公園での語らいⅠ
客が増えてきたので、僕らは軽食屋を後にすることにした。
そのまま、探偵事務所へ戻ってもよかった。けれど、ロイの提案でもうしばらく外をふらつくことにしたのだ。
(僕らはまだ『見習い探偵』だからな。これが昇格して、一人前の探偵と認められれば……否応なしに事件に追われることになるんだろうけれど)
見習い探偵の役目は、補佐だ。主に探偵の助手となって聞き込みなどの手伝いをしたり、時には事務所の雑務の片付けにまわされることもある。一方で探偵の仕事は、迷える子羊たる依頼人の担当に就いて、持ち込まれた事件の解決に専念することだ。
(僕としては見習いの仕事のほうが、自分の
僕は
いまこうしてロイと一緒に通りを歩いている時でさえ、つまらない心配ごとにヒヤヒヤしている。人と肩がぶつからないか、うっかり足を踏んでしまわないか……向かいから歩いてくる通行人とうっかり視線が交差すれば、すぐにさっと、自身の赤みがかった瞳を足元へ伏せた。
(鋭い観察眼や、特別な能力があるわけでもない。依頼人だって、僕のような
叶うことなら、このままずーっと見習い探偵でいたい。
己の存在を陰のなかにひそませて……ギルでもロイでもいい、誰かほかの――才と未来のある人間の手伝いに勤しむだけで、僕はもう十分に満足なのである。
「ギルさんばっかり、ずるいよう」
歩いている横で、ロイが恨めしくうなる。
「このミルク農場の牛さん盗難事件は、ボクが近隣の住人から情報を集めに集めまくったからこそ、解決できた事件じゃないか。だのに、まるで自分一人の手柄のようにしちゃって……」
ロイは道中で購入した、今朝の新聞に噛みついていた。
歩きながら読むのは危ないと、僕が何度注意したって、この年若き少年は聞く耳を持ってくれない。しょうがないから、僕がうまいこと彼の歩みを誘導しつつ、通りを抜けさせた。
そして街の公園へと、紙とにらめっこを続ける少年を引っぱっていった。背の高い針葉樹の並木道のそば、適当な空きベンチを見つけると僕らはそこに並んで腰掛けた。
「…………」
座って、息をついて……僕はズボンのポケットから取り出した
(幸い、特別急ぎの仕事もない。このベンチでひと眠りして……いい頃合いに、ロイくんに起こしてもらおう)
あくびを片手で押さえる。まぶたを落とそうとしたその時、ガサガサッと紙の擦れる音とともに、僕の視界が灰色の紙面に覆われた。
「ハロウさんも見て、この部分」
ロイが僕に新聞を見せてくる。「この部分です。新聞社からのインタビューで、ギルさんがこんなことを言っていますよ」と彼が指さす文章を、僕は半目で読み上げた。
『私、ギル・フォックスが、探偵として数々の難事件を解決することができたのは、ひとえにこの――特別な
虚偽を暴き、真実のみを映す――我が
読み上げて、僕は吹き出すように笑った。
「なんとまぁ、気取った台詞だこと」
「でしょう?」
しかめ
……ただし、一方では少し感心もしている。
(そうだ、こういうのが世間に好まれるんだ。暗い事件ばかり続くこの不安定な情勢の下で、人々はもっともわかりやすい
名探偵ギル・フォックス──彼はその役割を見事に演じている。人からの期待に応じつつ、それをうまいこと自己プロデュースとして利用しているのだ。
新聞につづられているギルの輝かしい功績に目を通して……僕はまたほんのり、胸に不安を感じた。そっと、となりにいるロイの顔をうかがってみる。
ロイは僕の少し後くらいに、探偵事務所の仲間入りをした。だから、けして長い付き合いとは言えない。けれど見習い探偵同士、僕は彼とはよく行動をともにしている。
とても人懐っこい少年だ。事務所のみんなはもちろん、警戒心の強いこの僕でさえ彼とはすぐ打ち解けることができた。
そんなロイであるが……どうもこの少年、ギルのことはあまり好ましく思っていないらしい。あくまで僕の推測だが、きっと人の注目を一身に集めているところが気に入らないのだろう。
なんだかんだ、まだまだ子どもだ。だから念には念を入れて……僕は再度、軽食屋でのことを口にした。
「たしかに大げさで嘘くさい台詞だけれど、それだけまわりに期待されているってことさ。……だからさ、そんなギルがまさかみすぼらしい孤児院の出身だとわかったら、きっと彼のファンはがっかりするんじゃないかな?」
蒸し返すようだが、僕は暗に『絶対にギルの過去はしゃべるな』と、ロイに伝えておく。ところが、少年は焦げ茶色の目をパチクリとまばたかせて――こんなことを言った。
「そうですか? ボクは逆に夢があると思いますよ」
「ゆめ?」
聞き返すと「はい」と彼はにっこり笑った。
「若者は、みんな夢を見るものです。生まれとはちがう、なにか輝かしくって唯一の存在に憧れるんですよ。親の家業や古い村の仕事を継ぐことなく、新しい街で、新しい生活をして――新しい自分になるんだ! ……って」
少なくとも、探偵事務所のみなさんはそう言っていましたよ?
と、ロイは僕の顔を覗き込んで言う。僕は脳裏に事務所の顔ぶれを並べて、なるほどとうなずいた。
「たしかに、彼らなら言いそうだ」
「ハロウさんは、自分の夢とかないんですか?」
「夢、ね……」
僕はなんとなしに空を見上げた。空には一面に薄い雲が張っていて、所々に白くて明るいくぼみが見えた。
今度は目を閉じて考えにふけろうとする。しかし、視界が真っ暗になっただけでなんのイメージも湧かない。公園を歩く人たちの会話や足音、風にゆれる並木の葉のざわめき……それから、新聞紙のかさつく音が耳をかすめる。刷りたてのインクの匂いは少し苦手で、僕は眉根を寄せた。
(まったく思いつかないもんだ……)
昔から未来や将来といったものに、僕は
(夢……というわけじゃないけれど。そうだな、一つだけ考えるとしたら……)
願わくば、たった一つだけ――。
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