大いなる富をもたらす壺事件Ⅰ

「わ、わかりました。そこまでおっしゃるのならば、ぼくも腹をくくりましょう。あなたがたに……お願いしてみます」


 情けなく眉を寄せたままではあったが、若旦那はフンスと鼻息を立てる。彼は改めて、僕たちや広場に集まった人々に向かい、自らの事情を語った。


「こちらのおじょうさんがたには、すでにお話したのですが……ぼくの家は古くから骨董商を営んでおります。東通りにある青い陶器の看板の店――と言えば、きっとおわかりいただけるでしょう」


 骨董品なんて値の張る代物、僕にはとんと無縁な世界である。ただ野次馬のなかから「ああ、あの店か」とそこそこ声が上がったので、名の知れた店であることは間違いないようだ。


「先日、長い間、店のちょうを務めていた祖父が亡くなりました。祖父の遺言により、店の後継者にぼくが指名されたのです。……ですが、それをよく思わないものが親族のなかにおりましてね」


「ははぁ、よくある遺産相続の問題ってやつだな」


 わざわざ丁寧に言い直すシルバーに、若旦那も律儀りちぎに「ええ……」とうなずいた。


「もともと、その人たちは祖父が体調を崩す前から、だいぶ店の金をよそにつぎ込んでいたらしいんです。まさか祖父の店に借金があったとは、ぼくも思いませんでした。

 おまけに、ぼくへの当てつけでしょう。金目になりそうな商品は、昨晩のうちにすべて持って逃げられてしまって――」


 今日がその、店の借金の返済日のようだ。

 要するに祖父から店を継いだはいいものの、身内の裏切りに遭い、店に金がまったくないにも関わらず……なにがなんでも、今日中に大金を工面くめんしなければならない、ということだ。


 そのために、探偵に助けを求めにきたのだという。


「お願いします、ぼくにはお金が必要なんです!」

「ちょいと待ってくれ。探偵は金貸しとはちがうぜ?」


 いつも調子のいいことばかり口にするシルバーも、さすがに顔を渋くしかめている。


「それともなんだ、いまからあんたを裏切ったその身内とやらを探して、金目のものを取り返してほしいとか? たった一日で? そりゃあんまりにも……不可能ってやつだ」


 探偵の仕事は事件を解決すること。なんでも屋扱いされるのは常として、けして魔法使いではない。

 僕もシルバーの意見に同意して、うなずく。その時、メイラが苦言を漏らすシルバーを横からたしなめた。「ここからが肝心なのよ。いいから黙って聞きなさい」と。


「そこで、この壺が登場するのです!」

「壺?」


 その場にいた全員が首を傾げたことだろう。

 若旦那は持っていた壺を天高く掲げた。彼と最初に出会ったころから、ずーっと肌身離さず大切に抱えていた、あの壺である。


「祖父がぼくに残してくれた壺です!」


 大きさは鉢植はちうえサイズの、小柄な壺であった。生成きなり色の素朴な地に、黒茶色の釉薬ゆうやくで絵や模様が描かれている。壺の側面にぐるりと描かれているのは、どうやら樹木をモチーフにした絵らしい。


「ベッドに横たわる祖父は、干からびた唇でぼくにこう告げました。『困ったことがあれば、この壺に頼りなさい。これは大いなる富をもたらす壺だ、きっとおまえの助けになるだろう』と!」


 大いなる富をもたらす壺。

 掲げられた壺に、大勢の視線がきらめいた。ざわざわと場が期待に湧き立つも――案の定、一瞬のことであったが。


「おーいなる富をもたらす壺ねぇ。どう見てもボクの目には、ぱっとしない地味な壺にしか見えませんけれど」


 ロイが正直な感想を述べる。壺を前に、この場にいるほとんどの人間が彼とおなじことを思ったにちがいない。


「大げさな名前のわりには……特別、値の張る壺には見えないがなぁ」

「やっぱりあれかしら。有名な芸術家がつくったとか、もしくは歴史的な価値がある逸品いっぴんだったり?」


 そろって壺をしげしげ見つめる、メイラとシルバー。その二人に、若旦那は悲しく首を振った。残念ながら、すでにその手の鑑定人かんていにんに見せたところ、壺そのものに高価な値打ちはないようだ。


「というのも、しごく納得なんですが――じつはこの壺をつくって焼いたのは、祖父本人なのです」


「はぁ、オリジナル作品……」


「ええ、祖父は若い頃に陶芸とうげい窯場かまばで働いていたようでして――」


 もっとも、職人としての腕は大してなかったようです。

 と、若旦那はテヘヘと恥ずかしそうに笑った。ずいぶんのんきな様子に、今日付けの支払いの借金があるんだろうと、僕がつっ込んでやりたかった。


「どう見ますか、ハロウさん?」

「うーん……」


 ロイに尋ねられ、僕は正直にうなった。「お店の借金をチャラにできると思います? あんな壺一つで」という問いに首を振りたくなったが、ひとまず気になった部分を指さしておく。


「……壺に描かれている樹木の絵はなんだろう」

「リンゴの木らしいわ」


 疑問に、マリーナが答える。姉のメイラとともにある程度先の事情を知っているため、彼女が代わりに説明してくれた。


「壺の側面にぐるっと描かれているのは、リンゴの木々なの。ほら、生い茂る枝葉のなかにいくつもの丸い模様があるでしょ?

 あれがリンゴの実。枝葉を支える太い幹に、底の部分には絡み合う根っこの格子模様こうしもよう――壺を残してくれたおじいさんは、きっと富の象徴としてリンゴの木をモチーフに書いたのね」


「なるほど、さすがは俺のマリーナだ!」


 声を高くして、シルバーが僕たち四人のいるほうへ振り向く。彼は年下のマリーナがお気に入りらしく、なにかにつけてキザったらしいモーションを彼女にかけてくる。

 慣れていないのか、震えるまぶたでシルバーは下手なウィンクを投げてきた。一方でそれを、マリーナがぎこちない苦笑いで返す。脈がないのは、ご愁傷しゅうしょうさまだ。

 

聡明そうめいな彼女からのヒントを得て、ピンときたぜ。大いなる富をもたらす壺の謎――この探偵シルバー・ロードラインが解いた!」


「なんとっ! それは本当ですか?」


「おう、旦那。この壺はな、じつは巨万の富の在処ありかを示しているんだ。オレの見立てによれば、店の借金なんざでもない……とんでもない遺産だぜ、こいつは」


「ありがとうございます、ありがとうございますっ! ……して、祖父の言う大いなる富とはいったい――」


 感極まって、若旦那は鼻をすする。そんな彼の腕から、シルバーはひょいと壺を奪い取った。ああっと若旦那が声を上げる間もなく、彼は片手で高く掲げた壺を周囲に見せつけながら――こう言った。


「ずばり、果樹園だ」


「かじゅえん……」


「壺自体には価値はない。旦那のおじいさまは、壺に描かれた絵を通して、もっと重要なことを伝えているんだ。『ひそかに果樹園の土地を所有している、それが巨万の富を生み出すだろう』と!」


 ハーハッハと、万年二番手の探偵は大いに笑った。


 野次馬のなかにはシルバーの説を賞賛して手を叩く者もいたけれど、懸命な多数の人々は白けた反応を見せた。

 もちろん、骨董商の若旦那も。


「……で、その果樹園はどこにあるんでしょう?」

「それを探すのが、旦那の役目ってことで――」

「ああもうっ、話にならないわ!」


 今度はメイラが、シルバーの手から壺を奪う。彼女もなにかひらめいたのか、自信たっぷりの笑みを浮かべている。


「絵に着目したのは悪くなかったわね、シルバー。でも、秘密裏に所有している果樹園があるなんて、あまりにもぶっ飛んだおとぎ話だわ。探偵らしく、もっと知的に頭を使いなさいな」


 依頼人さん。

 と、メイラは壺を手に、若旦那に問いかけた。


「あなたのお店、または家……もしくは一族で所有している土地にでもいいわ。ご自分の身近に木があるでしょ、リンゴの木が」


「え、いや……」


「あるでしょう?」


「……いや、ないです」


 メイラはふふっと笑う。「声が小さくって、よく聞こえないわ」と言い、彼女は短く切りそろえた髪を指先にすくって耳にかけた。

 ……なにが探偵だ、聞いてあきれてしまう。僕はシルバーとメイラの二人に気づかれないよう眼鏡を直すふりをして、手の裏でそっと小さな嘆息をついた。

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