第二話 不名誉除隊

2025年9月2日『日本連邦共和国・関東州東京特別行政区、陸軍病院』


 幾つもの単調なリズムの電子音、人工的に酸素と二酸化炭素が交換される掠れた音、注射器と器具が金属製のプレートに置かれる音、看護師があちこちを行き来する音。

それらが重奏をなす病室に、腕と足を包帯で巻かれた私と、簡易軍服に身を包んだ、本来この病棟には、女子病棟には入れないはずの男。その二人が苦い顔で向かい合っている。

「篠原少尉、本当にすまない。力は尽くしたのだが……」

簡易軍服の男が苦々しい顔で言う。

「不名誉除隊って、軍法会議って……どういうことですか?」

私はそう上官へ、いや、今では元上官の中尉へ唖然といった調子の、震える声で問いかける。

「反共記念日……つまり、8月15日の、スタジアムの事件に第三師団が関与していることが『発覚』したんだ。それで、君へも内務省の捜査が入り……その……」

『発覚』、この単語を強調しながら、しかし一番重要な私への捜査に関することは、消えるような声ではぐらかし、中尉が説明する。

「……基本法では許されないことだ。私はそう思う、だから抗議した。したのだが、少尉の経歴、過去、つまり————」

「出自、血筋、母親。これが理由、そうですよね?」

 私は中尉の言葉を遮り、疑問形だがほぼ正答であることが確定している、本質的な言葉を投げる。

今まで幾度となく経験してきた、自由の国で行われる暗黙の差別。北方からの国内難民であること。加えてロシア系であること。北海・東北騒乱の最中、父、母、弟、私の一家四人で命からがら逃げてきたこと。父と母は収容所へ、私と弟は別々の孤児院に送られたこと。そして私の名前、篠原の下についた『ユリヤ/Юлия』。

これが理由で受けてきた蔑み、虐げ。それに起因するパッケージ化された会話のパターン化した、お決まりのフレーズ。それを目の前で、不可抗力にたじろぐ彼に言う。

中尉が顔を歪ませる。

「そうだ、その通りだ……」

歪んだ、苦悶の表情が浮かぶ顔の彼から、これまた歪んだ声が出た。

「軍だけは差別されないと聞いてたのに」

 私はそうぼやく。

すぐに自身の発言に配慮が欠けていたこと、中尉の前では言うべきでなかったことに気づき、訂正しようと一言注釈を口にしようとした。中尉は『』だがステレオタイプじゃない。

すぐに悪気がなかったことを、責めるつもりでなかったことを伝えなくては。口を開こうとした、

が、中尉の方が早かった。

「なぜ、なぜ同じ日本人を殺さなければ……ボリシェヴィズムに染まってない、ただそこに住んでただけの人間を殺さなくてはならないんだ……」

「中尉、落ち着いてください」

 涙を流し、息を荒くする中尉をなだめようとする。中尉の肩に手を置こうとするが、痛みで怯む。麻酔が切れたようだ。

「あと何人、あと何人の部下を、同期を……殺し、乞食にし、収容所に放りこめばいいんだ……内務省の、あの連中の指示で……」

「あなたが悪いんじゃないのですから…中尉…そんな負いこまないでください……私たちは…どこでもやっていけますから————」

ナースコールを押したい。モルヒネが欲しい。

しかし中尉のほうが先だ。このままでは中尉も退官してしまう。それだけは何としても避けなくては————

「なんで、何故……何故我々は、大統領と連邦のために……真っ先に前線で、故郷に銃口を向けて戦っているのに……何故、こんな仕打ちを、連邦で最も忠実な、愛国的な、勇敢な……そんな兵士を殺さなくては…濡れ衣を着せなくてはならないんだ……」

「……中尉……仕方ないのです……我々は……第三師団は、所詮、『名誉なき442連隊』……そうでしょう?それでも……連邦に忠誠を誓ったのが……中尉が言っていた————」

 腕、脚、腹。鈍痛と鋭く刺すような痛みが全身を襲う。視界が歪み、意識が遠のく。

まだ言わければならないことが、中尉を軍にとどめなくては、この「良識ある日本人」を留めなくては————

 中尉が私の表情を見てか、慌ててカーテンの向こうに行こうとするのが見える。霞む視界に、動揺した中尉の背中が映る。


 中尉、待ってください、まだ言えてないのです。まだ軍には、日本には貴官が必要なのです、いや、今だからこそ必要なのです……

中尉、私は貴官に、今にも軍を抜けようとしている……私にはそうわかる貴官に送らなくてはならない言葉があるのです。


「中尉が言っていた『私はいつの日か、全ての日本人が共に暮らす光景を見たい』。その言葉に励まされてここまで来たのですから。純血にも貴方のような人がいると知れたのですから」


言わなくては、そう言わなくては……

だが、声は身体の防衛本能によって出る前に止まってしまう。何度も、何度も痛みに耐えながら、乗り越えようと、声を出そうとするが、それが意味を持った音として放たれることは終になかった。

 撃たれようが、切られようが、爆風に晒されようが。

戦場で如何な目に合おうとも動いてきた四肢と声帯は、後方の病院では全く動かなかった。

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