探偵たちの天敵Ⅰ

「け、警笛?」


 僕は身を固くした。それは広場に集まっている人たちもおなじで、一瞬のうちにざわつきが嘘のように静まり返る。


 ゆれぬ水面みなものような静けさのなか、人だかりの向こうから誰かがやってくるようだ。無理やり人を押しのけて進んでいるのか、時々、野次馬たちの小さな悲鳴が上がる。

「はい、はい……ちょいと失礼しますよ」と、男の声も聞こえてきた。


 そのひどく湿った暗い声に、僕たち探偵事務所の面々は一様に顔をしかめた。警笛に、あの独特な低音の声――誰がおでましなのか、よくわかってしまった。


「シトラスさん」


 声をひそめて、僕は秘書に呼びかける。


「この場は僕たちでなんとかしてみます。だからシトラスさんは、先に事務所のほうへ向かってくれませんか? 所長か……もしくは、ほかの誰かがいたら呼んできてほしいです」


 僕のひそひそ話は、当然まわりにいたメイラたちの耳にも入ったことだろう。けれど特別、誰も異議を唱えなかった。


 当のシトラスは少し迷ったそぶりを見せる。だが年少のロイにも「早く!」と小声で促され、彼女は決心した面持ちでうなずき、ひっそりこの場を抜けていった。

 

「ふふ、まずい人たちが来ちゃいましたね」


 こんな時でも、ロイの口ぶりは軽い。心持ちおもしろがっているような響きにすら、僕は感じる。……ちゃっかり、人の背中に隠れているくせに。


「君もシトラスさんと一緒に行けば?」

「いえいえ。こんなスリリングな状況、ボク絶対に見逃したくありませんよ」

「…………」


 冷めた言葉で言い返してやったのに、それでもこの少年はどこまでも楽観的な、もしくは享楽的な態度を改めようとしない。

 これが若さか、単なる強がりか。なんにせよ、僕はそれ以上なにも言わずに、わかりやすいため息だけをついた。僕だけじゃない、ほかの面子めんつもあきれた顔をしている。


「……まっ、仕方がない。これだけ大きな騒ぎになっちまったんだ――街の守衛しゅえいさんらが出張ってくるのも、当然ってことで」


 シルバーがつぶやくと同時に、人だかりがぱっくり左右に割れた。強引にひらかせた裂け目から、全身を黒い制服で固めた男たちが現れる。


 人数はたったの三人ぽっちだ。思ったよりも数が少なくて、僕は安堵と拍子抜けの両方の意を込めた吐息をつく。


 ……とはいえ、相手は街の治安を守る仕事に就いているだけあって、うち二人はかなりガタイのよい体つきをしている。腕まわりにも重そうな筋肉をぎっしり詰め込んで、なにより腰に引っ提げているさや入りのサーベルが抵抗する気力を削いできた。


 だがそれ以上に僕らが厄介に思っているのは、二人の大柄な守衛の後に現れた、さる人物のほうである。その顔が目に入るやいなや――僕は反射的に地肌がひりつき、頬が引きつるのを感じた。


 猫背で肩を丸めているせいか、その男はとても小柄に見えた。彼はうつむいていた頭をひょいと上げる。値踏みするかのように、こちらをじぃっと見つめるその黒い瞳がふいに怪しく光った。


「守衛のオルソー・ブラックの登場だぜ」


 へっと、シルバーがせせら笑った。


 小柄な黒服の男――オルソー・ブラックは、二人の部下に脇へ控えるよう手を振って指示をすると、のそのそと前に出てきた。僕らの顔をいちべつして、彼はニタリと笑む。


「これは、これは……いやに、にぎわっていると思ったら、なにかね。ナントカ探偵事務所の若人わこうどくんたちじゃありませんか」


 口調こそ、丁寧である。しかし、時折ククッと喉を鳴らして、彼は目元を線のごとく細めた。その仕草を見て、人を小馬鹿にするような悪意と嫌みったらしさを感じない人間はいないだろう。


 守衛とは、街の治安維持を目的に配備されている公的な職業を指す。ケンカから犯罪まで幅広く取り締まり、社会秩序を守るのが彼らの仕事だ。

 しごくまっとうなお役目である。が、各街によって守衛の評判はじつにさまざま・・・・だ。


 新聞にも連日書き立てられているように、イルイリス国の各地で凶悪な犯罪が増えている。殺人事件でも起きようならば、当然、守衛の出番である。

 だが、彼らの介入はあくまでも必要最低限だったりする。


(もっとはっきり言ってしまえば、雑な現場検証に、雑な書類報告……疑わしき人物あれば即牢屋行きという、なんとも大味おおあじな仕事っぷりときた)


 ゆえに、金のある人たちは探偵を雇う。探偵という第三者に念入りな調査をしてもらうことで、守衛の雑な業務から自分たちを守るのだ。こういった事情や背景から、事件現場では守衛と探偵との間によく衝突が発生するのである。


(片方は公的な職務を通すため、もう片方は私的な依頼から仕事を請け負った身として……)


 そして、このオルソー・ブラックという男。ウォルタの街の守衛たちを束ねるボス的な存在なのである。

 また年齢が四十を越えた古株ロートルだけあって、探偵という職に偏見をいだいている。……いいや、単純に若者を見下しているのだ。


「広場を陣取って、大々的な客寄せのパフォーマンスですか。いやはや、精が出ますなぁ。新聞でもおたくらの事務所は大変盛況なようですし、安い小金しか握らされない自分らとしては、うらやましいかぎりです。ふっふっ」


 まずい、ここでもギルの話だ。

 まわりの空気がツンと冷えたのが、僕にもわかった。さっきまでさんざん、ギルの不満を口にしていた彼らだ――どうか相手の挑発に乗ってくれるなよ、と僕は心のなかで願った。


「しかしですな。見世物として出店するのならば、きちんと広場の使用許可証なりを正式に届け出てもらわないと。悪いですが、ここにいる全員には我々と守衛所までご同行をお願いしますよ」


 言うだけ言って、オルソーはくるっと身をひるがえした。彼はまだ居残っている野次馬たちに「ささっ、散った散った」と荒っぽく手を払う。さすがに守衛に睨まれちゃ敵わないと、集まった人々は少しずつ退散していった。


(罰金くらいは避けられないか。難癖つけて、かなりの額をしぼり取られるかもしれないけれど……まぁ、下手な事件に発展しなかったことを考えれば、犬に噛まれたと思って――)


 思考の途中で、ふと僕の脳裏にギルの顔が浮かんだ。

 所長は優しいおかただ。きっと僕たちが起こしたこの騒ぎを、あの人なら心配して大目に見てくれるだろう。


(しかし、ギルは?)


 あざけり、見下し、手ひどく罵ってくる名探偵の姿を想像するのは容易だった。

 きっとそれは僕だけじゃない、ほかの探偵仲間も――メイラ、マリーナ、シルバー、それからロイも考えたことだろう。


 このままオルソーの挑発に乗らずに、うまくやり過ごそうとばかり考えていた。しかし、やはりそれは難しいようだ。


「見世物たぁ、あんまりな言い方をするじゃないか」

「!」


 いの一番に口を開いたのは、赤毛の男シルバー・ロードラインであった。

 オルソーの元へ歩み寄ろうとする彼の肩を、僕はとっさにつかむ。守衛相手に揉めごとを起こすのはまずい。ましてや多くの人が見ているさなかなのだ、否応なしに事務所の評判に傷がつくことになるだろう。


「オレたちはなぁ、いましがた一人の人間の未来を救ったばかりなんだ。絶望の淵に落ちかけて、涙を浮かべていた哀れな子羊くんに……慈愛の手を差し伸べていたのさ」


「シルバー、ちょっと……!」


「偉そうな態度ばかりまわりに振りまいて、人を監視することしか能のないあんたらとは、まるでちがうってことさ」


 わかるかい?

 と挑発的に言いきって、シルバーは自慢の赤髪を横になでた。


 自分が壺の謎を解いたわけでもないのに、よくもまぁ堂々と胸が張れるものだ。辟易へきえきした僕の……その後ろからまた一人、無謀な者がシルバーと肩を並べた。


「そうよ、シルバーの言うとおりだわ」


「メ、メイラまで……」


「事情の一つもうかがわないで、相変わらず頭でっかちなこと。アタシたちはいいわよ? いつも人からたっっぷり感謝の声の声がもらえるから。

 ……でも嫌われ者のアンタたちはいっそ哀れね。いちゃもんなんかつけないで、たまには人に寄り添う気持ちでも覚えたらどうかしら?」


 シルバーの饒舌じょうぜつに乗っかって、メイラ・リトルも威勢よく足を前に踏み出した。その上、彼女は後ろに控える妹にも視線を投げる。


「ええっ、ワタシも?」


 さすがにマリーナは身を引こうとしていた。が、姉がそれを許さない。メイラがひと睨み利かせれば、妹は嫌な顔をしたのち、あきらめたようにこくこくと頭を縦に振った。


 僕は振り返って、背中に引っついたままのロイを見やる。視線が合うと、彼は苦笑った。ボクが止められるわけないじゃないですか、と無言で肩をすくめる少年に僕も同意してうなずいた。


「…………」


 オルソーは最初、聞き流していたように見えた。

 しかし、じっくり間を置いてから彼は身を反転させて、再びこちらに黒目を向ける。まじまじと僕らの顔を眺めた後「人を救う?」と聞き返した。


 ぷっと、彼は吹き出す。それからハッハッと湿った低音を喉奥で震わせて、大きな声を上げて嘲笑した。


「人を救う、か。ハハハッ、そりゃあご立派なことで!」


 笑いすぎて、オルソーは目を擦る。両手をパンパンゆっくり叩いて、彼はわざとらしい拍手を僕らに送ってくれた。


「しかし、まぁ……なんと青いこった」


 世のなかの酸いも甘いも知らないガキそのものだ。

 と、猫背の守衛はなじり、半笑いで吐き捨てる。


「小さな人助けごときに酔って、デカいことをしてやったりと吹聴ふいちょうするのも、そこまでにするんですな。私から見れば、君たちのやっていることは……まるでお遊び・・だ。そこらの道を駆けまわってはしゃいでいる、子どもたちのごっこ遊びとなにも変わらんのですよ」


「フンッ、なにも見ていないから勝手なことが言えるのよ」


 メイラが鼻を鳴らして言い返す。「そう、なんとでも言えばいいさ」と、シルバーがその後に続いた。


「どんなに皮肉の口がまわろうが、目はごまかせやしない。ほら、守衛さんもよくご覧よ――広場につどった、このたくさんの人々の目を!」


 シルバーは両手をばっと、大げさに広げた。

 その際、肩をつかんでいた僕の手が振り払われる。彼はまだ広場に残っている人々に向かって、高らかに声を張り上げた。


「あっちにも目、こっちにも目……真実を見つめている目というのは、必ず存在するものなのさ。汚い口で罵られようがなぁ、オレたちが正しいことをしたという事実は多くの目によって見届けられたんだ。

 探偵が真実を突きとめ、疑念の闇を払い、光へ導くという正義の行動を――」


「シルバー、いいかげんにしてくれ!」


 僕はたまらず、この自分勝手に酔いしれる気取り屋を一喝した。同様にメイラにも釘を刺しておく、「メイラも! これ以上、変に相手を刺激しない!」と。


 年下のマリーナとロイが強く出れない以上、比較的年の近い僕が二人を止めるしかなかった。

 守衛と対峙するよう肩を並べる二人の合間に、僕が無理やり割って入る。だが、シルバーとメイラは、僕の忠告などにまるで耳を貸さなかった。


「見習いは引っ込んでなッ!」

「見習いは引っ込んでなさいッ!」

「……うっ」


 シルバーとメイラは声をそろえて、僕を怒鳴りつける。二人は左右同時に僕の肩を押して、さらに後方へと追いやった。

 そう僕は見習い探偵。年が近いとはいえ、立場の低さから僕ごときが防波堤ぼうはていにならないことぐらい自分でもわかっていた。


 いつのまにか、背中からロイがいなくなっていたこともあり、支えもなく、僕は数歩よろけて……そのまま後ろ向きに尻もちをついた。

 ずれた眼鏡の向こうで、オルソーがやれやれと首を振ったのが見えた。


「……それなら、はっきり言ってやろう。いい加減、おまえたちの存在が目障めざわりなんだと。現場を荒らすネズミどもめ、少しは痛い目を見ないとわからんか……」

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