新聞記者ニールⅡ

 出入りの両扉をバーンと開けて、俺は社内に勢いよく飛び込んだ。

 脇のカウンターにいた受付の女の子が、短い悲鳴を上げる。俺の顔を見るなり、彼女は腰に手を当て憤慨した。


「またあなたですか! 扉は静かに開けてくださいと、いつも――」


 聞こえない振りをして、さっそうと前を横切った俺は奥の階段へと進む。一段飛ばしで階段を上っていき――三階を目指した。


 途中、資料を詰めた荷を運んでいた同僚とぶつかる。中身をひっくり返してしまったが、そこはウインクして謝っておいた。埋め合わせはいつかしよう、いまは急いでいるから見逃してくれ。


 スパロウ新聞社のウォルタ支部は、運河沿いの通りにある三階建ての建物だ。一階は印刷所、二階が資料室や倉庫で、一番てっぺんの三階に新聞記者たちのデスクを並べた仕事部屋があった。

 三階分の階段を一気に上り切った俺は、少し息を整えたのちに――ノックもせず、仕事部屋のドアを開けた。


「ニール・ブリッジ、ただいま帰りました!」


 はつらつとした声が、部屋のなかに響く。

 十数人ほどの人間と、汚れたデスクがぎゅっと詰め込まれた空間……それが俺の巣である。あちこちで紙の束が塔を築き上げ、常に騒々しく、飲み屋にも負けないガヤついた音に満ち満ちしている。


 三日ぶりの職場だ。インクと紙の臭いを吸い込んで、俺はほっと息をつく。

 しかし、久しぶりのご帰還に対して、同僚たちの反応は薄かった。一人か、二人かが顔を上げてこっちを見たくらい――それもちらっと見ただけで、すぐに気まずそうに伏せてしまった。


「なんだよ……どいつもこいつも、昼間の号外で大忙しってか?」


 肩すかしを食らった俺は、ちぇっと口をへの字に曲げた。


(……まぁ、それも仕方がないか)


 ともにインクまみれになって働き、新聞という媒体を作り上げる我が同僚たちは、普段なら気のいいやつらばかりなのだ。ただ俺が……社内で力を持ちはじめた、とあるいけ好かない野郎と対立なんかしているから、みんな表立ってリアクションが取れないだけなのである。


 ともかく、号外に先を越されはしたが、俺の成果は無駄にしたくない。せめて見聞きしてきたことを伝えるために、仕事部屋の奥に仕切られている編集長の個室へと歩いていった。

 今度はきちんとノックをする。一声かけてから、俺は個室のドアを開けた。


「失礼します……」


 扉をゆっくり半分開いたところで、上司の姿が目に入った。

 やや小太りのいかつい顔をした中年男性――スパロウ新聞社、ウォルタ支部の編集長だ。記者に憧れていた十代の俺に印刷所での仕事を与えてくれて、以来、いろいろ鍛えてくれた恩人でもある。


「編集長。ニール・ブリッジ、ただいま戻り――」


 ギィ……残り半分の扉を開けて、言葉が止まった。

 編集長が座する大きなデスクのかたわらに、ひょろりと細い立ち木のような人物がいた。その姿を目で捉えるなり、俺はうぇと舌を出す。


 その立ち木――もとい、背の高いせた男がくるりとこちらへ振り返る。ドア元で固まる俺の顔を見て、その男はにんまり気味の悪い笑みを浮かべた。


「あっら、ニール坊じゃない。久方ぶりねぇ」

「ぐっ……アラン・クレス。おまえもここにいたのかよ」


 ハスキーな声が飛んで跳ねる。見た目も口調もカマっぽい男の名は、アラン・クレス。半年前だか、このウォルタ支部へ流されてきた同社の新聞記者だ。


「おお、ニール。帰ってい――」


 編集長は途中で言葉を切って、そのいかつい顔をさらにくしゃっと歪ませた。いそいそ椅子から立ち上がって、日が差し込む窓を開けはじめる。


「ちょっとぉ、アンタすごく臭うわ……」


 鼻をつまんだアランが、これ以上近づくなと俺に向かって手をかざした。


「髪もヒゲもぼさぼさ……いったい、ここんとこなにをしていたのよ?」


「なにって、新聞記事のネタ探しだよ。言ったろう? 俺がおたくを一度、ギャフンっと言わしてやるって」


 息巻く俺に、アランは明後日の方角を向いて「……ああ、そんなこと言っていたわね」と曖昧あいまいにつぶやいた。


「たとえ火のなか、草のなか、ゴミのなか――世間を驚かせるようなネタを探していずりまわる。それが記者魂ってやつなんだよ」


 誇らしげに張った胸を叩く。一丁前に口にしたが、じつは編集長からの受け売りだったりする。

 当人は俺に言ったことを覚えていないのか「根性は感心するが、定期連絡は忘れるなよ」と小言を吐いた……少し残念である。


「で、なにかいいネタはつかめたかね」

「いや、それがですね……」


 ヘヘと半笑いしながら、俺は頭をかいた。ちらっと、視線がおのずと編集長のデスクの上へ向かう。


 部屋に入った時、すでに気づいていたのだが、デスクの上には例の号外の新聞が置いてあった。さきほど、新聞売りの少年のところで見た一枚の紙である。


 読んだ紙面の内容が、頭のなかによぎる。特に記事の終わりに印字されていた記者の名前――アラン・クレス、やつの名が。


「ふふっ、言葉を詰まらせる様子を見ると、大した成果はなさそうね」


 笑いながら、アランがご丁寧にデスクの上の号外を手に取る。


「もっとも、いまこの街ではどこもコイツの話題で持ちきりなのよ。あきらめなさい、ニール坊の勝ち目はまるきりなしってこと」


 紙面を見せつけ、ぴしっと細い指で弾く。先を越された悔しさに、俺はひそかに拳を握りしめた。


「ヘリオス探偵事務所で起きた、陰惨な殺人事件。このウォルタの街で大人気だった名探偵ギル・フォックスが――ま・さ・か、一夜にしてこの世を去ってしまうだなんてねぇ……」


 シュッと、マッチを擦る音が聞こえた。パイプをふかした編集長が、窓の外に向けて白い煙を吐き出す。


「まったく痛々しい事件だよ。まだ二十歳くらいの若造が、な……これから先、彼にもまだまだ未来があったろうに」


「ええ、ほんと。我が社でも特に目をかけていた青年でしたから、残念です」


 アランはひしと、自分で書いた号外記事を抱きしめる。「あと数年じゅくせば、ワタシ好みの渋メンになっていたでしょうに……。ああっ、惜しい逸材だったわぁ、ギルちゃん」と、やつはさめざめ鼻をすすった。


 こいつの戯れ言は置いておいて、じっさい、ギル・フォックスという若者は、うちの新聞社といくらか関わりのある人物であった。


 不安定な国の情勢下、殺人といった凶悪な犯罪が増えている背景もあって、やや刺激に富んだ内容の記事を書けば新聞は飛ぶように売れていった。そんななか、『名探偵』という新しい話題は、画期的なビジネスでもあったのだ。


 悪をくじく正義の味方を好むように、人々は『犯罪を暴く名探偵』というヒーロー像をえらく歓迎した。よってギル・フォックスの名はしょっちゅう、うちの新聞の紙面に飾り立てられ、当人は世間の賞賛を一身に浴びていったのだ。


(正直俺は見くびっていたよ。探偵なんて、せいぜい人や物を探したり、調べものしたりする程度の職だと思っていたのによ)


 取材のため、うちの新聞社に出入りするギル・フォックスの姿を、俺も何度か見かけたことがある。だが、面と向かって彼と話したことはない。

 彼への取材はもっぱら、アランが担当であった。というのも、探偵という存在にいち早く目をつけたのがこの男であって、フロスト伯爵の事件でのギル・フォックスの活躍っぷりを新聞記事にしたのも……こいつだ。


(名探偵くんの大活躍で、うちの新聞は売れに売れた。比例するようにアランの立場もでかくなり、一方でやつに噛みつく俺にはケチがつきはじめた……)


 俺はじっとり、横目でアランの野郎をにらんだ。向こうはそれにまったく気づいていないようで、まだ号外記事を抱きしめながら、金のなる木であった名探偵の死をいたんだ。


「しかし、まさかね……」


 編集長のうなり声につられて、俺が視線を移す。窓の外を見ながら、編集長は煙をくゆらせる……パイプを持つ手がかすかに震えていた。


「ナイフで腹部を刺された上に……両目をえぐられるとは」


 編集長は再び、パイプに口をつける。煙を肺に満たすことで、恐怖心をかき消そうとしているように、俺には見えた。


 ――そう。この事件、ただの殺人事件ではないのだ。


 ギル・フォックスの死体は事務所の二階、空き部屋と呼ばれている場所で発見された。血まみれでドア元にばったり倒れている、その顔からは――目玉が二つ、そっくりなくなっていたのである。

 

 否応なしに、名探偵の宣伝文句が頭に浮かぶ。『真実を映す両眼』という、お決まりの飾り言葉が。


「なんだって、そんなことをしたんでしょうね……」

「決まっているじゃない。怨恨えんこんよ」


 俺のつぶやきに、アランが食いついて断言した。


「ギルちゃんはね、犯人に相当深い恨みを買っていたの。なんたって彼は死ぬ前に、そいつを事務所から追い出しちゃったんだから」


 ほかの探偵たちの前で、無能者呼ばわりして。

 と、アランがいま言ったことは、俺の手帳にも書いてある。街の守衛から、けして安くない金を支払って得た情報だ。


 早い話、ギルという若者は天狗てんぐになっていたのだ。それで事務所に所長という存在トップがいるにも関わらず、自分が率先して同僚の探偵たちの音頭を取り、一人の見習い探偵を追放した。


(そりゃ、はらわた煮えくり返る気持ちもわかるよ)


 現に俺がアランのせいで、職場で肩身の狭い思いをしているから。これで記者の仕事を剥奪はくだつされ、スパロウ新聞社から追い立てられたら、勢いでやつを殺してしまうかもしれない――。


(ああいや、それは嘘だ……嘘だって!)


 不意に浮かんだ恐ろしい考えに、俺は慌てて心のなかで否定する。あくまで・・・・仮定した上で殺したくなる気持ちはわかる、というだけだ。


 俺には母親もいるし、無能の烙印らくいんを押されてあっさり飛ばされるほど、どんくさくもない。のらりくらりと、器用にかわしてスパロウ新聞社に死ぬまで居着くつもりだ。


(でも普通、そこまでするか?)


 憎き相手とはいえ、その両眼をえぐり取り出すだなんて……。

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