忘れたな。窓の件も含めて、明日もう一度聞いてみるか……」


「そう、まぁ大体の状況はなんとなくわかったよ。次は僕が事務所を追われてから、メイラ・リトルが廊下の血を発見するまでの流れをもっと詳しく教えてほしいな。例えば、そう……各々の人間がどんな行動を取ったのかを」


 僕がそう頼むと、ニールはペンの手を動かしたまま渋い顔をした。「えぇ……いや、さすがにそこまではわかんねぇよ」と彼はうめく。


「守衛の話でわかってんのは……おまえが事務所を出ていった後、すぐにギル・フォックスが殺害現場の部屋にこもったってこと。それとしばらくして、事務所の所長が帰ってきたってことぐらいだ。

 一応、所長さんは帰ってからすぐに、くだんの部屋の前でやつを呼んだらしいが……鍵はかかっているし、ノックをしても返事がなかったようだぜ」


 その後、事務所にいたギル以外の全員は、今後のことについて話し合うため、再び談話室に集まった。時が経ち、メイラがギルを呼びに二階へ上がり……事件が発覚した。


 これがひと通りの流れだと、ニールは改めて僕に説明してくれた。もっと詳しいことを知るには、当人たち――事務所の面々にうかがわないとわからないだろう。


(どうにかして、接触を図らないとな)


 守衛に捕まらないよう身を隠しながら、事務所のなかで一番信頼に値するデュバン・ナイトハート所長にさえ会うことができれば、事態は一気に好転するはずだ。


(最悪、別の人間でも構わない。ことづけをたくしてもらって――)


 と、考えた途中で僕は慌てて首を振る。いやいや、メイラやシルバーあたりは本当に僕が犯人だと思っていそうだ。マリーナもちょっと信用しにくいだし……ロイは快く引き受けてくれそうだが、正直子どもの彼では不安だ。


(後はゴートか、シトラスさんか……)


 五人の探偵たちと、秘書の顔を思い浮かべて、僕は思いにふける。すると、頭のなかでそれぞれの人物の顔が、あの椅子を並べた談話室で僕が目にした表情へと切り替わった。


 たった一人、違和感のある顔つきをしていた。

 それを思い返して、僕は思わず身震いをする。


(…………)


 そして、これ以上考えるのをやめた。いまだ手帳に書き込んでいるニールのほうへ、ぼうっと視線を移す。彼は見られているのに気づかず、書き音だけが室内に忙しなく響いた。

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