告白Ⅱ
その頃の僕は、ウォルタの街で貨物倉庫の掃除をして日銭を稼いでいた。当時はまだ、街に身を置いてから日が浅かった。賃金はたかが知れているし、けして楽じゃなかったけれど、身丈の合った生活というか……とかく僕自身に不満はなかった。
ウォルタはいい街だ、周辺から人がたくさん集まってくる。それすなわち物資が豊かなのはもちろん、よその地から流れ着いてきたって誰も詮索してこないのだ。大勢の人間のなかにまぎれて、己の存在をかき消す――まさに僕にとっては絶好の土地であった。
しかし、盲点があった。
人がたくさん集まる街ゆえにか、うっかり僕の顔を知っている人間と再会してしまったのだ。
「最初に声をかけてきたのは、ギルのほうだった。ある日に軽食屋で食事を取っていたら、いきなり肩を叩かれたんだ。あの時は本当に驚いたね」
ギルと僕は、ともにおなじ孤児院で幼少期を過ごした間柄だ。彼とは同い年でもあるが、特別仲がよかったわけではない。
だから街で再会した時も、僕はさっさとその場から逃げるつもりだった。ところが向こうはそんな僕を引き留めて、話を持ちかけてきたのだ。
あいつは言った。『いまよりもずっと割のいい仕事を提供してやる。ただしその代わりに、俺の指示どおりに動いてもらうぞ』と。
「四カ月前……さかのぼって大体、冬の時期か」
ニールが顎をさすりながら、考えるようにうなる。
「アランのやつが……いや、そうだな、その頃から名探偵の名前が新聞を飾るようになったんだ。きっかけはアレだ、ギル・フォックスが上流階級の人間――フロスト伯爵の別荘で起きた事件を解決してからだ」
「そう。知名度が一気に上がったぶん、ギルは自分の身のまわりを警戒しはじめた。あいつ、あれでもすごく神経質で慎重な性格なんだよ。
ギルから『おまえも探偵になれ』と誘いを受けた時は、耳を疑ったものだ。
当然、僕は丁重にお断りをした。身の上を偽って、探偵事務所に潜り込むだなんて……僕のなけなしの良心がきりきりと痛んだ。これが、僕とギル二人だけの問題ならまだいい。だがこれ以上、誰かの厄介になったり、他人に迷惑をかけてしまうのだけはごめんだった。
(でも、結局断れなかった……)
ハァと深いため息をついて、僕はまぶたを閉じる。数秒、目を休ませてから再び前を向いて、しかめ面のニールを見つめた。彼と視線が合い、僕は気さくな態度で苦笑った。
「探偵事務所にスカウトされるには、所長の目に留まる必要があった。ギルが推薦するって手もあったけれど、それじゃ意味がないからね」
これがまた、骨の折れる苦行であった。
所長のお眼鏡にかなうために、本人の目の前で探偵としての才を披露しなければならない。正義感なり、地頭のよさなりを――それも、ごく自然な成りゆきを装って。
僕は幾度も失敗を重ねた。二十回目を過ぎたところで、とうとうしびれを切らしたギルが
こうしてギルの手助けを得た僕は、さも自身が悪漢から手荷物を奪い返したかのよう偽ることに成功した。ギルの指示で、事前に息が切れるまで街なかを走らされたのがまた功を成したらしい。
被害にあった通行人の婦人からは感謝され、近くにいたデュバン所長からは熱く手を握りしめられた。あの人の目には、僕が正義感あふれる好青年に映ったらしい。『ぜひ君を、うちの事務所の探偵に』と強い眼差しで頼まれた。
「……所長には、いまも申し訳ないと思っている。どんなに期待されたって無駄なんだ。僕には最初から探偵の資格なんて、まるでないんだから」
自分で語っておいて、僕はしょぼくれた。あの人からキラキラとした目を向けられるたびに、僕の心臓はきゅっとしめつけられた。あまりの居たたまれなさに、ギルとの契約など無視して、洗いざらいすべてを吐き出したくなったものだ。
室内が湿っぽい空気に包まれた。だがすぐに「い、いや待て待て!」と焦った口調のニールが、座っている椅子から身を前へのめり出す。
「しおらしくしたって、俺はだまされねぇぞ。仮におまえがギル・フォックスと裏で通じて、事務所からの追放がデタラメだったとしてもだ。俺はまだ……おまえを信じたわけじゃな――!」
言い切る前に、コンコンと部屋の外からドアが叩かれる。突然のノック音に、僕らはそろってびくりと肩を跳ね上げさせた。
部屋の主のニールがなにかを言う前に、ドアが開かれた。またしても風圧で、その辺の紙が散らばってしまう。
「ニール、夜中だからあんまりうるさく叫ぶんじゃないよ」
ニールの母親、シャル・ブリッジが現れた。彼女はドアを大きく開けると、いったんその場にしゃがんで廊下の床に置いていたお盆を拾い上げた。
お盆の上には、いくつか食器が並べられている。まず目についたのは白い湯気が漂う匙つきのスープ皿が二つ、それから陶器の水差しと二つ分の小さなカップ、最後に一枚の中皿に切り分けられたパンが乗っかっているのが見えた。
「ばっ、勝手に入ってくんなよ!」
「ノックはしたよ。アンタに言われて私室のなかは一切手をつけないようにしているけれど、あいかわらず荒れた部屋だこと。たまには物を整理したらどうなんだい?」
大きなお盆を持って、ニールの母親は部屋に踏み入る。息子がぶっきらぼうに「で、なにか用かよ」と尋ねると、彼女はお盆を前に差し出して言った。
「なにって、夜食を持ってきたのさ。さっき夜遅くまで部屋で仕事をするつもりだって、アンタ言ってただろ?」
「えぇ……いらねーよ。特に腹減ってないし」
「どうせアンタのことだから、外でもいい加減な物しか口に入れてないんでしょうに。いいからほら……仕事をするんなら、まずはきちんとした食事を取ること。それが基本ってもんだよ」
差し出される夜食を前に、ニールは不機嫌な顔で拒否を示す。またも親子ゲンカがはじまりそうな雰囲気を察した僕は、やや強引な形で両者の合間に割り入った。
「ありがとうございます! 彼はこう言っていますが、僕ら仕事続きでとても腹ぺこなんですよ」
すねる彼の代わりに、母親からお盆を受け取った。
「優しいお心づかい、大変感謝いたします」
「えっ……ああ、そう……」
突然、割り入ってきた僕に、シャル・ブリッジは一瞬ぽかんとした表情を見せる。しかし、こちらがにっこり笑顔を返せば、彼女のほうも満更ではない様子で……そのまま息子へのお小言もなく、穏やかに部屋から去っていった。
「余計なことを……」
「いいじゃないか。ご厚意、ありがたく受け取らせてもらうよ」
じっさい、塩気の効いた香りに僕の胃が鳴った。
守衛所に引っ立てられた夜から丸一日以上、僕はなにも食べていないのだ。いまさらながらそれを思い出して、シャル・ブリッジの親切な心に感謝をした。
ひとまず会話を中断して、僕らは食事にありついた。
スープの具には、野菜のカブと鶏肉が入っていた。肉の脂がスープにまろやかな
六切れに切り分けられたパンは、わざわざフライパンで温め直してくれたのだろう。たやすく噛み切れるほどやわらかく、香ばしい麦の風味がとても美味であった。
「さっきの話だけどよ」
しばらくして、ニールが口をもぐもぐ動かしながら話しかけてきた。
「そもそもなんで、そんな茶番をでっち上げたんだよ」
「…………」
「聞いてんのか?」
「……ん、聞いているよ」
食べるのに夢中になっていた僕は、口のなかの物を飲み込んでから返事をした。三切れ目のパンに手を伸ばしつつ、ニールの質問に答える。
「命をね、狙われてたって」
「命を狙われてた?」
「うん、本人がそう言っていたんだ。そのうち自分は殺されるかもしれないって」
当然、僕もニールと同様の質問をギルにぶつけていた。落ち合った酒場で、あいつの計画を聞かされた時に。
「近頃、強い殺気を感じるんだって、ギルは言っていた。『誰かが、俺を殺そうと隙を狙っている。それも確実に身近にいる人間のなかに……』ってね」
「そりゃそうだろう。あんだけ話題をかっさらっているんだ、おもしろくないと思うやつは一人や二人、いてもおかしくはないだろうさ」
「僕も、ギルにそう言ったよ。『君がまわりにやっかまれているのは、ごく自然なことだ。それか有名になりすぎて、気が変に高ぶっているだけさ』と」
でも、ギルは首を振った。絶対にあれはちがう、と彼は僕に
普段は平静を装っているが、相手は本気で自分を殺すつもりだ。そのほんのわずかに殺気を見せる瞬間、首の後ろがちくっと刺されるような嫌な感覚がするのだ、とも言っていた。
ただの被害妄想だと
「一度はっきりさせたいと、ギルは僕に言った。そこであいつは、あの妙な劇の計画を発案したんだ。所長を外へ追いやって、疑わしき探偵だけを談話室に集めて、わざと自分への不満や嫌悪を高めるような振る舞いを見せびらかした。……さんざん嫌みな部分を見せつければ、相手もふいにボロを出してくるだろうとね」
「なんだそりゃ。これまたアホくさい作戦だな」
「それだけ精神がちょっと追い詰められていたんだと、いまなら思えるよ。とかく、僕はギルに雇われた身だ。断る理由もないし、言われるがままに事務所から追い出されてみたのさ」
ちなみに追い出された後の計画は一切ない。しばらく自宅で待機しろとだけ、ギルに言われている。いかに急ごしらえの思いつきか、よくわかるいい加減な計略であった。
「ふぅん。で、やっこさんの目的は果たせたのか? 自分に殺気を向けている相手を見つけられたのかよ」
「さあね。一応、僕もその場にいた時、ざっと全員の顔を見まわしてみたけれど……」
円をつくるように並べられた八つの椅子。
一瞬だけ、僕は各々の顔を見まわした。その表情の具合は個別に、いまでもはっきり頭のなかで思い出すことができる。どれもその人らしい反応であった……たった一人だけ、違和感を覚えたことを除いては。
「……まぁ、わからなかったな。僕、探偵じゃないし」
「しかし、名探偵ってのもあながち嘘じゃなかったんだな。皮肉なことだが自分の勘のとおり、じっさいに殺されちまったんだから」
ひとり勝手にニールはうなずく。
会話が切れた隙に、僕はパンを口に運んだ。ところが二、三回ほど
「その上で、おまえに聞くけれどよ」
なんだい? と聞き返す代わりに、モグモグしながら僕は小首を傾げた。
「仮におまえが犯人じゃないってんなら――ほかの誰が、名探偵を殺したんだと思う?」
ニールの質問に、僕はパンを喉に詰まらせた。
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