Chapter 1【最初の日】

見習い探偵たちの朝食

「ハロウさんと、ギルさんて……幼なじみなんですね」


 少年の思いがけないひと言に、僕はむせた。

 まだ、ふた口しか味わっていない玉ねぎのスープ。その器の縁に、指からすり抜けたスプーンが甲高い音を響かせた。


 それは早朝の慌ただしさが引いた、午前八時ごろのことである。僕ことハロウ・オーリンは、夜通し続けていた仕事の山をようやく片づけて、遅めの朝食にありつこうとしていた。


 事務所を出て、なじみの軽食屋に向かったところ、そこで偶然にもばったり仕事仲間の少年と出くわした。これもなにかの縁だ。せっかくだから、おなじテーブルへ誘ったのだが……どうやらこれが失敗だったらしい。


「ゲホッ、ゴホッ……」


 風通しのよいテラス席に座り、店主から焼きたてのパンと温かいスープを受け取ったところまではよかった。


 盛大に咳きこむ僕に、店前を行き交う通行人らのけげんな視線が刺さる。「大丈夫ですかぁ?」と向かいに座る少年がのんびりとした口調で、僕の顔を覗きこんできた。


「だいじょ……ゲホッ。大丈夫だから……」

「はいこれ、そこにあった布巾ふきんです」

「……あ、ありがとう」


 なんとか気管から水気を追いだす。渡された布巾を口元に当てて、しばし呼吸を落ち着かせた。


 パキッと、小気味よい音が僕の耳をかすめる。視線だけ動かしてみれば、丸いテーブルを挟んだ向こう側で、少年がでた腸詰めをおいしそうにかじっていた。


「そんなに驚くことないのに。ボク、変なこと言っちゃいました?」

「…………」


 モグモグと咀嚼そしゃくしながら、少年は不思議そうにつぶやく。まだあどけなさが残る焦げ茶色の目をくりっと動かし、彼は二本目の腸詰めにフォークを突き刺した。


 僕はぐっとため息をこらえる。

 運のいいことに、この時間に軽食屋を利用している客は僕たちだけのようだ。狭い通りを行き来する人の流れが途切れた隙をうかがって、僕は少年に話しかけた。

 二人の間にだけ聞こえるよう、声をごく小さくしぼった。


「どこで耳にしたの、その話」

「うん? どの話ですか?」

「……僕と、あいつのことだよ」


 少年はほおばっていたものを、ごくんと飲みこむ。それから「ああ、ギルさんのことね」と、目をキラリと光らせた。


「昨夜です。ほらハロウさんてば、昨夜から明け方にかけてずーっと探偵事務所で書類整理をしていたって、さっき僕に愚痴ぐちってたでしょう? 例のごとく、ギルさんに雑用全部押しつけられて」


「……押しつけられてなんかないよ。たしかに、片づけた仕事のなかにはギルから頼まれていたものも混じってはいたさ。けれど今回にかぎっては、この間の仕事でヘマをした僕へのちょっとした罰みたいなものだからね。

 所長にも許可をもらってるし、それに少しでもみんなの役に立てるならばと僕が好んで引き受けているだけさ」


 前向きに説明するも、少年の顔は白けていた。「まーたそうやって、自分から貧乏くじを引くんだから!」と、彼はあきれたように言った。


「だから、ギルさんもどんどん調子に乗ってくるんです。あの人ってば、ほかの探偵さんたちの前でも偉そうにふん反り返っちゃって……おかげで事務所内の空気がギスギスして、やりにくいったらありゃしませんよ!

 ……まっ、新米のボクは文句を言える立場じゃありませんけれど」


 子どもっぽく、彼は唇をとがらせる。まっすぐで毒気を隠さない物言いに、僕もつられて笑ってしまった。


「それで昨夜が──どうしたんだい?」


 さりげなく続きをうながしてみると、少年はとても素直に話してくれた。

 昨夜、事務所の人間が僕を残して全員帰ったあと、彼は一人、道を引き返してきたらしい。なんでも、事務所に忘れ物をしてしまい、取りに戻ってきたとか。


「ハロウさんが居残りして、仕事を片づけていることは知っていましたから、最初は玄関をノックして、なかに入れてもらおうと思ったんです。

 ……でも、きっと戸締まりを忘れちゃったんですね、玄関の扉に鍵がかかってなかったんです」


 少年のこの話に、僕は驚きを隠せなかった。「えっ、本当に? 玄関に鍵はかかってなかったのかい?」と思わず真顔で聞き返した。そんな無用心なこと、僕がするはずがなかったからだ。

 けれども、彼は小さな頭をこくこく縦に振った。


「ええ、鍵はかかってませんでした」

「……そ、そう」


 はっきりと主張する少年に、にわかに信じがたい僕は口をどもらせる。こっそり手を持ち上げ、そっと上着の胸ポケットに指をふれた。

 そこには所長から借りた事務所の鍵が収まっている。ちなみにこちらは予備で、もう一つの鍵は所長自身が所持している。


 動揺が、顔色を通して伝わったのだろう。少年はいたずらっぽくウィンクした。「ここだけの秘密にしておきますよ」と、僕のやらかしを隠すことを約束してくれた。


「それで、その……盗み聞きするつもりはなかったんですが──」


 ひと言、弁解を口にしてから、少年は本題へ移る。

 鍵のかかっていない玄関から、彼は事務所へ忍びこんだ。忘れ物を取ったら、すぐに引き上げるつもりだったらしい。


 ところがそのとき、一階の談話室から人の声が聞こえてきた。僕と、もう一人の誰かとの話し声であった。少年はたまらず気になってしまい、つい談話室の扉の前で耳をそばだててしまったとか……。


「…………」


 話を聞きながら、僕はテーブルの上の干しブドウのパンに手を伸ばす。まだほんのり温かいパンを、適当に小さくちぎって口のなかに放りこんだ。


 ちょっとでも気をまぎらわせたかった。またむせるかもしれないから、スープはいったん避けておく。得意気になってしゃべりたくる少年の口を眺めながら、慎重に脳内の記憶に残る会話と照合していった。


 昨晩の僕と、ギルとの密談を。


「──と、こんなわけです」


 少年の話を聞き終え、僕は「……うん、そんなわけか」とぼんやり応えた。僕の固い表情を見て、「んもう、そんな冷たい顔しないでくださいよ」と少年は茶化すように言った。


「盗み聞きして、ごめんなさい。……でもボクとしては、おかげでおもしろいことが知れちゃいました。ハロウさんが孤児院の出身で、まさかのまさか──ギルさんも、おなじ場所で育った間柄だったなんて」


 エヘヘ、と少年は悪びれる様子もなく、無邪気に笑っていた

 

 少年の名は、ロイ・ブラウニー。

 僕が身を置いている探偵事務所の、同僚の一人である。僕の次に事務所の仲間入りをしたのが彼で、二人ともまだ探偵の見習い期間中だ。


 年齢は十三歳だったか。事務所のなかで最年少ということもなり、まわりから可愛がられている弟分みたいな存在でもある。


(悪い子じゃないんだけれどな……)


 ロイは愛想がよく、礼儀正しい子どもだ。

 ただ時折見せる、年相応の子どもらしい好奇心の強さが、僕の目にはかなり危なっかしく映った。じっさいに、いま彼は僕の過去という要らないトラブルに首を突っこもうとしている。


(まぁ、そのなんでも探りを入れたがる性分が、所長のおっしゃる『探偵の素質』とやらなんだろうけれど)


 もやもやと考えごとをしていると、「ハロウさん?」とロイに名を呼ばれた。我に返ると、彼は僕の皿をじっと見つめていた。


「早く食べないと、パンもスープも冷めちゃいますよ」

「あ、ああ……そうだね」


 少年はすでに、朝食をきれいに平らげたあとであった。

 僕は努めて平静を装い、再びスプーンを手に取る。スープを口に運んでいる間、彼はずっとニコニコ顔でこちらを見つめていた。好奇心旺盛、純粋無垢……その裏表のない幼い笑みが、僕は少々苦手だった。


 ここは一つ、年上のお兄さんとして、きちんと忠告してやらなければ。


 スープを半分ほど減らしたところで、僕は手を止める。らしくもなく、コホンともったいぶった咳払いしたあと、僕は改めてこのロイ少年と向き合った。


「うかつだったのは認めるよ、ロイくん。そうだね、まず最初に訂正してもらいたいことがあるんだけれど……」


「なんです?」


「……僕とギルは、幼なじみなんて関係じゃないよ。ただの顔見知り程度さ」


 できるだけさらっと、感情を乗せずに伝えた。

 案の定、ロイはつまらなさそうに眉を寄せている。


「そんなぁ、仮にもおなじ孤児院でずーっと一緒に過ごしてきた仲なんでしょう? ええっと、なんて言っていましたっけ……なんとかビア孤児院って名前の──」


「──四カ月前、僕は探偵事務所の所長に拾われた」


 うなるロイを無視して、僕は自分の話を進めた。


「それまでの僕はあちこちの街を転々と移動して、日々つまらない銭を稼ぐだけの生活を送っていた。けれど、あの人と出会って言われたんだ、『君には探偵の素質がある』ってね。

 あのときはうれしかったなぁ……もっとも、いまだに見習いのままだし、自分でも本当にそんな才能や素質があるかは疑わしいんだけど。

 そして、はじめて探偵事務所の扉をくぐったときだった。本当にこんな偶然があるものかと、びっくりしてしまったよ。最悪な巡り合わせが、僕に訪れたんだ」


 あいつが──ギル・フォックスがいたのだ。

 と、僕は静かにロイに告げた。


「へぇ、すてきな偶然ですね」


「最初こそ、ぜんぜん気づかなかったんだ。なにせ育った土地を離れて、もう十年以上もの歳月が経っていたからね。向こうから話しかけられて……僕はやっと昔のことを思いだしたんだ」


 いったん玉ねぎのスープをすすって、僕は舌の乾きをうるおした。もう少し塩味を効かせたほうが好みだな、とほんのり思いながら話を続ける。


「ロイくん、あいつは危険な男だ」


「ギルさんがですか?」


「……ああ。開口一番、やつは僕に釘を刺してきたんだよ。『俺の出自を絶対に口外するな。事務所ここでは他人のふりをしていろ』ってね。もし僕がわずかでも、彼を邪魔するような動きを見せようものなら──」


 十分に溜めをつくったのち、僕は少し顎を上げる。

 まじまじと見つめる少年の目の前で、ぴんと立てたひと差し指を自身の首元に当てる。そして指先を真横に振って、喉を掻き切る素振りを見せた。


「──殺してやるぞ、って」


「ひえぇ、過激だなぁ……」


「うん。だから、これは僕からの忠告。昨夜に見聞きしたことはすべて忘れてくれ。もしもうっかり、君の口からやつの情報がれ出したりすれば……そのときが、僕の最期となるだろう」


 つぶらな目を大きく見開いて、「まさか本当に?」とロイは僕に迫る。真剣に尋ねるその姿は、まだまだ子どもであった。


 だから僕もおなじように深刻な顔をつくる。「ああ、ギルのやつならやりかねないよ。だって、彼はこの世で一番野心が強い男だもの」と、低音でささやいた。


(まぁ、そこだけは昔からあまり変わってないんだよな……)


 脳裏に一瞬だけよぎった、懐かしい日々の情景は──心の奥に秘めておくことにしよう。


 僕らが談話していると、テーブルの脇を一人の労働者風の男が横切っていった。朝のひと仕事を終えたといった顔つきだ。男は給仕に適当な注文をつけると、少し離れた席にどかりと腰を落ち着かせた。


 僕はさっと辺りを見まわす。気づけば、裏通りを行き交う人々の姿が増えてきた。店にも徐々に、ほかの客が集いはじめる頃合いだろう。


 バシッと、紙を広げる音が耳をかすめる。見れば、さっきの男が新聞を大きく広げていた。

 今朝、売り出した新聞だろうか? 男の顔が紙の裏に隠れているのをいいことに、僕はその表一面を堂々と眺めた。


「見てごらんよ、あの新聞記事を」


 小声で、ロイにも見るよう促す。今日もまた、大きな文字でデカデカとやつの名前が派手に飾られていた。

『名探偵ギル・フォックス氏、またも事件を解決!』と。


「ギルはいまや、この地域の有名人スターだ。暗い時代における、輝ける一等星なんだよ」


 また、名探偵の活躍をつづった記事の真下には、僕らの探偵事務所の宣伝広告も一緒に掲載されていた。


『依頼求む! お悩みはヘリオス探偵事務所へ──どんな難事件も、すばらしき七人の探偵たちが見事解決いたします』

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