Chapter 06
追放劇Ⅰ
一階の大部屋のことを、事務所の人間は『談話室』と呼んでいる。
名のとおり、仲間うちで気ままに歓談する時に使われている。快適に過ごすためのインテリアが整っていて、いまは春の季節なので使用されていないが
そんな談話室の赤い扉が、派手な音を立てて開く。
時刻は夜の七時、約束の時間ぴったりに名探偵ギル・フォックスは登場した。
楽しいティータイムは終わりだ。さっそく青目の暴君さまの指示で、
まず、大きなダイニングテーブルが、部屋の端に寄せられる。そこから四
探偵たちはしぶしぶ、彼の言うとおりに働いた。暖炉の前に置いてあった木の丸椅子も二脚追加して、さらにロイが流し台から木箱を運んで自身の座る椅子にした。
七人分の椅子がそろう。
しかし、秘書のシトラスも含めて、この談話室には八人いるのだから、あと一脚足りない。仕方なしに僕が二階へ上がって、空き部屋の書き物机から椅子を拝借してきた。
僕が談話室へ椅子を運び入れた時、すでに全員が着席していた。
暖炉を背に、足を組んで椅子に座るギルは「遅いぞ」と文句を垂れる。彼は一席分空いたスペースを指さし、そこに置けと僕に促した。
僕の座る席は、談話室の扉から一番に近い位置になった。そそくさと椅子を置いて着席し、それから僕はこの奇妙なサークルをぐるりと見まわした。
全員が弧の内側へ向かい合っているため、誰の顔もすぐにいちべつできる。僕の席から時計まわりに、マリーナ、シルバー、ゴート、ギル、メイラ、ロイ、シトラスの順に並んでいた。
ちなみに僕の真正面の相手は、ギルであった。
『ハロウくん、君を頼りにしているよ』
所長の優しいお声が、心地よく脳裏に響く。頬がゆるみかけたが、それはしょせん現実逃避というやつだ。すぐさま、申し訳なさにキリキリと胃が痛み出す。
どうにもやっぱり、僕は所長の期待に応えられなさそうだ。
……だって、場の空気はすでに重たい険悪の
誰もかれも、椅子の上で身を固くしている。表情も険しく……なかにはあからさまな嫌悪を見せていたり、不安げに顔を曇らせたりしていた。
複数の目がチラチラ動く。みな警戒して、今宵の主催者の動向をうかがっているようだ。
名探偵ギル・フォックス――見習いを含めた事務所の探偵たちに、今晩の七時に談話室に集まるよう指示した人物。事務所の花形であり、人々からは期待を、仲間からは
「全員、そろっているな」
ギルは場をいちべつした。さまざまな感情のこもった視線を、彼は自信たっぷりな青い目で受け止める。ただ一人、僕の右隣に座るシトラス・リーフウッドだけには、片眉を吊り上げた。
「いやしかし、探偵と関係のない秘書のシトラスも参加しているようだが……」
いぶかしげな口調のギルに「所長から頼まれましたの」と、シトラスは澄ました顔で言った。
「不在の間に、妙な
「フン……」
ギルは自身の
意味深な笑いに、シトラスの頬がわずかにぴくりと動く。が、品のよい微笑をつくる口元の形だけは崩さなかった。
会話の隙に、僕はギルを注意深く観察した。
雨の降るなかを帰ってきたとあって、いつもなら銀に輝く灰色の髪も鈍く、しんなり垂れ下がっていた。服装など、見た目は昼間出会った時となんら変わりない。
広場で僕につかみかかってきたような剣幕も見当たらず、機嫌はいいようだ。憎いくらい堂々としていて、口ははっきりと物を言う。『真実を映す両眼』と、宣伝文句にもしているご自慢の目も活力にたぎっていた。
「んで……いきなりなんのご用かね、名探偵さん? 突然、有無も言わせずに、事務所の探偵たちを呼びつけたりしてさ」
ニヤニヤと、さっそく皮肉の一石を投じたのは、シルバー・ロードラインであった。風もないのに横になびく赤髪を指先でいじりながら、彼は挑発的な態度でギルに問いかける。
「このシルバー……どこぞの
これ以上、やつのいいようにはさせない。そんな強い意志を見せるシルバーは、
ギルへの反感をあらわにすることで、ほかのメンバーの追撃を誘おうとする
「勘違いじゃない――実際に俺は偉いのだよ」
……対するギルも、すかさず鼻で笑い返す。
「そうだろう、万年二番手のシルバー・ロードラインくん。なにせ、このヘリオス探偵事務所が街の新聞の表紙を飾るほど一躍有名になり……依頼が殺到するようになったのは、すべてこの俺の功績だからな」
「くっ……!」
ギルの言い分を前に、シルバーが余裕の笑みを崩す。
もうちょっ
名声、富、権力……すべてを持つ者の圧に、持たざる者は口を閉ざすしかほかないのだ。
「上っ面だけ、かっこつけしい探偵の振りをしているおまえらに、おこぼれ程度の仕事を与えているのはこの俺だ。そこのところ、おまえこそ勘違いするんじゃあないぞ」
「こ、こいつッ!」
「……嫌みなやつだとは前々から思っていたけれど、ここまでバッサリ言ってくれるとはね」
シルバーはうなり声を上げ、今度はメイラも苦言をこぼす。二人そろってギルを睨みつけた。
「ああ、この際だからはっきり言ってやるとも。そのために、俺は超忙しい時間の合間を縫って、所長抜きで今回の場を用意したのだからなぁ」
ギルは妖しく笑った。
張り合えば張り合うほど、惨めになる。それはシルバーやメイラだけじゃない、ここにいる探偵のみながわかっていることだ。だから二人も、うなるだけだし、僕を含めたほかのメンバーも不平の口は開かなかった。
「なら、さっさと要件を言ってもらおう」
静かに言ったのは、ゴートだ。太く、筋肉質の腕を固く組んで彼は淡々と言ってのけたが、その低音に若干のいら立ちがにじんでいた。
となりにいたマリーナが「ゴートさんがいらついているの、珍しいね」と、なぜか僕に向かってこそっと言う。
「そうだね」と適当に相づちを打って返したが、案の定、一つ向こうの席からシルバーがジト目で睨んできた。……じつに、面倒くさい男である。
「焦るなよ、ゴート。俺がおまえたち探偵諸君らに伝えたいことは、ものすごくシンプルなことなのだから」
「…………」
不敵に笑うギルを、ゴートが無言で睨みつける。
一触即発の空気に、僕はそわそわと体をゆすった。僕の心配をよそに、ギルのやつはひとり席から立ち上がる。
まるで楽団の指揮者のように、彼は円形状に囲む全員の顔を見まわした。しなやかな長身の背をしゃんと伸ばして「単刀直入に言おう――」と言葉を続ける。
「おまえらには、失望した」
彼の顔から、嫌らしい笑みがすっと消えた。代わりに人を心底凍てつかせるような、冷徹な表情へと切り変わる。
たった一言だ。その短い言葉に込められた威圧的な物言いに、僕も思わず身震いする。
「…………」
僕も誰も、うめく声すら上げられない。
これが、
「昼間の件――広場で起こした、みっともない騒動もそうだが……最近のおまえらの仕事ぶりは、じつに目に余る」
どすを利かせた低音のまま、ギルはしゃべりはじめた。
「すっかり気がたるんでしまったようだな。……まぁ、それも無理はないか。気取り屋ばかりでつまらない依頼人たちの、これまたちゃちな事件ばかりにつき合わされているんだ。
ま、それでもお行儀のいい探偵モドキの振りさえしていればいいんだから、おまえらは本当に気楽でいいよ。その上、人のことを
椅子の円のなかに入り、ギルは個々の席の前を通り過ぎる。半時計まわりに、ゆるく小さな歩幅でカーペットを踏んでいく。その間にも、べらべらとしゃべりたくる様子から、日頃から相当
「所長には世話になったが……あの人は自分の夢と過去に
一周したのち、彼は円の中心に移動した。今夜の主役であることをアピールするように、ありもしないスポットライトを浴びて演説を続けた。
「俺はおまえらに提案したいね――『みんな、もう少し賢く生きよう』とな。一つ考えてみろ……俺が、この名探偵ギル・フォックスさまが、この事務所からいなくなったらどうなる?
俺のほうはまったく問題ない。なぜなら、俺のバックにはすでに素晴らしいパトロンがついているんだからな。その気になればいつだって、この場所から出ていけるとも!」
ギルが全員に噛みついた。緊迫と沈黙が漂う場で、少し間を置いてから彼はまた静かに話しはじめる。
「……が、俺もそこまで無情な人間じゃない。おまえらと出会えたのもなにかの縁だ。これからもこのヘリオス探偵事務所に、この俺が直々に幸運と益を運ぶことを約束しよう」
ただし――。
と、彼は言葉をためる。細めた目はなぜか、僕のほうをきつく見据えていた……ような気がした。
「俺の足を引っぱるようなら
「……凶悪な事件?」
思わず、僕は口に出していた。
瞬間、ギルの唇の端が震えたように見えた。「……ああ、そうだ」と応えてから、彼は自身の話を続ける。
「ボンクラ探偵が名を上げるには、それが一番手っ取り早い。世間を怖がらせるような大きな事件を解決すること……つまり事件を獲物にして、俺たちが食っちまうのさ。
ペット探しだの、浮気調査だの……どうでもいいしょぼい事件とはさよならだ。この運河の街ウォルタなぞ、しょせん小さな世界――これからはもっと、大きな事件を捕まえるんだ。もっと……もっとな!」
一旦しめくくって、ギルはどかりと自分の席に腰を下ろした。
この名探偵の思わぬ発想に、その場にいた誰もがぽかんと口を半開きにしたのであった。
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