秘書のお姉さんⅡ
お茶の葉っぱ、書類に必要な紙束、青黒いインクに、忘れてはならないのが
(大きな街のよいところは──ほしいものがなんだって、ひととおり、そろっていることだ)
多様な店が
コンプリートには、さほど時間はかからなかった。
ちなみに、手伝いをすると自ら調子よく名乗り上げたロイ・ブラウニーであったが、荷物持ちの役は僕に押しつけた。唯一、卵の籠だけは持っていてくれたのだが……それも、いまは僕の片腕にぶら下がっている。
「ちょっと、この店に寄ってもいいですか?」
すぐに戻りますので。
そう言って、ロイは一軒の古びた雑貨屋にいましがた入っていったのだ。僕とシトラスは、少年の用事が終わるのを店の外で待つことにした。
「ハロウさん。夕べのお仕事、かなり大変だったんじゃありません?」
唐突にシトラスから尋ねられて、僕はきょとんとしてしまった。すぐに昨晩の徹夜仕事のことだと察して、首を左右に振って答える。
「いえ、それほど大した仕事じゃありませんよ。ごく普通の書類整理でしたし」
「でも昨日、わたしが事務所から帰る時、手紙の仕分けもされてましたね? あれ、かなりの量がありましたでしょう?」
「ははっ、それはまぁ……」
「事務所もだいぶ有名になりましたもの。あちこちから届く依頼人からのお手紙を読んで、内容を検討……詳細を記録しつつ、一つ一つに丁寧な返事を書くだけでも骨が折れますわ」
事務所に事件の依頼が届くのは、二つのパターンがある。一つは依頼人がじかに事務所の玄関を叩くこと、そしてもう一つは手紙が送られてくることだ。
基本、
「ハロウさんやロイくんには、いつも助けられてばかりです。でも申し訳なくも思いますの、だって本来ならわたしのような裏方の人間の仕事ですから……」
見習いである僕とロイは、もっぱら補佐が仕事だ。それは事務所内で発生する雑用も含まれ、探偵のサポートにつかない時は秘書のシトラスの手伝いにまわっている。
「気にしないでください。むしろ、僕はああいった仕事のほうが好きなんです。自分に、とても向いているとも思っているので」
僕の言葉に偽りはなかった。
探偵の仕事よりも、裏方の事務業のほうがいいに決まっている。だから、つい声を弾ませてしまったのだ。
「あら、そうなんですの?」
シトラスは驚いたように目を見張った。
その反応を見て、僕は少し考える。本来ならばこんな消極的な話、事務所の人間にすべきではないのはわかっている。しかし、教会でシトラスの身の上話を聞いた僕は……やっぱり多少は自分の内面を人にさらけ出したい欲求に駆られたのだ。
(それに彼女は心優しい人だ。これくらいなら受け入れてくれるだろう)
店の窓を覗いて、ロイがまだ店内にいることを確認する。そして僕は「ここだけの話なんですが――」と軽く前置きした上で、こそっとシトラスに打ち明けた。
「やっぱり僕、思うんですよ。自分には探偵は務まらないなって」
「…………」
「目立たない舞台裏の隅っこで、細々と生きているのが性に合っているんです。夕べの件だって、僕が先日、探偵の仕事でやらかしたヘマが発端ですから……」
先週、僕ははじめて、一つの事件を請け負うことになった。見習いとして誰かのサポート役にまわるのではなく、一人の自立した探偵として客から依頼を受けたのだ。
『そろそろ、ハロウくんも表舞台に立つ時が来たんだね』
ほがらかな顔で、探偵事務所の所長が僕にそうおっしゃったのを……よく覚えている。
『これはテストでもある。見習い探偵のロイくんを助手につけて、自分の力でこの難事件を解決してみてくれたまえ』
所長からの言葉に、らしくもなく僕は熱く応えた。その時のことを蒸し返すだけでも、顔が別の意味で熱くなる──となりにシトラスが立っていることを思い出して、僕はごまかすように苦笑った。
「はじめ『誘拐事件だ!』って、依頼人の男性がひどく興奮して迫ってきたんですよ。だから僕もつい取り乱してしまって……普通に人がさらわれたんだと思ったんです。『
「聞きましたわ。実際には人ではなくて、ペットの子猫ちゃんがいなくなってしまったんですよね?」
くすっと、笑うシトラス。僕は少し間を置いてから、正直にこくんとうなずいた。
「それでもちゃんと、身代金を要求する脅迫状は届いていたんでしょう? 依頼人のご自宅のポストに」
「ええ、『下手なことをすると、おまえのかわいいキティを殺すぞ』と書かれた恐ろしい手紙がね。それが余計に僕を勘違いさせたんです、大事な人命がかかっているとばかりね。はじめて担当する事件だったことも重なって、僕はそのまま突っ走って──」
三日間にわたり、犯人との手紙のやり取りが続いた。これがまた子どもの遊びのようで、手紙は依頼人の周囲のあちこちに出没し、僕らを大いに
そんななか、助手のロイが誘拐された子猫を発見したことで、事件は驚くほどあっさり解決してしまった。
「まさか誘拐犯が奥さんだったなんて、想像もつきませんでした」
愛猫キティが発見された場所――それはなんと、依頼人の奥さんの私室であった。
「どうも依頼人が子猫ばかりにかまけるものだから、奥さんは
「まぁ……もしかすると所長も、最初から事件の真相に気づいていたのかもしれませんね」
「そうですね。いま思えば、僕の実力を試すにはもってこいの簡単な事件でしたから」
依頼人が奥さんに謝り、ひとまず夫婦の仲は元の
しかし、僕が見当違いな推理をしていたことに変わりはない。テストはもちろん不合格、僕はいままでどおり見習い探偵として事務所に居座ることになった。
「所長は優しいから『失敗は誰にでもある』と、僕に前向きな言葉をくださったんです。でも、それに真っ向から異を唱えたのが……ギルなんですよ」
僕のやらかしを、あのギル・フォックスは甘く捉えなかった。『運がよかっただけだ。ロイが途中でおまえの間違いに気づいたからいいが、危うく事務所の信用を損なうところだったぞ』と、厳しい口調で彼は僕を
「それで
「そうだったんですか。ギルさんからの命令だったんですね」
「彼はとてもストイックな男です。特に事務所で一番名前が売れている、いわば花形探偵なんですよ。事務所の信用問題に敏感なのは、しごく当然ですよ」
失敗を笑い話にやわらげて、僕は肩をすくめて言った。
ひとしきり吐き出して僕自身もすっきりしたのか、そこで舌が止まってしまった。シトラスのほうも振る話題がないのか、なにも返さず……しばし僕らの間に奇妙な沈黙が漂った。
もしかしてあまりにも情けない吐露に、あきれてしまったのだろうか。心配になって僕がちらりと横目を向ければ、彼女は無表情のまま、頭をやや下へ傾けていた。
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