負け犬たちの明日

「…………」


 探偵事務所に戻るべく、僕らは大通りを黙々と歩いていく。文字どおり、黙々と――広場を出てからというもの、僕ら五人の間に一切の会話はなかった。


(みんな、だんまりか……)


 それも仕方がない。

 買い物袋を抱えた僕は、前に並んでいるメイラ、マリーナ、シルバーの背中を順々に見つめる。しょんぼりと、あからさまに肩を丸めているわけではないが、後ろ姿からも元気が失せているのがわかる。


 ギルの助太刀すけだちにより、僕ら探偵たちは九死に一生を得た。あのまま守衛所につれていかれたら、事はもっと大きくなっていたにちがいない。そのことは、彼に感謝しておく。


 しかし、同時にはっきり見せつけられてしまったのだ。名探偵ギル・フォックスの持つ、圧倒的なカリスマの力というものを。


(比べて、僕ら五人の影の薄いこと……)


 前に三人、後ろに二人と、いまもこうして五人が固まって歩いているものだから、誰かしらの目に留まってもいいものだ。

 しかし、行きかう人々は誰も振り向いてくれないし、声もかからない。僕らの姿は、完全に雑踏ざっとうのなかにまぎれてしまっていた。


 逆に、通りのにぎやかさがうるさいくらいだ。

 居心地の悪さから、なにかしゃべろうかとも思った。それこそ何度も……しかし、うまく声にならなかった。


 僕のとなりにはロイ・ブラウニーが並んでいる。タマゴのかごを腕から下げた少年に、話を振る手もあった――けれど、彼もまた珍しく口を閉じている。どうにも声をかけづらかった。


 仕方なしに、僕は歩きながらぼんやり思考を巡らせる。まぁ多少は、気がまぎれるだろうと期待して。

 まず頭に浮かんだのは、ひと足先に事務所へ戻っていったシトラス・リーフウッドの顔だ。彼女はあの後、大丈夫だっただろうか……。


(事務所にいるであろう所長と、無事に話をつけることができたかな? もしかすると広場から引き上げた僕らと、行き違いになってたりして)


 そわそわして辺りを見まわす。シトラスの影を探しながら、僕は次に、探偵事務所の所長のことについて考えを巡らせた。


(今回の件、所長はなんておっしゃるだろうか……)


 あまり考えたくないことだ、気持ちがより暗く滅入ってしまう。優しい方だけれど、さすがに今回の失態については甘えるわけにもいかない。

 ああ、そういえば、ベストの胸ポケットに事務所のスペアの鍵をしまったままだ。後で返しておかなくては……。


 そんなふうに、頭のなかでごちゃごちゃ考えていたら――。


「こうもはっきり差がつくと、みじめですね」


 少年が口を開いた。

 重いため息まじりに吐いたロイの言葉に、僕はぎくりと身を震わせる。僕はいい、けれど前の三人の神経を逆なでるようなことは言わないでくれ。


 静かな抗議の眼差しを向けるも、ロイはまったく気づかず――もしくは気にせず、自身のあごを高く上げて灰色の曇り空を仰いだ。


「ハァ……悔しいな。せっかくボクが事件を解いて、人助けをしたっていうのに。途中からやってきたギルさんが、ぜーんぶかっさらっていっちゃったんだもの」


 ひとりごちるロイに、首を振り返らせたのはメイラだ。切りそろえた髪をゆらして、彼女は言う。


「……あら、あんたも意外に欲の深いことを考えているのね」

「――そりゃあもう」


 横目からの視線を受け取り、ロイはゆっくりうなずいた。


「あんなにあからさまに邪魔されたんですからね。もちろん、守衛さんたちを追い払ってくれたことは助かりましたよ。

 でもそれはソレ、これはコレ。見習いからようやく探偵に昇格する、いいチャンスをゲットできたと思ったんですが……ああ、残念です」


 ひと息で言いきったのち、はたと、ロイはなにか気づいたかのように口元に手を当てた。「もしかすると……」と、つぶやいた彼の言葉に……その場にいた全員が耳を傾けていたのは、僕にもはっきりわかった。


「あの人、陰でボクたちのことを見ていたのかも。タイミングよく助け船を出したように見せかけて、本当は広場に集まる大勢の人々に、自分の活躍を披露ひろうするのが目的だったんじゃ――」


 カツン、と小さな音が鳴る。

 少年の腕から下がっている籠のなかの、タマゴ同士がぶつかり合った音だ。見れば、うっすらと白いからにヒビが入っている。


「ぷっ、くく……」


 口元を覆った手の下から、笑い声がこぼれた。「なーんてね」と、ロイは明るい声で言った。


「そんな出来すぎた話、あるわけないですよね。だって、ボクらはみんな、ヘリオス探偵事務所の仲間同士ですしね」


「……ロイくん」


 横から、僕はロイの口を止めようとした。あおるような言い方はよくないと、釘を刺そうとした――その時だった。


「――いや。やつなら、ありうるかもな」


 シルバーが先に言う。彼は正面を向いたまま、誰に言うわけでもなくしゃべり続けた。


「あいつとの付き合いは長いほうだ。所長が事務所を立ち上げた時から、俺やメイラはあいつのことをよぉく知っている」


「…………」


「事件を解決するためなら……いや、これは間違いか。自分のためなら・・・・・・・、ギルはどんな汚い手だって使うぜ。

 脅しに、賄賂わいろに、盗みに――まっ、どれもやつがやったという決定的な証拠は出せないんだけれどさ。ズルいことしているってのは、うすうすわかっちまうもんよ」


 シルバーは自身の赤い髪をかいた。いつものようにキザったらしく、なでつけるのではなく、片手をガシガシ動かしている。

「ねぇ、アタシたち……」と、今度はメイラが口を開く。


「このままギルのいいようにされて、いいのかしら? アタシ、最近思うのよ。これ以上、ギルをのさばらせちゃいけない……あいつはいまに事務所を乗っ取るつもりだわ」


 僕は慌てて横から口を挟んだ。


「それは考えすぎだよ、メイラ……!」

「そうよ、姉さん……」


 僕と同様にマリーナも、メイラの突拍子もない考えに苦言を漏らす。しかし、シルバーが「いやいや、十分にありえる話だぜマリーナ」と彼女を諭そうとしはじめた。


「でも、事務所は所長のものでしょ? ギルが独立して、自分だけの探偵事務所を開くっていうのなら、ワタシもわかるけれど……」


「ギルが出ていくってんなら……オレたちとしちゃ、そのほうがありがたいけれどな」


 だが、やつはもっと上手に事を運ぶさ。

 と、シルバーはニヤリと笑う。


「自分にとって居心地のいい根城を、そうそう簡単に手放すと思うかい? 上っ面をきれいに取り繕うのは、ギルの十八番おはこだ。きっと所長さえもうまいこと言いくるめてしまうだろうな」


 メイラが嘆息をこぼす。「人がよすぎるのよ、うちの所長は。いつか絶対に誰かにだまされるタイプだわ」そう言って彼女は肩をすくめた。

 姉の言葉に、マリーナも苦く笑う。思い当たる節が大いにあるのか、細めた目は愉快そうではなかった。


 バラバラの足音とともに、会話は続いた。最初はおなじ歩幅で歩いていたはずなのに、僕の足取りは重くなって……彼ら四人と少しばかり距離が開いた。


「ギルさんが事務所の主導権を握れば、きっといままで以上にボクたちこき使われちゃいますよ。その前に所長さんがあの人に、ズバッと言ってくれればいいんですが」


「そうよね、ますますいいお客さんが捕まえられなくなっちゃう。みーんなギルのお手柄、ワタシたちがひどい目に合っても、所長は助けてくれるかなぁ?」


「いや、なんだかんだ言って、ギルの名が売れて益が入るのは所長だものな。卑怯な手であれ、裏では歓迎しているんじゃないか?」


「どうにかして所長の目を覚まさせられないかしら。ああ、でもギルのことだから用意周到にこずるく根まわししているのかも……」


 やいのやいの、口々に好きなことを言う。そんな彼らの姿を、僕はじっと眼鏡越しに見つめていた。

 二、三歩以上の距離が開く。気づいていないうちに僕の足は止まっていた。


 なに、取り留めのない雑談じゃないか。と自分の言い聞かせる一方で、胃のあたりがすっかり冷えきっているのを感じた。冷たい腹から込み上げてくる嫌な感触に、僕は左手を強く握りしめる。


「いいかげんにしないか、君たち!」


 喉を通って吐き出された一声は、思ったよりも語気が強かった。


 全員の足が止まる。ついでに言えば、周囲の通行人たちの足をも止めてしまった。誰もが突然声を張り上げた僕に驚いて、びくっと肩を跳ねさせたのちに目を丸くしてこちらを見ている。


 多くの人の視線が突き刺さるなか、いつもならば萎縮いしゅくしているところ……いまの僕は、とてもそんな大人しい気分にはなれなかった。


「ギルの悪口はいい! けれど、所長のことを悪く言うのは、僕には我慢できない!」


 一瞬頭によぎった狡猾こうかつな男の横顔を振り払って、僕ははっきり口に出す。早足で、四人の元に詰め寄った。


僕が「シルバー」と一人指名すると、当人はたじろいだ様子で「お、おう」と返事をする。その腕に半ば押しつける形で、買い物袋を渡した。


 珍しく、僕は怒っていたのだ。

 彼らの好き勝手な言い分を聞いて、胸がもやもやして……気分が悪くなった。


(ギルはいいさ。そう、ギルはいい……)


 所長のことを悪く言われるのはたまらない。あの人は優しく、誠実で、探偵の正義を信じて――僕らを拾ってくれた恩人だ。


「今晩の七時、談話室」


 くるりときびすを返した。彼らの顔を見ないよう、背中向きで僕は淡々と伝える。


「広場を出る時にも言ったが……ギルが僕らに招集をかけた。見習いを含めた七人の探偵全員、必ず七時に談話室に集まるようにと」


 わずかな沈黙ののち、僕はゆっくり歩みはじめた。


「忘れないでくれ。それじゃあ」


 少し頭を冷やしてくる。

 と言い残して、僕はロイたちと別れた。


 誰も呼び止めないことをいいことに、気まずさから逃れるよう足を早く動かす。

 曇り空からぽつりと一滴落ちてきた……地面の上に一点、丸い染みをつくる。

 今晩は、雨になりそうだった。



 * * *



 ギル・フォックスは狡猾な男だ。

 常に利己的りこてきで、余分な感情をあっさり切り捨てることのできる合理的な彼の生き方は、いっそいさぎよい。その世渡りの才能を恐ろしく感じる時もあれば、たまにうらやましくも思った。

 

 それを他人が真似したって、仕方がない。人には向き、不向きというものがあるのだから、自分のしょうに従って自分の人生を生ききることが無難というやつだ。


 君たちだけは、平穏に生きて欲しい。

 そんなことを彼らに伝えたところで、はたして通じるのだろうか。


 自分はいい。

 これで、十分満たされている。

 

 むしろ、かつてないほどの心安らぐひと時を過ごしている。気のいい仲間たちにも恵まれ、これ以上の欲はない。だからそう――ひっそりと、すみっこにいるだけで幸せなのだ。


 ……幸せ。

 無縁の言葉に、かぶりを振る。


 握りしめた左手のなかに残る、赤い傷跡がうずいた気がした。

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