第4話 ボッコボコなのは

 俺は部屋に入ると同時に床に座り込んだ。エリックを引っ張った拍子にバランスを崩したのだ。


 (お、お嬢様ってな、力が無いもんなんだな・・・)


 それに息も上がってしまっている。どうやら体力も無さそうだ。顔を上げると、エリックは困惑と迷惑が混ざった様な顔で、俺を見下ろしていた。


 「何のマネですかね、お嬢様。珍しく気になさっていたようなので、せっかくアッシュの事を教えて差し上げたのですけど?」


 口調には苛立ちが含まれている。


 (ちょ、ちょっと、エリックはお嬢様に厳しすぎじゃ無いか?執事見習いがそんな態度で良いのかよ!?)


 黙っている俺に、エリックはまた、小さく舌打ちして、


 「私は忙しいのですよ。早く仕事をしないと、オーギュストさんに叱られますからね」


 そう言うと、さっさと部屋を出て行こうとする。だけど俺は、こいつを逃がすつもりは無かった。急いでエリックの前に回り込むと、扉を背にして出口を塞いだ。エリックの眉間に皺が寄り、目付きが鋭くなる。だけど、そんなの構っていられなかった。


 「違うんだよ、エリック!俺なんだ・・・」


 「はぁ?」


 「俺がアッシュなんだ」


 「何を言って・・・」


 「昨日、お嬢様とぶつかった時から、俺、お嬢様になっちまったんだ!どうしょう!?お嬢様がハンスに殴られてるなんて大変だよ!早く助けに行かないと!」


 一気にそう言うと、エリックは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、口を開けた。


 「・・・悪いものでも食べましたか?それともやっぱり打ち所が・・・」


 「違う!本当に入れ替わってしまったんだって。今、俺の体の中に居るのはエルシアーナお嬢様なんだよ!」


 「そりゃ、貴女はエルシアーナ様ですから・・・」


 「いや、だから・・・!」


 駄目だ、話が全く嚙み合わない。俺は慌てて考えた。どうしたら、エリックに分かって貰える?


 (くそっ・・・こうなったら)


 俺はエリックに近寄ると、両腕をむんずと掴んだ。


 「お、お嬢様!?」


 「・・・庭師のハンスさんは、もう何年もほとんど仕事をしていない。庭の手入れをしているのはアッシュだ」


 「えっ・・・?」


 「その上、ハンスさんは朝から酒を飲んで、気に入らない事があるとアッシュを殴る蹴るして、うさ晴らしをしてる」


 「ど、どうして・・・」


 「エリック。お前はそれを旦那様に伝えてくれようとしたが、ハンスがオーギュスト執事の親戚だから握りつぶされたって、悔しそうにしてたよな?」


 「どうして、それを?・・・お嬢様?」


 いつも冷静なエリックの目が動揺に揺らぐ。


 「お前だって、毎日オーギュスト執事にネチネチといびられて、面倒な仕事を押し付けられてるって言ってたじゃねえか!お嬢様じゃねえよ!俺はアッシュなんだ!」


 沈黙が俺達の間に落ちた。


 (・・・信じたか?・・・それとも・・・)


 やっぱり駄目なのだろうか。こんな荒唐無稽な事、誰だって理解できやしないだろう。

 エリックの目が疑う様にスッと細められた。

 

 (駄目か・・・)

 

 エリックは黙ったまま、体を引いた。俺は彼を掴んでいた手を離す。やっぱり信じて貰えなかったのだろうか・・・


 「・・・蔓バラの剪定は?」


 「は?」


 突然、関係の無い事を聞かれて、俺はポカンとした。エリックはもう一度言った。


 「蔓バラの剪定はいつやるんです?」


 「冬・・・12月から1月に・・・」


 「生垣に使われている庭木は?」


 「プリペットだけど・・・エリック?」


 それがどうしたのか?と思って訝しく思っていると、エリックは思いっきり「はぁ~~~~~」と溜息をついた。


 「な、何だよ!おい」


 「どうやら、君が言ってる事は、本当の様だ」


 「え・・・?」


 エリックは眉をこれでもかと言うほど寄せて、いまいましそうに言った。


 「エルシアーナお嬢様が、アッシュや私の労働状況について興味を持つとは思えませんからね。それに庭木の事に、ここまで詳しいはずがない。・・・どうやら、本当に君はアッシュのようだ」


 「エリック・・・」


 俺の胸に嬉しさが込み上げて来た。分かってくれた。信じてくれたんだ!


 「エリックー!」


 感激のあまり抱きつこうとしたら、サッと身を躱された。俺はベタンっと、床に這いつくばる事になる。俺は涙目で奴を見上げた。


 「おい!ひでえだろ!?」


 なんて友達がいの無い奴だ。


 「馬鹿野郎。お嬢様が執事見習いに抱き付くなんて事、あってはならないんだよ。私はまだ、職を失いたくないからな」


 エリックは俺を見下ろしながら冷静にそう言った。う~む、確かにコイツの言う事は正しい。俺は起き上がりながら、


 「とりあえず、信じてくれただけでもありがたい。俺一人で、どうしようかと思ってたんだ。なぁ、何で、こんな事が起きたのだと思う?どうやったら、元に戻れんだろう?」


 「慌てるな。私だって、正直、まだ混乱してる。・・・まぁ取り合えず言えるのは、他の人にどう説明しても、信じては貰えないだろうって事だな」


 「俺もそう思った・・・。だから朝から必死で演技してたんだ。でも、こんなの続かねえよ!・・・それに、さっきも行ったけど、一番心配なのは俺になっちまったお嬢様の方だ。さっきハンスにボコボコに殴られてたって・・・」


 「ボッコボコの間違いだな・・・。そうか・・・最近はアッシュも逃げ方を覚えて来てたから、珍しいと思ったんだ。なるほど、あれはお嬢様だったからか・・・」


 俺とエリックは顔を見合わせて、同時にため息をついた。不安げな少女の顔が、エリックの青い瞳に映っている。今は俺の顔になっている、エルシアーナお嬢様の顔。


 「なぁエリック、力を貸してくれ。俺、これからどうしたら・・・」

 

 だけど俺達はそれ以上、話を続ける事は出来なかった。行儀見習いの先生とやらが、猛烈な勢いで部屋にやってきたからだ。


 「おはようございます、エルシアーナ様!ご気分はいかがですか?さぁ、今日はお茶会での作法のおさらいをしましょうね」


 る~らら~っと鼻歌混じりにやってきた、にこやかで、ふくよかな、女性の先生の迫力に、俺はこくこくと頷く事しか出来ない。そして、エリックは何とも複雑そうな表情で俺を一瞥すると、頭を下げて部屋を出て行ってしまった。


 (待ってくれ!お茶会の作法なんて、これっぽっちも知らねえよ!)


 どうすりゃ良いんだ。それにボッコボコにされたお嬢様は大丈夫なのか!?そう考えて、ハッと思い直す。


 (待てよ・・・ボッコボコなのは、本当は俺の体だよな!?)


 大声で泣きだしたいくらいの気分だった。

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