第四話 遭遇

 通りを吹く空っ風が、コートの繊維と繊維の間を抜け、殆ど直に寒さを突き刺す。

無計画に建てられた雑居ビルと、それが理由で吹くビル風に悪態をつきながら、風情のかけらもない神保町を歩く。

 今日も駄目だった。

ついさっき終わった求職の結果を、惨憺たる敗北を思い出し、私は今日の空を覆う曇天のような心持ちで家路についていた。

 安定所や施設をたらい回しにされ数か月。「他群の求人を……」「こちらの施設を紹介しますので……」と言われ数か月。その結果が収容所送りの勧告と来た。

たまったもんじゃない。私の心情はその一言につきる。

 何のために軍に入ったと思ってるんだ、そもそも、釧路に郷愁やら愛着やら、それこそ公式発表を信じるだけの希望があればとっくに帰っている。

帰りたくないから、公式発表が嘘だと、それこそ高麗の「地上の楽園」とだと知っているから軍に入ったのだ。求職しているのだ。

なのに、帰れなどと言われたら、元も子もないではないか。

私は独り言でもなく、ただ、無音の不満を吐いた。

 新聞やビラが風に吹かれ、荒々しく宙を舞う。

 そもそも内務省の連中が、アイツ等が諸悪の根源だ。

省庁再編で生まれ、十年程度は役に立ったが、そのあとは存在するだけで何もしない、幽霊になったあの組織————仕事をしないだけなら単なる厄介モノで済んだのに、予算と利権欲しさに無能な働き者になったポリ公共————。

アイツ等のせいだ。陸軍を、特に第三師団を目の敵にする連中の……。

 私はまた、習慣と化し、慣れて怒りも感じなくなった、反芻思考に走っていた。

不名誉除隊になってから、本人不在のまま行われた軍法会議の判決を知ってから、ほぼ毎日抱く、内務省への怨嗟をまた自分の中で延々と繰り返していた。

本来、恨み憎しみなどを抱くほどの時間的、心理的余裕など無いのに。

 風は止んでいた。新聞もビラも、どこかへと消えていた。

 ふと、ビルとビルの間、路地に少女が立っているのが目に入る。私と同じくらいの歳の子で、携帯端末セルを片手に、気だるげな表情をしている。

ほかの路地や、表の歩道、植木の下にも同じように立つ少女たちがいた。

『個人身売』つまり売春をしている少女たちだ。東京や関東州の都市部では珍しくない。

 全員が売春のために立っているわけではない。ほかの理由で待っているのもいる。

 その他の理由というのは、大概、フェンタニルやメタンフェタミン、アデロールなどの麻薬なのだが。

 私も仕事が見つからなければ、ああやって稼ごうか。

ふと、そんな考えが浮かんだ。

 噂だとあの手の仕事、売春はよく稼げるらしい。仕事が見つからなければ、いや、そうでなくても、薄給奴隷紛いの仕事しかなければ、体一つで稼ぐのもありかもしれないと思った。

 思ったのだが、寒風に身を縮こませた瞬間、すぐに考えを改めた。売り物としては致命的な、貧相な胸が目に入ったからだ。

幼少期の後半と思春期のすべてを戦争と生存、逃亡に懸けてきた、化粧の仕方も洋服の選び方もわからない、痩せた野犬のような体をした私を買う人など、まずいないのだから。


 一人、雑居ビルの森と、路地裏の売春街を抜け、閑散とした街を歩く。

ここ東京は、関東州の州都で、同時に連邦の首都であるのに、あるものといったら旧市街に売春街。無差別爆撃と無秩序な復興計画による不格好な建築物。そして、占領の爪痕など……、品格も壮麗さもない、ガラクタばかりだ。

 人気のない街に銃弾の飛翔音のような、鋭い風音が響く。風音が一層、閑寂さを際立たせる。まるでこの世界から自分以外の人間が消えたような感覚を覚えさせる。

 私は東京の至るところで聞くこの音が嫌いだ。孤独を余計に強調し、感傷的な気分にさせるからだ。

廃れ行く東京の行く末と、私の運命が同じであるような、そんな気分にさせるから。

 私は足を速めた。こんな辛気臭い、いるだけでどうにかなってしまいそうな街から、少しでも早く去ろうと、寒風と砂埃に耐えながら、せっせと足を急がせた。



 東京にもまだ活気ある場所は残っている。特にここ、秋葉原なんかは。

私はコートの砂埃を払いながら、大通りを歩いていた。

 そこらかしこに露店が並んでいる。その露店をちらと見ては帰る人や、じっくりと商品を眺める人、店主と談笑していたり、値切りしようと頭を掻く人、または口論の末、捨て台詞を吐いて去る人で溢れかえっている。

人が露店を囲み、行き来し、そして自転車や、時折、クラクションを鳴らしながらゆっくりと右車線を走る車に道をあける。

 私はこの街が好きだ。笑い声や、早口でまくし立てるギークの声や、怒鳴り声は、偶には鬱陶しく思うが、それでも風音のしない場所は、考える間もなく、刺激を与えてくれるこの場所が好きだ。

 露店に並んでいる商品がどういうものなのか、私にはよくわからない。

客や店主曰く、東ドイツから輸入したメモリだとか、まだ、チューリングコンピュータが、アメリカにあった時代のラップトップだとか、そういうものらしい。

 コンピュータの部品や、電子工作の工具、古いモニタといった品や、大通りに目立つようにある露店は、私の目当てではない。私が秋葉原に来るのは、大通りの中腹過ぎにある、銃砲店だ。

 不名誉除隊になってもガンライセンスと、軍役中、私的に買ったSIGは没収されなかった。

 ここ数年で厳しくなったものの、関東州の銃規制は他州や他国と比べて相当緩い。

銃=自由と独立の象徴という、本国合衆国由来の思想が、民間人のセミオートライフルの所持を許し、不名誉除隊軍人からガンライセンスを剥奪できなくしているのだ。

 そういうわけで、私の手元にはまだ拳銃と、機関銃とアサルトライフルの欄が削られた、ガンライセンスが残っている。

 軍人や警官、内務省の人間でもない限り、銃を使う機会など殆ど無いが、職業病————それとも、ブランケット症候群というべきか。妙に手放せず、メンテナンスとアタッチメントの増設を辞められずにいた。

 香港からの中古品お下がりのネオン看板と、文字の流れるLED広告を抜け、通りの中腹にさしかかったあたりで、『秋葉原電信館』とペンキで書かれた看板と、古びた、占領下時代の様式を残す、七階建てのビルが見えた。ここに目当ての品がある。

 コートの内ポケットから財布を出し、ガンライセンスとクレジットカードがあることを確認しながら、黄色い蛍光灯がひび割れたタイル床を照らす、ビルの入り口へと入ろうとした。

 突然、後方から叫び声が聞こえた。

そして数秒後、振り返ろうと通りに足先を向けようとした、その時。

 アサルトライフを撃つ音。本来、市街地で聞くことのないフルオートが、耳をつんざいた。

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