新聞記者ニールⅢ
「ま、唯一の幸いは、犯人が捕まったということだな」
晴れた空に向けて、編集長は安堵の息を白い煙に乗せて吐いた。
未解決になる事件も少なくないなかで、今回のヘリオス探偵事務所殺人事件の犯人は、あっさり特定できた。アランがさっき話していたとおり、殺された名探偵は事件の直前に犯人の男と揉めごとを起こしていたのだ。
事件の因果関係がはっきりしている以上、街の守衛たちの動きも
(犯人も、うかつなやつだ。人殺しなんかした時点で、さっさとこの街からトンズラすりゃあ、よかったのに)
その要領の悪さが、無能な見習い探偵と呼ばれるゆえんだったのかもしれない……と、俺はなんとなしに推測した。
「事件の色濃さに比べて、終わり方があっけなさ過ぎるのよねぇ。なーんか拍子抜けって感じで」
ため息とともに、不謹慎なことを口にするアラン。不服ながら、俺もこいつと同じ感想を抱いた。
「殺されたギルちゃんには申し訳ないけれど、こんな一世一代のセンセーショナルな大事件が、幕開けと同時に『はい、おしまい』だなんて……すっごく惜しい気がするわ」
「ハッハッ、そりゃたしかに。常に特ダネを追い求める、我々、新聞記者の性分から言えば、な」
気の抜けたような笑い方をして、編集長がくるりとこちらへ振り向く。背中の窓から吹いた風が、彼の薄くなった頭頂部の毛をサワサワとゆらしていた。
「だがね、さすがに今回の件は犯人が早々に捕まって、ほっとしているよ。残忍な殺し方をする男だ、下手に野放しにしていれば……次、なにをし出かすかわからん。
そう思うとな、なんだか妙にしみじみ考えさせられちまうのさ。やっぱり、身近な街が平穏なことに、越したことはないってなぁ……」
まるで隠居した老人のような台詞だ。
年を食うと、スリリングな冒険を逆にうとましく感じてしまうとは聞いていたが、どうやら本当らしい。かつて熱意を持って俺に記者のイロハを叩き込んでくれた編集長……そのすっかり肥えた腹と涼しくなった頭を見て、俺は年月のほのかな残酷さというものを思い知るのであった。
しかし一方で、老いた編集長の意見に同調する自分もいた。認めたくないので、心のすみっこに追いやるが――あえて代弁するなら、そいつはこう言っている。
長く縁のあるこの運河の街が、血に汚れた事件の舞台になるなんて……まっぴらごめんだ、と。
(いや……そこは割り切れよ、俺。新聞記者らしく、もっとがっついていこうぜ……)
無言で、ハンチング帽のつばを下げる。
燃える記者魂と、少なからず残っている土地への愛着心。真っ二つに分かれた、俺のアイデンティティは互いに反目し合って、思考も感情もごちゃまぜにしていく。
人前にけして出さないが、俺の内面にはこの自己嫌悪がべっとりこびりついて、長年取れないでいる。
(……だからこそ、鼻につくんだ)
俺と
「まぁ、しょせんは地方の小さな街ですもの。出せる話題が、これが精いっぱいってとこかしら」
号外をデスクに戻して、アランが肩をすくめた。くすっと小馬鹿にして笑うような言いまわしに、俺は反射的に「なんだと?」と突っかかる。
「あら? ワタシ、なにか間違ったこと言った?」
わざとらしく肩眉を上げて、アランは不敵に笑う。
「実際にそうでしょう? 名探偵だなんて、ちょっとおもしろそうな話題を提供しただけで、みんな簡単に夢中になってくれるんだもの。刺激に飢えているってことは、それだけ日々が退屈でなにもない片田舎って証明になるわ」
「……おまえのその手腕は、正直勉強になったぜ。めぼしいネタがなければ、自らつくり出しちまえばいい……そのおかげで、うちの新聞の売り上げは、一気に斜め上へ跳ね上がった――」
――だが。
と、俺はぐっと舌に力を込める。「よせ、やめないか」と編集長が苦言を差し込むも、どうも今日ばかりは止まりそうもない。
「角度を変えてみれば、今回の事件の発端はアラン、おまえにも多少責任があるのかもな。一人の若造を持ち上げるだけ、持ち上げておいて……それが元で、向こうさんがトラブルを起こすきっかけになっちまったとも――」
「ニールッ!」
怒鳴り声が、俺の渾身の反撃をさえぎった。急所を狙ったはずの攻撃も、アランのやつにはまったく手応えがないようだ。ただでさえ
「それでワタシにケンカ売っているつもりなの?」
「……ああ、うん。そうだな」
口を閉じかけたが、ひとまず肯定の意を示した。
アランも俺も、部屋に入った時の最初の位置からけして動かない。大人三人くらいは挟めそうな余裕ある距離間のなかで、バチバチに火花を飛ばしてにらみ合った。
「あなた、自分で矛盾していることに気づかないの。記者にとって、公正公平な情報を提供することも大事だけれど、それ以前に売り上げこそ正義。ごっこ遊びがしたいのなら、坊や……どっか他所ですることね」
「おまえこそな。この街に文句があるってんなら、もっと華やかで気取った場所で活躍すればいいじゃねぇか。それだけ知恵が働くんだ、どこでだってやっていけるよ」
立てた人さし指をアランに向けて振りながら、俺は言ってやった。その直後に「おっと」と短く言葉を切り、振っていた手を自分の口元に寄せる。
「そういや、おたくは流された身だったな」
「…………」
隠した、とは言えない指の隙間から、ニタリと歯を見せつける。
見た目も性格もアクの強いアラン・クレス。実はこの男、元々は国の中央都市にある、スパロウ社の本部に身を置いていたのだ。
半月前にウォルタの街へ流れてきた理由は表向き伏せられてはいるが、噂ではなんらかの問題を起こして
「いやぁ、俺、悪いこと言っちまったなぁ。どんな
「……フフン、言ってくれるじゃないニール坊ッ」
今度ははっきり図星だったらしい。笑うアランの頬が若干、引きつっているように俺には見えた。その上、一、二、三歩と高価そうな靴の
俺は動かない。体の頑丈さなら、多少自信はある。
「よさないか! アランくんも! ニールも!」
二人とも大人げないぞ! と編集長が割って入ろうとするも、そんな隙間はもうどこにもない。
個室にパンパンにふくらんだ、一触即発の空気。そいつをバーンと大きな音とともに破ったのは――外から開いたドアの音であった。
「!」
俺、アラン、編集長の三人が一斉に顔を向ける。それは俺が入室した時よりもはるかに大きな音で、一瞬、なにかが爆発したかのように聞こえた。
開かれたドアと同時に、一人の若い男が駆け込んできた。
「たたっ、大変ですッ!」
息絶え絶えに、男は崩れるよう床に倒れた。
顔は知っている、同じ職場の後輩記者くんだ。俺はアランなぞ
息を切らしながらも後輩記者くんは「……ゼェ、大変なんです……ハァ、大事件なんです……」と、しきりにくり返している。ドアの外に集まってきた職場の連中に、俺はとりあえず水を持ってきてくれと頼んだ。
「どうしたんだ、いったいなにがあった?」
「……げ、たんです」
編集長も身を屈めて、後輩記者くんの言葉を聞き取ろうとする。やがて一杯の冷たい水が届いて、それをガブガブ飲み干した彼は――一息つき、すっと顔を上げてこう言った。
「逃げたんですよ。やつが……」
「やつ?」
「もったいぶらないで、簡潔に言ってちょうだい」
俺とアランがつついた直後に、神妙な面持ちの後輩記者くんは「殺人犯です」と答えた。
「あの恐ろしい殺人犯が、ですよ。例の――ヘリオス探偵事務所の殺人犯が!」
衝撃的な内容に、俺はヒュッと息をのんだ。
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