第2話 お嬢様のフリ

 次の日の朝、俺は寝不足のままベッドから起き上がった。自分の身に起きた、このいかれた出来事を考えてたら、呑気に寝れるもんじゃない。その上、この慣れてないふかふかのベッドせいで、妙に肩が凝る。

 

 俺はのそのそ歩いて、姿見の前に立った。目の前に映るのは長いストレートの黒髪に、夜明け前の瞳の少女。


 (あ~あ・・・)


 寝て起きたら夢でしたってのは、淡い希望だったようだ。がっくりと項垂れた時、軽いノックの音がしてとバタンと扉が開けられた。


 「お嬢様!」


 入ってきたのはメイドのマーリだ。彼女は、俺より五つ上の17歳。たまにこっそりパンをくれる優しいメイドだ。

 マーリは鏡の前で突っ立ってる俺を見ると、慌てて駆け寄ってきた。


 「お加減はいかがですか?お医者様は、お怪我の方は大したこと無いと仰ってましたが・・・」


 おろおろした様子で、俺の顔をうかがう。確かに昨日の様子を見てりゃ、心配するのも無理はない。気が狂ったのかと思われてても仕方ないだろうな。

 俺はため息をついて、しばらくどうしようかと考えたが・・・


 「だ、大丈夫ですわ・・・。昨日は気が動転してしまって、おほほほほ・・・」


 取り合えず、お嬢様のフリをする事にした。幾分、わざとらしい喋り方になったのは許してくれ。だが、こんな俺の大根演技でもマーリは安心したようで、ホッとしたように表情を緩ませた。


 (うう・・・騙してすまん・・・)


 エルシアーナお嬢様の中身が、庭師の俺だなんて、いくら説明しても無駄だろう。それこそ頭がおかしくなったと思われて終わりだ。


 (変な騒ぎは起こしたくないからな。その内、勝手に元にもどるかもしれないし。要は、静かにお嬢様のフリをしときゃ良いんだ・・・うん)


 だけど、簡単にそう思った俺が馬鹿だった。俺はマーリが次に言った言葉に愕然とした。


 「良かったですわ、お元気になられた様で。お着替えをさせていただきますね」


 「え?」


 マーリは慣れた手つきで、俺の着ているネグリジェのボタンをはずしていく。


 (おおおい!ちょっと)


 「ままま、待って!」


 慌ててネグリジェの前を押さえる。


 (何で!?お嬢様って、着替えまで人に手伝わせんのかよ!?)


 「・・・ひ、一人で着替えられる・・・ますわ」


 そう言うと、リエッタはあからさまに怪訝な顔をした。そして、


 「お嬢様!侯爵家のお嬢様ともあろうお方が、お一人で着替えるなど、はしたない事ですわ。・・・どうなさったのです?いつもはそんな事、仰らないのに。やはりお加減が・・・」


 「わああ、い、いいえ!ど、どうぞ、お手伝い下さい!」


 慌てて俺は、両手を広げた。変な疑いをかけられても困る。


 リネットは満足そうな顔で、俺の着替えをテキパキと勧めたが、その間俺は、ずっと固く目を瞑って緊張していた。


 (見てない!見て無いっすからね、お嬢様!)


 「今日のお召し物も、お似合いですわ」


 髪も整えられ、鏡の中には立派なお嬢様が出来上がっていた。だけど俺はもう、疲労困憊だ。


 「あ、ありがとう、マーリ・・・」


 引きつった顔で礼を言う俺に、彼女は驚いた顔を見せる。


 (え・・・?)


 「お嬢様にお礼を言われるなんて・・・いえ、すみません!」


 慌てて取り繕う様にそう言うと、咳払いをしながら、


 「ご朝食の用意が出来てるそうですわ」


 そう言って誤魔化す様に笑みを返した。

 マーリの説明によると、奥様も昨日のうちに無事に気を取り戻したらしい。侯爵家の家族が揃って、一階の食事の間でお嬢様を待っているそうで・・・


 (マジかよ・・・)


 待ってないで、さっさと食ってくれりゃいいのに。食事のマナーなんて知らねえぞ。

 頭を抱える俺に、マーリは不思議そうな目を向ける。


 (やっべえ!普通にしなくては)


 それにマーリには下に降りる前に、大事な事を聞いておきたい。


 「あ、あの・・・マーリ?」


 「何でございましょう?」


 「あの、おれ、ううん・・・わ、わたくしとぶつかった庭師の子はどうなったの?」


 そう聞くと、マーリは目を見開いた。


 「アッシュの事でございますか?まぁ!お嬢様があの子の事を気になさるなんて・・・」


 お珍しいと、再び驚いた顔でそう言う。


 「テ、テラスから落ちた時、下にいたと聞いたん、んんっ・・・聞いたので」


 「アッシュは・・・」


 マーリがなんだか酷く言いにくそうに顔をしかめたので、俺は焦った。


 「まさか大怪我したとか!?」


 「いいえ!お嬢様とぶつかった時は、気を失っただけみたいでしたよ?ただ・・・その後で・・・」


 「その後で!?」

 

 (何があった!?)


 焦る俺の心中を知らないであろう、マーリはまたまた誤魔化す様に笑うと、


 「いえいえ、お嬢様が心配なさるような事は、ございませんよ。さぁ、そろそろ食事の間の方へ。皆様お待ちですよ」


 そう言って、そそくさと部屋を出て行ってしまった。


 「その後でって・・・」


 何があったか、ちゃんと教えてくれよぉ!マーリってば、誤魔化し笑いばっかじゃねえか!

 嫌な予感が心の中で首をもたげる。俺は心の底からため息をついて、仕方なく部屋を出た。だけど階段を下りて、ハッと気づく。


 (食事の間ってどこにあんだ?)


 普段、屋敷の中に入る事なんでめったに無いので、そんななぞ知らねえぞ!

 屋敷の中に入るのなんて、せいぜい炊事場に野菜を運んだり、玄関まで花瓶に活ける花を届ける時ぐらいなのだ。

 どうしたもんかとキョロキョロ見回すと、向こうにエリックの金髪がチラリと見えた。エリックは長めの金髪を、いつも首の後ろできれいにくくっているのだ。


 「エリック!」


 大声で呼ぶと、エリックが軽く「ちっ」と舌打ちした様に見えた。


 (ん?)


 気のせいだよな。中身は俺だが、見かけはお嬢様なんだから。


 エリックはゆっくりとこちらに歩いて来る。なんだかいかにも渋々と言う様子だ。


 「そのような大声は、はしたないですよ、お嬢様」


 厭味ったらしくそう言って、エリックは眼鏡を人差し指で上げながら、俺を見下ろす。普段は俺の方が背が高いので、凄く変な気分だ。


 「あ、あの・・・え~っと・・・」


 (なんて聞けばいいんだ!?)


 下手に食事の間の場所を聞いたりしたら、変に決まってる。お嬢様はいつもそこでメシを食ってんだろうから。

 頭を振り絞って出した答えは、


 「しょ、食事の間までエスコートしてくれ・・・ません?、ほほ」


 無理矢理に笑顔を作ってみせる。するとエリックは心底嫌そうに眉間に皺を寄せた。おいおい、いくらなんでもその顔は、お嬢様に向けるもんじゃないだろう?

 エリックは黙ったまま頷くと先に立って歩き始めた。


 「お嬢様は、まだお加減が宜しく無いようですね」


 「そ、そんな事は・・・」


 「食事の間に行くくらい、いつも一人で出来たでしょう?」


 「は、はい・・・」


 お嬢様のいつもなんて、知らねえよ。


 そうしてエリックはある部屋の前で止まり、ノックをしてから俺の為に扉を開いてくれた。

 驚く程大きなテーブル座っているのはドルトムント侯爵、奥方様、そしてご長男のアンドレイ様に弟君のルシアン様。


 俺はゴクリと生唾を飲みこんだ。そして心の中で


 (神様、もう教会に行くのはさぼらねぇ・・・だから助けてくれ・・・)


 天を仰いでそう祈った。

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