第10話 フリーマーケット

 六月上旬の日曜日、自宅。


 僕はカーテンの隙間から漏れる陽の光で、目を覚ましました。


 部屋の時計を見ると、午前十時を表示しています。


 …………。


 そういえば、今日はフリーマーケットの日でした。


 今日は天気もいいし、今ごろ、たくさんの人で賑わっているんだろうな。


 まあ、僕は行かないから、関係ないけど。


 今日は、外出する用もないし、昼過ぎまで、部屋で寝ててもいいよね。


 僕はそう考えて、布団を頭からかぶろうとしました。


 すると突然、部屋のドアが勝手に開いて、妹の心春が入ってきました(もちろんノックなどありません。というか、開けたのは心春です)。


「ねえ、お兄ちゃんの学校で今日、フリマやってんでしょ。行きたいから、連れてってよ」


 心春が、こんなことを言ってきました。


 僕は布団から頭だけ出して、返事をします。


「お兄ちゃんは行きたくないよ。心春、一人で行けよ」


「えー、一人で行くのつまんないー」


「友達を誘って行けよ。お兄ちゃんと違って、たくさんいるだろ」


「たくさんなんていないよ。誘ったけど、部活の練習試合があるから、行けないって」


「……フリマに行って、なに買うんだ?」


「服を買う! この時期に着る服って、あんまり持ってないんだよね。冬とか秋に着る服は結構、持ってるんだけどさー」


 頼んでもいないのに、心春は勝手に僕の部屋のカーテンを開けていきます。


「うーん、面倒だなー。……行かない。あと、勝手にカーテン開けんな!」


 そう言って、僕は布団を頭までかぶります。


「ねー、一緒に行ってよ。買い物したときの荷物持ちも必要だしさー」


 心春は、布団をかぶった僕に訴えかけてきます。


「…………」


「ねーってばー」


「…………」


 返事をしない僕にしびれを切らしたのか、心春はとうとう、僕の布団を剥ぎ取りにきました。


「ちょ、やめろって! なにしてんだ! 寒いだろ!」


「六月なのに寒いわけないでしょ」


 布団を剥ぎ取られ、ベッドの上で、ミノを取られたミノムシ状態になった僕は、大きなため息をついて、敗北宣言をします。


「……わかった。行くよ。着替えるから外に出てろ」


「うん。じゃあ、準備してくるね」


 そう言って、心春は部屋を出ていきます。


 僕はうーんと大きく伸びをして、ベッドから起き上がって、もぞもぞと着替えはじめます。


 このまま、許されるなら、また寝たいくらいですが、そんなことしたら、なにをされるか、わからないので、寝るわけにはいきません。


 ノックしろっていつも言ってんのに、心春、全然しないよな。


 心春は、僕の部屋も、自分の部屋の一部だと思ってるのかもしれません。


 着替えて顔を洗った僕が心春をさがすと、すでにリュックを背負って、玄関で待機していました。


「じゃあ、準備はいいか」


「うん、いいよ」


 僕は心春と一緒に玄関を出ます。


 学校までは、さほど距離はないので、歩きでも問題ないと思うのですが、一応、心春に聞いてみます。


「自転車で行くか? それとも歩いて行くか?」


「歩きでいいよ。そんなに遠くないんでしょ。それに、どれだけ買うかわからないから、自転車だと運べないこともあるし、歩きのほうがいいな」


 自転車で運べないほどの量を兄に持たせるのかと思うと、ぞっとします。


「それに、自転車だと、話しながら行けないしね」


 そう言って、心春が笑います。


「そっか。そうだな」


 心春は、僕とのお喋りを楽しみたいらしいです。


 時々、こういうかわいらしい一面を見せるから、無茶なこと言ってきても、心春を甘やかしちゃうんだよなあ。


 僕は心春と一緒に歩いて、学校へと向かいます。


 夕食で一緒に食べる機会が減ったので、心春とじっくり話すのは久しぶりです。


 心春との会話では、僕はもっぱら、聞き手にまわります。


 心春は話すのが好きなので、勝手に話しているのを僕がいろいろ、ツッコんで聞いてやるのです。


 話す内容は、学校のことが中心ですが、恋愛の話は全然してきません。


 あえて話題にしないのか、それとも興味がないのか、兄としては気になるけど。


 まあ、あと二、三年もしたら、自然と、好きな男の子の話ばかりになるんだろうな。


 そんなふうに、心春と話しながら歩いているうちに、気づくと、いつの間にか、学校の前まできていました。


 校門には「七本木学園高校フリーマーケット本日開催中」と書かれた、大きな看板が設置されています。


 人の出入りが激しいので、やっぱり、たくさんの人がきているみたいです。


「うわー、すごい立派な学校だね。新しい!」


 はじめて僕の学校を見た心春が、感激しています。


 できたばかりだからな。


 ふふっ、こんな立派な学校に通っている、兄を誇らしく思うがいいさ。


「あっ、ちょっと待ってて!」


 心春は僕にそう言うと、校門の近くにいる数人の女子のところへ走って行きます。


 心春とその女子たちは「久しぶりー」「きてたのー」「変わってないねー」などと、言い合ってるようです。


 しばらくして戻ってきた心春は、開口一番、


「お兄ちゃん、もういいよ。帰っても」


 と僕に言ってきました。


「はあ? どういうこと?」


「今、そこでさ、小学校のときの友達を見つけたんだけどさ、その友達と一緒に回ることにしたから、お兄ちゃんは帰っていいってこと。もう、お兄ちゃんに用はないよ」


 ええっ、そりゃないだろ。


 心春が行きたいっていうから、わざわざ起きて、付き合ってあげたのに。


「じゃあね。バイバイ」


 そう言うと、妹は友達のグループに混ざって、そのままどこかへ行ってしまいました。


 ……なんだそれ。


 これじゃ、心春のために、学校までの道案内をしたようなものです。


 まあ、久しぶりに心春とよく話せたし、兄妹水入らずの時間をとれたと思えば、悪くはないか。


 うーん、どうしようかな。


 一人きりになった僕は考えます。


 このまますぐに帰ることもできるけど、せっかくきたんだし、会場のようすくらいは見ていこうか。


 僕は案内板に従って、会場となっている大駐車場へと向かうことにしました。


 今日は確か、うちの部の女子三人も出店しているはずです。


 どこにいるかはわかりませんが、もしかすると、出店している彼女たちと偶然、出会うことがあるかもしれません。


     ◇


 フリマの会場が近づくにつれ、なぜか、おいしそうな匂いが漂ってきます。


 理由がわかりました。


 会場前に、タコ焼き、焼きそば、イカ焼き、綿あめなど、食べ物の屋台がずらりと並んでいたのです。


 屋台の前には、いくつものテーブルと椅子が設置されていて、飲食はここでして下さいと注意書きがしてあります。


 まるで、お祭りみたいですね。


 僕は起きたばかりで、お腹は減っていません。


 だから、そのまま、屋台の前を通り過ぎようとしたのですが――。


「あれっ、先輩じゃないっすか!」


 聞き覚えのある声と喋り方。


 僕が声のしたほうを振り向くと、屋台の前の椅子に座って、タコ焼きを食べている、高橋さんと佐藤さんがいました。


 高橋さんはTシャツとジーンズ、佐藤さんはワンピース、という格好です。


 足元には、リュックが置いてあります。


 ……早くも、出会ってしまいました。


 高橋さんが手を上げて「先輩、ここっすよ」と言うので、僕は彼女のいるテーブルの椅子に座ります。


「先輩、どうしたんすか? こないといってたのに。やっぱ、気が変わって、見にきたんすか?」


 高橋さんが、タコ焼きを食べながら、僕に聞いてきます。


「いや、妹がフリマに行ってみたい、買い物に付き合って欲しいって言うから、一緒にきたんだよ。そしたら、偶然、昔の友達を見つけたらしくてさ、その友達と一緒に回ることにしたから、もう用はないって言われて、放り出されたんだ。それがここにいる理由だよ」


「そうだったんすか。先輩って妹いたんすね。何歳なんすか?」


「十四歳、中学二年生」


「へー、仲がよさそうで羨ましいっすね」


「ええっ、どこが? せっかく連れてきてあげたのに、兄より友達を優先するヤツだぞ」


「一緒にきたんだから、十分、仲がいいじゃないっすか。普通は中学生になると、兄と一緒に行動するのは嫌がるっすよ。それに中学生なら、兄より友達のほうを選ぶのは普通のことっす。友達より兄を優先したら、そっちのほうがヤバいっすよ。ブラコンってことで」


「そ、そっか」


 じゃあ、心春はブラコンじゃないので、一応、健全に成長してる、ということになるのかな。


 心春はわがままな性格だから、振り回されることが多いけど、言われてみれば、この年齢の兄妹にしては、仲はいいほうなのかもしれません。


 いつまで、この状態が続くかはわかりませんが。


「二人はなんでこんなとこにいるの? 出店してたんじゃないの?」


 僕がそう尋ねると、高橋さんが答えました。


「全部、売れたんすよ。私も佐藤先輩も。それで、さっさと店じまいして、ちょっと休憩してたとこっす」


「全部、売れた? フリマが開催されてから、まだ二時間しか、たってないけど?」


「そうっす。私はホラー映画のブルーレイを何十本も出品していたんすけど、まとめて、全部買ってくれた人がいたんすよ」


 うーん、なんか不自然だな。


 ホラーなんて、どちらかというと、マニアックなジャンルだよね?


 そんな映画のブルーレイを大量に買う人が、都合よく、現れるなんて思えないけど。


「それって、転売屋とかじゃないの? フリマにも現れるらしいよ。規模の大きいフリマを朝イチで回って、転売できそうなものを大量に買っていくとか」


「ああ、そうかもしれないっす。両手にたくさん荷物、持ってたみたいっすから。でも、店で売るよりは高く売れたし、なにより、一括で売れたっすからね。それでもいいっすよ」


 まあ、本人が納得していれば、それでいいんだけど。


「佐藤さんの売り物は、動物のぬいぐるみだったよね」


 佐藤さんが、コクンとうなずきます。


「どれくらいの数、売ったの?」


「全部で二十四体」


「そんなに? 短時間でよくそれだけ売れたね。五分で一体、売れた計算になるじゃないか」


「いやいや、先輩は見てないから、わからないでしょうけど、それだけ売れる理由があるんすよ。佐藤先輩の売ってるのは、そこらにあるような、ぬいぐるみじゃないんすよ」


「非売品のものとか?」


「違うっす。大きさが別格なんすよ。先輩のイメージするぬいぐるみって、どんな大きさのものっすか?」


「いや普通に、子供が胸に抱きかかえるくらいの、これくらいの大きさ、だけど?」


 僕は、ぬいぐるみを抱くような仕草をして、大きさを表現します。


「あー、やっぱり。まあ、普通はぬいぐるみっていえば、そんくらいの大きさだと思うっすよね。でも、違うんすよ。佐藤先輩のぬいぐるみは、とにかくデカいんすよ、大人がひと抱えするくらいあるんすよ。それを定価の十分の一以下で売ってるもんだから、親子連れとかがバンバン買っていくんすよ。ブース二つ分あったぬいぐるみが、みるみるうちに、なくなっていくんすよ」


 高橋さんが興奮気味に説明をしてくれました。


 僕が大きさを想像していると、佐藤さんが、僕の服をぐいぐいと引っ張ってきました。


「ん? どうしたの?」


「今の人が持っていたのが、私の売ったぬいぐるみ」


 そう言って、佐藤さんが通路のほうに顔を向けます。


 通路を見ると、小さな女の子を連れた、父親と思われる男性が、大人の背丈よりも大きい、全身が茶色い毛で覆われた、クマのぬいぐるみを両腕で抱えています。


 あれか!


 確かにデカい!


 ってか、デカすぎです!


 デフォルメされた、かわいらしいぬいぐるみではなくて、かなりリアルなぬいぐるみです。


 重量も相当あるらしく、父親のほうは、ふうふう言って、へばりかけているようですが、女の子のほうは、お目当てのものが手に入って嬉しいのか、大はしゃぎしています。


 僕は佐藤さんに聞いてみました。


「佐藤さんは、あんなに大きなぬいぐるみが好きなの?」


「自分の体が乗るくらい、大きいのが好き。今日、処分したのは、昔、集めていた、陸上の動物のぬいぐるみ。今はシャチのぬいぐるみだけを集めているから、陸上の動物のぬいぐるみは、全部、処分することにした」


 ……意外でした。


 佐藤さんのイメージからして、もっとかわいらしい、小さなものが好きと思っていました。


 二十四体も陸上の動物のぬいぐるみが並んでいると、動物園みたいで壮観だったろうな。


 さっきのクマのぬいぐるみをよく見ると、男性がしっかり抱きかかえていても、表面はたいして変形していないことがわかります。


 つまり、それだけ、中身がパンパンに詰まっているということです。


 安物のぬいぐるみだと、中身が詰まってなくて、ふにゃふにゃなんだよね。


 あれくらい、ぬいぐるみが大きくて、中身が詰まってたら、あの子は絶対、ぬいぐるみ目がけてダイブして遊ぶだろうな。


 なるほど、あの大きさで、あの品質。


 それで定価の十分の一以下なら、かなりお買い得ですね。


 五分で一体、売れてもおかしくはありません。


     ◇


「それで、これから二人はどうするの? 売るもの売ったから帰るわけ?」


 僕は、二人の今後について尋ねます。


「私たちは、これから部長のブースへ行くんすよ」


「高橋さんは、渡辺さんがどこに出店してるのか、知ってるの?」


「知ってるっすよ。今日は互いに、出店場所や売れ行きとかの連絡をしあってたっすから」


 高橋さんは、なにかを思いついたかのように、スマホを取り出します。


「せっかくですから、これを期に、連絡先を交換しましょうよ。互いに連絡とれないと、今後、不便なことが出てくるかもしれないっすから。佐藤先輩もするでしょ?」


「するっ!」


 佐藤さんがいつになく、力強くうなずきました。


 別に連絡先を交換しなくても、不便なことなんて、起きないと思うんだけどな。


 ……まあ、いいか。


 万一、なんかあったときのために、知っておいても。


 まさか、僕が女子と連絡先を交換する日がくるなんて、思ってもみませんでした。


 僕はスマホを取り出して、二人と連絡先を交換しました。


 佐藤さんは興奮しているのか、フンフンと鼻息が荒いようです。


 彼女からしたら、(たぶん)ずっと知りたかったであろう、僕の連絡先だから、興奮するのは仕方ないのかもしれません。


 でも、興奮気味の佐藤さんには悪いけど、連絡先を知ったとしても、僕たちは部活で会うだけの関係でしかないし、僕はそれ以上の関係を望んでないから、僕と佐藤さんが、部活以外で連絡を取り合う機会なんて、こないと思うよ。


 今以上の関係になることを期待されても、困るからね?


 まあ、部活で会うだけの関係というのは、渡辺さんや高橋さんにも言えることですけど。


     ◇


 僕がポケットにスマホをしまうと、高橋さんが、


「先輩、先輩、ほら、あーん」


 と言って、爪楊枝をさしたタコ焼きを僕の口元に持ってきて、食べさせようとしてきました。


「いや、あーんってなに? いらないよ。僕、お腹減ってないし」


「先輩、これって、学園ラブコメでは定番の女の子が男の子に、あーんするやつっすよ。こういうの一度やってみたかったんすよ。先輩も入学前、こんな光景を夢みてたんでしょ?」


「みてないって」


 確かに、女の子が手作りしたお弁当のおかずで、そういうことをするシーンは、マンガやアニメで見たことあります。


 でもこれは、タコ焼きです。


 店で買っただけのタコ焼きを「あーん」する意味がわかりません。


「ほら、あーん」


「いや、いらないって」


「あーん」


 ……しつこい。


 しかも、高橋さん、声が大きいから、目立つし。


 まわりの人が、僕たちを見て「こいつらバカップルか」みたいな呆れた表情をして、通り過ぎていくのが、たまらなく恥ずかしいです。


「食べないと、ずっと、あーん、しちゃうっすよ」


 そんなことを言うので、


「わかったよ。食べるから」


 僕は仕方なく、差し出している、タコ焼きを口に入れます。


 むぐ、むぐ。


 表面はカリカリに焼けて、サクッとしていて、中には大きなタコが入っています。


「おっ、タコが大きい。歯ごたえがある」


「おいしいでしょ」


「うん、おいしい。これぞ、本物のタコ焼きだな。こんなにタコが大きくて、採算とれてんのか、心配になるくらいだけど」


「採算はとれてるそうですよ。屋台を出してる『タコ焼き研究部』の部長が言ってたっす」


 そう言って、高橋さんが屋台のほうを見ます。


「えっ、あの屋台、うちの生徒が出してんの?」


「そうっす。ここに並んでいる屋台は、全部、うちの生徒が出してるものっす。『料理部』『菓子研究部』『タコ焼き研究部』とかの食べ物系の部が、部員総出で食べ物の屋台を出してるんすよ。屋台は学校が用意してくれたそうっす」


 部員総出ってすごいですね、稼げるときは、稼げるだけ稼ぐ、ということですか。


 僕たちが話している間にも、多くの人が屋台で次々とタコ焼きを買っていきます。


 そして、屋台を出している生徒も、手慣れた手つきで、次々とタコ焼きを作って、売りさばいていきます。


「おおー、すごいなー、手慣れてるなー。本職みたいだわ」


 彼らの手際のよさに関心します。


 部名に「タコ焼き研究部」とついてるのは、ダテじゃないですね。


「これだけ、人が多いと、売上も相当あるんじゃないの? 売上は全部、部のものになるのか?」


 僕がそう聞くと、高橋さんがタコ焼きを食べながら、説明してくれました。


「場所代とかで、売上の何割かは学校側に渡すらしいっすよ。残った分が部のものになるらしいっす。ただ、実際のところは、金稼ぎより、実績作りが目的らしいっすけど」


「実績作り?」


「屋台を出せば、活動実績が作れるっすからね。全国大会とかのない部活は、こうやって自らアピールして活動実績を作らないと、部費を減らされたり、最悪、廃部とかになったりするそうっすから。今回はお金も稼げて、活動実績も残せて、一石二鳥というわけっすね」


 そうなんだ。


 だとしたら、うちの部、ヤバくない?


 占い部は全国大会なんてないし、こうやって、屋台みたいに店を出すこともないし。


 廃部なんて、そう簡単になることはないだろうけど、部長の渡辺さんは、どういうふうに活動報告してるんでしょうか?


     ◇


 そういえば、目の前には、佐藤さんと高橋さんがいるのに、高橋さんとばかり、イチャついてしまいました。


 佐藤さんは、どんな反応をしているんだろうと思って、彼女のほうを見ると――。


 さっきの高橋さんみたいに「あーん」と言って、僕に自分のタコ焼きを食べさせようとしてきました。


 なんだか、対抗意識があるようです。


 珍しいですね、佐藤さんがこんなアクションとってくるのは。


「いや、いらないって。今、食べたばっかだし」


 僕がそう言って断ると、


「佐藤先輩のも食べてあげましょうよ。私のだけ食べて、佐藤先輩のを食べなかったら、あとで部活の人間関係がギスギスしちゃうじゃないっすか」


 高橋さんが、食べるようにすすめてきました。


「たかがタコ焼き一つで、ギスギスするって、心がすさみ過ぎだろ!」


 僕が高橋さんにツッコミを入れている間も、佐藤さんは、僕の口元にタコ焼きを差し出したままで、微動だにしません。


 ……食べないと、ずっと、こうやってそうですね。


 仕方ない。


 僕は佐藤さんの差し出すタコ焼きに口を近づけると「ぱくっ」とくわえました。


 むぐ、むぐ。


 無表情だった佐藤さんが、タコ焼きを食べる僕を見て、微笑んだような気がしました。


「これで満足した?」


 僕が聞くと、佐藤さんは小さくうなずきます。


「いいっすね。貴重な青春の一ページっすよ。いいシーンが撮れました。あとで、佐藤先輩にも送ってあげるっすからね」


 高橋さんのほうを向くと、彼女がスマホを手にして、今のようすを撮影していました。


「いつの間に! なに勝手に撮ってんだよ! 消せって!」


 こんな恥ずかしい写真を高橋さんのスマホに残しておくわけにはいきません。


 僕は身を乗り出して手を伸ばし、高橋さんのスマホを奪い取ろうとしますが、うまくかわされてしまいます。


「な、なにするんすか! せっかく撮ったのにやめてほしいっす! ああんっ、勝手に体にさわらないでほしいっす」


 僕と体がふれた高橋さんが、艶めかしい声を出してきます。


 そっちこそ、なに言ってんでしょうか。


 コスプレの日のときは、無理やり、自分の体をさわらせようとしてきたくせに。


「ああ、そういうことっすね。わかったっす。写真をうちらだけで独占するのが、気に入らないんすよね。じゃあ、先輩にも写真あげるから、みんなで、思い出を共有するということで。それで、文句なしにするっす」


 高橋さんは椅子に座ったままで、僕の手を器用にかわしながら、こんなことを言ってきました。


「なにが『そういうこと』なんだよ! 全然、わかってないだろ! 僕が言ってるのは、勝手に撮るなということで――」


「スマホを奪っても無駄っすよ。もう、クラウドに保存されてるっすから。残念でした!」


 スマホを奪い取れない僕に、ダメ押しするかのように、高橋さんがそう宣言します。


 その直後、僕のスマホが震えて、写真が届きました。


 高橋さんからのもので、佐藤さんと僕があーんしてる写真です。


 一拍おいて、再び、スマホが震えると、今度は佐藤さんから、写真が届きました。


 高橋さんと僕があーんしてる写真です。


 佐藤さんも撮ってたんかい!


     ◇


 写真は三人で共有されることになりました。


 恥ずかしいから、消してほしかったのですが、仕方ありません。


 十年後くらいに見たら、いい思い出に変わっているかもしれません。


「じゃあ、タコ焼き、食べ終わったし、部長のブースへ行くっすか」


 高橋さんはそう言うと、席を立って、足元に置いていたリュックを背負いました。


 佐藤さんも席を立ちます。


 僕が立ち上がろうとすると、高橋さんが、顔を近づけて聞いてきました。


「当然、先輩も部長のブースへ行くっすよね?」


「はあ? 僕も?」


 僕はここで、二人とサヨナラするつもりだったんですが。


「いや、僕はここで帰るよ」


「えー? 帰るなんて、さびしいこと言わないでくださいよー」


「もう、これで十分だって。二人の顔を見られただけで満足だよ」


「先輩ったら、嬉しいこと言ってくれるっすね。でもそれ、部長にも、直接会って、言ってやってくださいよ。喜ぶっすよ」


 いやいや、絶対、逆の反応するって。


 なんできたのよ、とか。


 僕は帰りたいって言ったんですが、結局、高橋さんに強引に手を引っ張られて、二人と一緒に、渡辺さんのブースへ行くことになってしまいました。


     ◇


 会場は予想通り、多くの人でごったがえしています。


 途中、二人と話しつつ、いろんなブースを眺めながらきたので、渡辺さんのもとに着くまで、時間がかかってしまいました。


「この先っすよ」


 高橋さんの示す先に、渡辺さんがいました。


 渡辺さんは、以前、僕が入部のときに占った、水晶玉で見た通りの服装をしています。


 ショートパンツ姿で、キャップをかぶって、ロングブーツを履いています。


 おおっ、僕の占いの精度はすごいですね。


 ……あれ、でも、売っているはずのブーツが売り場にありません。


 それどころか、レジャーシートを折りたたんで、売り場を片付けているようです。


「あっ」


 渡辺さんが、僕たちに気づきました。


 そして、高橋さんの隣にいる僕と視線を合わせたとたん、


「あんた、なんできたのよ? こないって言ってたんじゃなかったの?」


 と、露骨に不機嫌そうな顔をします。


 ほらね、やっぱり、こんなことを言われた。


 渡辺さんの性格は、僕が一番よくわかってるんだから。


「いろいろ事情があって、くる予定はなかったのに、くることになっちゃったんだよ。そしたら入口のところで偶然、二人と出会って――」


「その通りっすよ。先輩はうちらと出会ってそうそう、帰るとか言ってダダこねて抵抗してたんすけど、それをなだめすかしながら、なんとか、ここまで連れてきたんすよ」


 高橋さんが、かぶり気味に話します。


 いや、そこまで、わがまま言ってないと思うけど。


 帰りたいと言ったのは、事実ですが。


「それで部長、どうして、片付けてるんすか? まだ、昼前っすよ。売れないから、引き上げるんすか?」


「違うわよ。その逆。全部、売れたの、一度に。だから、片付けてるのよ」


 高橋さんが、片付け作業をしている渡辺さんに尋ねると、高橋さんのときのような答えが返ってきました。


 渡辺さんも転売屋の餌食になったのでしょうか?


 僕は渡辺さんに確認をします。


「それ、買っていったのは、どんな人なんだ? 転売屋じゃないのか?」


「転売屋? さあ、わからないけど。買っていったのは男の人よ」


「男なのか? 女性用ブーツを買っていったのは」


「そうよ。中年の男性が全部、まとめて買っていったのよ。その人は『これは、あなたの履いていたものですか。どれくらい履きましたか』って、聞いてきたの。ブーツの見た目は綺麗だし、どうせわからないだろうから、ホントは『未使用です』って言いたかったけど、正直に『数回、履きました』って言ったわ。私がそう答えたら、全部、買っていったの。サイズも確認しないで。誰が履くのかしら。奥さんかしら、娘さんかしら。サイズが合えばいいけど」


 うわあ、そりゃ、買っていったのは、ブーツフェチとかいう、変態ですよ。


 サイズを確認しないで買っていったことがその証拠です。


 未使用って言ったら、売れてなかったでしょうね。


 正直に「履いた」って言ったから、売れたんだと思います。


 履くのは、妻でも娘でもなくて、そのおっさん本人です。


 きっと、今ごろ、渡辺さんの体臭と汗が染み込んだブーツのニオイを嗅ぎながら、すね毛モジャモジャの足をブーツに突っ込んで、身悶えしてるに違いありません。


「そういえば、あの人、売り物じゃない、私の履いてるブーツを指して『これはいくらですか』なんて聞くのよ。変な人よね」


 そりゃそうでしょう、変態なんですから。


 でも、売ったとしたら、それが一番、高値で売れたでしょうね。


「すごいっすねー、売れてよかったっすねー」


 高橋さんは、無邪気に喜んでいます。


「でも、それはきっと、ブーツフェ――、モガッ」


 僕は真相を喋ってしまいそうな、高橋さんの口を塞ぎました。


 それ以上、言ってはいけません。


 知らないほうが、渡辺さんのためです。


     ◇


 僕が会場内をキョロキョロ見回しているうちに、気づくと、渡辺さんの姿が見えなくなっていました。


「あれ、渡辺さんは?」


「部長なら、レジャーシートとか折りたたみ椅子とかの荷物をいったん、ロッカーに預けに行ったみたいっす。体育館に今、ロッカーが設置されてるんで。しばらくたてば、戻ってくるんじゃないっすかね」


「そうか。じゃあ、待ってようか」


 僕たちは、撤去してなにもなくなった、渡辺さんのブースの跡地で、彼女が戻ってくるのを待つことにしました。


「なあ、二人って、どこで渡辺さんと知り合ったんだ? 知り合って、長いのか?」


 ちょうどいい機会なので、僕は、渡辺さんと彼女たちの関係を尋ねてみることにしました。


 最初に、高橋さんが答えてくれました。


「部長と知り合ったのは学校っすね。入学してから一週間ほどたった頃っすかね。私はそんとき、クラスメイトの恋愛運とかをよく占っていたんすよ。それで、占いの評判を聞きつけて、部長が私に声をかけてきたんすよ。もちろん初対面っす」


 へー、そんなことが。


 続いて、佐藤さんが答えます。


「私も同じ頃。学校の帰りに直接、母が経営するスピリチュアルグッズの店に行って、手伝いをしていたら、偶然、部長が店に買い物にきて、そこで声をかけられた。私は学校の制服を着ていたから、それで、同じ学校の生徒だとわかったみたい」


 おおっ、佐藤さんの母親は、占い師をしてるほかに、スピリチュアルグッズの店も経営してるんですか。


「じゃあ、昔からの知り合い、ってわけじゃないんだね?」


「昔からの知り合いじゃないっす。私も佐藤先輩も、占い部をつくるから、部員にならないかって、スカウトされた感じっすかね。でも、実力のある、あと一人がなかなか見つからなくて、それで部が結成できなくて、かなり焦ってたみたいっす。入部希望者は結構、いたんすけどね。でも、実力がないということで、部長が全部、ハネてたんすよ」


 なるほど。


 じゃあ、僕をムリやり入部させようとしたのは、ホントに例外的なことだったんですね。


 そんなふうに僕たちが話していると、渡辺さんが戻ってきました。


 トートバッグを肩にかけています。


「待たせたわね」


「じゃあ、みんな揃ったことだし、全員でフリマ巡りして、掘り出し物さがしをするっす!」


 高橋さんが大声を出して、片手を突き上げます。


 うわっ、高橋さん、テンション高いなー。


 まあ、部活以外で珍しく、部員全員が揃ったことだし、やっぱり、こういう展開になるよね。


 仕方ないですね、最後まで付き合うことにしますか。


 渡辺さんは帰らない僕を見て「こいつもついてくるの?」みたいな顔をしてるけど。


     ◇


 僕たちは、ひと通り、ブースを見て回ることにしました。


 最初のうちは、みんな一ヶ所に固まっていましたが、次第にバラバラになってきました。


 渡辺さんは、とある女性出店者のブースで、売り物のロングブーツを見ています。


 あれだけブーツを売って、またブーツを買うつもりなのでしょうか。


 値札には、値段とともに「未使用のブーツ」と書いてあります。


 ああっ、惜しいですね。


 使用済みなら、ブーツフェチのおっさんが買っていったのに。


 ……いや、出店者は渡辺さんには到底、美貌では及ばないから、やっぱり、売れ残っていたかもしれません。


 佐藤さんも別のブースで、シャチをモチーフにした、手の平に乗るくらいのガラス細工を見ています。


 シャチのぬいぐるみを集めてるって言ってたけど、シャチ関係なら、なんでも興味があるようです。


 高橋さんは、かなり熱心にブースを見て回っているようで、僕たちから一番遅れています。


 特に欲しいものがない僕は、彼女らに構わず、先へとどんどん進みます。


 このままだと、ブースを見ている彼女たちから、はぐれてしまうかもしれませんが、高橋さんと佐藤さんの二人とは、いつでも連絡がとれるので、心配する必要はありません。


 出店エリアの終わりが見えてきたとき、僕はあるブースの前で立ち止まりました。


 斎藤の母親が、店を出していたのです。


 彼女も僕に気づいたようで、挨拶してきました。


「あら、こんにちは」


「こんにちは。あいつはきてないんですか?」


「あの子はきてないの。出店を申し込んだのは私だから」


 そうか、斎藤はいないのか。


 斎藤は、僕の中学時代の友達です。


 ブースには、衣類から食器、家電製品まで、いろんなものが並んでいます。


 家庭の不要なものをまとめて持ってきたみたいです。


「いっぱい、ありますね」


「そうなの。使わないものとか、いらないもの、みんな持ってきちゃった。なにか、買うものはない? 安くしておくけど」


 商売っ気を出した彼女が、僕に笑顔を見せてきます。


 僕はブース全体を見回します。


 残念だけど、特に興味を引かれるようなものはないですね。


 ……ん?


 ブースの奥のほうに、束ねられた雑誌が置いてあります。


 何気なく見た、その雑誌――。


 うおっ!


 あのロリコンマンガ雑誌じゃないですか!


 なんで、こんなところに!


 斎藤が、一週間ほど前、僕にいらないかと聞いてきたロリコンマンガ雑誌が、紐で縛って置いてあったのです。


 一束十五冊、それが二束で合計三十冊。


 数もぴったりです。


 当たり前ですが、家族連れとかもくるフリマでは、アダルト商品は出品することはできません。


 母親が知ってて持ってきたとは思えないので、知らずに持ってきたのでしょう。


 僕は緊張しながら、彼女に尋ねます。


「あの、その雑誌は?」


「ああこれ? 明日の資源ゴミの日に、捨てるつもりであの子が物置に入れていたものなんだろうけど、マンガ雑誌みたいだから、売れるかもと思って、勝手に物置から持ってきちゃった」


 いや、それ、マンガ雑誌は当たってるけど、ロリコンマンガ雑誌ですよ。


 間違いないです。


 この本は、明日、斎藤が自分で捨てるつもりで、紐で縛って物置に入れておいたものです。


 それを知らずに、母親が持ってきたのです。


 これは、運が悪かったとしか言いようがありません。


 まさか、物置から勝手に持ち出されるとは、思ってもみなかったことでしょう。


 表紙には十八禁のマークはあるけど小さいし、表紙のイラストからは性的なものを感じないから、普通のマンガ雑誌と勘違いしたんだと思います。


 なんで斎藤は、よりによって、注目されやすい、表紙のイラストがあるほうを上にして縛ったんでしょうか。


 ヤバいマンガ雑誌なんだから、目立たないように、裏表紙を上にして縛っておけばよかったのに。


 僕は「へー」と言いながら、雑誌に興味があるフリをして、縛ってある底面(雑誌の裏表紙)をこっそりと見てみました。


『ツインテール小学一年生♡抱きまくら♡私を抱いてお兄ちゃん』とかいうキャッチコピーで、抱きまくらの広告が載っていました。


 裏表紙はもっとヤバいものでした。


 ダメじゃん!


 やっぱり、表紙を上にするのが正解でした。


 これはマズいですね、この本をこのままにしておくわけにはいきません。


 誰かが、普通のマンガ雑誌と思って買って、あとで抗議にこられると、ロリコンマンガ雑誌ということがバレてしまいます。


 仮に売れなくても、誰かが「これロリコンマンガ雑誌ですよ」と指摘するかもしれません。


 そんなことをされたら、斎藤がロリコンマンガ雑誌を買っている、変態息子扱いされてしまいます。


 とにかく、今、僕がするべきことは、これをロリコンマンガ雑誌だと母親に知られることなく、速やかに証拠隠滅を図らなければならないということです。


 証拠隠滅するのに一番よい方法は、今、ここで僕が買ってしまうことです。


 買ってしまえば、母親はこれがロリコンマンガ雑誌だなんてことは、わからなくなるわけですから。


 僕は動揺してるのがバレないように、平静を装って、彼女に聞きました。


「あの、これいくらですか?」


「あっ、買ってくれるの? そうねえ、一束五百円でどうかしら」


 ということは、二束あるから千円ですか。


 まったく必要ないものに、千円も出すのはバカらしいので、値下げ交渉したいところですが、これにあまり注目されるとマズいし、一刻も早く、持ち去って証拠隠滅を図らないといけないので、値下げ交渉なしで、言い値で買うことにします。


「じゃあ、これを二つ」


 僕は千円を財布から出して、購入します。


「商品を入れる袋は一応、用意してあるんだけど、それがすっぽり入るほど、大きなのはないのよねえ。それは、そのまま、持ち帰ってもらうことになるけど、いいかしら」


 そう言って、彼女は袋を見せてくれますが、不透明ではなくて半透明です。


 まあ、どっちにしろ、小さい袋なので、本を入れるのは無理ですけど。


「ええ、このままで構いません」


「ありがとうね。また、うちに遊びにきてね」


「はい。じゃあ、さよなら」


 僕は別れの挨拶をすると、片手に一束ずつ持って、すぐにその場を離れます。


 ブースが見えないくらい離れたところで、僕は安堵のため息をつきます。


 はー、ドキドキしました。


 よかった、証拠隠滅成功です、バレずに済みました。


 とりあえず、これで、斎藤が母親にロリコンだと疑われることはなくなりました。


 それはよかったのですが、今度はこれを持っている限り、僕がロリコンだと疑われてしまうので、早くどうにかしないといけません。


 ……しかし、これ重いですね。


 しかも、紐が細いから、手に食い込んで痛いし。


 よし、とりあえず、この本は、体育館に設置されたロッカーに入れておくことにします。


 あとは自宅から、この本を入れるためのバッグや袋とかを持ってきて、誰にも見られないよう、自宅まで持ち帰れば一段落ですね。


 本の処分方法は、持ち帰ってから考えることにします。


     ◇


 僕がロッカーのある体育館のほうへ行こうとすると、


「あー、先輩、こんなとこにいたんすか。さがしたっすよ」


 高橋さんが手を振って、僕のほうへ向かって走ってきました。


 しかも、後ろには、ほかの二人もいます。


 なんで、よりによって、こんなときに!


 もうしばらく、商品選びに熱中していてくれればよかったのに。


 僕はとっさに、両手に持っている本を背中に隠します。


 ですが、それを見逃す、高橋さんではありませんでした。


「あれー、先輩、なに、後ろに隠したんすかー、なに買ったんすかー」


 高橋さんはそう言って、僕の後ろに回り込んで、隠したものを見ようとしてきます。


「やめろ! 覗くなって!」


「なんでですかー、怪しいっすねー」


 面白そうなものを見つけた子供みたいに、高橋さんの目がキラキラと輝いています。


 やばっ、高橋さんに興味を持たれてしまいました。


 僕は高橋さんの動きに合わせて、右側から覗かれたら本を左側に隠し、左側から覗かれたら本を右側に隠します。


 高橋さんが僕の手にしたものを覗こうと、僕のまわりをクルクル回るのに合わせて、僕もクルクル回ってしまいます。


 しつこい!


 僕の持っている本が、激しく振り回されます。


 その結果、本を縛っていた紐が緩んで、三十冊のロリコンマンガ雑誌が路上に散らばってしまいました。


 ぎゃ――――!


 やってしまった!


 僕は急いで、まわりに散らばった本を拾い集めます。


 二十五、二十六、二十七……。


 あれっ、三十冊あるはずなのに、三冊足りません。


 しゃがみこんで地面を見渡しますが、ほかに本は落ちていません。


 振り回したときの遠心力で、もっと遠くまで飛んだんでしょうか?


 本をさがそうと立ち上がってあたりを見回すと、いつの間にか、女子三人が、僕の落とした本を手にして読んでました。


「うわあっ! なに読んでんだよっ!」


 僕は慌てて、彼女たちが読んでいる本をひったくるようにして回収します。


 三人とも黙って僕を見つめていますが、特に渡辺さんからは、刺すような視線を感じます。


 マズいです、僕の人間性を疑われないように、早く、彼女たちの誤解を解かないと。


 本を回収した僕は、通路のわきに本をまとめて積むと、みんなに向かって言いました。


「ち、違うぞ! この本を買ったのには事情があるんだ! この本は買いたくて買ったわけじゃないんだ! 僕は断じてロリコンじゃない! 僕はホントは、こういうマンガには興味はないんだ!」


 僕が全力で否定すると、渡辺さんが詰め寄ってきました。


「なんなのよ! そのいかがわしい本は! 表紙にかわいらしいイラストが描かれているから、なにかと思って、見ちゃったじゃない! それって、成人指定のロリコンマンガじゃないの!」


「そ、そうだね」


「それをこんなとこで、平然と買っているあなたが一番おかしいのだけど、出品されていることもおかしいのよね。こういうものは、出品できないはずなんだけど」


「そうなんだ。それに気づいたから、僕が買って、ほかの人に買われないようにしたんだよ」


「なんで、それをあなたが買う必要があるの? これは出品禁止ですよって、指摘してあげればすむ話じゃない。なんで、わざわざお金を出して、あなたが買うの?」


 もっともな意見です。


 でも、それができないから、買ったんです。


「そ、それはだな。本はもともと僕の友達の兄のものなんだ。友達は兄から、本をもらったんだけど、興味がないから捨てるつもりだったんだよ。ところが、そいつの親が、その本をロリコンマンガと知らずに、会場に持ってきてしまったんだ。指摘したら、ロリコンマンガってことがバレるだろ。そしたら、そいつが、親から『うちの息子はロリコンなのでは』って、疑われるだろ。だから、指摘したくてもできなかったんだよ」


 これが、僕にできる、精一杯の説明です。


「ふーん、たいしたものね。頭が悪いのに、瞬時にそれだけのストーリーを作りあげて、いもしない友達のせいにするなんて」


「こんな、ややこしいウソを瞬時につけるわけないだろ! 全部、事実だよ!」


 僕の言ったことを全然、信じてくれません。


 しかも、僕に友達がいないと決めつけてるし。


「あと、僕にもいるって、友達くらい」


「どこに友達がいるのよ! あなた、ハイキングのときだって、一人で歩いてたじゃない」


 それは、渡辺さんだって同じじゃないか。


 一人さびしく、岩の上に座って、休憩してたくせに。


「いや、ほかのクラスにいるんだよ。クラスが違うから、会わないだけで」


「じゃあ、私の前に連れてきなさいよ。本当にいるんならね。そして、紹介してみせなさいよ。これが僕の友達です、って」


「なんで僕が、そんな、結婚相手を親に紹介するみたいなことをしないといけないんだよっ!」


「やだ、よく考えたら、うちの部、二人があなたの性の対象になってるじゃない。どうすんのよ」


 渡辺さんは困ったような表情をして、そう言いました。


 二人って、佐藤さんと高橋さんのことだよね?


 さりげなく、幼児体型の佐藤さんをディスるなっての!


 今の話を聞いていたのか、高橋さんが、意を決したように僕に話しかけてきました。


「先輩っ、私は年齢のわりに発育がいいほうなんで、高校生に見られることがよくあるっす。飛び級したから高校生になってますけど、本来、私は中学一年の十三歳っす。数ヶ月前までは小学生やってたっす。先輩が重視しているのは、見た目なのか、年齢なのか、はっきり言ってもらえると、心の準備ができるっす。あっ、もしかして、十三歳は対象外なんすかね?」


 心の準備って……、高橋さんは僕をどういう人間だと思ってるんでしょうか。 


「小学生や中学生に興味はないし、高橋さんにも興味はないから安心しろ! 僕はロリコンじゃないんだってば!」


 なんで、僕の言うこと、信じてくれないんでしょうか?


 僕って、そんなに信用ないかな?


 僕は佐藤さんのほうに視線を向けます。


 三人の中で、まだなにも言ってこないのは佐藤さんだけです。


 彼女も、僕のことをロリコンと思ってるんでしょうか。


「……大丈夫。そんなにムキになって否定しなくていい」


 僕の胸の内を察したのか、佐藤さんが穏やかな口調で言いました。


「ずっと前から、ロリコンだって知ってたから」


「いつ、僕がロリコンになったんだよ! 全然、知ってないだろ! というか、さっきから、ロリコンじゃないって言ってるだろ! 聞いてないのか!」


 佐藤さんは、あの抱きつき事件以降、ずっと僕をロリコンだと思っているみたいです。


     ◇


「とにかく、あなたがロリコンと発覚した以上は、部活動中、あなたを縛っておく必要がありそうね。そうしないと、安心して、ほかの二人が部活動できないから。部長である私は、部員の安全を確保する義務があるし」


 渡辺さんが、当然と言わんばかりの表情をして、僕にこんなことを言ってきました。


「それじゃ、僕が部活動できないだろ! 今どき、捕まった犯罪者でも、そんなひどい扱い、受けないっての!」


 あまりの理不尽さに、僕はいきどおります。


 すると、そんな僕を見た高橋さんが、渡辺さんに話しかけました。


「部長、先輩の言い分を聞かずに、いきなり、そんなことを決めるのはひどいっすよ。とりあえず、今日は、こんな場所で詳しい話を聞いてるわけにもいかないっすから、明日、あらためて、部室で先輩から話を聞きましょうよ」


 おおっ、まさか、高橋さんが僕の味方になってくれるとは。


「私と佐藤先輩、どっちが、どストライクなのかって」


「どっちも、どストライクなんかじゃないっての!」


 僕はロリコンじゃないって、何度も言ってんのにしつこい!


 ……もういい加減、否定するのも疲れてきました。


「そうね。とりあえず、ここでは、このロリコンを糾弾、いえ、話を聞く余裕もないから、そうしたほうがよさそうね」


 よほど、僕を締め上げるのが楽しみなのか、渡辺さん、本音が漏れてますよ。


「あなたへの対応は、明日の部活でみんなと相談して決めるから。いいわね、このロリコン!」


 みんなと相談なんて絶対ウソです。


 渡辺さんが、全部、独断で決めるに違いありません。


     ◇


 僕たちが、さっきから何度もロリコンと連呼しているせいか、何人かの通行人が足を止めて、僕たちのことを見ています。


「なあ、みんな騒ぎすぎじゃないか? 注目あびてるけど」


 僕はまわりを見ながら、みんなにそう言います。


「ああっ、こりゃ、マズいっすね」


 状況を確認した高橋さんが、リュックから、なにかを取り出して、僕によこしてきました。


「先輩、これ、ブルーレイの販売用に持っていたビニール袋っす。これあげるんで、その本をこれに入れるといいっす」


「……助かったよ」


 袋を受け取った僕は、高橋さんに礼を言って、足元に積んでいた本を袋に詰めていきます。


 …………。


 よし、詰め終わりました。


 不透明のビニール袋なので、外からはロリコンマンガとはわからないはずですが、誰と出会うかわからないので、いつまでもこんなところにいないで、帰ったほうがよさそうです。


「じゃあ、僕はこれで帰るから」


 両手に袋を持った状態で、僕はみんなにお別れの挨拶をします。


「ええっ、帰るんすか? それをいったん、ロッカーに預けて、私たちと一緒に会場を回るという手もあるっすけど?」


「いやいい。用はもうないし、帰るよ」


 そう言うと、渡辺さんが僕に聞いてきました。


「用って、ロリコンマンガをさがすこと? それとも、会場にいる幼女を物色すること?」


「どっちも違うっての! 後者は完全に犯罪者の行動だろ! 僕がなんでフリマにきたのか、知りたければ、高橋さんたちに聞けって。話してあるから」


「帰りたければ、帰ってかまわないわよ。そんなお宝が手に入ったら、すぐに帰りたくなるわよね。ええ、いいわ、邪魔したりしないから。そして、明日を震えて待つがいいわ」


 もうすでに、結論は決まってるような言い方です。


 渡辺さんは僕を罪人として、裁く気満々のようです。


「せっかくの機会だったのに、一緒にいられないのは残念っす」


「……一緒に見て回りたかった」


 高橋さんと佐藤さんが、残念そうにつぶやきます。


 二人の中では、僕はロリコンということになってるんでしょ?


 僕と一緒ってことは、ロリコンと一緒に会場を見て回るってことだけど、それって、イヤなんじゃないの?


 まあ、仮にそっちがイヤじゃなくても、僕のほうは、そう思われてることがイヤなんだけど。


     ◇


 別れる前に、僕は、最後の念押しをします。


「何度も言ってるように、僕はロリコンじゃないし、この本は、買いたくて買ったんじゃないからな。明日、部室で弁明するから」


 あーあ、明日、また、同じことを部室で一から説明しないといけないかと思うと、うんざりしますね。


「部長、明日は、私たちがオンライン授業の日なんすけど、部活もやるんすか」


 渡辺さんにそう聞いたのは、高橋さんです。


「ええ。この男を糾弾するくらいなら、オンラインでもできるから、やるつもりだけど」


 とうとう、渡辺さんが本音を隠さなくなりました。


 せめて、話を聞くとかに修正してくれないでしょうか。


 高橋さんの言う通り、明日は、はじめてのオンライン授業の日です。


 ただし、女子だけ。


 生徒の半分、女子は登校しないから、休みになる部活が多いようだけど、渡辺さんの話からすると、やるみたいですね。


 糾弾されるとわかっている部活には行きたくないけど、明日はみんなと直接、顔を合わせなくてもいいから、少しは気がラクかも。


 女子は全員「猫」ですから。

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