Chapter 02

司祭さまのありがたいお話

 えやぁー、これはどうもお集まりの信徒のみなさん。

 大変、お久しぶりでございます。

 第二十四教区を担当しております――司祭です、はい。


 本日は祈りの集会のために、ここウォルタの街のイーリス教会まで足をお運びいただき感謝いたします。


 えー、だいぶ朝の風が暖かくなってまいりました。

 わたくし、先々月の冬場より体調を崩しておりまして……長らくとこに伏せってました。

 ご覧のとおり、年老いた身です。歩くたびに関節もギシギシと痛み……頭の毛もほら、すっかりさびしくなってしまいました。


 ――なもので、ここのところの教会のお仕事は、副司祭やほかの者たちに任せっきりでした。

 季節の変わり目を経て、このたび、ようやく復帰が叶いました。こうしてみなさんの前に再び元気な姿を見せることができて……わたくしも、とてもうれしく思います。


 これも、我らがとうとぶ神のご加護でしょう。

 毎日、横たわるとこの上から祈りをささげて、それが天に通じたにちがいありません。


 老い先短い体です。

 ですが、この命果てる時まで、わたくしは神に遣える者としての、その役目をまっとうしたいと存じます。


 ゴフッ……少しながーくしゃべっただけでも、もう喉の奥がカラカラになってしまいますのう。

 ま、こんなふうにあまり長い時間しゃべれませんし、時々かすれ声で聞き取りづらい部分もあるかと思いますが……どうかご容赦ようしゃのほど、しばしの間お付き合いください。


 さぁて、久しぶりの集会のあいさつです。

 なんのお話からはじめましょうか……。


 今朝、庭の雌鶏めんどりえさをやりながら考えていたのですが……ここはいま一度、信徒のみなさんと一緒に、初心に帰るようなお話をしていきたいと思います。


 そうですな。

 まずはみなさんの祖国である――このイルイリス国についてお話しましょう。


 教典をお持ちの方は、第一章のページをお開きください。

 ちなみに、いまさらですが、わたくし……おごそかに、重々しい口調で語るのが苦手でございます。そこにいる、ちいちゃなおじょうちゃんも眠くなってしまいますでしょう?

 どうかみなさん、肩の力を張らずに楽な姿勢でお聞きください。


 そのほうが、わたくしも緊張せずに語れますので。

 ――では、えー……ゲフン、エッフン。


 今日この穏やかな日に、教会へお集まりいただきました信徒のみなさんに、一つお尋ねします。


 みなさんは、『海』を見たことがありますか?


 ここウォルタの街は、内陸の地域に当たります。この土地をまだ一歩も離れたことがないという方には、なかなか『海』なるものの想像がつきにくいかもしれませんね。

 

 そんな方々にできるだけ、わかりやすく説明しますと……そうですな、このウォルタの街には大きな河が流れていますね? 山地からまっすぐ、地平の彼方へ流れる水の線――その河をずーっと下っていった先にある終着点が、海なのです。


 海とは世界の陸地を囲む、ちた塩辛い水のこと。

 わたくしも若い頃に、あちこちの教区へ移りゆくさなかに海の景色を拝見しました。それはそれは壮大な風景でして……本当に世界をどっぷり青黒い水で満たしているのだなぁと、はじめて見たときはえらく興奮しましたよ、はははっ。


 わたくしたちは、その海に囲まれた大きな島のなかにいます。

 ……残念ながら、島自体にはまだ統一された名がございません。ですが、その島の半分ほどを治めているのが、我らがイルイリスの国というわけです。


 教典にも書かれてますが、はるか遠い時代には島に国境も垣根もなく、ただ人々が平和に暮らしておりました。

 島は『神に与えられた楽園』と呼ばれていました。温暖な気候に、肥沃的ひよくてきな大地、よい潮の流れのもと海産物にも恵まれ……牛や羊やそのほかの動物も含め、たくさんの命が育まれていったそうな。


 けれども、そんな幸福な土地を奪わんと、やがて海の外から蛮族ばんぞくどもが侵略にやってきたのです。


 話は少し逸れますが、『イルイリス』という国の名の……その言葉の意味を、みなさんは存じておりますか?

 はい、わかる方はお手を挙げて――ああ、やはり聞くまでもありませんね。ほとんどの方が、よぉくご存じでいらっしゃる。


『イル』は、古い言葉で『神さま』という意味です。

 我らが祈りをささげる、神のことを示しております。


 では『イリス』は?

 それは、イーリス教の名前の元にもなっている、ある体の部位を指しています。


 ――そう、瞳です。

 簡単に言えば、目のことです。


『イルイリス』という国の名は、『神さまの目』を意味しているのです。


 この目ですよ、目。

 ぐいっと、こう……あたたっ! 無理やり引っぱったもんで、まぶたが引っくり返りそうになりました。こりゃ失礼……ゲフン。


『神から与えられし楽園の民は、毎日毎夜、神の目によって護られる』

 古くから島に住む民たちはその言い伝えを守り、神の目をまつっておりました。


 教典にも、こんなことが書かれていますね。

 

 天ノ星ゴトク、神ノ目マタタク。

 我ラ目ニ護ラレ、生カサレ、許サレル。

 生キルコトハ、罪ヲ重ネルコト――悪シキヲ招ク。

 神ノ目ニ、スベテノ罪ハ浄化サレル。

 我ラハ解放サレルノダ。


 ……歴史のほうへ話を戻しましょう。

 大海原からやってきた蛮族どもを相手に、島の民たちは勇ましく戦いました。それまで争いごととは無縁の生活でしたが、彼らには……そう、神の目のご加護がついていたのです!


 信仰心は、時に未知の力を我々に与えてくれるものです。

 向かってくる敵をこう――握りしめた槍でエイヤッと、ひと突き! 受ける痛みもなんのその! バッタンバッタン、すべてを倒して、やいやいまいったかぁ!


 こんのぉ……あっ、イタタ! こ、腰を痛めて――すまん、誰か杖を……あと、そこにある水のびんを一緒に……!


 ゴクゴクッ……ふぅ。

 いやいや、みなさんどうも、お見苦しいところを見せてしまい大変申し訳ありませんでした。ははは……。


 ……それでえーっと、どこまでお話ししましたかな?

 ああ、そうそう! 神の目のことでしたな。


 時が流れ、外界からの侵略に対抗するためにも、島の民たちによる国づくりがはじまりました。神の信仰をもとに、民族の結束力を高めていって――その精神が我がイルイリス国のいしずえとなったのです。


 真逆に、島の外からの力に打ちのめされてしまった者もおりました。神の信仰から離れ、新しい力に魅入みいられてしまった者――それが隣国のゴルドネールを含めた、諸国らの祖先と言われてます。


 以降、特にイルイリス国とゴルドネール国は、島内しまないで戦いを重ねてきました。

 みなさんの記憶にもあるでしょう。あの十数年前の争い――イルヘイヤー島での戦いを。それを最後に、両国は現在休戦状態になりましたが、またいつ国内に戦火が降りかかってもおかしくありません。


 昨今ではまた、その緊迫した情勢下を暗示するように不穏なニュースが増えてきました。なにやら物騒ぶっそうな事件ばかりが頻発ひんぱつしているようです。

 主に……殺人事件など。人々の恐怖心をあおり立てる新聞はきませんが、じっさい、話題の種は尽きないようです。田舎の農場で一家が惨殺ざんさつされたり、街なかで突然人を襲う通り魔が現れたりなど……世も末でありますね。


 休戦直後の当時から、いろいろなうわさが立ったものです。戦地からの帰還兵が荒れているのではないか、隣国の人間がまぎれ込んで悪さをしているのではないか、と。いまも、人々のなかで疑心と偏見の闇が晴れることはありません……。


 お集まりのみなさんを、暗い気持ちにさせてすみません。

 そんな暗い世のなかだからこそ、わたくしいま一度、遠い祖先にならって神への信仰を大切にしてほしいと思っております。


 ――さぁ心を落ち着かせて、祈りをささげましょう。


 神は常に、わたくしたちのことを見てくださっています。それはもう、大昔からずーっと唯一変わらないことわりです。


 重い不安のかせに囚われてばかりでは、前へ進むことも叶いません。みな、心に弱さを抱えている臆病な人間なのです。ご自身の目をいったん閉じられて、心を穏やかに……神の目だけを感じてください。


 もう一度、教典よりイーリス教の教えを引用いたしましょう。こちらは古い言葉ではなく、新語に訳されております。


 生きとし生けるすべての者たちよ。

 生きるということは罪深き行為なり。

 生のなかで重なる己の罪が、悪しきものを招く。

 罪を浄化できるのは、神の目のみ。

 迷える者よ、神に祈りをささげたまえ。

 さすれば、忌まわしい恐れからも解放されるであろう。


 ……ふぅ、長々と失礼いたしました。

 それでは信徒のみなさん、お祈りの時間に入ります。


 いまこのひと時、神に祈りを――。

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