公園での語らいⅢ

 ――ゴオォンッ! ゴオォォンッ!


「!」


 突然の大音響に、脳がゆさぶられた。

 天国からの鐘の音か。はるか天上より響き渡った轟音は、僕を安らかな眠りから強引に目覚めさせた。


「うわっ、すごい音!」

「…………」


 となりで、ロイが耳を押さえている。彼が見上げている角度へ、僕も顔を向けてみると……慌ただしく鳥が飛び立った並木の向こうに、石造りの建物が見えた。


 教会だ。

 塔部でゆれる巨大な鐘から視線を落として、僕は教会の門を見やる。ぞろぞろと歩く、黒いケープを肩にまとった人々の姿が目に入った。


「……そうか、今日は祈りの集会がある日だったか」

「集会って?」


 きょとんと、ロイが尋ねてくる。僕はしごく簡単に「月に何度か教会で開かれる行事でね、大勢で集まって神さまへ祈りをささげるんだよ」と説明した。


「それと、教会にいる司祭さまのお話を聞くんだ。内容は……その時さまざまだけれど、主に教典や神話の話、それからこの国の歴史とか、いろんなことを話してくれるよ」


「ふーん、つまんなさそう」


 少年はひどく間延びした声で返してきた。興味ありませんとばかりに、彼は顔を背ける。

 僕はまじまじと、ロイの顔を見つめてしまった。聞けばこの少年、生まれてこのかた教会へ足を運んだことも、神さまへお祈りしたこともないらしい。


「その退屈な行事のために、みんなああやってワイワイ集まっているんですか? 変わっているなぁ……」


「こら、そんなふうに言うんじゃないよ。イーリス教会は、この国――イルイリス国にとっても、文化的に深く関わりのある国教なのだから」


「へぇ、そうなんだ」


「そうなんだ……て、一応常識だよ。とにかく失礼な物言いは外で口にしないこと。いいね?」


 ロイは「ハーイ」と半分すねたような、気だるげな返事をした。世間を知らない少年の、その怖いもの知らずな態度に、僕は小さくため息をついた。


 とはいえ、教会ことイーリス教――すなわち神の教義に興味を示さない彼の気持ちもわからなくない。じっさいに、昨今の若者は信仰心が薄いと世間で嘆かれているし……目の前の並木道を、黒いケープを羽織って歩いているのは年配者が目立っている。


(もう若い世代の間じゃ、神に祈りをささげるのは時代遅れの習わしだと思われているからなぁ……)


 そうなった背景には隣国との抗争や、世間を脅かす凶悪な犯罪といった暗いニュースが関わっている。人々は新聞という媒体を通じて、不穏な空気を共有した。新聞も人々の暗い気持ちに応えるように、日に日に刺激的な記事を紙面に飾っていくのであった。

 

 共通の恐怖心を前に、一方は神にすがった。祈ることで、信仰心をより高めていったのだ。

 そしてもう一方は……より現実的になって、神から離れていったのであった。


「ねぇねぇ、ハロウさん」


 シャツの袖を引っぱられる。「なに?」とやや声のトーンを落として僕は振り向いたが、少年はまたあどけない表情に戻って尋ねてきた。


「ハロウさんに聞きたいことがあったのを、ボク、すっかり忘れていました。ほら、孤児院の話で――」


「……ロイくん。それはもう『なし』にしようってことに、したんじゃなかったかな?」


「一つだけ。それだけ聞いたら、もうこれっきり……絶対に話題には出しませんから」


「…………」


 ここで冷たくあしらわないあたり、僕も甘いというか、意志が弱いというか。『だから、おまえは人にめられるんだ』と、心のどこかでギルのあざける声が聞こえた気がした。


「聞いてもいいですか?」

「……いいよ。それで、なんだい? 僕に聞きたいことっていうのは」

「エヘヘ。ねぇ、ハロウさんて――」


 少年は無邪気な顔で、この僕に問うた。


「――神さまを信じていますか?」


 再び、僕の脳裏に、孤児院で過ごした懐かしい日々の情景が浮かんだ。毎日、毎日……小さな礼拝堂に集まっては、みんなで神への祈りをささげた。


 平穏な日々は遠のき、一番間近な記憶が差し込まれた。それは僕が孤児院で過ごした最後の日――最も印象的な情景である。

 ……仰向あおむけになって見上げた逆さまの神の偶像は、冷たい石の顔をしていた。その向こうにある――祭壇さいだんの壁に埋め込まれた色彩豊かなガラスの絵。水気にぼやけた視界のなかで、キラキラと反射していたが……じつに無機質な輝きであった。


「ハロウさん?」

「…………」

「ハロウさんってば。ボクの話、ちゃんと聞いている?」


 僕は、我に返った。見上げてくるロイと視線をかわしてから「……聞いているよ」と、ぼんやり答えた。


「ごめんね。昨日徹夜して、まだ少し眠いから……ぼーっとしてただけ。とにかく、そういった質問はここでしないほうがいいよ」


 教会へ向かう人たちの耳に入らないよう、僕は少年にこそっと小声で言う。


「神さまがいるか、いないか……なんて、問いかけはね」


「それ、答えになってないですよ。ボクはハロウさんに聞きたいんです。孤児院って、その多くが教会によって管理されているんでしょう? だから、その……どうなのかなーって」


「聞いてどうするんだい? 君のほうは『まるっきり信じていない』って断言しそうだけれど」


 こずるい気もするが、僕は話の中心を自分から逸らして、うまいことロイのほうへと振った。まんまと引っかかった少年は「うーん」とうなり声を上げる。そして、しばし間を置いてから小さな口を開いた。


「そうですね。神さまのお話自体は、ボクがまだ幼い頃に……それなりには耳にしたことはあります。ですが、これまで『神の奇跡』といったような特別にイイことが起こった試しはありませんし……逆に、ちょっと悪いことをしてもこっぴどい目に、遭ったり、遭わなかったり……」


「苦労しているんだね、君も」


「ふふっ、それなりには。……だから、あんな在りもしないものにすがりつく理由が、ボクにはいまひとつピンと来ないんですよ」


 きっぱり言ったロイに、僕は「そうか」とだけ返事を添えておいた。まだ肝心の、彼からの質問に真面目に答えてはいなかったが――僕はごまかすように、視線をポケットの時計へと落とす。


 時刻は、午前の九時を過ぎていた。

 またロイがなにかしゃべり出す前に、僕はすっとベンチから立ち上がった。


「だったら、物は試しだ。これから二人で神さまにお祈りしていこうか」


 僕の言葉に、ロイが「はい?」とすっとんきょうな声を上げる。目を丸くする彼を見て、今度は僕のほうが子どもっぽく片目をつむってみせた。


「教会の集会に僕らも参加してみようよ。大丈夫、あそこは基本来る者拒まずの姿勢で、誰にでも門をひらいているから。まぁ、多少の小銭くらいは、募金としてせびられるかもしれないけれど」


「い、いいですよ、ボクは! そういう堅苦しいの、すっごく苦手なんですから!」


 逃げ出そうとするロイの肩を、僕の手がつかむ。詮索好きの少年に対するちょっとした仕返しのつもりで、僕はにっこりと笑った。


「ロイくんだって、立派な探偵になりたいんだろう?」


「むぅ、それは……」


「だったら、もう少し世のなかのことを勉強しなくちゃね。自分の興味のあることだけを求めて、返って視野を狭くしていたらもったいないよ――まだまだ、君は若いんだし」


 そう言って、僕はロイの腕を取った。苦い顔をする少年を半ば引きずるようにして、目の前の人の流れへまじっていく。

 周囲と足並みをそろえて、街の高台にあるイーリス教会へと向かった。

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