第2話 宮廷魔術師の下野
「と……とりあえず落ち着こう、私!」
自分の胸に手をあて、深呼吸をする。優先するべきは、状況確認ね。
気を失ってしまったレフィの、首や手首に触れた。
呼吸は寝息のように穏やかだし、脈もちゃんとある。体温は……少し低いかしら?
床に倒れこんでいたぐらいだもの、どこか具合が悪かったのかも……。
「まずは……ベッドに運ぼうか」
私が独りごちると、魔石の小鳥がレフィから飛び立った。まるで用件を心得たように、隣の部屋へと飛んでいく。
小鳥の飛んで行った部屋に入ると、鳥の巣のように丸められた毛布が落ちていた。その上に、ちょこんと小鳥が佇んでいる。
どうやら、この毛布がレフィのベッドのようね。
「こっちを運んだ方が、ラクそう」
床の毛布を持ち上げると、薄いシーツが床に落ちた。こっちの薄いシーツは、かけ布かな?
毛布とシーツを抱えて、レフィの元へと戻る。厚手の毛布を床に敷き、彼をその上に寝かせた。
体を移動させても、まるで起きる様子のないレフィ。はたして、いつから眠ったままなのだろう?
「レフィ。しっかりして、レフィ」
「……う……んん……」
声をかけながら彼の体をゆすったり、頬をさすってみる。
わずかにうめき声をあげるものの、目覚める気配はない。
仕方がないので、薄いシーツをレフィの体にかけて様子を見ることにした。
「レフィ……」
私はシーツの中に手を入れ、彼の手を握った。
その手はとても冷えていて、指先は氷のように冷たい。
「体を温めないと……このままじゃ……」
少しでもレフィの体温を上げなければ。
冷たい彼の手を両手で揉み、手首をさすった。
シーツの上では、魔石の小鳥が心配そうに私の様子をうかがっている。
「大丈夫よ、小鳥さん」
暗闇のなか、レフィの手をさすり続けた。
何度も、何度も……。
不安な静寂に包まれて、不意に王宮での出来事が頭をよぎる。
思い出さないようにしているのに、不安と怒りが記憶を呼び覚ます。
■■■
「給金を上げて欲しい、だと?」
上司のクライブ様の、重々しい声。認められないのはわかっていたけど、その声は重く心にのしかかった。
それでもあの日、私は覚悟を決めてクライブ様の執務室に行ったの。
この先どう生きていくのか、決断するために。
「はい。私はそれだけの働きをしていると、考えております。あ、実績について資料をまとめてまいりました!」
「……ふむ」
少し驚いた顔をしつつも、クライブ様は律儀に資料を読んでくれた。
クライブ様の補佐で執務室にいたネストルが、呆れた様子で口をはさんできたっけ。
「ま~たやってるんですか?」
ネストルは貴族の出身で、私が入城した翌々年に宮廷魔術師見習いになった青年。
同年代だったので、任務で行動を共にすることが多かったんだよね。
「クライブ様、真面目に付き合う必要ないですよ。アルル先輩の、発作みたいなものなんですから」
「どこぞのボンボン貴族の実績作りにも、陰ながら助力しました!!」
「フンっ。平民の誉れだろう?」
「ネストル、口を慎みなさい」
資料に目を通しながら、クライブ様はネストルをたしなめる。
「我がシュンミア王国は、身分を問わず優秀な者を召し上げている。宮廷魔術師である彼女の貴賤を問うのは、シュンミア国王に対する侮辱にあたるぞ」
「……申し訳ございません」
ああ、クライブ様は本当に誠実は人だったな。
建前はあっても、平民出身の私に対する王宮での風当たりは強い。それなのに、こんな些細な会話ですら訂正を入れてくれたのだ。
さすがは宮廷魔術師官長……宮廷内で一番身分の高い魔術師で、王の信任の厚い人物である。
「さて、アルルについてだが……」
一通り資料に目を通したクライブ様が、顔を上げ私の方を向く。
真っすぐした瞳で、私と目を合わせる。彼もまた覚悟を決めたのだろう、威圧的な目をしていた。
「君は優秀な宮廷魔術師だ。実績についても、認めている」
「ありがとうございます」
「だが給金については、了承しかねる」
「その理由は、なんでしょうか?」
「我が国は、君に十分な給金を支払っている――と、考えている」
確かに平民の娘にとって宮廷魔術師の給金は、十分な財を成せるだけの金額ではある。
だがそれは、私の目指す理想には遠く及ばない。
「ですが、私は納得できません」
「先輩、強欲すぎるんじゃないですかぁ?」
「ネストル、君は黙っていなさい」
再び窘められ、ムッとしながらネストルが黙る。
静かになった執務室で、クライブ様は目を閉じて深呼吸のように息を整え……それからゆっくりと瞳を開け、結論を述べた。
「アルル、もし君が……宮廷魔術師という誉れに、収まらぬと言うなら――野に降りることを許そう」
「……わかりました。城から出ていきます」
「ちょっと! 待ってくださいよ!!」
直前まで軽口をたたいていたネストルが、急に慌てだす。
そして珍妙な動きをしながら、私に詰め寄った。
「先輩、平民でしょ!? 一度城を出ちゃったら、もう戻ってこられないんですよ!?」
「覚悟の上よ」
「えぇ……」
心底信じられないという、ネストルのあの顔は今でも忘れられない。
少々の小気味良ささえ、感じていた。
「王宮魔術師を辞めて、どうするって言うんだ?」
「ビス村に帰るわ」
ネストルの顔が、さらに引きつっていく。
そして私を憐れむように、顔を覆い隠して言ったのだ。
「そんな滅びた村に戻るなんて……」
「まだ滅びてないから!!」
確かにかなり人も減って、寂れてるけど! そのビス村も、自分たちの国土だろうよ!
本当に、ネストルは失礼なヤツだったな。
こんな私たちのやり取りを見ながらも、クライブ様は粛々と話を進めた。
「ではアルル、君の除籍は受理した。本日中に城を出るように」
「わかりました」
クライブ様に一礼して、私は執務室から退出した。
閉じた扉の向こうから、ネストルの甲高い声が聞こえてくる。
「平民上がりだって言うのに、宮廷魔術師の何が不満だったんでしょうね」
「さてな」
「アルル先輩、本当に変わった人だったな」
「ああ、だが――もしかすると、もしかするかもしれんぞ」
「ははは。まさか~」
彼らの会話を最後まで聞くことなく、私は急いで自室へ戻ったのだった。
「やだよぉぉぉ!! アルルぅ、あだじたちずっといっじょだっでいっだよねぇ!?」
「ごめんね、ライラ。急いで荷物をまとめて、今日中に城を出なきゃいけないの」
「いゃぁぁぁぁ!!」
荷物をまとめているあいだ、同室のライラがずっとこんな調子で大変だったな。
ライラことライラ―トは、私と同じ日に宮廷魔術師見習いになった親友。
同い年で、平民で……似た者同士だったのだ。
「あんな滅びだ村になんががえらないで、ずっとこごで暮らそう?」
「まだ滅びてないから!! 村人二十人くらい暮らしてるからね!?」
「うっ……うぅっ……アルルが……居なぐなだっら……私、一人で雑用やらされる……」
「……まったく」
荷物をまとめる手をとめ、すっかり落ち込んでしまったライラを慰める。
建前では身分の貴賤を問わないと言っても、宮仕えは平民の私たちにとって理不尽なことも多かった。
これまでの人生の中で、最も大変な思いを共有したのはライラをおいて他にいない。きっとそれは、彼女も同じだろう。
「雑用が嫌なら、ちゃんと交渉するか……宮廷魔術師を、辞めるしかないわね」
「そんなぁ……」
村に戻ることは自分で決めたことだけど、ライラの泣き顔を見ていると決意が鈍る。
私にとって彼女との別れは、足が震えるほど怖かった。もしかしたら、宮廷魔術師を辞めることよりも。
叶うのなら、ライラも一緒に城を出たかったけど……宮廷魔術師を辞すなど、求めるわけにはいかない。
「ライラ、自分の人生は自分で決めるしかないのよ。他人まかせの人生というのは、他人に隷属するということなのだから」
■■■
「うっ……んん……」
小さくうめきながら、レフィがゆっくりと目を開いた。
顔色も、だいぶ良くなっている。
「レフィ!? 良かった、ようやく気が付いた」
「……あれ……女神様、ぼく……」
「女神じゃないわ。私、アルルよ!」
「え……アルルちゃ……」
私の名前を口にすると同時に、レフィのお腹からものすごい音が響いてきた。
「もしかして、レフィが倒れてたのって……」
レフィのお腹は返事をするように、再び大きな音を上げる。
「お腹が空いてただけ!?」
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