第5話 一番星を見つけたい
お母さんの暢気な調子に私がキレ気味に怒鳴っていた。
だって、死んだら終わりなんだよ。どんなに後悔したって……。
気がついたら号泣していた。お母さんはおろおろと戸惑っているだけだった。
「……娘さんもそう言っていますし、また後日ご主人さんと説明にいらしてください」
若先生の穏やかな口調に母と私も我に返った。
「ええ、分かりました。何でもないことに越したことはありませんし、この子に心配させてもいけませんから」
そう言ってお礼をいって病院を出た。
夕闇からのグラデーションの夜空に星が瞬き始めていた。
「ああ、折角早く帰れたのに夕飯遅くなっちゃったわ」
「……」
私は黙って歩いていく。時折星空を見上げては零れ落ちそうになるものを必死に押し留めようとした。星空が歪んで見えてどれが一番星か分からなかった。
「それに英子。あなた、今日、塾をさぼったわね。駄目よ。しっかり勉強しなくちゃ。女だって学が必要な時代になるんだからね」
「……塾は暫く休むよ。お母さんの調子が良くなったらまた考えるから」
「もう、仕方ないわね。先生に連絡しとかないと」
家に戻るとお父さんも帰ってきていた。
「どうしたんだい。戻ったら、誰もいないからびっくりしちゃったよ」
「ええ、ちょっとね」
「お父さん。お母さんの調子が悪いの。だから病院で診てもらったの」
「え?」
「ちょ、ちょっと英子、お父さんに言わなくてもいいじゃない」
胡麻化そうとするお母さんを押しやってお父さんにそう言った。
「そんなに深刻なのかい? 僕も一緒に聞きにいかないと」
私はお父さんの言葉に頷くと不吉な予言のように伝えた。
「行くことになるよ。命にかかわるから」
「まさかっ、そんな大げさよ」
少し青ざめたお母さんに、私は深刻そうな表情の後、
「なんてね!」
心配そうになるお母さんたちに笑顔を向けておどけて言ってみた。
「もう! いい加減になさい。大人をからかうんじゃありません」
そう言ってお母さんが私の肩を叩いた。
「痛い」
「え? そう、ごめんね。そんなに強く叩いたつもりはなかったけれど」
私は黙って首を左右に振った。
――痛いってことは夢ではなく現実なのかもしれない。もしかして、お母さんの命を救えるの? 本当に?
数日後、やはり腫瘍のような影があるとのことで大きな病院を紹介されてお母さんとお父さんだけ病院の説明を受けた。私は子どもだからと立ち会えなかった。
学校に行くも気もそぞろで、学校が終わると家に飛んで帰った。
お母さんもお仕事は暫くお休みをもらった。
「あら、部活はいいの?」
「うん。挨拶だけしてある。事情も話してあるから」
そう言って入院準備をしている母の手伝いをする。
「まあ、英子も随分と手際が良くなったわね。料理だって……。教えたことなかったのに」
「あ、ああ、ええと家庭科で教わったから」
主婦歴は今のお母さんよりあるかもなんて言えない。
つい手や体が動いてしまっていた。中学生の顔は見慣れないけれど動きはそう変わらない。それに廊下の埃やなんかが気になってつい拭き掃除をしてしまう。
「こんなに家のことができるなら、心配ないわね」
「やだ、お母さん。不吉なことを言わないでよ。元気になってまた家族で旅行とか行こうよ」
そう、結局、あの頃は家族旅行になんて行くことはできなかった。いくつもしていた約束は果たされず、お母さんは……。
「そうね。今度は温泉にゆっくり行きたいわね」
「そんなのだったら、週末行けるよ」
たわいもない会話を楽しみながら、夕食の準備を一緒にする。テレビから懐かしいCМが流れている。
台所の小窓から黄昏の町が見えた。犬を散歩させているご近所さん。家路を急ぐ人たち。
「……帰る家があるっていいよね」
「何おかしなこと言ってるのよ」
お母さんが笑っている。私の隣で、二度となかった風景だった。
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