第4話 占い部結成
翌日、昼休みの教室。
渡辺です。
今日は、登校してからずっと、あいつを監視しています。
あいつ、というのは、橋本くんのことです。
昨日は、バスで学校に戻ってきたあと、すぐに解散となりました。
あいつはバスの中では、誰とも話さないで大人しくしてたし、解散後は一人で帰ったみたいだから、クラスメイトにあのことは話してないはずです。
話していたら、今頃、教室は大騒ぎになっているだろうし、絶対、誰かが、私に真相を聞いてくるでしょうから。
昨日のようすでは、あいつはあのことを誰かに話すつもりはないみたいでした。
でも、本人がそう言ったわけじゃないし、今日も大人しく黙っているとは限らないので、あいつが誰と話すのか、こうやって、目を離さないようにしているのですが――。
なによ、あいつ。
もうすぐ昼休みが終わる時間だというのに、誰とも話さないじゃない。
昼食のときは、食堂でこっそりあいつを監視してたけど、一人で天ぷらそばを食べてるだけだったし。
そのあと、図書館へ行ったから、そこでも監視してたけど、一人でライトノベルを読んでるだけだったし。
昼休みが終わりそうになって、教室に戻ってきてからは、自分の席でひたすらスマホをいじってるだけだし。
もちろん、授業の合間の休み時間もずっと一人でした。
どうなってんの?
…………。
もしかして、あいつ、ぼっち?
そういえば、昨日、あいつは一人で歩いてたような気がします。
あのときは気にも留めてなかったけど。
クラスでぼっちは、私だけかと思っていたのに……。
……いや、別にシンパシーなんて、感じてないわよ。
感じるわけないでしょ、こんなやつに。
今まで、こんなやつに注目したことなかったから、気づかなかったけど、ぼっちなら別ね。
話す相手がいないのなら、あのことを誰かに知られる心配はないし。
なんだ、必死になって、あいつを監視してた私がバカみたいじゃない。
…………。
いや、でも、まだ放課後があります。
帰る途中で偶然、居合わせたクラスメイトの誰かに、あのことをポロッと話すかもしれません。
「なあ、聞いてくれよ、実はさあ……」とか言って。
……ありえます。
まあ、友達でもないやつから、いきなり、そんなことを打ち明けられても、相手が信じるかわかりませんが。
さすがに放課後以降は、あいつを監視することはできません。
……やっぱり、このまま、あいつを野放しにしておくわけにはいかないわね。
正直言って、あいつがあのことを誰かに話すんじゃないかと思うと、枕を高くして眠れないので、もしものことを考えて、早めに口封じ、じゃなくて、手を打っておくことにします。
ちょうどいい、考えが浮かびました。
一石二鳥ともいえる考えが。
さっそく、今日の放課後、実行することにします。
◇
橋本です。
午後の最後の授業が終わって、僕が帰ろうかと席を立つと、渡辺さんがやってきて、こんなことを言ってきました。
「先生たちが、昨日のことについて、詳しい内容を聞きたいって言ってるから、私と一緒にきてちょうだい」
「ええっ?」
昨日のことって、当然アレのことだよね?
先生には言わないはずだったんじゃないの?
渡辺さんが言わないほうがいい、って言うから、僕はそれに同意したのに……。
あとから聞かれて、やっぱり、話してしまったんでしょうか。
それとも、誰か見ていた人がいて、そっちからバレたのでしょうか?
「ついてきて」
渡辺さんはそれだけ言うと、教室を出ていきます。
僕も渋々、あとをついていきます。
内容が内容だから、先生だけでなく、きっと校長とか、上のほうの人もいるんだろうな。
話すにしても、どこまで話していいんでしょうか。
「ねえ、今のうちに、どう説明するか、口裏合わせ程度はしておいたほうがいいんじゃないのかな? 僕、聞かれたら、うまくごまかすことなんてできないよ」
後ろから、小声で渡辺さんに話しかけますが、返事はありません。
彼女は無言のまま、階段を下りて、僕を校舎の一階へと連れていきます。
◇
一階の廊下に、渡辺さんの履いているロングブーツの靴音が響いています。
なんで、生徒が校内でこんな靴を履いているのかというと、七本木学園高校は、登校時の靴のまま(つまり土足です)、校舎内に入る学校だからです。
靴を脱ぐという習慣のない、海外の学校と同じ、といえばわかりやすいでしょうか。
なので、うちの学校には上履きがないし、玄関に靴箱もありません。
サンダル以外なら、なにを履いてもいいので、渡辺さんみたいに、ロングブーツを履いて登校してきても問題はないのです。
そういえば、彼女は入学したときから、一貫してロングブーツを履いてるような気がします。
よほどロングブーツが好きなのか、ファッション的なこだわりがあるのかわかりませんが、気温が高くて、足もムレやすいだろうに、よく履くなと思います。
…………。
しかし、こうして渡辺さんの後ろを歩いてみると、彼女、結構、背が高いですね。
ブーツの分を考慮しても、百七十センチ以上は、確実にあると思います。
僕は百六十センチくらいしかないから、羨ましいですね。
せめて、僕もこれくらい身長があれば、そう簡単に、女子と間違われることもなかったのに。
まあ、羨んでもどうにもならないんだけど。
◇
渡辺さんが、一階の突き当たりの部屋の前で立ち止まりました。
プレートには「第一会議室」と書かれています。
ここに、先生たちが集まっているのでしょうか。
これからのことを想像して、僕が身震いしていると、突然、渡辺さんが無造作に部屋のスライドドアを開けました。
ええっ?
ノックぐらいしろって!
彼女にそう注意しようと思いましたが、部屋の中には誰もいません。
コの字型に並べられた長机と、パイプ椅子が等間隔で置かれているだけ。
「あれ? 誰もいないけど。これからくるの? 時間と場所は合ってるんだよね?」
僕は渡辺さんに聞いてみました。
「先生たちはこないわ」
えっ?
「こないってどういうこと? クマに襲われた件で、詳しい話が聞きたいからって、僕たち、呼ばれたんだよね?」
「違うわ」
「はあ?」
「最初から、先生には呼ばれてないわ。先生が詳しい内容を聞きたい、というのはウソよ。それに、あなたに用があるのは、先生じゃなくて私。あなたに用件を正直に話しても、ここまでついてくるとは思えなかったから、少しだけ、強引な手段を使って、あなたをここに連れてきたの。ああ、用件というのは、あの件とは無関係よ」
「なんだよ、それ!」
いくら温厚な僕でも、こんなことされたら、ブチ切れます。
「つまり、騙して僕をここに連れてきたってこと? なんでそんなことするのさ。あの件と関係がないのなら、教室で用件を話せばいいじゃないか」
「教室ではダメなの。ここにきてもらわないと」
「…………?」
「とりあえず、そこに座って」
渡辺さんが、僕に椅子に座るよう言ってきます。
僕はこんなところに長居するつもりはないので、立ったままで一向に構わないのですが、座らないと用件を話さないみたいなので、仕方なく、椅子に座ります。
僕が椅子に座ると、渡辺さんは立ったまま、僕のほうに顔を近づけてきて、こんなことを聞いてきました。
「ねえ、橋本くん、あなた、なにも部活入ってないでしょう?」
いきなり、どうしたんでしょうか。
今まで、一度も僕のことを名字で呼んだことないのに、こんな猫なで声で話しかけてきて、なんか怪しいですね。
警戒しないと。
「その質問と、ここにきたことと、なんの関係があるわけ?」
「いいから、答えなさいよ」
質問に答えたら、ここから解放してくれるんでしょうか。
質問の意図はわかりませんが、部活に入ってないのは事実なので、僕は「入ってない」と素直に答えました。
「バイトは?」
「……してないけど」
「塾は?」
「……行ってない」
なんのために、こんなこと、聞いてくるんでしょうか。
「じゃあ、暇をもてあましているはずよね。ちょうどいいわ。あなた、部活に入って、充実した学生生活、送りなさいよ。そうね『占い部』なんてどうかしら」
渡辺さんがセリフ棒読み状態で、こんなことを言ってきます。
勝手に、暇って決めつけないで欲しいんだけど。
それに、占い部?
もしかして、部活の勧誘が目的なんでしょうか?
僕は占いなんて、興味ないのに。
「占いは女の子に人気があるし、占いができるようになれば、女の子にもてるわよ」
渡辺さんが、とうとう怪しい誘い文句を口にしました。
僕の中で、彼女に対する警戒度がMAXになります。
「いや、別にもてなくていいから。もう、帰るよ」
僕が席を立とうとすると、
「入部しなさい!」
渡辺さんが、強い口調で言ってきました。
「なんで、そんなに占い部なんてのを勧めるのさ?」
渡辺さんと占い部に、なんの関係があるんでしょうか?
「私が部長をしているのよ」
……はじめて知りました。
そうなんですか、だから、こんなに勧誘してくるんですね。
あれ、でも、今まで勧誘されたことなんて、一度もなかったんですけど。
変ですね、急に今になって。
……はっはーん。
僕は気づきました。
渡辺さんは、僕があのことを誰かに話してしまうのではないかと、警戒してるんじゃないでしょうか?
それで強引に、自分が部長をしている部の部員にして、放課後、僕がほかの生徒と接触しないよう、行動を制限して、監視下に置くつもりなのでは……。
彼女の不自然な行動からして、そうとしか考えられません。
なんだ、やっぱり、後ろめたい気持ちがあるんじゃないですか。
そうなら、最初から素直に、そう言えばいいのに。
「心配しなくても、あのことは誰にも言わないよ。安心していいよ。だから、部活には入らないよ。それでいいでしょ?」
渡辺さんが、なぜ誘ったのかを理解した僕は、彼女を安心させるために、そう言ってやりました。
これで、用件はすんだはずです。
僕が席を立って、ドアのほうへ行こうとすると、今度は渡辺さんに腕を掴まれました。
「まだ話は終わってないわよ! 椅子に座りなさい!」
そして、僕に座り直すよう、命令をしてきます。
あのことを誰にも言うなってこと、だけじゃないんでしょうか?
まだほかにも、あるんでしょうか?
とりあえず、話を全部聞くまでは、僕を帰すつもりはないようなので、さっさと話を終わらせてよと思いながら、僕はまた椅子に座ります。
その直後――。
コンコン。
ドアをノックする音がしました。
あれっ、誰かきました!
この部屋、空いてるんじゃなかったの?
渡辺さんは、慌てる僕とは対象的に落ち着き払って、
「どうぞ。入っていいわよ」
と、ドアの向こうの相手に返事をします。
「…………」
ドアが開いて、ローファーを履いた、ショートヘアの女の子が無言で入ってきました。
今年、開校したばかりのこの学校にいるということは、僕と同じ、高校一年生のはずですが、この子は体つきが幼くて、とても高校生には見えません。
身長は百五十センチ、ないかもしれません。
ブレザーの上からでもわかりますが、胸は全然ありません、ぺったんこです。
小学生って言われても、納得してしまいそうです。
「ちわーす!」
そう言いながら、次に入ってきたのは、スニーカーを履いた、ポニーテールの活発そうな感じの女の子です。
この子は、さっきの子とは違って、高校生らしい体つきをしています。
胸も結構あります。
身長は、僕と同じくらいでしょうか。
二人とも、顔立ちの整った美少女です。
「椅子に座ってて」
入ってきた二人に、渡辺さんが指示をすると、彼女たちは、僕の向かいの席に座ります。
突然、見知らぬ二人の女の子が入ってきたので、僕は困惑します。
「だ、誰?」
「占い部の部員よ」
渡辺さんが、僕の疑問に答えます。
部員との顔合わせをさせるため、僕をここまで呼んだのでしょうか。
でも、僕は入部する気なんてないですから。
ショートヘアの子は、なにか気になることがあるのか、椅子に座ってから、ずっと、僕の顔を見つめています。
な、なんでしょうか?
理由を聞こうと思ったそのとき――。
「あなたは男子? 女子? 部長の知り合い?」
うっ、また聞かれてしまいました。
入部希望者を連れてくるってことで、渡辺さんは、彼女たちを呼び出していたんだろうから、そのときに、僕が男子であることくらい、伝えておいてくれればよかったのに。
「僕は男子で、渡辺さんの知り合いというか、クラスメイトだよ。部員にならないかって、だま……」
なにやら刺すような視線を感じたので、渡辺さんのほうを見ると、こっちをにらんでいます。
……どうやら、騙してここに連れてきたことは、秘密にしてもらいたいみたいです。
なんだよ、事実じゃないか。
そんなに、見栄を張りたいのでしょうか。
「部員にならないかって、……誘われてここにきたんだ」
――不本意だけど、言い直してやることにしました。
ホントは騙されて、ですけど。
部長という立場のある、渡辺さんの顔を立てて、こういう言い方をしてあげたんだから、感謝して欲しいですね。
「そうなんだ。それで、あなたは、どんな占いができるの?」
ショートヘアの子が僕に聞いてきます。
「占い? できないよ。興味もないし」
「……驚いた。そんな人を部長が連れてくるなんて」
「そんなに驚くようなことなの?」
「部長の方針で、占いの才能がない人の入部希望は全部断ってきた。才能がないと、占い部には入部できない」
ショートヘアの子が部の方針を説明してくれました。
「普通、部活って、それが好きな人とか、興味のある人が入るものじゃないの? 才能がないと入部できないって、条件が厳し過ぎると思うけど。プロを目指すわけじゃあるまいし」
僕がそう言うと、渡辺さんが反論します。
「仕方ないでしょ。才能がない人を無条件に入れていたら、今週の恋愛運やラッキーアイテムがどうのこうの言って、きゃあきゃあ騒ぐだけの部活になってしまうわよ。私は、占い部をそんな低レベルな部活にはしたくないの。占いの才能を持っている人だけが集まるような、少数精鋭の実力主義の部活にしたいのよ。そして、互いに努力し合って、占いの技術を磨いていけるような部活を目指したいの」
ええ――――!
僕の知ってる渡辺さんの性格からは、想像もつかないほど、高尚な目標なんですけど。
「だから、部長がなぜ、占いができないという、あなたを誘ったのかがわからない。でも、あなたが入部してくれると、人数が四人になって、はじめて、部活動が認められるようになる。私は早く部活動をはじめたい」
「余計なことは言わないで!」
ショートヘアの子が補足すると、渡辺さんが声を張り上げました。
入学してから結構たつのに、渡辺さんを含めて、いまだに部員(正確にはまだ部員じゃないけど)が三人しかいないって、条件を絞りすぎなんじゃないの?
この子、早く部活動をはじめたいって、嘆いてるけど。
僕を部活に誘ったのは、自分の目の届くところに置いて、監視するためだと思っていたのですが、部員の数合わせも兼ねていたみたいです。
◇
「で、どうするの? 入部するの? しないの?」
渡辺さんは立ったまま、椅子に座っている僕に聞いてきます。
……高圧的な態度で。
彼女は自分の立場が、わかっているのでしょうか?
僕が入部しないと、人数足りないから、部活動、できないんですよ?
ホントは、渡辺さんが僕に頭を下げて、頼み込む立場にあるんですよ?
僕は心の中で、渡辺さんにそう言ってやります。
まあ、僕は最初から、入部しないって言ってるわけですが……。
僕は向かいに座っている、二人の女の子のほうを見ました。
ポニーテールの子は、期待を込めた、キラキラした目で僕を見ています。
そんな目で見るなよ……、断りづらくなるじゃないか。
ショートヘアの子は、無表情で僕を見ていますが、早く部活動をはじめたいって言ってたし、心の中では、僕が入部するのを期待しているはずです。
二人とも美少女だし、渡辺さんも性格さえ気にしなければ美少女だし、男は僕一人だから、常に美少女に囲まれているわけで、部活環境は悪くありません。
でも、さすがに、そんな理由で入部するわけにはいきません。
僕が渡辺さんのほうを見ると、彼女と目が合いました。
僕をにらみつけています。
彼女は、人をにらみつけて、圧力をかけることしか能がないのでしょうか?
これ、チキンレースじゃないですか。
二台の車が離れた場所から、相手めがけて突進して、衝突の恐怖にびびって、先にハンドルを切って、避けたほうが負けという、アレ。
僕は渡辺さんの「入部しなさい」という、無言の圧力をはねのけようとします。
「………………」
「………………」
僕と渡辺さんでにらみ合い、しばらく無言の時が流れます。
◇
「……ま、まあ、そこまで僕を必要としてるなら、入部してやっても、いい、かな?」
僕は彼女から視線をそらすと、そう言いました。
――先にハンドルを切ったのは、僕のほうでした。
いや、これは断じて、渡辺さんの圧力に屈したわけではありません。
せっかく、あと一人で部活動が認められるのに、僕が断ったら、この子たちが、がっかりするだろうからという、この子たちを思ってのことです。
「やったー、これでやっと部活動できるっす」
ポニーテールの子が喜んでいます。
ショートヘアの子は、これで部活動できることが確定して安心したのか、スマホを取り出していじりはじめました。
「なら、これで四人ね」
僕に無言の圧力をかけていた、渡辺さんの表情が緩みます。
「今、入部届けを出してくれる? スマホ持ってるでしょ?」
渡辺さんが僕の隣にきて、腰をかがめるようにして、スマホからの入部方法を説明してきます。
「ここの『未承認の部活動』というカテゴリから、『占い部』というのを選択して」
隣りで説明する渡辺さんから、甘い香りがします。
なんで、女の子って、こんな甘い香りがするんでしょうか。
僕の顔のすぐ横には、渡辺さんの顔があります。
切れ長の目、長い睫毛、そして……、視線を下に移すと、豊かな胸の盛り上がりが見えます。
僕は昨日のハイキングで見た、下着姿の渡辺さんを思い出します。
…………。
僕の顔は今、真っ赤になっているのかもしれません。
なんだかんだ言っても、やっぱり渡辺さんは綺麗ですよね。
外見だけは。
……中身はアレですが。
なにかの間違いで、卒業間近にこんな感じの綺麗な(もちろん心も)女の子が「あなたが好きなの。あなたといつまでも一緒にいたいの」とか言って、僕の胸に飛び込んできたりしないでしょうか。
……って、あるわけないですよね。
バカな妄想をしつつも、僕は渡辺さんの指示通り、スマホを操作して、入部手続きを完了させました。
「はい。これで入部完了ね」
渡辺さんはそう言うと、嬉しそうに笑います。
黙っていても綺麗ですが、笑うと一段と綺麗です。
自分で美少女とか言うだけのことはあります。
「じゃあ、顔合わせもすんだし、今日はこれで終わりよ」
そう言って、渡辺さんが僕のそばから離れようとします。
あっ、まだ肝心なことを教えてもらっていません。
慌てて、僕は彼女に声をかけます。
「ま、待ってよ」
「なに?」
「この子たちの名前を教えてよ。僕はまだ知らないんだから」
僕は向かいに座っている、二人のほうを手で示します。
「なんのために?」
「だって、これから同じ部の仲間でしょ。相手の名前知らなきゃ、なんて呼べばいいのさ」
「適当に名前つければ?」
「ペットじゃないんだから! そんなことできるか!」
「仕方ないわね。じゃあ、教えてあげるから、しっかり覚えなさいよ。そっちが佐藤さんで、こっちが高橋さんよ」
ショートヘアの子が佐藤さんで、ポニーテールの子が高橋さん……、と。
渡辺さんは部員の名前を教えるくらいで、なんで、こんなに偉そうなんでしょうか。
「なるほど、わかった。それで、下の名前は?」
「はっ? 下の名前? フルネームを知りたいってこと? なんでフルネームを知る必要があるの? 会話するときは、上の名前だけ知ってれば十分でしょ? 下の名前はなんのために必要なの?」
「えっ?」
なにか、渡辺さんの気に障るようなことを言ったでしょうか。
彼女は畳み掛けるように質問すると、僕に詰め寄ってきます。
「もしかして、部活のときは、女子を下の名前で呼ぼうとか思ってるの? ライトノベルの主人公みたいに」
「い、いや、そんなこと思ってないけど」
「現実と妄想を一緒にされると困るから、教えてあげるけど、現実では、女子の下の名前なんて聞いても、恋人か、それに近い関係にでもならない限り、呼ぶ機会なんてないわよ」
「わかってるよ! そうじゃなくて、部活の仲間だから、フルネームくらいは知っておこうかなという、軽い気持ちで聞いただけなんだって。別に、下の名前は知らなくてもいいし、下の名前で呼ぶつもりもないから」
「……ならいいわ」
渡辺さんはそう言うと、僕から離れていきます。
あー、びっくりしました。
下の名前を知りたいと言ったら、突然、渡辺さんの態度が豹変しましたが、なんだったんでしょうか。
◇
さてと……。
僕は気を取り直して、二人のほうを向いて挨拶します。
「僕は九組の橋本睦月。これから、よろしくね」
スマホをいじっていた佐藤さんは、少しだけ顔を上げて、僕と目を合わせると、
「……わかった」
と、一言だけ返してきました。
そして、また、下を向いて、スマホをいじりはじめました。
うっ……、なんか、僕には関心なさそうです。
僕が入部したことで、念願の部活動ができるようになったし、もうそれだけで十分なんでしょうね。
ホントに数合わせ、ということでしか期待してないのかもしれません。
「よろしくっす、橋本先輩」
高橋さんは、手を上げて、元気に挨拶を返してきます。
「え、先輩って?」
この学校には、僕たち、一年生しかいないはずだけど?
すると、渡辺さんが答えます。
「ああ、言い忘れてたけど、高橋さんは、飛び級で三年早く、うちの学校に入ってきたのよ。だから、本来は中学一年生よ」
飛び級?
すごいじゃん!
飛び級した生徒なんて、はじめて見ました。
「そうなのか、だから先輩って言ったのか」
「そういうわけっす」
高橋さんは、中学一年生のわりには発育がいいから、十分、高校生に見えます。
佐藤さんとは正反対ですね。
まあ、同じ学年なんだから「先輩」じゃなくて、普通に名字だけで呼んでもらっても構わないんだけど――。
「これで、部が結成できたし、顔合わせもすんだわね。私はこれから、部室を確保したり、いろいろすることがあるから、今日はこれで終わりよ。明日は放課後、部室棟にきてね」
渡辺さんがそう言って部屋を出ると、ほかの二人も、部屋から出ていきます。
僕が部活に入るのは、小学校、中学校を通して、これがはじめてです。
夕食のこともあるので、心春には、僕が部活動をすることを話さないといけないわけですが、話したら驚くだろうな……。
◇
その日の夜、僕は自宅のダイニングで、妹の心春と二人で夕食をとっていました。
我が家は両親の帰宅が遅いので、本来は、僕と心春の二人で協力して、夕食を作らないといけないのですが、作ったのは僕一人です。
あいかわらず、心春は僕に頼り切って、手伝うことすらしません。
でも、そうやって心春を甘やかすのも、今日限りです。
「お兄ちゃん、部活に入ることにしたから」
僕は心春に、部活動をすることを伝えました。
「ええー! お兄ちゃんが部活に入るなんて! な、なんで! どうして!」
心春は仰け反って、椅子から転げ落ちそうになり、腕をお椀にぶつけてひっくり返し(お椀は空だったからよかったけど)、箸でつかんでいた、デミグラスソースがたっぷりついた、煮込みハンバーグを皿の上にボチャンと落っことします。
――驚きすぎだろ!
ある程度の反応は予想していたけど、ここまで、驚かれるとは思わなかったよ。
「いや、せっかくの高校生活なのにさ、ただ授業を受けて、帰ってくるだけの毎日を繰り返すだけなんて、もったいないかなーと思ってさ。今はバイトもしてないし、塾にも行ってないだろ。そんなら、部活に入って、もっと充実した高校生活を送ろうかなと思って」
さすがに、なかば強制的に入れられた、とは言えないので、僕は適当な理由をつけて、もっともらしく言います。
その後、心春は当然のごとく、なんの部活に入ったのか、しつこく聞き出そうとしてきましたが、僕はうまく、はぐらかしておきました。
まあ、文化系の部活であることくらいは、伝えておきましたが。
心春は、僕が今まで、占いなんてものに興味なかったことを知ってるから、正直に「占い部」なんて言ったら、好奇心丸出しで、入部のきっかけを追求してくるに決まってます。
わざわざ燃料を投下する必要もないので、部活に入ったということだけを伝えて、それ以外のことについては、黙っていようと思います。
◇
「そういうわけで、お兄ちゃんは部活で帰るのが遅くなるから、今後は、自分で夕食を作って、食べてくれよな」
僕がそう言うと、
「はあっ? いきなり、自分で作れって言われても、私、今まで夕食、作ったことないよ!」
心春はハンバーグを頬張りながら、猛抗議してきました。
「それは、いつもお兄ちゃんに作らせているからだろ。以前から、夕食は二人で協力して作るように言われてるのに、なにもしない自分が悪いんだろ。もう、中学二年生なんだし、簡単な料理くらい、自分で作れるだろ? お兄ちゃんの分まで作れとは言わないから」
「中学二年で自分の夕食を作ってる子なんて、まわりにいないよ!」
「それは、いつも親が自宅にいるとか、親の帰宅が早かったりとかで、親が作ってくれるから、自分で作る必要がないというだけだろ。うちは、両親が共働きで、しかも残業が多くて、帰宅が遅いという、特別な事情があるんだから、よそと比べるなよ。ネットで検索してみろ、まわりにいないというだけで、自分で夕食を作ってる中学生は結構いるから」
「えー、今まで通り、毎日、お兄ちゃんに作って欲しいのにー」
心春が不満そうな顔で、こんなことを言っています。
受け止めかたによっては、お兄ちゃんの手料理をいつまでも食べていたい、というかわいげのある発言に感じるかもしれませんが、実際は、自分が作りたくないから、僕を奴隷のように、いつまでもこき使っていたい、という意味の発言です。
騙されてはいけません。
心春は女の子なんだし、今のうちに、簡単な料理くらいは作れるようになっておいたほうが、本人のためになるよな?
将来、彼氏ができたとき、相手のために、弁当や料理を作ることもあるだろうし。
今の心春を見ている限り、男っ気ゼロで、そんな日がくるとは、想像もつかないけど。
いつか、こんな妹でも、好きと言ってくれる男の子が現れるんだよな?
こんな、見た目も中身も子供っぽい妹に、と思って、心春の胸元を見ると――。
ええっ、む、胸がふくらんでるんだけど……。
今まで、意識的にじっくり心春の体を見たことなかったから、気づきませんでした。
いつのまにか、見た目のほうは、年相応に成長していたらしいです(中身のほうも相応に成長してほしいけど)。
時がたつのは早いものだなあと、僕は感慨にひたりながら、心春の顔を見ていました。
「あっ、お兄ちゃん、今、私の胸、見てた!」
いきなり、心春にそんなことを言われて、僕はドキッとします。
「えっ、いや、見てないよ(見たけど)」
「ウソ! お兄ちゃん、私の胸を見て、そのあと、顔を見たでしょ!」
うっ、鋭い!
なんで、わかったんだろ?
「女の子はね、男の子の視線には敏感なんだよ。本人はバレないと思ってんだろうけど、視線が胸にいったのは、すぐわかるんだから」
ええー、胸を見たのって、相手には全部バレてるの?
それじゃあ、今日、紹介された、初対面の女の子二人にもバレてるじゃん。
「やらしー。お兄ちゃんから性的な視線を感じたっ」
心春は、さっと両腕で胸を隠します。
「バ、バカッ、なに勘違いしてんだよ! こ、これは、アレだ、ほら、心春、さっき、ハンバーグを皿に落っことしただろ。それで、ソースがハネて服についてないかを見てたんだよ」
「……怪しい。なんだか、すっごく動揺してるように見えるんだけど」
「心春がいきなり、そんなこと言うもんだから、びっくりしたんだって」
「でも、やっぱり、見てたんじゃない」
「胸を見てたんじゃなくて、服が汚れてないかを見ていただけだっての」
「えー、ホントかなー」
「ホントだって。兄が妹を性的な目で見るわけないだろ。ほ、ほら、自分でも服を見て、汚れてないか、確認しろよ」
僕がそう言うと「そうかなー、気のせいだったのかなー」とブツブツ言いながら、ソースがついてないか、自分の服の胸元を引っ張って、確認をしています。
……ふう。
これで、どうにか、ごまかせたはずです。
自宅で、服の上から妹の胸を見るのも許されないとは、まったく、世知辛い世の中になったものです。
◇
では、話題を元に戻すことにします。
「それで、夕食の話だけど――」
「ねー、そのことだけどさ、お兄ちゃんが帰ってくるまで、待ってたらダメ?」
「夕食の時間が遅くなるだろ。お兄ちゃんが、いつもより早めに作ってやったときでも『遅いー、お腹減ったー』とか言ってるくせに、我慢できるわけないだろ。お兄ちゃんを待たないで、自分で作ること」
心春はブーブー文句を言っています。
うーん、なかなか納得しないな。
このまま、話を終わらせてもいいけど、やっぱり、本人が納得するに越したことはありません。
仕方ない、奥の手を出すことにします。
「ホント、心春はいくつになっても、甘えん坊だなー。そんなに、お兄ちゃんのことが好きなのかなー? 心春が、お兄ちゃん離れできるのは一体いつになるのかなー? 遅く帰ってきたら『やっぱり、お兄ちゃんがいないと、なにもできなーい』とか言って、抱きついてくるのかなー? そんなことされたらかわいいけど、お兄ちゃん困っちゃうなー。えっ、このブラコン妹めっ」
僕は心春にそう言うと、トドメに心春のほっぺに人差し指を押し当て、うりうりします。
すると、心春はみるみるうちに顔を真っ赤にして、
「はあっ? なに言ってんの! そんなことあるわけないじゃん! それに、ブラコンじゃないし! 作り方なんて、ネットで動画を見れば、すぐわかるし、調理実習でカレーとハンバーグを作ったことだってあるんだから! お兄ちゃんがいなくても、夕食くらい一人で作れるんだから!」
と、僕に言い返してきました。
心春が予想通りの反応をするのがおかしくて、僕はつい声を出して笑いそうになりましたが、必死にこらえます。
「あっ、そう。それなら、これで夕食の問題は解決したな、よかったよかった。じゃあ、今後は自分で作って食べる、ということで」
うん、うまく、焚きつけることが、できたみたいです。
まあ、心春は自分で作れるって、啖呵(たんか)を切ってたけど、実際、どの程度、作れるのかわからないので、サポートはするつもりです。
でも、心春は意外と器用なとこがあるから、いざ作らせてみたら、苦もなく、それなりの料理を作ってしまうかもしれません。
逆に、料理を作るのが面倒くさいとか言って、かわりに、コンビニ弁当やお菓子ですませようとするのなら、また考えようと思います。
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