告白Ⅰ

 僕が腰を浮かしかけると、ニールはそのまま座れと伏せた手で指示した。同時に、彼の目が僕の手元に注がれる。開いていた新聞に気づいたようだ。


「ごめんよ。そこの机にあったから、待っている間に読ませてもらった」


「そうか。たぶん、おふくろのやつが外で買ってきたんだろうな。俺が新聞記者になるって言った時は、大反対したくせに……んなもんわざわざ買わんでも、あんたの息子が書いた記事はいつも小さな隅を飾るだけで、なんの自慢にもなりゃしねぇよ」


 ぬれた髪を拭きながら、ニールはまたも母親へ悪態をつく。部屋のなかをうろついて、自身が腰を落ち着ける場所を探しているようだ。


「そのデケぇ記事書いたのだって、俺じゃねぇ。全然、別の野郎だよ」

「ひねるなよ、いいお母さんじゃないか」


 素直に感想を述べたら、背中向きにただ「うるせー」とだけ返された。彼は机についている椅子を手前へ引っぱる。椅子の上にずさんに置かれた紙の山を、これまたずさんに床の上に落としてから、どかりと座った。


「おい、後ろのカーテンを閉めておけ。万が一、外から誰かに見られる可能性もあるからな」


 僕はベッドの上で振り向いて、言われたとおりにした。

 思えば、僕は街の守衛たちから追われている身だ。通報もせず、こんな……家にかくまうような真似をしたとバレたら、なんらかの処罰が下されるのは目に見えている。


 階下ではまるで事情を知らない母親もいるのだ。だけど、この新聞記者のニール・ブリッジという男は、あの時僕の足にしがみつきながら、一つの提案を持ちかけてきたのである。


「言っておくがな、このに及んで逃げ出そうなんて考えるなよ」

「ああ、わかっているとも」


 元の位置に振り返ると、椅子に座るニールの手にはすでに手帳とペンが握られていた。職業病というやつか、せっかちな彼に僕は少しあきれてしまった。


「改めて礼を言わせてもらうよ。僕のほうも、君からの申し出は大変ありがたいものだった。そのくらい、いまの僕は……崖っぷちだからね」


 気さくに肩をすくめると、反発するようにニールが鼻を鳴らした。その表情は苦々しく、向こうもややあきれたような感情を浮かべている。

 そして彼は、あの明るい月の下で僕に言ったことと、おなじ言葉をくり返した。


「何度も言うが、これはビジネスだ。てめぇと俺との、利害が一致した取引なんだよ。そのことを忘れんな」


 びしっと、離れた位置からペン先を突きつけられてしまった。タオルをかぶった頭に、ゆるい部屋着、なにかとだらしのない印象を受ける男であるが、その眼差しは真剣そのものだ。リスクを背負っている以上、決める時はちゃんと決めるらしい。


「独占インタビューってやつだ。あの巷で有名な名探偵ギル・フォックスを殺したという、恐ろしい殺人犯が……いま、俺の目の前にいる」


「…………」


「残忍な犯行の手口や、その鬱屈うっくつした内面に迫る――前代未聞の記事になること間違いなしだぜ」


 ニールは目を細めて、僕をめつける。語りこそ饒舌じょうぜつで不敵に口端を上げているが、息継ぎが不自然だ。やっぱり彼も普通の人間なのだ、どうしたって緊張が隠せないでいるのだろう。


「俺も、私情は挟まない。もうほかに手がないんでね……あのいけすかねぇ野郎を見返すにゃ、なんだってやってやるのさ」


 ペンを強く握りしめ、最後は自分に言い聞かせるようにニールは言った。

 そんな彼に向かって、僕は静かに頭を振った。


「僕はやっていないよ」

「ん……ああ、そうさ。犯罪者はみんなそう言うんだ」


 ニールは喉を鳴らす。両手を挙げて、大げさに振り動かしながら彼はおどけるように続けた。


「俺はやっていない! 神さまに誓ってなにも悪さをしていない! ――ハハッ、もしくは相手が悪かったとか? カッとなってやっちまったんだとか、仕方がなくなみだなみだの悲しい事情があって殺しちまったとか、なぁ?」


「…………」


「聞けばおまえ、ギル・フォックスに無能者と罵られて事務所を追い出されちまったそうだな。わざわざ多数の目の前で……そのおかげで、守衛は事件の証言を楽に取れたらしいが」


 頭から尻尾しっぽまで、なにもかもつじつまが合うじゃねぇか。

 と、ペンをまわしながらニールは言った。


「見せしめのごとく事務所を追いやられ、屈辱にゆがんだおまえは、さぞかしかの名探偵を恨んだろうよ。殺したいほど憎んだはずだ――いや、じっさいに殺しちまった」


「聞けば聞くほど、話の筋が頑強すぎて嫌になるよ。まぁ、よくできた仮説だとは思うけれどさ」


「仮説じゃなくて、真実だ。それともなにか? 自分の無実を証明する証拠でもあるっていうのか、ハロウ・オーリンさんよ?」


 僕は無言で、自身のベストの胸ポケットに手を伸ばした。そこから一枚の小さく折りたたまれた紙を取り出して――ニールのほうへ投げてやった。


(守衛所で身体検査されなくてよかった……)


 ニールはその紙を、ペンと手帳を持ったままの手で器用にキャッチした。僕のほうへけげんな表情を向けてから、彼はその紙を開いていく。

 やがて一枚のノートほどに紙面に広げてから……ニールは目を点にした。


「雨にぬれたから、ちょっとインクの文字がにじんでしまっているかもしれないけれど……」


「いやまぁ、かろうじて読めなくはないが……『見習い探偵ハロウ・オーリン……いますぐ……この場から消え失せろ』?」


 ニールはそれを読み上げた。ゆっくり、ゆがんだ文字の形をなんとか発音に変えながら――その間、彼の眉根は固く寄せられていた。


『このヘリオス探偵事務所に……おまえの居場所はない。そんな……僕を事務所から追い出すつもりかい? たしかに……僕は君ほどの卓越したすばらしい……才能を持っていない、つまらない男だ。でも、事務所の一員として……切磋琢磨に努力してきたつもりだ。黙れ、御託は聞き飽きた。頼むから……僕を見捨てないでくれ……』


 ひとしきり読み上げたところで、ニールは紙面から顔を上げた。向かいにいる僕の顔をまじまじと見つめた後で、たったひと言、彼は短く尋ねる。


「なんだこれ?」

「台本さ」


 ニールはますます顔をしかめて「台本?」とくり返した。その疑問に、僕はまっすぐ頭を縦に振った。


「そう、劇の台本」


 聞くもバカバカしい茶番劇のね。

 と言って、僕は皮肉げに笑ってやった。


「あのね、僕はギルの手下なの。便利な手駒てごまって言えばいいのかな? それでその台詞がいっぱい書かれた紙は、事件のあった日に、あいつから……名探偵ギル・フォックスから直接渡されたんだ」


 時間で言うと……昼の一時ごろだったか。

 と顎に手を当て、斜め上へ目をくりんと向けて僕は振り返る。


「広場でのいざこざの後、僕は仲間と一緒に探偵事務所へ帰る途中だった。その前に、僕はギルに二つばかし指示を受けていたんだ――ほら、広場であいつが僕の胸ぐらをつかんだだろ? その時にこそっとね、耳打ちされたのさ。

 一つは今晩の七時に、談話室へ見習いを含めた事務所の探偵たち全員を集めろという指示だった。そしてもう一つ、やつは僕にだけ『後で、いつもの酒場に来い』って言ってきたんだ。

 帰り道にちょっと強引な手段で仲間と別れた僕は、言うとおりに馴染みの酒場へおもむいた。で、ギルと会って、僕が談話室のことを聞き返してみたら、急にあいつ……『みんなの前でひと芝居打つぞ』って変なことを言い出したんだよ」


 それで、その急ごしらえの下手くそな台本を渡されたのだ。

 と、僕はニールの手元の紙を指さした。


「練習時間もないし、そもそも僕に演技なんてできるわけないし……それでも本番ぶっつけにがんばったよ? 僕は。みんなの前でギルの追放宣言を受けて、その紙に書かれている台詞を吐いたんだ」


 まぁ、結果は散々であった。途中で台詞が頭から抜けて、真っ白になってしまった時はどうしようかと焦った。なんとかギルがアドリブでカバーしてくれたから、それなりにはごまかせたと信じたいが……。


 僕は、思いの丈を全部吐き出してやった。

 ようやく腹に溜め込んでいた秘密を他人に明かすことができて、とてもすっきりした。しかしかわいそうに、ニールのほうは完全にぽかんとしている。話についていけてないと、ご自慢のペンと手帳も止まったままだ。


 僕はもっと彼にわかりやすいように、ことのはじまりから打ち明けることにした。

 それは四カ月前、このウォルタの街で僕ことハロウ・オーリンが、懐かしい孤児院での腐れ縁であるギル・フォックスと再開したところからはじまる。

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