名探偵ハロウ・オーリン 〜愛と青春の七人の探偵たち〜

探偵たちの天敵Ⅱ

　オルソー・ブラックが片手を上げた。脇に控えていたあのガタイのよい二人の部下に向かって「連中をつれていけ」と指示を出す。

　それからが大変だった。

　二人の大柄な守衛の動きは俊敏で、彼らはまずシルバーとメイラの前に立ちはだかると、それぞれの腕をむんずとつかんだ。唐突な荒っぽいやり口にシルバーたちがひるんでいると、その隙を狙って守衛は探偵を引っぱり立てようとした。

　引きずられるようにつれていかれる、シルバーとメイラ。これには近くで見ていたマリーナとロイも、大慌てで止めに入った。もちろん、当人たちも最初こそひるみはしたものの、いまはあらん限りの力で暴れて守衛たちに抵抗をしている。

　広場は再び、てんやわんやの大騒ぎへと戻った。

「んぎぎ……ハロウさんも、手伝ってよ！」

「言われなくとも！」

　連行されそうになるシルバーにへばりつきながら、ロイが僕に助けを求める。地べたに尻をついていた僕も、すぐに体勢を直して片膝を立てた。

　完全に立ち上がるその前に、僕は周囲を見まわした。

（まだ、シトラスさんは戻ってこないか……）

　応援が来ないかと期待して、僕はさっと広場の人間のなかから彼女の姿を探してみる。そのさなか、ふと僕の視線はすぐ脇の花壇（かだん）に丸まった黒い塊へと留まった。

　はじめ、ゴミの包みかなにかと思った。

　が、よくよく見れば、それは人の形をしている。浅いハンチング帽をかぶり、その下からは黒い髪をボサボサに伸ばして、全身を汚（きたな）らしいコートで包んだ一人の男であった。

　花壇の影に身をしゃがませ、その男はせわしなく手を動かしている。同時に無精（ぶしょう）ヒゲを散らした口元で、ぶつぶつと言葉をつぶやいていた。

「へへっ、俺も運がいいこった。こりゃ、おもしろい記事が書き上がるぞ」

　下卑（げび）た笑いが、僕の耳に通る。

　僕は興味本位に少し身を伸ばして、男の手元を覗き込んでみた。見れば、男の手にはそれぞれ、手帳とペンが握りしめられている。『記事』という単語を口にしていたことから、どうやら記者の類（たぐ）いだと推測した。

「『あの有名な探偵事務所がお騒がせ？　街の広場にて守衛相手に大乱闘を巻き起こす！』。うんうん、我ながら刺激的なタイトルだ。これなら、きっと――」

「あの、ちょっと……」

　危機に瀕（ひん）しているロイたちには申し訳ないが、目の前で不名誉な記事を書き立てられることを見逃すわけにはいかない。

　僕はそのハンチング帽の男の元へ近づいた。ひと声かけるも、向こうはペンを動かすのに夢中で、僕のことなぞ気づくそぶりも見せない。

　伸びきったボサボサの髪もそうだが、何日も風呂に入っていないような酸味のある臭いに、僕は顔をしかめる。本当に彼は記者なのだろうか、まるで路上生活者そのものだ。

「ちょっと、ごめん」

「ん？　んなっ……あッ！」

　僕は身をかがめて、その男の手からさっと手帳を奪い取った。

　突然のことに、彼もとても驚いたようだ。一瞬なにが起こったのか、すぐにわからなかったようで――手帳が消えた手をまじまじ見つめたのち、せわしなく頭を左右へ振った。

　それから彼は、ゆっくり顔を上へ向ける。ようやく、脇から手帳を奪い取った僕の存在に気づいてくれたようだ。

「おわっ、てめぇ！　いきなり、なにしやがんだ！」

　とたん、罵声が弾き飛んだ。

　乱暴に振り伸ばした腕で、男は僕の手から手帳を取り返さんと襲いかかってきた。慌てた僕はすぐさま後方へ下がって、その猛攻を寸で避ける。

　ものすごい形相（ぎょうそう）だ。よっぽどこの手帳が大事なものとうかがえる。ギラギラと怒りに煮えたぎる男の目は、僕の赤みがかった瞳よりもひどく充血して見えた。

　でも、これしきで気圧（けお）される僕じゃない。手帳を手にした腕を軽く振るって、僕は彼に淡々と伝えた。

「悪いけれどさ、いまのこの光景を記事にしてほしくないんだ」

　ちらっと、向こうへ視線を投げる。向こうでは、守衛と探偵のおかしな『人間綱引き勝負』がくり広げられていた。

「かっこ悪いのは認めるよ、うん。とりあえず、ほとぼりが冷めたら返してあげるから」

　それじゃあね。とさわやかな文句を添えて、僕はそのボロの手帳を胸ポケットにつっこんだ。こんなやつに構っている暇などない。いまもなお、僕の仲間たちが守衛に連行されまいと必死の抵抗を続けている最中なのだから。

　身をひるがえし、僕は駆けだした。

　――しかしその瞬間、急に片足が鉛（なまり）のように重くなった。体の重心がずれて、危うく転びそうになる。

　なにが起こったのかと思い、足元へ視線を落とせば――なんと、さっきのハンチング帽の男が、僕の片足にがっしりしがみついているではないか。

「行かせてたまっか、こんの眼鏡野郎ッ！」

　変わらずぎらついた目で、男は吠（ほ）える。

「お、俺の仕事道具を返しやがれ！　それはテメェなんかが軽々しくさわっていいもんじゃねぇんだよ！」

「うぐっ……」

　しがみつく力は強く、足が抜けない。

「……そうだな。どこに載せるかは知らないけれど、僕らのことについてなにも書かないって約束をするのなら、返してあげてもいいよ」

　しまったばかりの胸ポケットから、僕は手帳を取り出す。それを彼の鼻先にちらつかせてやった。

　すかさず男の手が伸びるも、そのタイミングに合わせて僕も腕を引っ込める。そんな子どもの遊びのような攻防が、僕と男の間でしばし続いた。

「ふっ、ぬぅ！　このっ……！」

「しっぶといなぁ……いいから、足を離してくれよ！」

　手帳を追いかけて、彼の片腕が足から離れるその隙を狙い、僕はなんとか抜け出そうともがいた。けれど、思った以上に馬鹿力で絞（し）めつけてくるせいで、逃げられない。

「ちっくしょうめ……」

　男が舌打ちして、低くうなる。

　その直後のことだった。急に男は視線を大きく横にそらした。

　手帳はあきらめたのだろうか？　と、僕が男の行動に違和感を覚えていると……彼は手帳そっちのけで突然腕を大きく振りはじめた。

　そして、大声を張り上げたのだ。

「おおい！　守衛さん！　助けてくれぇー！」

「げっ！」

　男の思わぬ行動に、僕の顔が引きつったのも無理はない。彼はなんと守衛に助けを求めたのだ。

「この眼鏡に襲われているんだ！　か弱いウォルタの街の住民を守るのが、あんたらの仕事だろう？　早く助けてくれよ！」

「こいつ、適当なことを……！」

「ひぃ！　眼鏡が、いま俺のことをぶっ殺すって……」

「言っていない！」

　僕なりの精いっぱいの睨みを利かせて、男を見下ろした。すると、憎いやつめ……くいっと無精ヒゲの散った顎を上げると、彼はヘラリと笑い返してきた。

　それから男は不敵に顎をしゃくる。僕がその方角へ顔を向けると――向こうに立っている守衛のオルソー・ブラックと目が合ってしまった。

「んもーっ！　ハロウったら！　そんなとこで、なにやっているの！」

　守衛二人ともみ合いを続ける探偵仲間たちも、一斉に僕のほうを見る。マリーナが珍しく怒った声を上げるも……この際どうでもよかった。

　うんざりしたような長い息を吐く、オルソー。彼はわしゃわしゃと髪をかきながら、すっかり疲弊（ひへい）した探偵諸君らの顔をいちべつすると、部下の一人に手を振って指示を出した。

「！」

　片方の守衛が、すぐさまこちらに目がけて走ってきた。慌てて逃げ出そうにも、僕の足は汚らしいハンチング帽の男にしがみつかれたまんまだ。

（まずい、まずい……！）

　近づく守衛の手は、腰にくくられたサーベルの柄（つか）を握っている。恐怖のあまり、僕の目はその手にくぎづけだ。

　そして刹那（せつな）……鞘（さや）と柄の根元の隙間から、鋭い銀色が光って――。

（…………！）

　平穏だった広場に、人々の甲高い悲鳴が響き渡った。

　……いや、けして僕が斬（き）られたというわけではない。

「なにごとだッ！」

　オルソーが叫んだ。

　突然、周囲から上がった悲鳴の数々に、驚いたのは僕だけじゃない。守衛も、探偵仲間も、そして足元にしがみついている男でさえも、みんな同時に悲鳴の上がったほうへ顔を向けた。

　守衛との攻防で、また広場には野次馬による人だかりが出来上がっていた。それが蜘蛛（くも）の子を散らすように、一瞬でばらけていく。

　その理由は、すぐにわかった。

「えっ、馬車？」

「お、おいッ！　あの馬車、こっちに突っ込んでくるぞ！」

　ぽかんと疑問を口にする僕の足元で、男が悲鳴を上げた。

　遅れて、脳裏に馬のひづめと車輪の音が響く。僕の視界いっぱいに黒い塊が飛び込んできた――黒塗りの大型馬車と、二頭の青毛の馬だ。

　人々を蹴散らし、馬車はまっすぐ僕らのほうへ駆ける。僕も、ハンチング帽の男も、完全に逃げ遅れてしまっていた。

　――もうダメだ、おしまいだ。

　全身がぶわりと熱くなった。ところが、悲劇的な運命を迎える寸前に、馬車に乗っていた御者（ぎょしゃ）が手綱を強く引っぱった。

　二頭の馬のいななきが、僕の右耳から左耳へ一直線につんざく。馬は前足を宙でかいたのち、カツンッと地に蹄鉄（ていてつ）を鳴らした。

「…………」

　ほとんど目と鼻の先で、馬車は停まった。

　僕がぼう然としていると、馬の熱い鼻息が顔面にかかった。

「広場のどまんなかに突っ込むなんて、正気じゃないわ！」

「うわ……ハロウさん、運がいい……」

「マ、マリーナ……いまの隙にオレと逃げよう！」

「わー、素敵な馬車。どんなお金持ちさんが乗っているのかな？」

　各々、好き勝手な声が聞こえる……一番うるさかったのは、僕の心臓の音だった。

　守衛の一人が馬車に近づき、サーベルを引き抜こうとする。しかし、すぐにオルソーが止めに入った。彼は静かに首を振ると、馬車のある一点に視線を投げた。

　そこには、銀色の紋章があった。

「旦那さま、到着いたしました」

　御者がひと声かける。僕はわずかながら、馬車のなかの会話を耳で拾うことができた。

「ああ、ご苦労。……しかし、きみ。本当に私が出ていかなくてもよいのかね？　私が言えば……」

「はい、この場は自分がまとめましょう。伯爵（はくしゃく）はお嬢（じょう）さんと一緒に、どうぞここに……」

「…………」

　よく聞こえない。もっと会話を聞こうと耳を澄ましたその時、馬車の扉が開いた。なかから現れた意外な人物を前に、僕を含めたヘリオス探偵事務所の面々はそろって息をのんだ。

　銀色を思わせる灰色の髪。

　艶のある紺を基調とした仕立てのよい服装。

　一番の特徴は、きりっとした顔立ちに光る鋭い目だ。虚偽を暴き、真実のみを映す両眼として宣伝している――冴えきった青い瞳。

　馬車から華麗（かれい）に下り立つ、やつの名を僕は思わず口にする。　

「ギ、ギルッ……！」

　ヘリオス探偵事務所きっての花形――名探偵ギル・フォックスのご登場であった。