存在意義
思考を極めていると、必ず考えるであろうことの1つに「生命の存在意義」がある。なぜ私達は生きているのか、なぜ私達には五感があるのか、なぜ私達がいずれ死ぬのか、答えが出ないことを考える人は、そういった生命に関わる疑問についても考えがちだと私は思う。過去に生命の存在意義について考えた時は、自分だけが意識や感情を持ち周りの人はそれらを持たない哲学的ゾンビという考えで行き止まりになったりした。また、死んだら生まれ変わるという宗教でよくある話を参考にして、本当は生命というのは1つしかなく、生まれ変わることでこの世界にあり続けるという何を言っているのか自分でもよく分からないような考えを思い付いたこともあった。
しかし、明確に答えが出ない疑問について考える時、不思議と最初に疑問に思ったこととは関係がないようなことも、枝分かれするように疑問に思える。たとえば、私が生命の存在意義について実際に考えた時、気付けば生命を超えて「宇宙の存在意義」について考えてしまった。だが、これは私が飽き症で生命の存在意義について考えることに飽きたからではない。宇宙の存在意義が生命の存在意義のヒントになるような気がしたからだ。
私がなぜ生命があるのかについて考えると、まず出てきたのが理由なしと神の娯楽の2つ。そして、神は生命が進化したり、食物連鎖を形成したり、人間をはじめとした生命が化学や物理学といった世界の法則を探ったりするのを観て楽しむのか、それとも、制作物の動きを芸術としているようなものがあるように、この世界は生命含めた全てが神の芸術作品であり、神は世界という作品を創って楽しむのか。神の娯楽の中でも、観て楽しむのか創って楽しむのかの2つに分かれた。その2択を決めるヒントこそ、宇宙の存在意義なのだ。
もし宇宙がある理由が、神が1つのとてつもなく長いストーリーを見たいからなら、先ほどの2択の前者と辻褄が合う。そうではなくて、理由は神の芸術作品であるからなら、先ほどの2択の後者と辻褄が合う。だから、宇宙の存在意義を知らないと生命の存在意義も分からない。だからこそ生命の存在意義というのは明確に答えが出ないのだ。
もし他の人が考え、全く違う考えが出たとしても、内容は違えどきっと結局枝分かれするように全く違う疑問も考えてしまうだろう。
哲学という2文字がある。私が先ほどまでしていた存在意義について考えるという行動こそ哲学だと思う。
進路によっては高校や大学で哲学について勉強する人もいるだろう。だが、生命や宇宙の存在意義についての答えは教科書にはきっとない。哲学で勉強するのは、ギリシア哲学や中国哲学で出てくる人々が持つそれぞれの考えで、明確に答えが出ないものは人によって答えが変わる。これは、当たり前の話である。
答えが出ない疑問に答えを出そうとするのは時間の無駄で、考えるなら楽しんだほうがいいという人もいるだろう。確かに、なぜ哲学を学ぶのか知らない人は多い。だが、考えることができるのは生命の中でも一握りだ。ならば、それを酷使してもよいのではないかと思う。だから私は、答えが出ない疑問に答えを求め続ける。
十四回目のリハビリ、悪くない。
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