第3話 見よう見まね

 部屋中の視線が俺に集まる。緊張のあまり足が震えた。

 そんな俺に、奥方のレンティ―ナ様が、心配そうに話しかけてきた。


 「エルシー、もう大丈夫なの?お医者様は心配無いと仰っていたけど・・・」


 その目が少し怯えている様に見えるのは気のせいか。


 「あ~、お、お母様。大丈夫です。もうすっかり、はい・・・」


 「本当に?」


 「ほ、ほ、本当に、はい・・・」


 俺は額に汗をかきながら、部屋に入る。エリックが椅子を引いてくれたから、多分そこに座れば良いんだろう。


 (ど、どうするよ?食事のマナーなんか知らねえぞ!)


 いつも朝めしは、固いパンと水と決まっていた。それすら貰えない事も多いっていうのに。


 テーブルの上には、これが朝ごはんか!?と思う様なご馳走が並べられている。目が痛くなりそうなくらい色とりどりのサラダやハム、チーズの盛り合わせ、柔らかそうなパンにクロワッサン。

 

 触るのが怖いくらいに綺麗な柄のティーカップに、香りの良いお茶がなみなみと注がれて、俺は追い詰められたネズミの様な気分になっていた。


 (・・・くっそ、こうなったら)


 俺は覚悟を決めた。


 (見よう見まねだ!)


 俺は向かいの席に座っているルシアン様の食べ方を、寸分狂わずマネしてみせた。ありがたい事に俺は、人の動きを覚えるのだけは得意なのだ!・・・もちろん、完璧には程遠いだろうが・・・。


 何とか大きなヘマをせず、食後のお茶を飲んでいる時、アンドレイ様が笑いながら言った。


 「珍しいな、エルシー。食事を全部残さず食べるなんて」


 「んぐ・・・そ、そうか、いえ、そうですか?」


 突然話しかけられて、気管にお茶が滑り込みそうになった。


 「そうさ、いつもは太るからとか何とか言って、半分以上残していたじゃ無いか?」


 (そうなのか!?何て勿体ない事を・・・)


 俺の見た所、お嬢様は太ってるどころか、がりがりだ。


 (いや待て・・・いつもと違う事をするのはマズったか?)


 内心慌てていると、


 「アンドレイ、おやめなさい。せっかくエルシーが元気になったのですから。食事をたくさん食べるのも良い事ですよ」


 奥様がたしなめる様に言って、アンドレイ様が首をすくめた。

俺はヘマをしたんじゃないかと冷や冷やしていたから、少しホッとする。そして恐る恐るだが、ずっと気になっていた事を聞いてみる事にした。


 「あ・・・あのう・・・」


 「どうしたんだ?エルシー」


 侯爵様が俺に笑いかける。正直、旦那様に直接声をかけるのなんて、初めての事だ。俺は喉が干上がりそうな気分だった。


 「・・・に、庭師の少年は、どど、どうなっ・・・なりましたか・・・?」


 やっとの思いでそう聞くと、旦那様含め、この場にいる全員が面食らった顔を俺に向けた。こ、これはマズったか!?


 「まぁ!エルシー!」


 最初に口を開いたのは奥様のレンティ―ナ様だった。


 「なんて優しい子なのかしら!庭師の心配までするなんて」


 奥様はハンカチを取り出して、目元を押さえた。


 (そ、そんぐらいで泣く?)


 どうやら感情の波が高まりやすい人の様だ。


 「どうしたんだ、エルシー。今まで使用人の事など、気にした事なんか無かっただろう?」


 肩をすくめてそう言ったのは、アンドレイ様だ。


 「お前が興味あるのは、お茶会とドレスと・・・」


 そう言ってニヤッと笑い、


 「サーフェス殿下の事だけだと思ってたけどな」


 俺は内心、がっくりとする。聞きたい事はそんな事じゃ無いっていうのに。


 (誰だよ、サーフェスって。知らねぇよ、そんな奴。勘弁してくれ・・・)


 混乱する俺に、侯爵は静かな声で言った。


 「アッシュはハンスに任せてある。心配するな、エルシー」


 そうしてこの話は終わりになった。


 俺は、絶望的な気分で食事の間を出る。


 (ハンスに任せてあるって・・・それが一番心配だってのに・・・)


 なんとか庭に出て、様子を見に行けないだろうか?お嬢様だって、庭を散歩するぐらいは普通だよな。

 そう思って、玄関ホールから扉の方へ向かおうとしたら、「お嬢様」と呼び止められてビクッとなった。振り返ると、すぐ後ろに執事のオーギュストが立っていた。


 「エルシアーナ様。もうすぐ行儀見習いの先生がいらっしゃいます。お部屋でお待ちください」


 「す、少し、庭に出ちゃ駄目か・・・な?」


 オーギュストは片眉をぐっと上げて、俺を見下ろす。こいつの目は苦手だ。いつだって馬鹿にするように、人を見る。旦那様と同じくらいの年なのに、口ひげのせいか、ずっと年配に見えた。


 「感心しませんな。庭に出るのでしたら、予定を終わらせてからにするべきでしょう。さぁ、お部屋にお戻りください」


 慇懃無礼にそう言うと、オーギュストは階段に誘導する様にすっと手を伸ばす。仕方なく俺はとぼとぼと、二階にあるエルシーお嬢様の部屋へと向かった。すると階段を登り切った所にエリックが立っていた。


 「エリック・・・」


 いつも俺と話す時とは全く違う、スカした表情をしている。そして俺とすれ違いざまに、エリック言った。


 「アッシュなら今朝、ハンスにボコボコに殴られてましたよ。・・・昨日、お嬢様の下敷きになってから、どうも様子がおかしいそうです」


 俺はサーっと血の気が引いた。それが一番心配だったのだ。


 「ボ、ボコボコって!マジかよ!?様子がおかしいって、そりゃ・・・」


 俺は思わずエリックに掴みかかっていた。


 「ちょ、ちょっと、お嬢様!?」


 「た、大変だ!やっぱり、俺の体にお嬢様が入っちまったんだ!身体が入れ替わってしまったんだよ!」


 これ以上一人で抱えるのは無理だった。それに、このままじゃどうせ、いずれボロが出る。


 俺はエリックの腕を掴んで、渾身の力でエルシーお嬢様の部屋に引きずり込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る