第5話 密会
そしてその夜、俺はエリックの手引きで、お嬢様の部屋を抜け出した。行先は、お屋敷の庭の小さな森の端にある四阿だ。
「ここなら、夜は誰も来ない」
俺がそう言うと、エリックは頷いて「待ってろ」と言った。
もう使われなくなって久しいこの場所は、持ち主の侯爵も、庭師のハンスだって知らないはず。忘れ去られたこの場所で、俺はエリックが連れてくる人を待ちわびた。
しばらくして森を歩く足音が聞こえてくる。
(・・・来た)
四阿から外を覗くと、月明りの中エリックに手を引かれながら、ぼろぼろの上、丈が短くなった寝間着を着た少年が、俯いたまま歩いてきた。どうやらブツブツと何か言っているようで、エリックがその度「静かにして下さい」と注意している。
「エリック?」
俺が声をかけると、少年が歩みをピタリと止めると、俯いていた顔を上げる。俺は、その少年の顔を見て衝撃を受けた。
(ボ、ボッコボコ!)
片目は潰れているし、頬も原型が分からない程、膨れ上がっている。おまけにあちこち、赤、黒、青のあざだらけだ。あまりのやられっぷりに、俺は自分の顔だと言う事を忘れて、「ぶっ・・・」と吹き出してしまった。それを見た少年はエリックの手を振りほどくと、猛然と俺に向かって走ってきた。
「何よ貴方!返しなさいよ、私の身体ぁ~!」
そう叫ぶと、俺に飛び掛かる様にぶつかってきた。
ゴチンッ
「痛ってぇ!」
「痛い!」
目から火花が出るとはこの事だ!少年は俺に、おもいっきり頭突きをしてきたのだ。
少年・・・いや、もうちゃんと言い直そう。俺の身体の中にいるお嬢様は、両手で痛そうに額を押さえながら自分の姿を見回すと、絶望的な表情で泣き伏した。
「どうしてよぉ~!?頭をぶつけたら、元に戻るんじゃないの!?こんなの嫌~!返してよ、私の身体。返してぇ~!」
わあああっっと、四阿の床を手の平でバンバン叩きながら泣き続ける。俺はすっかり困ってしまった。
「お、お嬢様ですよね?な、泣かないで下さい・・・」
おろおろしている俺の隣でエリックが溜息をついた。
「まぁ、人気の無いとこにしといて良かったな」
「お前、そんな落ち着いてる場合かよ・・・」
俺の姿で「身体を返してぇ」と泣き崩れるお嬢様を見て、何とも言えない複雑な気持ちになる。俺だって、出来る事なら元に戻りたい。
(だけど、お嬢様の方が、ショックはでかいよなぁ)
貴族の令嬢なのに、いきなり庭師で、しかも男。その上、ハンスにボッコボコにされたんだ。さすがに辛すぎるだろう。よく見ると、口元が切れているし、足も蹴られたのか、黒く痣になっていた。
「エリック、お嬢様の傷の手当をしてやってくれよ。このままじゃ、お気の毒だ」
「分かってるさ。ほら、お嬢様、いい加減に泣き止んでくださいよ。泣いてたって、状況は何も変わらないですよ」
お嬢様は涙と鼻水でぐちょぐちょの顔を上げて、エリックを睨んだ。
「
泣き過ぎて、何を言ってるのか聞き取れない。
「はいはい、その前に傷の手当をさせてくださいよ」
そう言ってエリックはカバンから傷薬や、湿布を取り出した。どうやらお嬢様の手当をする為に、用意してきたようだ。
(なんだ・・・最初からそのつもりだったんじゃん・・・)
言い方は冷たいし偉そうだけど、エリックは人が良いのだ。だけど、手当てするのにお嬢様の顔・・・本当は俺の顔だが・・・を間近で見た途端、
「ぶはっ!」
いつも、クールなエリックには珍しく、お腹を押さえて吹き出した。
「ちょっと
エリックは口元を震わせながら、
「くっく・・・すみませんね・・・なかなか見れない程の、お怪我でしたので・・・失礼しました。元はアッシュの顔ですからね。きちんと手当てしましょう」
そう言って、消毒液を手に取った。
(そうだよ・・・俺の顔なんだよ・・・)
原型が分からない程、腫れあがった自分の顔を見て、俺は静かに溜息をついた。
エリックはテキパキと怪我の手当をしていく。
「痛い!もうちょっと丁寧にしなさいよ!」
「お嬢様はお静かになさってください。消毒液が目に入っても知りませんよ」
俺はその様子を、ぽかんとして見ていた。
(やっぱりエリックは、随分とお嬢様に厳しいよな)
メイドさん達の話では、甘やかされた我儘お嬢様って話だったけど、こんな態度をとって大丈夫なのだろうか?さっきから、クビだと連発されているし、何だか心配になってしまう。
だけどエリックは気にする様子も無く、手当てを続けている。
今までエルシアーナお嬢様の事は、遠くから姿を見かけるくらいで、顔を合わせた事も、話をした事も無かったから、こんなに激しい方だとは思わなかった。まあ、今はこんな事になってしまって、動転してるせいかもしれないけど。
そんな風に思っていると、手当をされながらお嬢様は、俺の方をぎろっと睨んだ。腫れた顔で睨まれるのは、なかなかの迫力で怖い。
「何見てんのよ!そう言えば貴方、さっき人の顔見て笑ったでしょ!?」
「い、いえ・・・その・・・すみません!」
「どうして、貴方が私になってるの!?貴方、私に何をしたのよ!?」
「え?・・・いや、お、俺は何も・・・」
「酷いじゃない!私の身体を奪うなんて。どうして私が、こんなぼろぼろの庭師にならなきゃいけないのよ!?」
「す、すみません!」
「おい、お前が謝る事じゃ無いだろう」
俺とお嬢様の会話を遮る様に、エリックがそう言った。
「そもそもは、お嬢様がテラスから身を乗り出して落ちたのが原因です。アッシュが受け止めて無ければ、大怪我してたところですよ」
「私はこの侯爵家の令嬢よ!使用人が私を助けるのは当たり前じゃない!貴方達は、お父様に雇って貰ってるんだから」
エリックはお嬢様には聞こえない程度に舌打ちした。俺は冷や冷やしながら二人のやり取りを聞くばかりだ。
「喚いたって仕方ないでしょう?取り合えず、お二人の体を元に戻す方法が分からない以上、周りには上手く誤魔化していくしか無いでしょうね。それとも、お嬢様は事情を侯爵様にご相談したいですか?」
エリックがそう言うと、エルシアーナ様はビクッと体を震わせて、爪を噛んだ。
「・・・無理よ。お父様はとても現実主義な方だもの。こんな事、絶対に信じて貰えないわ」
さっきまで大泣きして喚いていたが、意外とお嬢様は状況を理解しているようだ。エリックも頷くと、
「私もそう思います。お嬢様はあほうですが、頭は悪くないので助かります」
しれっとそう言うのを聞いて、俺の方が肝が冷える。
「誰があほうよっ!?」
お嬢様は俺の顔と声で、エリックに猛抗議した。
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