大いなる富をもたらす壺事件Ⅱ

「もう一度聞くけれど、あなたの身のまわりにリンゴの木は――」

「いやね、姉さんったら強引なんだから」


 横からマリーナが割って入る。くすくす、無邪気な笑い声を立てながら、彼女も僕と同様にあきれた様子で言った。


「おおかた、姉さんは巨万の富がリンゴの木の下、つまり地面のなかにでも埋まっていると推理したのね。――でも残念だわ、若旦那さんがあんなに何度も首を振っているんですもの」


「くっ……」


 ギロリとメイラは、若旦那を睨みつけた。あまりの威圧に彼も思わず飛び上がるも……やっぱり無理が通るはずはない。縦に振らない帽子頭ぼうしあたまに、妹のマリーナがさらに茶化ちゃかして笑い声を立てる。


「あらあら。姉さんの説も、シルバーと一緒でハ・ズ・レみたい」

「……っ、マリーナッ!」


 姉の叱責が飛んで、妹はキャッとかわいらしい悲鳴を上げた。その場を逃げ出すマリーナを、目をギラギラといからせたメイラが追いかける。


 そんな姉妹ゲンカの間に、すぐさま気取り屋のシルバーが割り込もうとする。マリーナにいい顔を見せるつもりなのだろう。しかし仲裁ちゅうさいもままならず、彼はあっさりメイラに突き飛ばされて地面にひっくり返る始末……ああ、じつに弱い。


 依頼人そっちのけで、広場で追いかけっこをはじめるマリーナ、メイラ、シルバーの三人──僕はそれを半目で眺めた。

 マリーナを追うため、メイラは持っていた壺を放り投げる。きっと若旦那に渡すつもりだったのだろうが、壺は広場に集まった野次馬たちのなかへ飛んでいってしまった。


「あわわわッ! 祖父の壺、返して下さいよーッ!」


 骨董商の若旦那はあわあわと顔を青くさせる。人々は順々に壺をまわしていって、各々が考えた推理を述べて大いに賑わった。


「きっと壺にぴったりの台座があるんだ。この壺は宝物庫ほうもつこを開ける鍵なのだよ」


「そうだわ、壺のなかに水を入れてみましょう。水が酒に変わる魔法の壺なのかもしれないわ」


「いやいや、きっと――」

「そうじゃない、壺の秘密は――」

「富の正体、それは――」


 哀れ若旦那は、必死に野次馬たちの手から壺を取り戻そうと奮闘した。これまた悲惨なことに、散々もみくちゃにされただけで、その手に大事な祖父の遺品をつかむことは叶わなかった。


 代わりに、身軽で器用なロイが野次馬たちのなかに入って、壺を取り返してくれた。すっかりくたびれて地べたに座り込む若旦那に、少年は「はい、これ」と壺を手渡す。


「ああ、君……ありがとう。悪いけれど、しばらくの間、君が持っていてくれないかな……ぼくはもう疲れてしまって」


「だろうね」


 壺を抱えながらロイは、広場でまだ追いかけっこを続ける例の三人を見て、小さく息をこぼした。


 若旦那はぶつぶつと「やっぱり、あの名探偵でないと……」とつぶやく。そんな彼に、シトラスが身をかがめて申し訳なさそうに言った。


「騒ぎを大きくしてしまい、大変申し訳ありません。事務所を代表して、おわびを申しますわ。……ですが、秘書のわたしの口から申しましても、たった一日でお店の借金を返せるほどのお金をご用意するのは難しいと思います。――たとえ、名探偵であっても」


「ははは……そうですか。……そう、ですよね。思えば、ぼくは祖父の言葉を都合よく解釈しすぎていたのかも……」


 地面へ力なく顔を伏せる、未熟で若い青年の姿に……誰も、かけてやる言葉はなかった。


「…………」


 僕は、ロイの腕のなかにある壺に目を向けた。「ちょっと見せてくれないか」と少年に一言頼んで、僕はそれを受け取った。


 実際に手に持ってみると、なかなか抱えるにちょうどいいサイズだ。人の頭や、子どもが蹴って遊ぶ玉ころを連想させる大きさであった。

 横向きにし、僕は自分の左手を壺のなかへ突っ込ませる。内側から壺を支えつつ、今度は右手ですべすべした曲面のふくらみをなでて回転させていった。


 側面、底、縁、壺の内面と、ひと通り確認していく……。


「……あなたのおじいさんは、ほかになにか言っていませんでしたか? この壺について」


 僕の問いに、若旦那は「へっ?」と顔を上げる。顎に手を当ててうなったのち「そういえば……」と、彼は思い当たる節を口にした。


「祖父が『大きな実りを手にしたいのなら、根っこの部分が一番大事だ』とかなんとか、壺を渡された時にそんなことを言っていました……」


「根っこが……」


 僕は壺のなかに入れている左手の指先で、底の部分をさわった。同時に、右手の指を外側の底に添える。釉薬で塗装された内部とは異なり、外側の底は素焼きのざらついた手触りがあった。


(…………)


 気づかれないよう、目を細める。


 最初に持った時から、違和感は感じていた。

 この壺――やや軽い気がするのだ。特におかしいのが底の部分……壺のなかと外から同時に触れてみるとわかるのだが、底がかなり分厚く造られている。ざっくりした感覚で、親指の長さほどの厚みはあるだろう。


「ねぇねぇ、ハロウさん。なにかわかりましたか?」

「…………」


 なのに、どっしりした重さが壺から感じられない。

 あと気になるのは、わずがに壺のなかから聞こえる音。ラ……カラ……と、非常に微弱だがなにかが動いている。


「……やっぱり、腕のない人間がつくった安い壺だね」


 僕は壺をロイに返した。

 底を天上に、逆さまに向けたままで。


「壺の縁もやたら分厚いし、底の部分だってほら――すこし斜めに歪んでいるだろう? 肝心の根の部分・・・・だっていうのにさ」


 逆さまの壺の底面に視線を向けて、僕はため息まじりに笑ってみせた。


「あっ」


 ロイが気づいたのか、短く声を上げた。

 そばにいたシトラスと骨董商の若旦那が、なにごとかと振り向く。少年の目は一点、壺の底へ向けられていた。


「ボク、わかりました! 大事なのは、根っこの部分ですね」


 そう言って、ロイはなにやら周辺をきょろきょろ見まわした。広場ではまだメイラたちが迷惑な追いかけっこを続けているが、それは無視して地面に目を配る。やがて、落ちていたこぶしだいほどの割れレンガの破片に気づくと、彼はひょいと身をかがめてそれを拾い上げた。


 片腕にしかと逆さまの壺を抱えたまま、もう片方の手でレンガの破片を握りしめる。少年は「えいっ!」と掛け声を発して――レンガを壺の底目がけて強く叩きつけた。


 突然のロイの行動に、誰もが血相を変えたことだろう。パキンッと陶器が割れる小気味よい音が、広場一帯に響き渡った。


(ああ、やっぱり……僕の見立てたとおりだ)


 引きつった顔のシトラスのかたわらで、僕だけが満足げに成りゆきを見届けた。

 パラパラと陶器の欠片が落ちる。そのさなか、ロイは割れた壺を底面をじっと見つめていた。そして、ソレを目にした瞬間、彼は大きく息を吸って声を目いっぱい張り上げた。


「ありましたよ! これが大いなる富の正体です!」


 壺を少しだけ傾けて、少年は周囲に底面を見せつけた。

 しぶとく追いかけっこを続けていたマリーナ、メイラ、シルバーの三人組も、もつれるように足を止めて掲げられた壺を見やる。


 わっと、地面がゆらぐような歓声が広場に湧いた。

 人々の驚嘆に空気が震えるなか、立ち上がった骨董商の若旦那がよろよろとロイの元に近寄った。


「こここっ、これは――宝石ッ!」


 ルビー、サファイア、トパーズ、ダイヤモンド……あまたの輝きに目が潰れてしまいそうだ。そう、底が割れた逆さまの壺のなかには、美しい彩りを魅せる宝石たちがぎっしり詰め込まれていたのである。


「なるほど、隠し底というわけか」


 眼鏡をいじりながら、僕は感心した様子で言った。


「あらかじめ壺の底の部分に、宝石を隠す空間スペースをつくっておいたんだね。お手製の壺だからこそできるトリックかぁ。壺が焼き上がったら宝石を詰めて……別に用意した底蓋そこぶたを、後からろう粘土ねんどで接着したってところかな?」


「根っこが大事……おじいさまの言葉は、ヒントになっていたのですね」


 シトラスも目を見張りながら、納得したように息をつく。


「大きな実りをもたらす、根。それは壺の底に宝石を隠していたことを示していたんですわ。どれも大粒の宝石ばかり……しかるべきところで鑑定してもらえば、大変な価値になるでしょうね」


 若旦那の顔は、べしょべしょにぬれていた。かすれた声が大きく開いた口の奥から通り抜けるだけで、もはやまともな言葉にもなっていなかった。

 しかし、なにも言わなくても彼の感謝の意はよく伝わった。ぼろぼろと宝石のようにこぼれる涙が、すべてを物語っていたのだから。


 かくして、ウォルタの街の広場で起きた『大いなる富をもたらす壺事件』は無事解決するに至ったのである。三人の探偵たちや、この僕を退しりぞいて……ヘリオス探偵事務所きっての最年少の、見習い探偵くんのお手柄によって――。

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