推理【密室殺人】Ⅰ

 慌てて、彼は水を入れたコップを僕によこした。おかげでことなきを得た僕であったが、むせ込みながらこの新聞記者の男を睨み返してやった。


 ニールは『俺、なにか変なこと言ったか』とでも言いたげな、微妙な顔つきを見せてくる。僕は咳払いしたのち、彼に向かってはっきりと否定の意を示した。


「悪いけれど、その質問はナンセンスだ。たしかに、ほかの探偵たちとギルとの間には確執があったさ。事務所を取りまく空気だって、最近は特にギスギスしていた。でも――」


 みんな気のいい連中なんだよ。

 と、僕は真摯に訴えかける。


「探偵という一風変わった職業のせいで、色眼鏡で見られることも多々あるけれど……それ以外はごく普通の若者なんだよ、みんな。殺しなんてキナ臭いこととは、本来無縁の人間たちなのさ」


「ははぁ、なんとも身内贔屓みうちびいきな答えだな」


 ニールは皮肉げに笑う。その嫌みったらしい言い方に、反感を覚えた僕は手元のパンをほおばった。そして遠慮しようとしていた四切れ目のパンにも手を出して、それにも食らいついた。


「それじゃやっぱり、犯人はおまえなのか?」


「……むぐ、そんなわけないだろう」


「そこを否定するってこたぁ、『自分のほかに犯人がいる』って主張することとイコールだぜ? 俺としちゃ、どっちでもいいんだが――いや、ネタとして考えれば、真犯人は別にいるってほうが旨味うまみはあるわなぁ」


 よからぬ皮算用かわざんようをしているのか、なにやらほくそ笑むニール。その怪しい顔に、僕は白い目を向けた。やはり新聞記者はろくでもない。彼の母親の言うとおり、もっと真面目な仕事に就けばよかったのに。


(でも、彼の言うことにも一理ある)


 守衛所で、オルソー・ブラックは言っていた。『おまえを殺人犯と告発したのは――探偵事務所の人間たちだ』と。


 彼らをあざむくような茶番の片棒をかついだことについては、本当に悪いことをしたと反省している。きっと誤解しているだけなのだ。もう一度みんなと会って、きちんと事情を説明すればわかってくれるはず……少なくとも、僕はそう思っている。

 そう、思いたかった。


「……普通に考えて、外部の人間の仕業だろうね」

 

 四切れ目をきれいにたいらげた後、僕はやや冷めた口調でニールに返した。


「単純に強盗とかさ。事務所の繁盛はんじょううわさを聞きつけて、金品を狙ったんだろう。それでたまたま居合わせてしまったギルを殺してしまった、こんなところかな?」


「おいおい、見習いだったとはいえ、仮にも探偵の仕事をしていた人間の推理がそれかよ。当てずっぽうもいいところだぜ。もっとなんていうか……そう、論理的に考えろよな」


 だから、探偵の素質も資格もないんだってば……。

 僕がそう言い返そうとするまえに「第一なぁ」とニールが語気を強める。びしりと立てた人さし指を僕に見せつけながら、彼はやや声高に自分の言い分を主張した。


「これは普通の殺しじゃないんだ。ギル・フォックスの死体からは、両目りょうめがえぐり取られていたんだよ。目、がな」


 これがどういう意味かわかるか?

 今度は両手の指で、ニールは自身の目元をさす。それぞれの親指と人さし指でまぶたを広げながらぐいっと迫る彼に、僕は思わずたじろいだ。つい目線を逸らすと、その先――座っているベッドのかたわらには、さっきの新聞が置いてあった。


「やつの目といえば、アレだ。さんざん、うちの新聞で宣伝文句にしていた『真実を映す両眼りょうがん』のことを指している」


「…………」


「殺すだけでは飽き足らず、死体から眼球を奪っていったんだ。その猟奇的な行為にゃ、犯人からのなんらかのメッセージがあると考えるべきだぜ。そいつは名探偵にひどい恨みを抱いていたにちがいねぇ。まるで目玉をくり抜くことで、『お前の目は節穴だ』と言いたげな――」


「……目の件は、新聞で知ったよ」


 僕は、脇に置いていた新聞を再び手に取る。記事には、守衛所で教えてくれなかった事件の詳細が記されていた……ギルの、無残な死に様も含めて。


「でも正直、でっち上げだと思ってた。毒にもなる刺激的な記事を書き立てて、読者たちの不安をあおるのが君たち記者の仕事だからね」


「そりゃ偏見がすぎるぜ。多少の脚色はまぁご愛敬あいきょうだが……ゼロからイチをひねり出すような捏造ねつぞうまではしねーよ」


「どうだか。なんなら僕は、いまだにあいつが死んだことすら信じきれないよ。まるで実感がわかないからね」


 それはさすがに無理があると、ニールは肩をすくめた。「だったら教会に遺体を見にいくか? 期間的に、まだ保管されていると思うが」という彼からの提案に、僕は「……いい」 と力なく首を振った。


 それからニールはおもむろに、スープ皿を持ち上げて中身をかっ込みはじめた。空になった器を机の上に雑に置くと、今度は例の手帳をペラペラめくり出す。


「しゃあない、俺が手に入れた情報も教えてやる。と言っても、そこの新聞記事の内容と大差変わりないかもしれないが……まぁ、よく聞けよ」


「うん、よろしく頼むよ」


 僕も食事を片付けて、食器を机の上にあるお盆へと戻した。真実はなんにせよ、いまの僕に後戻りは許されていない。前に進むことを選び、事実を受け止める決心をつけなければならなかった。


「これらは全部、馴染みの守衛から手に入れた情報だ。金次第で裏取引をするけしからん野郎だが、根は律儀なやつだから情報の信憑性しんぴょうせいについては保証するぜ。ま、今回はけっこうな大枚たいまいはたいちまったがな……」


 ニールの口から、まず死体発見の経緯が語られた。

 ギル・フォックスの死体が発見された時刻は、およそ夜の八時半ごろ。場所はヘリオス探偵事務所の二階にある、空き部屋である。


 最初に異変を察知したのは、事務所の女探偵のメイラ・リトルであった。二階の廊下を移動する際に、彼女は閉じられた空き部屋のドアの下から血が流れているのを見つけたのだ。


「その時間、事務所の人間はみんな談話室に集まっていた。被害者であるギル・フォックスだけが一人、空き部屋にこもっていたらしい。仮眠を取るため『誰も空き部屋に近づくな』と周囲に忠告した上でな」


「所長は? ヘリオス探偵事務所の所長、デュバン・ナイトハート氏は……ギルの工作によって、たしか劇場へ外出されていたはずだ。所長も事件の時、その場にいたのかい?」


「んー……ああ、そうらしいな。守衛の話によると、名探偵とおまえ以外の事務所の人間は全員、談話室にいたことになっている。当人は、おまえが出ていってからしばらくして、事務所に戻ってきたそうだ」


 ニールは再び手帳に目を戻して、話を続けた。

 ドアから廊下へ流れ出る血を見て、メイラ・リトルは動転した。すぐさま彼女は大声で叫び、談話室にいた仲間たちを二階へと集めた。


「誰もが部屋のなかにいるギル・フォックスになにかあったのだろうと考えた。しかし、部屋に突入しようにも、ここで一つ障害があった」


「…………」


「その部屋には――鍵がかかっていたのだ」


 ニールの話を聞いて、僕も静かにうなずいた。

 事務所の空き部屋は、誰もが仕事に使える共用の場所である。しかしそれは半分名目で、ほとんどギルの仮眠室として使用されることが多い。部屋に鍵を取りつけるようになったのも、睡眠の邪魔をされたくない本人の意向である。


「鍵はドアの内側に取りつける、シンプルなかんぬきタイプのものだ。外から鍵を開けることはできない造りになっている。

 ドアを何度叩いても、室内にいるはずのギル・フォックスからの返事はなかった。やむを得なく、ドアを蹴破けやぶろうと決めるも――一人の提案により、事務所の外から部屋の窓を通じての侵入を試みた」


 その提案をし、じっさいに実行したのが事務所の最年少――ロイ・ブラウニー少年であった。

 幸い、件の部屋の窓が開いていたために侵入は成功した。だが、少年はそこでギル・フォックスが腹部から血を流して死んでいるのを目撃したのだ。


「内開きのドアを開けるために死体を少々動かしてしまったようだが、名探偵はそのドアを背に座るようにして事切こときれていたらしい。死因は左腹部の深い刺し傷だ。鋭利なナイフで突き刺されたのだと守衛側は判断している」


 そして――と、ニールが言いかけた言葉を僕が拾う。「両方の目がくり抜かれていた……」とうめくように言えば、彼は真顔でうなずいた。


「現場にはくり抜かれた目玉はなかったから、犯人が持ち去ったんだろうな。同様に凶器の得物もな……とまぁ、有益な情報はこんなところか」


 パタンと音を鳴らして、ニールは手帳を閉じた。彼はベッドに置かれた新聞に向かって顎をしゃくり、「ほとんど、そこの記事に書いてあったこととおなじだ。残念ながらネタは鮮度が重要、基本早い者勝ちなのさ」と苦笑してつぶやいた。

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