祈りの後で

「ねぇ。いまのお話、本当に必要でした?」


 となりに座るロイが、僕に問いかけた。

 やっぱり、まだ幼さが残るこの少年にはとても退屈な時間だったようだ。彼はひどくうんざりした顔で、重ったいため息をつく。


 ここは教会のなか。ゆうに三階分はあるであろう突き抜けた建物の高さと、縦に伸びた長方形の空間が広がっている。かなりの大人数だいにんずうを収容するため、木製のベンチがずらりと規則正しく並べられている光景は圧巻である。


 そのベンチから、人々は腰を上げた。いましがた、神聖な祈りの集会が終わったのだ。


 人がまばらに散っていく姿を、僕は眼鏡越しに眺めていた。身をひるがえして帰り出す者もいれば、熱心な信徒は、教会奥にある祭壇さいだんまつられている神の像へさらなる祈りをささげていた。


 また、主婦の井戸端会議よろしく、立ち話に華を咲かせている集団も見られた。フランクなあいさつをした司祭といい、大きな街の教会はけっこう自由な風潮が当たり前なのかもしれない。


 僕とロイは、後方の目立たない席に座っていた。しばし僕がその位置から教会内の様子を観察していると、またしてもとなりからロイのぼやきが耳に入る。


「いまさら古い昔話をしたって、いったいボクらになんの関わりがあるっていうんですか。罪がどうのこう……つまらないお説教なら、もう間に合っていますよ」


 僕はやや遅れて、先程ロイが口にした質問に答えた。


「もちろん、とても重要なことだとも」


 つとめて明るく振る舞って、この年下の少年のがっつり傾いてしまったご機嫌をなだめた。


「ずっとおとなしく座ってなきゃならないのは、さぞかし、こたえたかもしれないけれど……悪くない体験だったろう? 人が神さまを信じて祈る気持ち、君もちょっとはわかったんじゃないかな?」


「……いいえ、やっぱり理解不能です。ありもしないものに、すがりつこうなんて気持ちは一生かかったってわかりませんよ」


「ははっ……それは残念だ。本当に、まったく勉強にもならなかった?」


 苦笑う僕が尋ねてみると、こっちの質問には多少引っかかるものがあったらしい。ロイは口元に手を当てて「まぁ少しは勉強になりましたよ、少しはね」と小生意気に返してきた。


「知らないことをいくつか知れた程度には、ですが」


「なら、十分収穫はあったじゃないか。なんでも知っておいて損はないよ、ロイくん」


「うーん、そうですけど……」


「――それと、司祭さまのお話にも出てきた『十数年前の争いごと』については、僕たち探偵事務所の仕事にもそれなりに関わりがあるしね」


 最後につけ加えた言葉に、ロイは眉を吊り上げる。「探偵のお仕事にですか?」と、彼は興味ありそうな……けれども、どこか胡散臭うさんくさそうな目で、僕のことをまじまじと見つめた。


 そんなロイに、僕はまっすぐうなずき返す。


「そう、『イルヘイヤー島の戦い』ね。その頃、君はまだ赤ちゃんだったかもしれないけれど――」


 子ども扱いするような言いまわしが、お気に召さなかったらしい。とたんに、ジト目で睨まれてしまった。僕は気にせず、横槍が入らないうちにさっさと自分の話を続けていく。


「僕らの国イルイリスと、隣国のゴルドネール。この両国は長い年月としつき、島の領地を巡って争いをくり返してきた歴史があってね。現在は、争いは一時中断している状況にあるんだけれど、最後に起きた小さな島での戦闘を機に、この国の治安はぐっと悪くなったと言われているんだ」


「その話、耳にしたことありますよ。イカれた殺人事件なんかが急に増えだしたとか、なんとか」


「そう。その原因は……あくまで噂でしかないのだけれど、戦地からの帰還兵がどうこうだの、敵国の人間がひそかに紛れ込んでいるだの……まぁ、いろいろとささやかれているんだよ」


 言葉を曖昧に濁し、僕は目を逸らすかのように視線を祭壇のほうへ向けた。向こうでは、集会であいさつをしていた司祭の老人の姿があった。

 おじぎをする信徒に、司祭はニコニコ笑いかけている。かなり老いているが、人当たりのよさそうな人だ。祈りの集会と言えば、もっと厳かな雰囲気が漂っていた覚えがあったが、ひとえにこの司祭のお人柄が影響しているようだ。


「なるほど、ハロウさんはこう言いたいんですね?」


 声のトーンを一つ上げた少年に、僕はまた視線を戻す。彼の目元を覗くと、その丸い瞳は純粋無垢に輝いていた。


「凶悪な犯罪が増えているってことは――それすなわち、ボクら探偵の出番ってことですね!」


 単純な子どもだ。ロイの不機嫌が取れたことに、僕は内心ほっとする。「そういうこと」と、そのまま彼に相づちを打った。


「本当はなんにも起きずに、探偵の出番なんて永遠に来ないほうがいいんだけどね」


「まーた、そういう後ろ向きなことを言う。ハロウさん、そんなことばっかり言っているから、巡ってきたチャンスをみすみす逃がしちゃうんですよ」


「僕は本当のことを言っているだけだよ。……でも、現実はおとぎ話のように単純じゃないね。最悪なことをしたからといって、必ずしも神さまがきれいにっしてくれるとは限らないんだから」


 僕は後頭部をベンチの背に乗せ、天井を仰いだ。

 これはどこの教会にも共通していることだが、教会の天井には決まって、ある飾りつけが施されている。それは絵であったり、吊り下げられた装飾品であったり……ウォルタの街のイーリス教会の場合は、豪勢に巨大なシャンデリアときた。


(神の目……か)


 そう、イーリス教が信仰している『神の目』というやつである。

 蝋燭ろうそくが囲うシャンデリアの鉄の輪、そのなかに色ガラスの欠片が雫のように吊るされている。真下から見上げないとわからない仕掛けだ、色ガラスがモザイク模様となって目の形を作り出していた。


「罪を犯したくせに、うまく人の目をあざむいて逃げまわっている卑怯者もいるんだ。不条理で、理不尽な世のなかとはいえ、誠実な人々だけは苦しまないよう……誰かがきちんと真実を見つけて正してあげなくっちゃね……」


 じゃないと、みんな不安だろうし。

 と、まぶたを閉じて、僕は神の目を視界から消した。


「となりの国との争いが一時止まっているとはいえ、いつなんどき、戦火が降りかかってくるかもわからないんだ。だからこうして……腰低く、すがってでも、神に祈りをささげるんだよ」


 いい感じに話をまとめたつもりだった。しかし「ふーん、要は人の悩みはどこまでも尽きないってことですね」と、少年のあっけらかんとした言いぐさに、台なしにされてしまった。


 僕はもう、それ以上なにも言わなかった。やっぱり子どもにはまだわからないのだろうと、あきらめることにした。


(集会自体はよかったんだけどな。司祭さまの話もわかりやすかったし……でも、この教会という厳かな空気が、いまの若い人たちの肌に合わないんだな)


 ベンチから立つ前に、僕はもう一度教会のなかを観察する。


 ウォルタの街は人がたくさん集まるだけに、教会の規模も大きい。頑丈な石造りの建物に、祭壇から左右一列ずつ並ぶベンチの数も特に多く感じた。


 ステンドグラスの窓や、植物を模した石の彫刻など、至る所で繊細な意匠をらした装飾が目につく。祭壇にたたずむ神の像も、おそらくいままで見てきたなかでも特別大きなサイズだった。


 正面の祭壇――蝋燭の火に照らされた神の像の前で、人々は祈りをささげる。

 やはり年配者が目につくが、まれに親と一緒に小さな子どももまじっていた。祈りの意味もわからず、ただ言われたとおりに周囲のまねごとをしている様子が、僕にはほほ笑ましく映った。

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