第7話 恐怖の四阿

 早速次の日から、俺とお嬢様の特訓は始まった。

 俺は貴族の令嬢として、お嬢様は庭師として、お互いをレクチャーしあうのだ。


 昼食が終わってからの数時間が、俺達に許された時間だ。エリックに根回しして貰って四阿に集まった時、お嬢様の顔には痣が一つ増えている事に気付いた。


 「ま、また殴られたんですか!?」


 「・・・」


  腫れあがった顔のまま、お嬢様は悔しそうに唇を噛みしめる。そうするのも痛かったようで、顔を辛そうにしかめた。口の中が切れてるのかもしれない。


 「アッシュと違って、逃げるのが下手なんですよ、お嬢様は」


 「うるひゃいうるさい!エリックは黙りなひゃい黙りなさい!」


 「ぶっ・・・!」


 申し訳無いとは思ったが、吹き出してしまう。ギロリと睨まれて、俺は必死で笑いを押し殺した。


 エリックは手際よくお嬢様の傷の手当をすると、


 「さぁ、レッスンを始めよう。遊んでる時間は無いぞ」


 そう言って手を鳴らした。それを合図に俺達はお互いのレクチャーを始める。

 初めは何をどう教えあったら良いのか分からなかったが、それもエリックが全て上手く采配してくれた。


 「うん、アッシュは覚えが早い。喋り方さえ気を付ければ、すぐに貴族令嬢の振る舞いが身に付きそうだ」


 「そ、そうか・・・?」


 「『そうかひらそうかしら』と言いなひゃい言いなさい!」


 「ぶ・・・いや、は、はい!」


 二人に教え込まれて、どうやら立ち居振る舞いだけは何とかなりそうだ。俺は前も言ったように、動く事に関しては器用で、目で見た動きをそっくり再現できるのが特技なのだ。

 (今まで役に立ったのは、庭木の剪定ぐらいだったけどな、はは)


 「問題は言葉使いだな。注意しながら、慣れて行くしかない。それにしても・・・」


 エリックはそう言うと、眼鏡の奥から目を光らせた。


 「お嬢様は、もうちょっとやる気を見せてくれませんかね?」


 「はぁ!?今まで庭木の事ひゃんてなんて、習った事無かったのでひゅものですもの。急には無理ひょ無理よ!」

 

 確かにそうかもしれないけれど、さっきから俺の説明を、お嬢様は上の空で聞いてるのは明らかだった。


 「その無理を、アッシュはやってるんですよ。彼だって、今まで貴族の・・・しかも女性の振る舞い方なんて、これっぽっちも習ってませんからね」


 エリックがそう言うと、エルシアーナお嬢様は「ふんっ!」とそっぽを向いてしまった。

 ぷーっと頬を膨らませて拗ねる俺の顔・・・。これはキツイ・・・。


 (み・・・見てられない・・・)


 「まぁ、今日はこのぐらいにしておきますか・・・。アッシュには今夜、重要な計画を実行して貰わなきゃいけないですからね」


 そう言うと、エリックは鞄から一冊のノートを取り出した。表紙に『ハンス処刑計画』と書いてあるのが見えて、ゾッとする。

エリックはノートをパラパラとめくると、俺にあるページを示した。


「覚えろ」


「な、何?」


「シナリオだ」


「は?」


 エリックは読んでみろと言わんばかりに、書いてある文章をとんとんと指で叩いく。俺は渋々その部分を声に出した。


 「―――エルシアーナ、地団太を踏みながら喚く『ハンスは酷いわ。私の命の恩人のアッシュを殴ってばかりいるらしいの。あんな怖い人が私の近くにいるなんて耐えられない。庭師を他の人に替えて下さい、お父様ぁ』・・・何だよ、これ?」


 「シナリオだって言っただろ?今夜、これを旦那様の前でぶちかませ!」


 「は、はぁ!?」


 「いいか、これはハンスを追い出す・・・ひいてはオーギュスト執事を追い詰める鍵となってる。しっかり覚えてモノにしろ」


 「そ、そんな事言ったって、俺に演技なんて出来ねえよ!」


 ページをめくると、およそ10ページ程、相手の返事によっての答え方のパターンが書いてある。


 (まさかこれを全部覚えろっていうのか!?)


 焦る俺にエリックは事も無げに言った。


 「別に、この通りに答えなくても構わない。アレンジは自由だ」


 「アレンジ!?んなこと、俺に出来るかよ!」


 「要はハンスを追い出す!これが達成できればOKだからな」


 「OKたって・・・」


 渋る俺の頭の上の柱に、エリックは突然バンっと片手をついた。


 (ひっ・・・)


 上から顔を覗きこまれる。彼は眼鏡をくっと人差し指で上げると、


 「いいか・・・あの怠け者で乱暴者のハンスをこのまま庭師にしておくとする。当然、お嬢様は毎日殴られる」


 「ひゃんですって何ですって・・・」


 お嬢様もそう言うと、エリック同様、柱にバンっと片手をついて俺を見下ろした。

 

 (ひっ・・・)


 「・・・冗談じゃ無いわね」


 俺は二人の腕に囲まれたまま、身動きが取れない。そのままの恰好でエリックは尚も続けた。


 「そして、庭師のセンスがこれっぽちも無いお嬢様が、この屋敷の庭の手入れを続けるとする。当然、この庭はどんどん荒れて行く」


 「そ、それは駄目だ!俺の大事な庭が・・・」


 今まで、大事に丹精込めて育てた庭なんだ!荒れさせて堪るか!


 そう言った俺にエリックはニヤリと笑うと、少しずつ顔を近づけてきた。


 「庭が荒れて行くのが、旦那様にバレるとする。当然、アッシュはクビになり、この屋敷を追い出される」


 「それは却下ひょ却下よ・・・私が元に戻れなくなるじゃない」


 お嬢様の顔も近づいてくる。殴られて、腫れあがった俺の顔・・・。

 そしてエリックの眼鏡は太陽の光を反射し、口が弧を描くように笑っていた。


 (こ・・・怖ぇ・・・)


 気のせいか、この四阿の中の空気が冷たい。

 昔聞いた恐怖話なんか、目じゃ無かった。





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