下位互換の屈辱

 その道のプロというものは必ずいる。プロの中で違うのは、その腕前が努力によるものか生まれつきの才能によるものかだ。

 努力による腕前は、誰でも手に入る。だが生まれつきの才能は、一握りの人間しか手に入らない。その一握りの人間を基準に考えれば、普通の人間はハンディキャップを背負っているのだ。才能を持たない常人はその道を0から歩み始めるが、才能を持つ天才はその道を2か3の辺りから歩み始め、かつ常人とは比べ物にならない速さで成長していくだろう。常人が天才に勝つということは、天才が大した努力をしていないということであり、常人と天才が同じ努力をした場合、勝つのは間違いなく才能を持つ天才である。

 常人が天才を超えたいと思った時、真っ先に行うのは更なる努力。しかしその努力を天才もしていたらどうなる?ドーピングをして天才を追い越す。しかし天才もドーピングしていたらどうなる?天才を精神的もしくは身体的に追い込んで無理やり自分が勝つ。しかし正義は天才にあるのだから結末を訊くまでもないだろう。単純な勝負では、正義が味方するほうが勝ちなのだ。そう、結局常人は天才が努力をやめない限り勝てることはできない。

 そのような格差があるこの世界で、苦痛なのは自分の才能がなかったり見つけていなかったりする者だ。やっと自分の特技を見つけたと思えば、すぐ誰かに追い越されてしまう。丸い自分に杭が出ても、他の者が更に大きく杭を出すのだ。上位互換、下位互換。その道を歩まない常人は、一番大きく杭を出す者の下につく。二番目三番目につく者は、やむを得ずしてそうしているのだろう。


 私は才能が嫌いだ。皆平等であれば良いのにと、よく思う。




 十二回目のリハビリ、手応えは無し。

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