ジーンの花
小槻みしろ/白崎ぼたん
第1話
カルロスが水路をひらきに行ったのは、十八年前のことだった。
ジーンの花の根の、移り変わりの儀式が済んだあと、カルロスら数十人の男たちは村を旅立っていった。
村をうるおす水を得るために、必要な仕事だった。
「必ず帰ってくる」
旅立ちの前、カルロスはジョアンの手を取った。ジョアンは涙を浮かべ、
「あなたを誇りに思う」
待ってる、いつまでも--そう囁いた。
カルロスは厳しい日々を、ジョアンを思い過ごした。
十八年後、カルロスたち男は村に帰った。
ジョアンの腕の中には、赤ん坊がいた。
※※※
「また咲いたってねえ」
後ろからやってきたフィオネに声をかけられた。ジョアンは花を摘む手を止め、ふりかえる。
フィオネは、汗と脂にぬれた顔をぬぐい、痛そうにまぶたを瞬かせた。よほど疲れているのだろう。フィオネの褐色の肌には、常にないシミが浮かんでいた。
「フィオネ、お疲れさま」
「まあね」
フィオネはジョアンの隣に来て、花を一房摘む。そして口に放り込んだ。口唇の端から、もぞもぞと花弁が出入りしている。芋虫の咀嚼のようだった。
「大したことないよ。三人目だからね」
リサも慣れたものさ。初産はあんなにもかかったのに。
フィオネの言葉を、ジョアンは静かに聞いた。知らず、ハサミを持つ手に力が入っていた。
フィオネはジョアンを見なかった。ただ、視界一面に広がる、花畑を見ていた。
「ここも、ずいぶん広大になったもんだね」
「もう植えだして、十年以上経ちますからね」
「ありがたいね。ジーンがなきゃ、あたしらの生活は立ち行かない」
向こうで、アイシャが手を振った。作業が終わったという合図だ。ジョアンは手を振り返した。
「まあ、つまりあんたらのおかげと言うわけだけど」
フィオネは喉を鳴らして飲み込んだ。
「あんたはいつまで、『育て』でいるのかね」
「カルロスが戻ってくるまでよ」
「そうか」
フィオネは黙り込む。ジョアンは最近、その沈黙に怯えるようになった。それは嫌悪に似ていて、ジョアンの心を寒くさせる。
「カルロスは幸せ者だね」
フィオネは腰の上で手を組み、半身を折り曲げ歩いていった。ジョアンはほっと息をついた。
アイシャが空のバケツを抱えて、こちらへやってきた。日焼けした肌に、玉の汗がきらきらと浮いている。
ここで一番、力がある。その笑顔を見ると思う。アイシャは十七歳だ。
そして、ジョアンは三十三歳になろうとしている。
ジョアンは花を見る。日を受けて、さんさんと輝く、ジーンの花を。
これを守って、もうすぐ十五年になろうとしていた。
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