第20話 新しい庭師
「新しい庭師が決まったらしいですよ」
お茶会から1週間程経って、四阿に集まった俺達にエリックはそう言った。
「女性の庭師は珍しいですからね。なかなか見つからなかった様ですけど、どうやらロレーヌ公爵の紹介らしいですね」
ロレーヌ公爵と言えば、第一婚約者候補のフランシーヌ様のお父さんだ。
「早速明日から住み込みで働きに来るそうです」
これはお嬢様にとっても俺にとっても朗報だった。
「良かったですね、お嬢様!これで庭仕事が楽になりますね!」
知らずと声が弾む。
なぜならこれで荒れた庭も改善するだろうと思ったからだ。俺は心の中でホッと胸を撫で下ろしていた。
最初の頃に比べれば、今のお嬢様は彼女なりに頑張って庭の手入れをしてくれている。有難い事なのだが、いかんせんセンスの問題があるようで、侯爵家の庭は悲しい程にさびれ始めていたのだ。
丹精込めていた花木が枯れて行くのを見るのは、正直身を切られるような思いだった。
そんな俺の心の内に気付いたのか、お嬢様はこっちをじろっと見ると、「ふんっ」と鼻息を荒くした。
「悪かったわね。私の庭仕事が下手で」
「い、いえ・・・その、一人じゃ大変だと思って・・・」
「良いわよ、言い訳しなくたって。私に庭師の才能が無いのは分かってるわ。それよりも、エリック。新しい庭師ってどんな人よ?ハンスみたいにロクでも無い奴だったら許さないわよ」
「お決めになったのは旦那様ですから。私は知りませんよ。明日、自分でご判断下さい」
「何よ!薄情者ね」
いつものごとく、エリックとお嬢様の言い争いが始まる。これはもう、二人に取っちゃ挨拶みたいなもんで、最近は俺もすっかり慣れてしまった。
(それに、お嬢様は絶対にエリックの事を憎からず思ってるはずなんだよなぁ)
それなのに会えば憎まれ口ばかり叩いている。これが複雑な乙女心と言うものなのか、それとも単にお嬢様が複雑な方だけなのか。
そしてあっという間に次の日がやってきて、昼食後に一度部屋に戻ろうとした俺を、旦那様が呼び止めた。
「エルシー。君が言っていた新しい庭師の方がさっき来たようだよ。え~っと、紹介したいからサロンまで来てくれるかな」
「わ、分かりました!」
女性の庭師に会うのなんて初めてで、何だかドキドキしてくる。男の俺には分からない、繊細な仕事ぶりを見せてくれるかもしれない。これは勉強になるぞ!
そんな風に気持ちが高揚していた俺だったが、何となく旦那様の様子がおかしいのに気が付いた。俺の前を歩きながら、しきりにハンカチで汗を拭いている。いったいどうしたんだろう?体調でも崩しているのだろうか?
サロンに到着すると、扉の前にエリックが立っていた。
「・・・新しい庭師の方がお待ちです」
いつもの冷静な声でそう言ったエリックだったが、表情がいつもと違う。何だか必死に笑いをかみ殺している様に見えるのは気のせいか・・・。
エリックがサロンの扉を開け、旦那様と俺が中に入ると、ソファに座って優雅にお茶を飲んでいた人物が、顔を上げた。
(ん!?)
俺は思わず目を剥いた。何故ならソファに重そうな体を沈めていた人物、それはどう見ても男だったからだ。しかも背の高い筋肉質の屈強な兵士のような体つきをしている。
「あ、あれ?」
(女性の庭師の方がいるんじゃなかったのか!?)
男は俺達を見て優雅に立ち上がると、綺麗な仕草で礼をした。そして、ドスの効いた裏声で挨拶を始めたのだ。
「ごきげんよう。ドルトムント侯爵様。この度こちらに雇って頂き、感謝いたしますわ。ロレーヌ公爵の紹介で参りました庭師のロレンスです。どうぞよろしく」
ごつい体をくねらせて、彫りの深い濃い顔でニコリと笑った。
ただでさえ面食らってる俺は、彼の喋り方を聞いて異次元にでも放り込まれた様な気分に襲われた。衝撃のあまり全身が固まる。言葉も出ないとはこの事だ。
(え?え?え?)
思わず旦那様を見上げると、彼は逃げる様にさっと顔を逸らした。そして額の汗を必死で拭いながら、それでも旦那様はロレンスという男性と握手を交わした。
「あ、あ~ロレンス殿。こちらこそ宜しくお願いしますよ。それで・・・え~っと、この子が娘のエルシアーナでして・・・」
そう言って、俺を前に押し出した。
(な、何で!?どう言う事だよ、旦那様!?)
「あっら~、可愛らしいお嬢様!貴女がお花に興味を持ってるという、ご令嬢なのね。素敵だわぁ!これからわたくしに、遠慮なく何でも聞いて頂戴ませね」
ウィンクしながらそう言われて、俺は完全に絶句してしまった。助けを求める様に、首がちぎれんばかりに後ろにいるエリックを振り返ると、彼は俯いたまま全身を震わせている。絶対に滅茶苦茶笑ってるじゃ無いか!?
すると旦那様が何度か、ごほんっ、うほんっと咳払いをした後、補足をする様に喋り出す。
「あ~、エルシー。ロレンス殿は心は女性という方なので、安心して良いそうだ。それとこの方は実は、ロレーヌ公爵の弟君でもある。そのつもりで接する様に」
「あら、公爵様。弟ではございませんわ。わたくしは妹でしてよ」
太い声で拗ねたように言われて、旦那様は再び何度も咳払いを繰り返した。
「あ~失礼しましたな。妹君でございました」
そう言って、逃げ場を探す様に辺りをキョロキョロ見回した。
一体何なんだ、この茶番は!
要は、女性の庭師を探していた旦那様に、ロレーヌ公爵が特異な性質の弟を紹介したって事なんだろう。そうして旦那様は、格上の公爵に頼まれて断われ切れなくなったってとこか。
最初はあまりの事に意識が飛びそうになった俺も、少しずつ理解が追い付いて来る。
(なるほどな。やっぱ女性の庭師を見つけるのは難しかったか)
ちょっと残念な気分になる。でも俺にとって大事なのは、見た目や性別や性癖じゃ無くて、庭師としての腕前だ。
(公爵様の弟って事は、かなりの大貴族様だろうに、庭仕事なんてできんのか?)
疑いの目を向けた俺の心の内を見透かすように、彼はふふふと笑った。
「昔から庭いじりが趣味でしたの。それが高じて庭師に弟子入りまでしましたのよ。だから腕には自信がありますわ」
そう言って右腕を目の前に持ち上げた。
「は、はぁ」
彼の腕に盛り上がる筋肉を見て、確かに力と体力は有り余ってそうだと思った。だけど彼の来ている半袖の作業着らしき服に、どうしようもなく違和感を感じてしまう。
(どうして、レースやリボンが付いてるんだよ・・・)
ロレンスはさらに朗らかな様子で付け加えた。
「それから公爵家の出とは言っても家督は全て兄に譲ってますし、わたくしは無位ですから。だからどうぞ気楽にロレンスとお呼びくださいませ。では早速仕事に取り掛かりたいので、お庭を見せて頂けます?」
「エリックに案内させましょう。滞在するお部屋も全てエリックに任せておりますので」
ではではと、旦那様は逃げる様にさっさと退散してしまった。
「では、ロレンス様ご案内します。どうぞお嬢様もご一緒に」
エリックはさっきまで笑っていたくせに、すました顔でそう言った。
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