第11話 オンライン授業(女子)
翌日。
今日から、七本木学園高校では、理事長が使っているのと同じ、猫型のアバターロボを使った、オンライン授業がはじまります。
と言っても、今回のは、データ収集を目的とした実験的なものなので、行われるのは、今日、明日の二日間だけです。
オンライン授業は、男女別に行う予定になっていて、今日は女子、明日は男子が、自宅でアバターロボを遠隔操作して、オンライン授業を受けることになっています。
男子は今日、普通に授業を受けなければならないので、僕はいつも通り、登校しました。
◇
廊下を歩いてみて気づいたのですが、どの教室もドアが開けっ放しになっています。
これは、ドアが締まっていると、女子が操作するアバターロボが入れないからなんでしょうね。
僕が教室に入ると、あちこちに、いろんな毛色や模様をした猫がいて、猫同士で会話していました。
猫には首輪がついていて、クラスと名前が書かれています。
教室に、男子生徒はいますが、女子生徒はいません。
いつもと全然違う、まるで異世界のような、様変わりした教室のようすに、僕は若干、戸惑いながら席に座ります。
僕の横を猫が通り過ぎました。
猫が好きな僕としては、思わず、抱き上げて、さわりたくなりますが、ぐっと我慢します。
僕はクラスの女子とまともに話したことがないので、当然ながら、相手も僕のことをよく知りません。
そんな僕が、猫を勝手に抱き上げたらどうなるか。
抱き上げるのはロボットの猫ですが、操作しているのはクラスの女子だということを考えると、セクハラ扱いされるかもしれません。
つまり、クラスに仲のいい女子がいない僕は、猫を抱き上げることすらできないのです。
僕の席の前のほうでは、イケメンの男子が、近くを歩いていた猫をひょいと抱き上げて、そのまま、自分のひざの上に乗せて撫でていました。
猫も抵抗はしないで、大人しく撫でられているようです。
イケメンの男子だと、女子はこういう反応をするんですね。
イケメンはいいなあ、僕も猫にさわりたいなあ。
その前の席では、オタクっぽい男子が、隣の机の上にいる猫を抱き上げようとしていますが、激しく抵抗されています。
これが、イケメン以外の男子が、勝手に女子にさわろうとしたときの反応ですか。
僕が、女子の操作する猫を勝手に抱き上げようとすると、きっと、こんな反応をされるんでしょうね。
それでも、ムリに抱こうとする男子相手に、猫はフシャーと毛を逆立てて威嚇して、男子の手に猫パンチを食らわせていました。
いやいや、それ、かえって男子、喜んでるって。
顔がニヤけてるし、どうみてもご褒美です。
この男子はすごいですね、ここまで嫌われてるのに、ムリに抱こうとするなんて。
僕には真似できません。
普通の授業に戻ったら、その女子から、どんな扱いされるか、もちろん理解した上でやってるんだよね?
僕の席の後ろのほうからは、カップルでしょうか、先ほどから、男子と、彼女らしき猫の言い争う声が聞こえてきます。
なんで、私という彼女がいるのに、あの子を抱いたの、と彼女が訴えています。
どうやら、男子が浮気をしたようです。
二股か、モテる男子はいいなーと思って、話を聞いてると、抱いたというのは、隣の席の猫を抱き上げたことらしいです。
それで彼女が、嫉妬して怒っているみたいです。
まぎらわしいっての。
そんな些細なことで嫉妬するような彼女は、今のうちに、さっさとフッてしまったほうがいいですよ。
◇
七本木学園高校には、朝のショートホームルームはありません。
そもそも、クラス担任というものが存在しません。
生徒が校舎に入った時点で、自動的に生体認証されて、登校の有無がわかるから、出席簿で生徒を確認する必要はないし、学校から連絡事項があるときは、各自のスマホに送信されるようになっているので、担任の先生がいなくても問題ないのです。
だから、僕たちが登校して、最初に対面するのは、必然的に、一時限目の授業を教える先生(教科担任)ということになります。
一時限目の授業がはじまる時間になって、教科担任が教室に入ってくると、それまであちこちにいた猫がいっせいに、自分の席へと戻っていきます。
すべての猫が、同時に同じ行動をとったところを見ると、教科担任が入室したら、席に戻って授業を受ける、というように、プログラムされているのかもしれません。
授業のはじまる前は自由に歩き回れても、さすがに、授業がはじまると行動が制限されるようです。
教室を見渡すと、猫が机に上ったり、椅子から立ち上がったりしています。
今、女子はアバターロボの目(カメラ)を通じて、授業内容を把握して、自宅にあるタブレットで、教室にいるときと同じように学習をしているんでしょうね。
隣で授業を受けている猫が気になるのか、チラチラと猫のほうを見ている男子が目立ちます。
まあ、オンライン授業は、はじめての体験だし、隣に猫がいれば、普通、気になりますよね。
かくゆう僕も、さっきから、隣の席で授業を受けている女子(猫)が、気になって仕方ありません。
彼女は、教室前方にある電子黒板がよく見えないのか、ときどき、机の上で背伸びしたりしているのですが、その仕草がなんともかわいらしいのです。
隣の席の女子とは親しくないので、勝手にさわれないけど、見ているだけなら、とがめられることはないので、授業中、僕は隣にいる猫をチラ見して、楽しむことにします。
◇
一時限目終了後の休み時間。
いつもより、教室がざわついています。
たぶん、はじめてのオンライン授業の感想を友達同士で言い合っているのだと思います。
僕は昨日、みんなと別れたあと、本の入った重い袋を両手に持って、ヒイヒイ言いながら、家まで帰りました。
そして、本を縛り直して、誰にも見られないよう、今日の早朝、わざわざ斎藤の家の近くのゴミ捨て場まで行って、資源ゴミとして捨ててきました。
僕はあの地区の住人じゃないから、本来は捨ててはいけないんだけど、斎藤の代理で捨てたようなものだから、構わないよね。
結局、斎藤がするはずだった、ゴミ捨てを僕がかわりにしたわけです。
縛った雑誌の一番上には、スーパーのチラシを挟んで、カモフラージュしておいたので、ロリコンマンガ雑誌と一目では、わからないはずです。
ゴミ捨てをしたあとに、再度、寝ようと思ったのですが、寝つけなかったので、一時限目が終わった今でも、まだ眠いです。
教室の窓際に目をやると、黒猫になった渡辺さんが、日当たりのいい、自分の机の上で、気持ちよさそうに丸くなって寝ていました。
まあ、猫は寝ていたとしても、本人まで、寝ているわけではないだろうけど。
◇
放課後になりました。
僕は部室棟に行くと、部室のドアハンドルに指を当てて解錠し、室内に入りました。
もちろん、室内には誰もいません。
僕は椅子に座って、みんながくるのを待つことにします。
今日は、渡辺さんが、僕を糾弾すると息巻いてた日です。
僕は事実をそのまま、言うことしかできないけど、渡辺さんが僕の言うことに、耳を貸すかはわかりません。
あんな人が、僕の生殺与奪の権を握ってるかと思うと、寒気がしますね。
僕が部室にきて、十分ほどたった頃、ドアをカリカリと引っ掻く音がしました。
ドアを開けると、そこには白猫がいました。
「今日は珍しく先輩が一番っすね。よかったっすよ、先にきていて」
その話し方は、高橋さんですね。
首輪を見なくても、特徴のある話し方から、高橋さんとすぐにわかりました。
「あっ、ごめん。ドア、開けておくの忘れてた。今日は僕以外、猫なんだから、ドアは開けておいたほうがいいよね」
僕は、ほかの猫が入ってこられるように、ドアを少し開けておきました(渡辺さんは入ってこなくていいけど)。
「その猫って、喋っても、語尾にニャって、つかないんだね」
僕は足元にいる高橋さんに話しかけます。
「つかないっすね」
「理事長のは、ニャってつくのに」
「あれは特別仕様じゃないっすかね? これはボイスチェンジ機能もないっすから。まあ、わからないっすけど」
そっか、理事長のは特別仕様か。
確かに、あっちはボイスチェンジ機能がついてるもんな。
理事長みたいに、語尾にニャってつくと、もっとかわいかったのに。
◇
「先輩ー、行くっすよー」
床にいる高橋さんが突然、叫びました。
「えっ、なに?」
「えいっ!」
高橋さんが叫ぶと同時に、僕に飛びついてきました。
「うおっ!」
僕は高橋さんを落とさないように、両腕で抱きかかえます。
「おおっ、うまく、キャッチされたっす」
「なんだよ、いきなり。抱っこして欲しかったのか?」
「いやー、先輩が私を見て、抱っこしたいんじゃないかと思って、気を利かせて飛びついたんすよ」
なにを言ってんでしょうか。
ホントは自分がされたかったくせに。
まあ、帰る前に一度くらいは、抱っこしてみたかったのは事実だけど。
「ほーら、毛並みいいっすよー。毛がスベスベで気持ちいいっすよー。猫になった私も魅力的っすよー。この前のコスプレしたときみたいに、好きなだけ、私の体、さわりまくっていいっすよー」
「全然、さわってないだろ!」
コスプレの日、高橋さんは執拗に体をさわらせようとしてたけど、僕はさわっていません。
彼女の記憶の中では、僕はなにをしたことになってるんでしょうか。
高橋さんは、僕の腕の中で、甘えるように体を擦りつけてきます。
ならばと、僕は希望どおり、高橋さんの全身をくまなく撫でてやります。
高橋さんは目をつぶって、うっとりしているようです。
「うひゃあ、先輩に体を撫でられたっす。気持ちいいっす」
「ウソつけ。そっちに感覚が伝わるわけないから、気持ちいいとか、感じるわけないだろ」
「そんな気がするってことっすよ。マジになられても困るっす」
アバターロボの操作はタブレットで行うので、当たり前ですが、アバターロボを撫でたとしても、操作している人には、その感覚が伝わることはありません。
撫でられたアバターロボが、気持ちよさそうな表情をするのは、本物らしく見せるためのAIによる演出なのです。
「先輩のほうは、気持ちいいんすよね?」
「そうだな。僕のほうは、本物の猫を撫でているみたいで、気持ちいいな。本物の猫と感触は一緒だな。悪いな、こっちだけ、一方的に気持ちよくなって」
「全然、悪くないっすよー。私の体で、先輩が気持ちよくなってくれて、嬉しいっすよー。でも、そんなに気にしてるんなら、猫じゃないとき、二人で気持ちよくなれるようなこと、してみるっすかー。うへへへへ」
高橋さんが、気持ちの悪い笑い声を出して、意味深なことを言ってきます。
彼女は、僕以外の男子と話すときも、こんなふうに、男子を誘惑するような冗談、言ってるんでしょうか。
これじゃ、勘違いするやつが現れますよ。
「ホントは、男女別々じゃなくて、一緒に猫になって、二匹で寄り添って、尻尾で♡の形を作ったりとか、尻尾をからめたりとか、したかったっす」
「できないって、そんな器用なこと」
今回、男女別でわかれてすることになったのは、アバターロボを操作する側と、そのアバターロボと一緒に授業を受ける側、双方の反応をデータとして収集するためです。
十分なデータが集まれば全員一緒で、ということも、いずれはあるかもしれません。
でも……、僕は男女別々のほうがいいです。
全員一緒だと猫にさわれないけど、別々なら猫にさわれるので。
◇
抱いている高橋さんを立ったまま撫でていると、ハチワレ猫が部室に入ってきました。
……佐藤さんですね。
渡辺さんは黒猫だったから、消去法でいうと、残っているのは佐藤さんしかいません。
まあ、首輪を見ればわかるんですが。
「……あっ、いいな」
佐藤さんは、高橋さんを抱いている僕を見るなり、そうつぶやきました。
「え? ああ、高橋さんのこと? いや、これは、高橋さんのほうから飛びついてきてさ」
僕がそう言うと、佐藤さんは体勢を低くします。
えっ、まさか佐藤さんも?
次の瞬間、彼女は僕の胸に飛び込んできました。
「うわっ!」
高橋さんのときと同じように、飛びこんできた佐藤さんをキャッチします。
これで、抱いている猫が一匹から二匹になってしまいました。
「急に飛んでくるなよ。びっくりするだろ」
「……ごめん」
さすがに、二匹の猫を胸に抱いていると、重く感じますね。
「ありゃー、佐藤先輩に嫉妬させちゃったっすねー。申し訳ないっすねー。先輩、モテるっすねー」
高橋さんは、僕の顔と抱かれている佐藤さんを交互に見て、
「あれれ、なんか、二人ともいい感じっすねー。仲がいいっすねー。二人の間になんかあるんすかー」
などと、僕に聞いてきました。
「い、いや、なんかあるわけないだろ。ただの部員同士でしかないよ、な?」
「…………」
僕の問いかけに、佐藤さんはなにも答えてくれません。
なんで、否定してくれないの?
「怪しいっすね。昨日のタコ焼きのことといい、今のことといい、大人しい佐藤先輩がここまで積極的なことをするからには、なんかあるっすね。ああ、よく考えたら、私はこの猫の姿でも、得意の人相占いができるんでしたっ」
え、ええっ?
「じゃあ、先輩の顔を見て、佐藤先輩との間になにがあるのか、占っちゃいますよー。当てちゃいますよー」
高橋さんはそう言うと、抱かれている腕の中から背伸びをして、僕の顔を覗き込みます。
マズいです!
高橋さんの人相占いは、霊視か超能力かと思うほど、よく当たります。
このままだと、佐藤さんが以前、僕に抱きついてきたことまで、バレかねません。
僕と佐藤さんの関係を誤解されないためにも、それは避けたいところです。
「や、やめろって!」
慌てて僕は顔をそむけて、両手で顔を隠します。
僕の両腕に抱かれていた、高橋さんと佐藤さんが床に落下します。
「ああー、先輩、落ちちゃったじゃないっすかー。手を離しちゃダメっすよ」
床に着地した高橋さんが、僕の足元で抗議しています。
「私の人相占いは、もっと、間近でよく顔を見ないとできないんすよ。この距離からじゃ、ムリっす。抱き上げてくださいよー」
「誰がするかっ」
「ちぇっ、なにも言わないで、こっそり、占えばよかったっす」
あぶなかったー。
どうやら、未遂で終わったようです。
◇
僕たちが騒いでいると、部室にのそのそと黒猫が入ってきました。
渡辺さんです。
部員全員が揃ったので、僕はドアを閉めて椅子に座ります。
「全員、揃っているわね」
渡辺さんは部室を見回して、そう言うと、机に飛び乗りました。
「椅子に座ると、会話しずらいから、今日は机の上で話すわね。あなたたちも、こっちにきて」
渡辺さんに言われて、床にいた、高橋さんと佐藤さんが机の上に飛び乗ります。
部室で、椅子に座っているのは僕だけで、あとの三人(三匹)は机の上、という状態です。
机の上にいる高橋さんが、尻尾をピンと立てて、机の上にある僕の手に、体を擦り寄せてきます。
あれだけ、さわってやったのに、まだ、さわられ足りないのでしょうか。
僕は甘えてくる高橋さんの魅力に抗えず、高橋さんの背中をナデナデしてしまいます。
ついでに、尻尾の付け根もトントンです。
目を細めて、撫でられるままになっている高橋さん。
「ふあ、あっあっ、そこっすっ。はあん、気持ちいいっす」
「変な声を出すな。僕の手の動きに合わせて、アフレコすんな」
高橋さんのサービス精神は過剰ですね。
今のを見て、佐藤さんも、撫でてと言わんばかりに、僕のところへ寄ってきます。
佐藤さんに好意を持っている、というふうに誤解させたくはないのですが、かわいい猫の魅力には勝てないので、寄ってきた佐藤さんの背中もナデナデしてやります。
白猫とハチワレ猫、二匹の猫が机の上で、僕に撫でられて、気持ちよさそうにとろけています。
そんなようすを見た渡辺さんが、二人に呼びかけます。
「ちょっと、あなたたち、なにしてんの。こいつにさわられて、そんな気持ちよさそうにするなんて。正気なの?」
「部長もどうっすか、先輩に甘えてみては。優しく、体をさわってくれますよ。今しか味わえない、期間限定の特典っすよ」
「なにが特典なのよ。罰ゲームの間違いじゃないの? なんで、こいつにさわられないといけないのよ」
高橋さんと佐藤さんはさわらせてくれたけど、渡辺さんは僕にさわられたくないみたいですね。
ん?
待てよ。
普段、渡辺さんから冷遇、というか、ひどい扱いをうけている僕にとっては、これは仕返しをする絶好のチャンスなのでは?
今日は、渡辺さんが猫になっているから、僕のすることに力で抵抗できません。
そして、渡辺さんは僕にさわられたくないと言ってるのだから、逆に、さわってやれば、彼女にイヤがらせができて、仕返しにもなります。
いいことを思いついた僕は、にやりと笑います。
「な、なによ。なに笑ってんのよ。気持ち悪い」
僕を見た渡辺さんが、頭を低くして警戒の姿勢をとります。
僕は渡辺さんを(ムリやり)ナデナデしてやろうと、彼女の頭上から、ゆっくりと手を近づけます。
「なに私にさわろうとしてんのよ! 勝手にさわらないで! このロリコン変質者!」
僕がさわろうとすると、渡辺さんは僕の手に猫パンチをしてきました。
ペシ!
うわあ、かわいいな!
僕をロリコン変質者扱いしているのは許せませんが、猫になっているせいか、渡辺さんのとるリアクションの一つ一つが、かわいくてたまりません!
普段なら、絶対、ありえないのに。
猫の魅力はすごいですね。
ペシ!
ペシ!
僕が手を引っ込めないので、何度も僕の手に猫パンチをしてきますが、爪が出ていないので、全然、痛くありません。
「どうしたの? 全然、痛くないよ。むしろ、気持ちいいくらいだよ」
などと煽って、悪ノリをしてみます。
「なんなの、あなたマゾなの?」
渡辺さんは僕の手に、激しく猫パンチを繰り返します。
「全然、効いてないって。あー、肉球猫パンチは気持ちいーなー」
「え、どうして、爪が出ないの?」
爪が出てないことに、今ごろ、気づいたようですね。
「アバターロボは、人を意図的に傷つけることができないようになってるんだって。だから、僕を爪で引っ掻こうとしてもムリなの。操作方法を習ったとき言われただろ」
僕は渡辺さんに、そう教えてあげます。
さーて、そろそろ、頃合いですね。
トドメをさしてあげますか。
「よーし、じゃあ、渡辺さんをムリやり、抱っこしちゃうぞー。爪の出ない、渡辺さんなんて怖くないから、抱っこしたら頬ずりしちゃうぞー。体もすみからすみまで、さわりまくってやるぞー」
わざと、渡辺さんが激しく嫌悪しそうな言葉でまくし立てます。
机の端まで追い詰められた渡辺さんは、フシャーと毛を逆立てて、僕を威嚇します。
「さわらないでって言ってるでしょ! 痛い目に合わせるわよ!」
くくっ、精一杯の虚勢を張ってるところが、また、いじらしいですね。
普段だったら腹の立つ言動も、猫だと気にならないし、渡辺さん、ずっと猫のままだといいのに。
あー、面白かった。
十分、からかったし、このくらいにしておきますか。
これ以上、からかうと、人間の姿になったとき、仕返しが怖いので。
「冗談だって。あんまりかわいいから、ちょっと、からかって、みたくなっただけなんだって」
「えっ? きゃわ、かわ、かわいい?」
……あれ?
渡辺さんは、僕が言った「かわいい」という言葉に過剰反応しているようです。
「美人」とか「綺麗」とかは散々、言われてるから免疫はあるけど「かわいい」という言葉には、免疫がないのかも。
「か、かわいいとか言って、私のご機嫌をとろうとしても無駄なことよ。昨日も言ったけど、今日はあなたが、ロリコンであることを――」
コンコン。
渡辺さんが話している最中に、突然、部室のドアがノックされました。
お、きたみたいです。
「いいよ、入って」
「えっ、誰なの? あなたは知ってるの?」
自分が把握していない、予期せぬ来訪者に慌てる渡辺さん。
「こんにちはー」
そう言って、部室に入ってきたのは、長身でイケメンの男子生徒。
斎藤です。
僕の数少ない友達であり、そして、昨日のロリコンマンガ雑誌の所有者(もともとは兄のだけど)です。
呼ぶか呼ぶまいか、悩んだのですが、昨日のようすだと、みんな全然、僕の話を信じてなかったので、今日、同じように僕が説明しても、堂々巡りになると思い、あらかじめ、僕が証人として呼んでおいたのです。
高橋さんは、机の上で、上半身を起こして、興味深そうに斎藤のことを見ています。
佐藤さんは、突然の来訪者に驚いて、僕に飛びつき、背中に隠れようとしています。
渡辺さんは、机の上で、警戒して身構えています。
「こいつが、僕の無罪を証言してくれる証人だよ。僕の友達で斎藤っていうんだ」
「ええっ、ホントに友達なんていたの?」
渡辺さんが、驚いたような声を出しました。
なんだよ、昨日、いたら連れてこいって、言ってたくせに。
来訪者の素性がわかったせいか、渡辺さんは警戒の姿勢を解除します。
渡辺さんは犬だったら、優秀な番犬になれそうですね。
「僕が、ああだこうだ言っても、信じないだろうから、直接、きてもらったよ」
僕は背中にしがみついている佐藤さんを引き剥がして、机の上に戻してやると、立ち上がって「わざわざ、すまないな」と斎藤を出迎えます。
こんなことで呼んで迷惑かな、と思ったのですが、斎藤は快く応じて、きてくれました。
感謝しかありません。
「昨日は、母がフリマに出品していた本を買ってくれたんだよね。それで、部員たちが、橋本をロリコンと勘違いしているとかいうことだったけど――」
「そうなんだ。ホントに困ったよ」
さあ、今日は斎藤の口から、みんなに真実を話してもらうとしましょう。
「いいよ、話しても。全員、揃っているから」
◇
斎藤は全部、話してくれました。
あの本は、家を出た兄のものであること。
処分に困って、僕にいるか聞いたら、いらないって言われたから、僕がロリコンじゃないこと。
資源ゴミの日に捨てるため、縛って物置に入れておいたら、母が勝手にフリマに持って行ったこと。
偶然、その本が出品されているのに気づいた僕が、親にバレないように買って、証拠隠滅してくれたこと。
「これで誤解は解けたかな。だから、彼はロリコンじゃないよ」
そう言って、斎藤は屈託のない笑顔を見せます。
うんうん、いい笑顔です。
僕が男でなかったら、惚れてしまいそうですね。
これで、疑いはすべて晴れたはずです。
「なーんだ、そうだったんすか。面白くなくなっちゃいましたね」
高橋さんが残念そうに言います。
面白くしようとするな。
佐藤さんは尻尾をくったりさせて、がっかりしているように見えるけど、気のせいでしょうか。
「部長さんて、どの子?」
「ああ、この黒猫がそうだけど」
斎藤が聞いてきたので、僕は目の前にいる黒猫を示します。
「真実はこういうことなんだけど、わかってくれたかな」
「……あなたホントに彼の友達、なのよね? 彼にお金を渡されて、友達のフリをしてくれと頼まれたとかじゃなくて」
とかじゃないっての。
どこまで僕を疑う気なんでしょうか。
あまりに、疑り深い渡辺さんの発言に、斎藤が笑い出します。
「あははは、そんなことされてないよ。金で頼まれてない本物の友達だって。ウソだと思うなら、僕たちが友達だってことを知っている、同じ中学のやつが、別のクラスにいるから、聞いてみるといいよ。あとで教えてあげるから」
「…………」
なにも言ってこないということは、納得したと思っていいのでしょう。
やっぱり、斎藤を呼んでおいて正解でした。
昨日、あれだけ説明しても信じてくれなかったのは、一体なんだったのかと言いたくなります。
斎藤は室内を見渡すと、
「この部って、男子は橋本、一人だけなんだね。いいね、今日は猫にさわり放題で」
そう言って、机の上にいる渡辺さんにさわろうとします。
あっ、勝手にさわると、猫パンチされるぞ(痛くないけど)、この猫、凶暴だから。
と言おうと思ったら、渡辺さんは抵抗せずに大人しく、斎藤にさわられています。
あれっ、大人しくさわられてるじゃん。
僕との差はなんなの?
僕のときは激しく抵抗するくせに。
渡辺さんも、いい男には弱いのでしょうか?
借りてきた猫みたいになっちゃって。
なに、猫かぶってんでしょうか。
「そういえば、本はどうしたの?」
斎藤は渡辺さんの背中を撫でながら、僕に聞いてきました。
「ああ、今朝、早く、そっちの地区のゴミ捨て場に出してきたよ」
「うわー、それは手間を取らせたね。いくらで購入したんだっけ? 返すよ」
斎藤はポケットから、財布を出そうとしますが、僕は制止します。
「いや、いいよ。今度、会ったとき、メシでも奢ってもらえば」
「わかった。じゃあ、また、暇なとき、遊ぼうね。誤解も解けたみたいだから、これで部活に戻るよ」
「ああ、ありがとう」
斎藤が部室を出ていきました。
……ふう。
やっぱり、気心の知れた友達との会話はいいな。
僕がほっとしていると、今まで沈黙していた、渡辺さんが口を開きました。
「話は聞いたわ。ホントだったのね」
ようやく、わかってくれたみたいです。
「あなたに友達がいたなんて」
「なんでそっちなんだよ! ロリコンじゃないってことをわかってよ」
「冗談よ。どっちもわかったわ。ロリコンが事実だったら、最低でも、部活動中、あなたを縛り上げておく必要があったけど、その必要はなくなったということね」
最低で縛り上げるのなら、最高だと、一体、僕になにをする気だったのか、聞いてみたいけど、怖くて聞けません。
「じゃあ、疑いも晴れたことだし、部活では、今まで通り、私に忠誠を尽くしてちょうだい」
「全然、今まで通りじゃないだろ! 一度も、渡辺さんに忠誠を誓ったことなんてないっての!」
いつから占い部が、渡辺さんに忠誠を誓うクラブになったんでしょうか。
◇
そういうわけで、いろいろあったけど、証人(本人)を連れてきたことで、僕がロリコンだという誤解は解けたのでした。
「今日はこれで終わりにするわね。この体じゃ、なにもできないし」
渡辺さんが、部活の終了を宣言します。
「なあ、今日一日、猫になってどうだった? 感想を聞かせてよ。明日は僕が猫になる日だし、参考にしておきたいからさ」
僕は解散する前に、机の上にいる三人に聞いてみました。
「そうね、操作はしやすかったわ。それから、最初は低い視点が気になったけど、すぐに慣れたわ。そんなとこかしらね。オンライン授業自体は問題なかったわ」
意外と順応性ありますね。
渡辺さん、人間より、猫で生きるほうが向いてるんじゃ?
自分だけは生き残ろうとする能力だけは、突出して高いから、生存競争の厳しい野良でも生き残れそうだし。
「私もオンライン授業は問題なかったっす。家にいながら、授業できるのはラクでいいっすね。アバターロボの操作なんすけど、ほとんどAIが補助してくれて、複雑な動きも簡単にできるのは気に入ったっす。あと、どういう仕組なのかは、よくわからないんすけど、会話内容と猫のアクションが一致していて、本物の猫になったような気分でしたよ」
おお、高橋さんはよく観察してますね。
ふざけた発言ばかりだったけど、ちゃんと見るべきところは、見てたようです。
あまり、喋らなかったけど、佐藤さんはどう感じたんでしょうか?
「もっと、あなたにさわって欲しかった。撫でて欲しかった。抱いて欲しかった」
……歌詞みたいですね。
一応、全部してやったんだけど、あれだけじゃ不満なんでしょうか。
ゴメンね、佐藤さんだけに構ってやれなくて。
僕は部室のドアを開けます。
「よし、じゃあ、みんな出て。もう、部室を閉めるから」
僕は部室を施錠すると、みんなと一緒に部室棟を出ます。
部室棟の外に出たところで、僕は彼女たちに聞きました。
「みんなは、どこでログアウトするの?」
「私はここでするわ。校内なら、どこでログアウトしても構わないんでしょ?」
「私もここで、ログアウトするっす」
じゃあ、二人とは、部室棟の前でお別れです。
アバターロボは、校内でログアウトすると、以降はAIがアバターロボを制御して、自動的に回収場所である体育館へ戻るようになっています。
だから、校内であれば、どこでログアウトしても構わないのです。
「部長、明日は部活やるんすか?」
「ええ。いつも通りやるわよ。あなたも部活にきなさいよ。今日のイヤがらせの仕返しをするから」
渡辺さんが、僕を見上げながら言ってきます。
なんだよ、ほんの少し、からかっただけじゃないか。
根に持つ人はイヤだな。
「明日の部活が楽しみっす。猫になった先輩を抱っこして、たっぷり、ナデナデしてやるっすよー」
高橋さんの声は弾んでいて、ホントに楽しそうです。
「じゃあ、ログアウトするわ」
「さよならっす」
二人の猫はログアウトしたのか、二匹同時に「ニャア」と僕に向かって鳴くと、体育館のあるほうへ走っていきました。
僕は、走り去る二人を見送ります。
佐藤さんの猫はまだ、残っています。
「佐藤さんはまだ、ログアウトしないの?」
「今日は嬉しかった。あなたにはじめて抱かれたし」
事実だけど、知らない人が聞いたら誤解するから、その言いかたはやめようね。
「今はまだ、全然だけど、いつか、あなたとの距離が縮まることを望んでる。さよなら」
そう言うと、佐藤さんの猫も「ニャア」と鳴きました。
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