第13話 猫さがし

 翌日、放課後。


 僕はいつものように部室までやってきました。


 部室に入る前、何気なく、向かいの部屋のドアを見ると「占い部相談室」というプレートがついているのに気づきました。


 もう相談用の部屋が確保してありました。


 渡辺さん、仕事、早いなー。


 こういうところは素直に感心します。


 これで、外に放り出されることがなくなったので、僕はひと安心です。


 では、相談者はきてるでしょうか。


 ドキドキしながら、僕が部室のドアを開けると、そこにいたのは――。


 いつものメンバーだけでした。


 相談者はきてませんでした。


 ドアを開けたときのみんなの「きたか」という期待の表情と、僕を見たときの「違った」というがっかりした表情の落差には、思わず笑ってしまいました。


 いや、さすがに相談者はノックくらいするだろ。


 しないのは、部員だと思ってたほうがいいって。


 みんなを見ると、占いの道具を出して、準備万端、といったようすで待機しているので、僕も、部室の壁の金庫からMY水晶玉(佐藤さんからの借り物ですが)を取り出して、待機をします。


 …………。


 部室内は静かです。


 いつもは雑談しているのに、今日は誰も喋りません。


 緊張しすぎだろ、と思ったけど、まあ、初日なので仕方ないか。


 慣れてないもんな。


 そのうち、慣れるだろ、としか言えないよね。


 いつまで続くのかな、こんな状態。


 早く、相談者くるといいな。


 そんなことを考えていたら、ドアがノックされました。


 キターと言わんばかりの表情で、全員がドアのほうを見つめます。


 渡辺さんが一息おいて「どうぞ」と言うと、ドアが開いて、見覚えのある女子が入ってきました。


 部室の中のようすを伺いながら、おっかなびっくりといった感じです。


「あの、占い相談を受け付けてるっていう案内を見て、きたんですけど……」


 入ってきたのは、クラスメイトの吉田さんです。


 以前、コスプレの日のときに、ビキニアーマーを恥ずかしそうに着ていた、バレー部の女子です。


 部活の途中で抜け出してきたのか、バレー部のユニフォームを着ています。


 ちなみにユニフォームは、黒地にピンクのラインが入った、近未来感がするデザインです。


 吉田さんが、部室にいた僕と渡辺さんを見て、言いました。


「二人とも、占い部だったんですね……」


「う、うん。意外だった?」


 僕は、吉田さんに尋ねます。


「橋本くんは意外だったかも。でも、渡辺さんは納得かな。ミステリアスな雰囲気を持ってるし、タロット占いとか趣味にしてそうだし。占い部にいても、ああやっぱり、という感じ」


「タロット占いが趣味だけど?」


 渡辺さんが真顔で答えました。


「え、ホントに? 適当に言ったら、当たっちゃった」


 吉田さんは、嬉しそうな顔をしています。


 渡辺さんが、立ったままの吉田さんに、自分の前の席に座るように促します。


「それで、どんな相談でしょう」


 座った吉田さんに、渡辺さんが質問をします。


 いよいよ、本題です。


「あの、うちで飼っている猫が外に逃げちゃって、見つからないので、大体でいいので、どこにいるのか占って欲しいのですけど」


 なるほど、逃げた猫をさがせばいいわけですね。


「わかりました。占います。それで、どうしますか? 他人に知られたくないようなことがあれば、別室を用意してるので、そちらで詳細を伺うこともできますけど」


 おっ、渡辺さんはソツのない応対をしますね。


 見直しました。


 というか、そんな対応ができるのなら、普段から僕にもしてくださいよ。


 まあ、クラスメイトなんだから、もっとくだけた言い方でもいいと思うけど、すごい、ビジネスライクな話し方です。


 渡辺さん、意外と、秘書とか受付嬢なんかが向いてるんじゃ。


「あっ、そこまでしなくていいです。猫のことなので」


「そうですか。では、詳しい話を聞かせてください」


 渡辺さんはスマホを取り出し、聞いたことを入力して、メモしているようです。


 まとめると、今週の月曜日に、室内飼いの三毛猫がちょっとした隙に逃げてしまって、どこへ行ったのか、わからなくなっているということでした。


「さて……、誰に占ってもらうのが一番いいかしらね」


 渡辺さんが、つぶやきます。


 高橋さんは除外です、占星術なので。


 あとは、渡辺さんのタロットか、僕と佐藤さんの水晶占いのどちらかですね。


「タロットよりは、映像で映る、水晶占いのほうがよさそうね」


 水晶占いに絞られたようです。


 渡辺さんはそう言うと、僕と佐藤さんを交互に見ました。


 どちらにするのか、考えているのでしょう。


「場所をピンポイントで特定する必要があるし、あなたのほうが適任かしら」


 渡辺さんがそう言って、僕を見ました。


「じゃあ、橋本くん、あなたにお願いするわ。彼女の猫がどこにいるか、占ってみて」


 僕に決定したようです。


 これは責任重大ですね、プレッシャーがかかります。


 わからなかったら、占い部は頼りにならないとか、役に立たないとか、言われかねません。


 まあ、吉田さんは、そんなことを言うような人じゃないだろうけど、彼女から話を聞いた誰かが言い出すかもしれないので。


 僕は、吉田さんから、猫の写真を見せてもらって、猫の名前を聞いて、水晶玉に問いかけました。


 しばらくすると、映像が見えてきました。


「あ、映った。エサを食べてるね。これはどこかな?」


 水晶玉には、猫がエサを食べてるところは映っているのですが、場所がわからないので、僕は水晶玉をピンチして、場所を特定します。


 そこが広い駐車場であることがわかりました。


 さらにピンチして、見える範囲を広げると、看板があって『道の駅しちほんぎ』と書いてありました。


 道の駅というのは、二十四時間、誰でも無料で利用できる、公共の駐車場のことです。


 ここからバスで三十分くらいの場所ですね。


 僕は、場所を吉田さんに教えます。


「猫がいるのは、道の駅しちほんぎ、だね。今そこで、誰かがあげたエサを食べてるみたい」


「ええっ! そこまでわかるんですか!」


「この男、バカだけど、占いの実力はそれなりにありますから、占いの結果については信用できるかと思います」


 まーた、渡辺さん、言わなくていい余計なことを言うし。


 吉田さんは苦笑しています。


「先輩の占いは的中率がすごいっすよ。うちの部のエースなんすから」


 いや、そのエースって表現、やめない?


 すごく恥ずかしいんだけど。


 持ち上げてくれるのは嬉しいんだけどさ。


「そうなんですか。えっ、先輩?」


「ああ、彼女、飛び級で入学した子だから。本来は中学生です」


 渡辺さんが説明します。


「すごーい。そういえば、そんな子がいるって聞いたことがある。そーなんだ、あなたが。すごいなー」


 吉田さんは高橋さんを見て、すごいを連呼しています。


 猫のいる場所がわかったので、僕は吉田さんに尋ねます。


「それで、吉田さん、どうする? これから、目的地に行って、捕まえる?」


「ええ。行きます。今、行けば、まだそのあたりにいるだろうし」


 僕は、渡辺さんに言いました。


「あのさ、猫が目的地にいればいいけど、いない場合もあるから、僕も水晶玉を持って、一緒について行きたいんだけど、いいかな? 僕がいれば、その場で占えるしさ」


 彼女が無事、猫を捕まえられないと占った意味がないし、やるからには、最後まで責任を持ってサポートしたいのですが。


 猫さがしを口実にした、吉田さんとのデートを楽しみたいわけではないですからね。


「そうね。いいわ。それが確実ね」


 渡辺さんからの許可が得られたので、僕はほっとします。


 ありがたいことに、目的地までのバス代も吉田さんが負担してくれるそうなので、好意に甘えることにします。


「じゃあ、私、部活にいったん戻って、早退することを伝えてきます。あと、着替えないといけないから、少し時間がかかります。あ、そうだ、猫を入れるためにキャリーバッグも持ってきているんで、教室まで取りに行かないと」


 吉田さんが慌てたようすで言いました。


「それなら、校門前で待ち合わせしようよ。僕も準備ができたら行くから」


 まあ、準備といっても、僕のほうは、MY水晶玉を持っていくだけなんだけど。


「わかりました。校門前ですね。ではよろしくお願いします」


 吉田さんはそう言うと、お辞儀をして部屋を出て行きました。


     ◇


「高橋さん、悪いけど、お目付け役として、こいつと一緒に目的地まで行ってくれるかしら。彼女、きれいな子だし、二人きりになると、こいつ変なことするかもしれないから。バス代は私が出すわ」


 吉田さんがいなくなると、渡辺さんが、びっくりするようなことを言ってきました。


「はあっ? 変なことなんて、するわけないだろ! 僕を信用しろよ!」


 僕が否定しても、渡辺さんは聞く耳を持たず、高橋さんに続けて指示をします。


「もし、こいつが不埒な行為に及ぼうとしたら、殴ってでも、なにをしてもいいから、こいつの蛮行を止めてね」


「了解っす!」


 了解すな!


 正直、勝手にお目付け役をつけられてかなり不満ですが、渡辺さんの性格からして、抗議しても撤回しないだろうから、受け入れるしかありません。


 ふと、佐藤さんを見ると、なんか、しょぼんとした表情をしています。


 もしかして、自分が高橋さんの代わりになりたかったんでしょうか。


「猫が捕まったら、あなたはそのまま帰っていいわよ。部室に戻ってくる必要はないわ」


 渡辺さんがそう言ってきたので、僕は「わかった」と返事をしました。


 あれ、なにか、忘れていることがあるような……。


 ああ、そうだ。


「そういえば僕、渡辺さんの連絡先、知らないんだけど」


「そうね。教えてないから、当然ね」


「……えっと、教えて欲しいんだけど」


「どうしてかしら?」


「だってさ、結果を渡辺さんに報告しないといけないでしょ?」


「明日でいいわよ。明日、部室で詳しい報告をしてちょうだい」


「詳しい報告はそれでいいかもしれないけど、最低限の報告は必要だろ? それに、捕まらないことも考えられるし、不測の事態が起きて、部長である渡辺さんの判断を仰ぐ必要があるかもしれないし」


「じゃあ、高橋さんに伝えてくれるかしら。彼女は私の連絡先、知ってるから、彼女から話を聞くわ」


「いや、そういうわけにはいかないだろ。占ったのは僕だし、引き受けたのも僕だし、人任せなんてしないで、僕が責任を持って、直接、渡辺さんに結果を伝えるよ」


「ええー?」


 渡辺さんはそう言って、イヤそうな顔をしました。


「なに、その『ええー』って? 僕、なんかおかしなこと言ってる?」


 仕事を引き受けた本人が、責任を持ってボスに報告する、ってのはビジネスの世界では当たり前のことだと思うけど。


「だからさ、連絡先、教えてもらわないと」


「変にマジメなのね。あなたに、私の連絡先、知られるのイヤなんだけど」


 それが、本音ということなんでしょうか。


 部長のくせに、部員に公平じゃないって、それ問題だよね?


「ほら、早く。吉田さん、待ってるといけないからさ」


 僕はせっつきます。


「仕方ないわね。じゃあ、普段、使ってない連絡先を――」


「なんでだよ! 普段、使っている連絡先を教えてくれよ! 使ってないのだと無視されるだろ!」


「ええ、そのつもりだけど」


「部員からの報告を堂々と無視しようとすんな!」


「でも、それであなたの承認欲求は満たされるでしょ?」


「承認欲求じゃないっての! 常識だっての!」


 渋る渡辺さんから、ようやく連絡先を教えてもらいました。


 ……やれやれ。


 こうしてみると、フリマのとき、佐藤さんと高橋さんの二人から、連絡先を交換しておいたのは、無駄ではなかったということですね。


 今後、今回みたいに、連絡をとりあうことがあるかもしれないわけだし。


 さて、準備はすんだことだし、待ち合わせの場所へ急いで行くことにしましょう。


 僕は、残る二人に「じゃあ行ってくるよ」と声をかけ、高橋さんと一緒に部室を出ました。


     ◇


 僕たちが校門に行くと、制服に着替えた吉田さんが、キャリーバッグを手にして待っていました。


 まさか、吉田さんよりも遅くなるとは。


 あれっ?


 彼女の足元に黒猫がいます。


 それ、理事長?


「ごめん、遅くなっちゃった」


「私も今、きたとこですから。大丈夫ですよ」


 そう、それならよかったけど。


「あとさ、彼女もついてくることになったんだけど、いいかな? バス代は出す必要ないから」


 僕は、高橋さんがついてくることを吉田さんに伝えます。


「ええ、いいですよ。それから、バスで行くことについてなんですけど、さっき、理事長と出会って、逃げた猫のことを話していたら、理事長がさがすのに協力してくれるそうです。目的地まで、車で送ってくれるって」


「あっ、そうなんだ。それなら最短で着けるね」


 僕がそう言うと、足元にいる理事長が言いました。


「話は聞いたのニャ。占いを使った猫さがしには、興味があるのニャ。私もさがすのを手伝うのニャ」


 確かに、理事長がいれば、人間が入れないような場所にも入っていけるし、それだけ猫を発見できる確率が高くなります。


 でも、生徒の部活動に、経営者である理事長が付き合ってくれるなんて、よほど仕事がヒマなんでしょうか。


 こっちとしては、ありがたいけどさ。


「では、駐車場までくるのニャ。そこで秘書が待機しているのニャ」


 そう言うので、僕たちは校舎の反対側にある、駐車場まで走ります。


 駐車場の出入口近くに、国産の高そうなハイブリッド車がとまっています。


 おお、さすがに、理事長ともなるといい車、乗ってますね。


 運転席にいる秘書の人が、乗ってくださいと言うので、僕たちは車に乗り込みます。


 後部座席には、吉田さんと、理事長を抱いた高橋さんが座ります。


 僕は、場合によっては、猫を追跡するナビ役をしないといけないので、助手席です。


 ということで、僕たちは、急遽、理事長の秘書が運転する車に乗って、目的地まで行くことになりました。


     ◇


 後部座席にいる二人は、意気投合したのか、さっきから大声で喋って、笑ったりしています。


 さっきは、コスプレの日の衣装のことを話していました。


 お互いに、同じ衣装を着ていたことを知って、驚いていたようです。


 車に乗って、もう少しで目的地の道の駅、というところで、高橋さんが聞いてきました。


「先輩、猫って、今もまだ道の駅にいるんすかね?」


「えーと、どうだろ。あれから時間もたっているし、じゃあ、もう一度、占ってみるよ」


 僕は、手の上に水晶玉を乗せて、猫がどこにいるのか、問いかけます。


 隣で運転している秘書の人が、こちらをチラリと見ました。


 …………。


 水晶玉に猫が映りました。


 猫は道の駅ではなくて、雑木林の中にいます。


 いつのまにか移動していたようです。


 僕は水晶玉をピンチ、スワイプして、場所を特定します。


 ここは……、道の駅の近くにある雑木林ですね。


「そんなもので、猫の居場所がわかるのかニャ?」


 理事長が、後ろから覗き込んで聞いてきました。


「ええ、この水晶玉に映像で映るんですよ」


「私には、なんにも見えないのニャ」


「まあ、占う人にしか見えませんから」


 僕は、運転する秘書の人に状況を伝えます。


「猫は移動してます。今は、道の駅の近くにある雑木林の中です。もう道の駅にはいないので、通り過ぎてください」


 車は、道の駅の看板が見えるところまできましたが、僕は通り過ぎるよう、秘書の人に言います。


「次の信号のところで、右に曲がってください」


 僕は秘書の人に、行き先を伝えます。


 ……が、秘書の人からは返事がありません。


 ……?


 聞こえてないのかな。


「次の信号を右なのニャ」


 後部座席にいる理事長が、秘書の人に言いました。


「わかりました」


 秘書の人は、返事をすると、指示通り右折します。


 僕はもう一度、占って、猫を追跡します。


 猫は雑木林を抜けて、交差点を横断しているようです。


「猫はまた移動してます。次は、二つ目の十字路を左です」


 僕は秘書の人に伝えますが、やはり返事はありません。


 ……?


「二つ目の十字路を左ニャ」


 理事長が言うと、秘書の人は「わかりました」と返事して、左折します。


 あれっ?


 もしかして、僕、無視されてる?


 でも、なんで?


 前方には、まわりを塀で囲まれた洋館が見えてきました。


 僕はまた、猫の行き先を占います。


 猫は、洋館一階の少しだけ開いている窓から、中へと入ったようです。


「そこの洋館の前でとめてください。猫は洋館の中に入りました」


 僕がそう言っても、車はとまりません。


 秘書の人からはあいかわらず、返事がありません。


 あっ、このままだと通り過ぎる、と思ったら、理事長が「ここでとめるのニャ」と言いました。


 車は、洋館の門扉を少し過ぎたところでとまりました。


 後部座席にいた高橋さんと吉田さん、理事長は車からおりて、格子状の門扉の前から洋館を眺めています。


 僕は車からおりるとき、気になっていたことを秘書の人に尋ねてみました。


「あの、僕、なんかしました? ずっと無視されてるみたいだったけど」


「気のせいでは?」


 僕と顔を合わせることなく、秘書の人が即答します。


「いやいや、気のせいじゃないですよ。理事長の言うことには従ってるのに、あきらかに、僕の言うことだけ、無視されてます。なんでですか?」


 すると、秘書の人が鋭い目つきで僕をにらみながら、言いました。


「あなたですよね。暴走したアバターロボを捕まえた生徒というのは」


「えっ?」


 突然、そんなことを言われてびっくりしましたが、確かに以前、捕まえたことがあります。


 でも、それが、どうしたんでしょうか?


 あのときは理事長から感謝されたし、なにも問題はないと思うのですが。


「そ、そうですけど。それがなにか?」


 僕は、彼女ににらまれながら、おそるおそる返事をします。


「あの日、理事長からアバターロボが暴走したとの連絡をうけて、私は公園に行きました。そうしたら、アバターロボがすでに捕まっているではないですか」


 ……?


「あの、よかったんじゃないんですか? 暴走したアバターロボを無事、捕まえることができたんだから」


「よくありません。私は、公私ともにずっと理事長の秘書をつとめてきて、理事長からの信頼も厚かったんですよ。それなのに、あなたがアバターロボを捕まえたせいで、私は肝心なときに役に立たないと思われてしまったじゃないですか。本来なら、捕まえるのは私の役目で、感謝されるのも私だったのに」


 ええー!


 僕を無視してたのは、そんな理由?


 ていうかそれって、完全に逆恨みだよね?


 アバターロボが捕まって、雇い主の理事長が喜んでんだから、一緒になって、喜べばいいのに。


 仮に、秘書の人があの場にいたとしても、タイトスカートにパンプスという格好だと木に登れないから、なにもできないまま、アバターロボに逃げられていた可能性が高いです。


 それなのに、理不尽にもほどがあります。


 僕はあまりのバカバカしい理由にあきれて、なにも言い返さずに車をおりました。


 こんなんで腹を立てられてもなー。


     ◇


 洋館前の道路はあまり広くないし、まわりには住宅も多いから、このまま、ここに車をとめておくと、近所の人に迷惑がかかるかも……。


 そう思っていたら、理事長が運転席にいる秘書に向かって言いました。


「カワサキはさっきの道の駅まで戻って、そこで待機しているのニャ。猫を発見したら、呼ぶニャ」


「いえ、私もご一緒します」


「私たちだけでさがせるのニャ。ここに車があると、通行の邪魔になるのニャ」


 理事長と秘書の人は、ほかにもなにか話していたようですが、しばらくすると、秘書の人は車を動かし、どこかへ行ってしまいました。


 あー、よかった。


 あんな人と一緒に猫をさがすことにならなくて。


 では、当初の予定通り、僕たち三人と理事長で、猫さがしですね。


 猫は今、洋館のどこにいるんだろ、と思って、手に持った水晶玉で占おうとしたら――。


 あっ!


 手が滑って、道路に水晶玉を落としてしまいました。


 ゴン!


 パカッ!


 落ちた衝撃で、水晶玉が真っ二つです。


 うわああああ――!


 佐藤さんからの借り物を壊してしまいました!


 どうしよう!


 弁償、いや、なんて言って謝れば……。


 僕は破片をすべて回収して、箱の中にしまいます。


 あーあ。


 ……まあ、猫の行き先を突き止めてからの破損は、不幸中の幸いだったかも。


 そう思うと、すこーしだけ気が楽になりました。


 僕は、洋館の門扉の前に行って、みんなと一緒に洋館を眺めます。


 洋館は二階建てで、かなり古めかしい、というか、はっきり言ってしまえばボロですが、廃墟というほどではありません。


 敷地は、二メートルくらいの高さがある塀で囲まれています。


 門柱には、ポストのようなものと、インターホンがついてます。


 でも、表札はありません。


 とりあえず、チャイムを押してみましたが、応答なしです。


 洋館は無人?


 それとも、住人はいるけど留守にしてるだけ?


 門扉をガチャガチャ引っ張ってみても、カギがかかっているようで開きません。


 いきなり、ダンッという大きな音がしたので、音のしたほうを見ると、高橋さんが塀によじ登ってました。


「ちょっ! なにしてんだよ!」


「こうすれば中に入れるっすよ。ほら、みんなも早く登るっす。今なら誰も見てないっす。猫、さがしたくないんすか?」


 そう言うと、高橋さんは敷地内に入ってしまいました。


 吉田さんは「ええー、いいのかなー」と言いながらも、高橋さんにキャリーバッグを渡して、塀を乗り越えて、敷地内に入りました。


 理事長は門扉の下にある隙間から、敷地内に入ります。


 入ってないのは、僕だけです。


「ほらー、先輩ー、早くー」


 門扉の向こう側で、高橋さんが僕を呼んでいます。


 し、仕方ないな。


 僕はまわりに誰もいないのを確認すると、塀に飛びついて、敷地内に入ります。


 ……よいしょっと。


 とうとう、全員、勝手に敷地内に入っちゃいました。


 僕たちは、石畳の上をしばらく歩いて、玄関まで行きます。


 途中、噴水がありました。


 いかにも、洋館らしくてカッコイイですね。


 水は出てないし、落ち葉がたまっているだけだったけど。


     ◇


 洋館の玄関の前まできました。


 ドアにはノッカーがついているので、僕はノッカーでゴンゴンとドアを叩きます。


 …………。


 しばらく待っても、反応はありません。


 ドアを開けようとしても、当然ながら開きません。


「すみませーん、どなたかいらっしゃいますかー」


 僕は声を張り上げて、呼びかけます。


 やはり反応がありません。


「先輩、猫って、どこから中に入ったんすか」


 高橋さんが聞いてきました。


「一階のこっち側にある窓からなんだけど……」


 僕は水晶玉で見た場所へ、みんなを案内します。


 家の外壁に、小さな窓がついてます。


 窓といっても、横にスライドする普通の窓ではなくて、開くと窓の一部が外にせり出すタイプのものです。


 トイレとか風呂場とかでよく見かける、換気用の窓です。


 その窓が、ほんの少しだけ開いているのです。


 換気するためにわざと開けたというより、窓の金具とかが劣化して、緩んで勝手に開いた、みたいな感じもするので、無人なのか、人が住んでいるのか、これだけで判断はできません。


「あー、確かに少しだけ開いてるっすねー。猫なら、入れそうな隙間っすねー」


 高橋さんは窓を見て、言いました。


 さらに、なにかを考えてるような表情をして、


「理事長に、ここから中に入ってもらって、それで、内側からドアのカギを開けてもらうことはできないっすかねー」


 そんなことを提案してきました。


 なるほど。


 カギの種類にもよるけど、できないことじゃないかも。


 ……どうしよう。


 洋館が無人なら、悪いとは思うけど中に入って、猫をさがしたいところだし、もし住人がいて留守にしているだけなら、帰ってくるのを待って、事情を話したほうがいいだろうし。


 でも、留守にしている場合、いつ帰ってくるのかわからないし、時間がたてばたつほど、猫がどこかへ行ってしまう可能性が高くなります。


 一番マズいのは、留守にしているだけなのに、僕たちが勝手に中に入ってしまって、見つかったときです。


 敷地内に入った程度なら、見つかってもゴメンナサイですむかもしれないけど、家の中に入ってしまえば、それではすまなくなります。


 僕が悩んでいると、理事長は「では、開けてくるのニャ」と言って、壁に飛びついて、そのままあっさり、窓から中に入ってしまいました。


 あ、勝手に入っちゃった……。


「先輩、ドアを見てきましょうよ。開くかもしれないっす」


 高橋さんがそう言うので、僕たちは再び、玄関へと戻ります。


 しばらくすると、ドアの内側から「カチャリ」とカギが開く音がしました。


「開いたっすよ、先輩」


 高橋さんが、ドアハンドルを引くと、ドアが「ギイイイイイ」という不気味な音を立てて、開きます。


「開いたんじゃなくて、開けたんだろ!」


 僕はツッコミも忘れません。


 この洋館が無人か、あるいは、留守であったとしても、僕たちがいる間、住人が帰ってきませんように、などと祈りながら、僕も、高橋さんに続いて、家の中に入ります。


     ◇


 入った途端、すごい勢いで雨が降ってきました。


 いきなりのどしゃ降りです。


 ピカッ、ゴロゴロ。


 雷も鳴っています。


 ちょうどいいタイミングで中に入れたようです。


 僕は、家の中を見回します。


 天気のせいなのか、薄暗いですね。


 床は板張りで、正面には二階への階段があります。


 もう一度、大声で「誰かいますかー」と呼びかけますが、返事はありません。


 ふと、隣りにいる高橋さんを見ると、震えているのに気づきました。


 どうしたんでしょう、怖いんでしょうか。


「こ、これは! 私のイチ押しのあの映画に出てきた洋館と中がそっくりじゃないっすか! きっと、この洋館には、訪問者を殺してステーキにして食べてしまう、指名手配の殺人鬼が住んでるに違いないっす!」


 高橋さんが、目をキラキラさせて、あたりを見回しながら叫びました。


 ……歓喜のあまり、震えていただけでした。


 吉田さんは「えー、この家、そんな殺人鬼が住んでるんですかぁ」と言って、持っているキャリーバッグをギュッと抱きしめて震えています。


 あーあ、変なこと言うものだから、怖がらせちゃった。


 理事長も「とんでもないとこにきてしまったのニャ。私は食べてもおいしくないのニャ」と言って、尻尾を丸め、吉田さんの足元に隠れて震えています。


 まあ、理事長を食べても、おいしくないのには同意するけど。


 というか、ロボットなんだから、食べられないだろ!


 そもそも「私のイチ押しのあの映画」って、この前、無理やり、僕に貸そうとしてきた「恐怖のステーキおやじ」ってホラー映画でしょ?


 常識的に考えて、こんなところに、指名手配の殺人鬼なんているわけないし、そんなのが逃亡してたら、今頃、とっくにニュースになってます。


 それにそんな事件自体、聞いたことありません。


 現実とフィクションを一緒にしないでもらいたいです。


 あと、吉田さんと理事長も、こんなバカげた話をあっさり、信じないように。


     ◇


 僕は、みんなに聞きます。


「で、どうする? 一階と二階にわかれてさがす?」


 僕がそう言うと、高橋さんが反論してきました。


「先輩、それはやめたほうがいいっす。ここは、殺人鬼のすみかっす。ただでさえ、人数少ないのに、一階と二階でわかれてさがしてたら、格好の標的にされるっす。ここは安全を重視して、みんな、まとまって、さがすべきっす」


 まだ、殺人鬼のすみかとか言ってるし。


 でも、家の中は薄暗いし、古い建物だから、なにがあるかわからないし、高橋さんの主張する「安全を重視」というのは一理あるように思います。


 そうですね、それじゃあ、なにかあったらすぐ対応できるように、ある程度、まとまって行動することにしますか。


 僕はそのことをみんなに伝えます。


 というわけで、僕たちは手始めに、一階の端にある厨房と、その隣のダイニングルームをさがすことにしました。


 ダイニングルームは吉田さんと理事長に任せ、僕は、高橋さんと一緒に厨房をさがします。


 ちなみに、猫が入り込んだ窓は、厨房の窓だったので、もしかすると、まだここに猫がいるかもしれません。


 さがしはじめてすぐ、高橋さんが手招きして「先輩、こっちこっち」と言い出します。


 早くも、見つけたんでしょうか。


 彼女のとこへ行ってみると、2ドアの大きな冷蔵庫がありました。


 猫を見つけたんじゃなくて、この冷蔵庫を見てもらいたかったようです。


 冷蔵庫をよく見ると……。


 うわー、冷蔵庫に電源が入ってるじゃないですか。


 ということは、確実に住人がいるということです。


 洋館が無人、という可能性は消えました。


 これはマズいなー。


 今の状態で、帰ってきた住人とはち合わせするのは、絶対に避けたいところです。


 相手からしたら、僕たちは、家さがししてる泥棒にしか見えないので。


 せめて、さがし終わったあとに帰ってきて欲しいです。


「先輩、冷蔵庫に電源入ってるっす」


「そうだね。誰か住んでるんだろうね」


「住んでるのは、ステーキおやじっすよ」


 高橋さんが興奮したようすで、言ってきます。


「いや、もういいっての、それ。いい加減、ホラー映画の話から離れて」


「私の言ってること信じないから、先輩に証拠を見せるっすよ」


「証拠って?」


 僕は聞き返します。


「この中には、切り取られた人間の肉が大量に入ってるんすよ」


「そんなわけないだろ」


「あるっすよ。いいっすか、開けるっすよ」


 そう言って、高橋さんは冷蔵庫の下のドアを開けました。


 僕は冷蔵庫の中を見つめます。


 …………。


 中には、たくさんの野菜が入ってました。


 あとフルーツも。


 ……肉はありません。


 ほら、肉なんかどこにもないじゃないか。


「殺人鬼のわりには、健康そうな生活、送ってそうだね。これだけ野菜を食べるんだから。ステーキおやじじゃなくて、野菜おやじだね、これじゃ」


 僕は高橋さんのほうを見て、意地悪くツッコミを入れます。


「そうっすね。殺人鬼も体の健康に気をつかってるんでしょうね。体が資本っすから」


 真顔でこんなことを言い返されました。


 本気で言ってるのか、冗談で言ってるのか。


 ここは、さらにツッコむところ?


「先輩。まだ、冷凍庫があるっす。大量の肉は、冷凍して保存するのが常識っすよ」


 そう言って、高橋さんはフフンと、不敵な笑みを浮かべます。


 まだ、自分の主張を変えるつもりはないようです。


 高橋さんが、上の冷凍庫のドアを開けました。


 開けたとたん、白い煙のようなものがブワッと出てきます。


 冷凍庫の中には、透明のフィルムで包まれた、なにかの肉が入ってました。


 肉は山積みになっていて、奥までぎっしり詰まっているようです。


「ほらー、これみんな人間の肉っすよ! 私の言った通りっす!」


 まるで鬼の首でもとったかのように、高橋さんがはしゃいでます。


 いや、絶対、違うだろ。


 僕はフィルムで包まれている肉を手にとります。


 絶対、サーロインとか肩ロースとか、書いてあると思うんだけど。


 ……書いてないですね。


 これだけあるってことは、業務用の肉をまとめて購入してるとか、そんなところかな。


 もちろん、人間の肉なんて、僕は信じていません。


「ほら、これなんか、人間のふとももの肉っぽいっすよ」


 高橋さんは、そう言って、肉の一つを僕に見せてきます。


 いや、それ、脂肪のつき方からして、霜降りじゃないですか。


 どう見ても、霜降り高級牛肉です。


 僕が一向に信じようとしないので、


「絶対、奥のほうに人間の手とか足とかが入ってるに違いないっすよ。それを見れば、先輩も信じるっす」


 そんなことを言いながら、高橋さんは冷凍庫に詰まっている肉を外に出して、奥のほうをあさっています。


 このままだと、冷凍している肉が解凍されてしまうので、冷凍庫のドアをしめて、証拠の肉さがしを強制終了させます。


 高橋さんは、不満そうな顔をしてます。


 いや、もともと、人間の肉なんて入ってないから。


     ◇


 僕が調理場の下とかを覗いて、猫がいないことを確認していると、高橋さんの呼ぶ声が聞こえました。


 今度はなんでしょうか。


「先輩、そこのコンロの上に、鍋が置いてあるっすよ」


「あるね、フタをした寸胴鍋が」


「その中に、人間の頭を煮込んだスープが入ってるに違いないっす。先輩、開けて確かめてみるっすよ」


「いやいいって」


 フタは、ずれることなく、きれいに鍋の上にのっかっています。


 中に猫が入っている確率はゼロです。


 もちろん、人間の頭が入っている確率もゼロです。


「あっ、もしかして、怖いんすか」


 よほど僕にフタを開けて欲しいのか、挑発するように、高橋さんがそんなことを言ってきます。


 あまりにも高橋さんが、しつこく言うので、僕は、彼女の言う通り、フタを開けてやることにします。


 これで、気がすむといいけど。


「じゃあ、開けるから。よく見てろよ」


 僕は、鍋のフタをパッと開けます。


 ……中はカラでした。


「ほら見ろ」と言って、僕は鍋をかたむけて、高橋さんに中を見せます。


「あれー、おかしいっすねー。絶対、頭が入ってると思ったんすけどねー」


 高橋さんは首をかしげています。


 すると突然、高橋さんは、ハッとしたような顔をして、僕の後ろに飛び退きます。


 ……?


「いや、先輩、まだ油断は禁物っすよ! こういうパターン、よくあるんすよ。鍋の中がカラだと安心した瞬間、背後から首を切断されて、自分の頭が鍋の中に転がり落ちる、というパターンが!」


 ……あのねえ。


 よくあるって、それホラー映画の中の話じゃないか。


 現実であるわけないだろ。


 第一、そのパターンだと、僕の後ろにいる高橋さんが、真っ先に犯人に襲われることになるはずなんだけど……。


 高橋さんは、それから、調理場にあった包丁を僕に見せて「これが人間を解体した包丁っすよ」と言ってきましたが、無視しました。


 調理場に包丁があるのは、当たり前です。


 しばらくして、高橋さんが「先輩、これこれ」と言って、僕の背中をツンツンしてきました。


 どこで見つけたのか、長さ六十センチほどあるバールを手に持っています。


 僕はため息をつきました。


 彼女がなにを言ってくるか、読めたからです。


「ステーキおやじはそのバールで、人を襲って殺したってこと?」


「いや、違うっす。ステーキおやじは人を襲って殺すときは、先の丸い食事用のナイフを使うっす」


「なんで人を殺すのに、食事用のナイフを使うんだよ! それじゃ、相手は死なないだろ! どうやって殺すんだ! 解体するときに包丁を使うんなら、殺すときに使えよ!」


 僕は大声でツッコミます。


 だって、食事用ナイフでどうやって人を殺すのか、想像もつかないし。


 少し、映画の内容に興味が出てきたかも。


 それでも、見たいとは思わないけど。


「それから、先輩、これはバールじゃなくて『バールのようなもの』っす」


「どっちでもいいだろ」


「いや、バールには、似てるけどいろいろ種類があって、呼び名も違ってたりするんすよ。素人には判別が難しいから『バール』と言わずに『バールのようなもの』って言うのが正しいんす」


「あっ、そう」


 どうでもいい知識です。


「で、これがなに?」


「先輩、弱っちいから、これを護身用として、持ってるといいっすよ。いざというときのためっす」


 年下の女の子から、弱っちいとか言われると、男として自信なくすんだけど。


「護身用なら、高橋さんが持ってなよ」


「私は大丈夫っす。体力、腕力ともに自信があるっす。普段から鍛えてるっすから。先輩は腕も細いし、先輩のほうが不安っす」


 腕の太さは、たいして変わらないと思うんだけど。


 まあ確かに、高橋さんは昼休みにバッティングしてたくらいだし、鍛えているのはホントっぽいけど。


 僕がいらないと拒否しても、しつこく渡そうとしてくるので、仕方なく、僕はこのバールを護身用として、持ち歩くことにします。


 もちろん、使う機会はないでしょうが。


 高橋さんは、あいかわらず、この家に殺人鬼が住んでると思っているようです。


     ◇


 残念ながら、厨房とダイニングルームに猫はいませんでした。


 そのほか、猫が入りそうな、一階の部屋は全部、さがしましたが、見つからなかったので、次は二階をさがすことにします。


 玄関ホールにある、二階への階段を上ると、ギシギシという音がします。


 外では、雷鳴がとどろき、すごい勢いで雨が降っています。


 僕たちは、二階の部屋を順に見てみることにしました。


 まずは、手前の部屋。


 あっ、カギがかかっています。


 いくらガチャガチャ、ドアノブを回しても開きません。


 一階では、カギのかかった部屋はなかったのに。


 もしかして、ここが住人の寝室、なんでしょうか。


 ……わからないけど。


 とりあえず、この部屋はあきらめて、隣の部屋をさがすことにします。


 隣の部屋の前へ行くと、ドアが完全にしまってなくて、少し開いてました。


 あれっ、しまってません。


 僕はドアノブを引いて、ドアを開けます。


 窓にはカーテンがかかっているためか、室内は暗く、奥のほうにベッドらしきものが見える意外は、なにがあるのかよく見えません。


 僕たちが室内に入ると「なーお」という鳴き声がしました。


 あっ、猫です!


 この部屋に猫がいます!


 鳴き声は奥のほうからしたようだけど……。


「あっ、いたー」


 吉田さんはそう叫ぶと、ベッドのほうにかけよります。


 猫はベッドの上にいたようです。


 吉田さんが猫を捕まえて、抱きしめます。


 抱かれると、猫は「にゃーん」と鳴きました。


 あー、よかった。


 これで無事、猫を捕まえることができました。


 吉田さんは、捕まえた猫をキャリーバッグの中へと入れます。


「ありがとうございました。みなさんのおかげで、捕まえることができました」


 彼女が、みんなにお礼を言っています。


 よし、これで、もうこの家に用はありません。


 あとは、カギをかけて帰れば、元通りで、なにも問題はないはずです(もちろんバールも元の場所に返します)。


 僕たちが部屋から出ようとすると、ギイイイイという大きな音が、一階のほうから聞こえてきました。


 玄関のドアが開いた音です。


 誰かが、家の中に入ってきたようです。


 ていうか、普通に考えれば、入ってきたのは、家の住人でしょう。


 うわー、最悪のタイミングです。


 これから住人に、僕たちが家に侵入した理由を説明しないといけません。


 納得してくれるでしょうか。


 目の前に突然、家を物色している泥棒が現れて、僕たちは怪しいものじゃありません、って言うのと一緒だよね、これって。


 姿を見せたら、悲鳴とともに、そのまま警察を呼ばれる、なんて可能性も。


 確か、うちの学校の校則だと、いじめと犯罪行為は一発アウトの退学なので、そうなったら僕たちはみんな退学になってしまいます。


 でも、ドアのカギを開けて中に入るのを手引きしたのは理事長なんだし、さすがにそんなことにはならないよね?


 この場にいる年長者は理事長なんだから、本来は理事長が事情を説明するのが一番いいと思うんだけど、猫だからなぁ……。


 僕は足元にいる理事長を見つめます。


 ……はあ。


 やっぱり、僕が説明しないといけないみたいですね。


 気が重いなあ、などと思いつつ、僕がドアのほうへ近づいていくと、高橋さんに制止されて、ドアを閉められてしまいました。


「先輩、なにしようとしてるんすか」


「え? いや、住人が帰ってきたようだから、会って、事情を説明しようと思ったんだけど」


「正気っすか? ここで隠れて、ようすをうかがうべきっす。相手は人間を殺して、ステーキにして食べる殺人鬼なんすよ。相手からしたら、私たちは網にかかった獲物っすよ。わざわざ網にかかったことを自分で知らせて、どうするんすか。殺されちゃいますよ? 食事用のナイフで惨たらしく殺されちゃいますよ?」


「だから、それ、食事用のナイフでどうやって殺すんだよ! ミステリーか!」


 ああもう、言いたいのはそっちじゃなくて!


 殺す方法なんて、どうでもいいんだって!


 正気じゃないのはそっちです。


「そうニャ、殺人鬼相手に無謀ニャ」


「あの、高橋さんの言う通り、もう少しここに隠れていたほうが……」


 二人は、高橋さんの話をすっかり信じきっているようです。


 ……B級ホラー映画の話を。


 悪いことしてバレたときって、隠したり、黙ってたりすると、相手の印象が悪くなるから、すぐに事情を話して謝ったほうが、一番いいと思うんだけど……。


 僕がそんなことを考えていると、ギシギシという音が近づいてきます。


 住人が階段を上ってきます。


 足音は、隣の部屋の前で止まりました。


 耳をすますと、カチャカチャという小さな音がします。


 ドアのカギを開けているようです。


 そのとき、吉田さんのキャリーバッグに入っている猫が「ニャー」と鳴きました。


 隣のカギを開ける音が、ピタリと止まります。


 あっ、聞かれました!


 足音はこっちの部屋に近づいてきます。


 高橋さんが、部屋の隅に隠れるよう、小声で指示をしてきます。


「みんな、よく聞くっす。ようすを見るのは撤回するっす。身を守るための行動に移るっす。相手がドアを開けたら、真っ先に、理事長はそいつの顔面めがけて飛びついて、視界を奪うっす。そしたら、私はそいつの足にタックルして転ばせるっすから、先輩は、転んだそいつの頭を思い切り、そのバールのようなもので、ぶっ叩くっすよ」


 ええ――――!


 高橋さんが、とんでもないことをさらっと言います。


 マズいって。


 そんなことしたら、確実に警察ざたになります。


 今なら、ギリギリ、話せばわかってくれるかもしれないのに。


 しかもそれ、自分は転ばせる程度なのに、僕は、頭をぶっ叩くって、下手すりゃ僕が殺人犯になっちゃうじゃん。


 言い出したのは高橋さんなのに、一番の汚れ役を僕がするって、なんか、自分だけずるくない?


 僕は、高橋さんを説得させてやめさせようとしますが、小声で言い合っているうちに、部屋の前で足音がとまり、ドアが開きます。


 部屋の中は暗いので、相手はどんなやつなのか、はっきりとわかりません。


「今っす!」


 高橋さんが叫ぶと、理事長がそいつの顔に飛びつきます。


 続けて、高橋さんがタックルをすると、そいつがドスンと尻もちをつきます。


 僕の出番です。


 ああもう、ここまでしたら、覚悟を決めてやるしかないか。


 絶対、違うと思うけど、万一、ホントに殺人鬼ということも想定して、僕はバールを振りかぶった状態で、相手がどんなやつなのか、確認しようとします。


「いたた……」


 あれっ、女性の声です。


 しかも、かなり若いです。


 ピカッ。


 稲光で室内が一瞬、明るくなり、相手の顔が照らし出されます。


 えっ!


 尻もちをついて倒れていたのは――。


 占い部の佐藤さんでした。


     ◇


 僕たちは、一階のダイニングルームでお茶を飲んでました。


「佐藤先輩、危なかったすねー。あと少しで、橋本先輩に叩き殺されるとこだったっす」


 高橋さんがそんなことを言って、笑っています。


 笑いごとじゃないだろ!


「いや、ホント、ごめん。家に住んでるのは、指名手配の殺人鬼だって、高橋さんがしつこく言うからさ。絶対、違うだろ、とは思っていたんだけど」


 僕は、佐藤さんに謝ります。


 ――なんと、この洋館は佐藤さんの自宅でした。


 この洋館には以前、家族で住んでいたようなんですが、古い上、耐震性にも不安があったので、別のところにある洋館へ引っ越すことになったそうです。


 でも、佐藤さんは、住み慣れたこの洋館がよほど気に入ってたらしく、彼女だけ、引き続き、こちらに住むことにしたそうです。


 なので、佐藤さんは今は一人暮らし、ということでした。


 一人暮らしにしては、冷蔵庫の食材は多すぎのような気がしますが、僕は佐藤さんが人並み以上によく食べる(いわゆる大食いですね)ということを知っているので、驚きはしません。


「第一、タックルした時点でおっさんじゃないって、気づいただろ? 足の太さとかで。それなら、とめてくれればよかったのに」


 僕は高橋さんに文句を言います。


「確かに『あれ、違うかな』とは気づいたんすけど、先輩もやる気になってるんで、ここでとめるのも無粋かなと。いやー、申し訳なかったっす」


 そう言って、高橋さんがテヘペロします。


 申し訳ないと言ってるわりに、全然、反省していないようです。


 いやいや、違うと気づいてるのなら、とめてよ。


 それに、全然、やる気になんかなってないし。


 自己判断でバールを振り下ろすのを躊躇したからよかったものの、彼女の言うことに従っていたら、佐藤さんを殺していたかもしれません。


 ホント、高橋さんの言うことは、占いのこと以外、信用できませんね。


 今になって思ったけど、もしかして、占い部にいるまともな人間って、僕だけなのでは……。


    ◇


 僕は壁に掛けてある時計を見ました。


 時刻は、夕方の六時半頃です。


「部活は午後七時までできるのに、こんな時間に帰ってくるなんて、ずいぶん早く、部活が終わったんだね」


 僕は、佐藤さんに言いました。


「いくら待っても誰もこないし、待ち疲れたから、早めに切り上げることにした」


「そうなんだ」


 じゃあ、初日の相談者は吉田さん一人、ということですね。


 まあ、初日だし、こんなものでしょう。


 あっ、そういえば、もう一つ、佐藤さんに謝らないといけないのを忘れてました。


 僕はポケットから、水晶玉のケースを取り出します。


 箱のフタを開けて、佐藤さんに割れた水晶玉を見せます。


「ごめん。佐藤さんから借りてた水晶玉、不注意で落として割っちゃった。弁償するよ」


 佐藤さんは、割れた水晶玉をチラリと見ると、


「……貸したとは言ったけど、それは実質、あなたにあげたもの。あげると言うと、あなたが気をつかうといけないから、貸すと言っただけ。弁償する必要はない」


 そう言いました。


 さらに言葉を続けます。


「水晶玉が壊れたのは、役割を終えたから。問題はないので、気にしなくていい」


 そう話すと、佐藤さんは席を立ち、僕に「ついてきて」と言って歩き出します。


 よくわかりませんが、僕は佐藤さんのあとをついていきます。


 彼女がきたのは、地下にある倉庫みたいなところです。


 棚があって、たくさんの箱が置いてあります。


「確か、このあたりに……」


 そうつぶやきながら、佐藤さんは箱をあさって、なにかさがしているようです。


「……あった」


 彼女が僕に見せたのは、透明な板でした。


「これは板水晶。天然の水晶を球状じゃなくて、板状に加工したもの。ちょうど、大きさ、厚さともにスマホぐらいだと思う。あなたの場合、特殊な操作をするから、球状のものより、こういう板状のもののほうが、占いに適してると思う。この板水晶をあなたにあげるから、今後はこれを使うといい」


 そう言って、僕に板状の水晶を渡してきました。


 本来なら、水晶玉を壊したお詫びをしないといけないのに、それどころか、別のものを新たにもらってしまいました。


「念のため、今、使えるか試してみて。水晶は人によって相性もあるから」


 そう言うので、試しにこの場で適当なことを占ってみましたが、問題なく使えます。


 映った映像に対して、ピンチやスワイプもできます。


 以前の水晶玉は、持ち歩くのには不向きでしたが、これなら、スマホのようにポケットに入れておけるので、自由に持ち歩くことができます。


 それに、板状になったので、操作もしやすくなりました。


 僕は「ありがとう。大事にするよ」と佐藤さんにお礼を言います。


 彼女は「うん」とうなずきました。


「…………」


「…………」


 沈黙したまま、僕は佐藤さんと見つめ合います。


 あ、あれっ、なんか、妙な雰囲気になってきました。


 狭い地下室で二人きりだし、このままここに長くいると、また、佐藤さんが暴走しないとも限らないので、早々にここから退散したほうがよさそうです。


「じゃ、じゃあ、みんな待ってるから戻ろっか」


 彼女に声をかけ、僕たちは、みんなのいるダイニングルームへと戻りました。


     ◇


 ダイニングルームにある時計を見ると、午後七時です。


 そろそろ、帰らないといけないな。


 そんなことを思っていたら、ピンポーンという音が聞こえました。


 門柱のチャイムを誰かが鳴らしたようです。


 音を聞いて、理事長が言いました。


「カワサキが迎えにきたのニャ。さっき、道の駅で待機していたカワサキを呼んだのニャ。もう午後七時ニャ。みんな、車に乗って、学校まで帰るのニャ」


 そうでしたか。


 ちょうどいい、タイミングでした。


 では、帰るとしますか。


 雨はすでに、やんでいるようです。


 僕たちは、玄関のほうへぞろぞろと歩いていきます。


 てっきり、きたときのように、僕、高橋さん、吉田さんの三人で帰るのかと思ったら、吉田さんの家は、学校とは逆方向らしく、彼女はこの先のバス停から、バスに乗って帰るそうです。


 猫はキャリーバッグに入れてあるから、バスにも乗れるし、問題はないとのことです。


 なので、車に乗って学校まで帰るのは、僕と高橋さんの二人ということになります。


 門の前で、僕たちは、佐藤さんと吉田さんにさよならを言って、車に乗り込み、佐藤さんの家をあとにしました。


 僕は高橋さんと同じく、後部座席に座っています。


 理事長は、高橋さんが抱っこしています。


 僕たち三人で話が盛り上がっていると、秘書の人がルームミラーで、やたらとこちらのほうをチラチラ見てきます。


 自分だけ蚊帳の外だったので、なにがあったのか気になっているのでしょうか。


 また「理事長の役に立てなかったのは、お前のせいだ」などと言って、逆恨みしなきゃいいけど。


     ◇


 しばらくすると、学校につきました。


 僕は、駐車場で高橋さんと別れ、歩いて自宅へと向かいます。


 帰宅後、食事をして、風呂に入り、自分の部屋に戻ったところで、重要なことを思い出しました。


 渡辺さんに、今日のことを報告するのを忘れていたのです。


 あれだけ、責任を持って報告するとか言っておいて、忘れてしまってはシャレになりません。


 僕は、猫が無事見つかったことを伝えるメッセージを渡辺さんの連絡先に送信します。


 時間帯が遅いので、もう既読はつかないかな、と思っていたのですが、既読がつきました。


 しかも「了解しました。お疲れ様でした」というメッセージつきで。


 よかった。


 報告が遅いとか言って、罵倒されるかと思ってたので。


 ……今日の猫さがしは、いろいろありました。


 まあ、そのいろいろは、ほとんど高橋さんが原因だったんだけど……。


 でも、無事に猫を見つけて、吉田さんの悩みは解決できたことだし、初日としては、上出来だったのではないでしょうか。

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理事長は猫 ~占い部には僕の好きな三人の女子がいる~ 金沢れん @oohana

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