庭師、わがまま令嬢やります
優摘
第1話 悲劇の始まり!?
悲劇は突然降ってきた。
これは比喩では無い。完全に言葉通りの事なのだ。
それは俺がお屋敷の壁に巻きつかせている、蔓バラの手入れを行っていた時だった。
突然「きゃー!」と言う女の悲鳴と、「お嬢様!」と叫ぶ男の声。この屋敷の執事の声だと気付いたのは、随分と経ってからだったが、今はその事はどうでも良い。
見上げると空から青いモノが降ってきていた。それは晴天を切り取った様な真っ青な布で、ひらひらしていた事だけは覚えている。そして残念ながら落ちて来たのは布だけでは無かった。最悪な事に、その布にはちゃんと中身も詰まっていたのだ。
その時、俺がどう言う行動をとったのかは、正直なところ全く覚えていない。逃げようとしたのか、そのまま突っ立っていたのか・・・。後から聞いたところによると、俺は落ちて来たものをちゃんと受け止めようとしたらしい。
だけどそんなに褒められたもんじゃない。何せ俺は、その落ちて来たものとぶつかって、すっかり気を失ってしまったのだから・・・。
気が付いたらベッドの上だった。だけど、目を開けた時に視界に入ったのは、いつもの蜘蛛の巣が張った染みだらけの天井では無かった。
(何だ?)
真っ白いレースの付いた天蓋と、俺を見下ろす大人達の顔。状況が分からず、一瞬「夢か?」と思う。
だけど突然横から、「ああ、エルシー!気が付いたのね!」と涙ながらに抱きつかれ、俺は盛大に面食らった。
(はあ!?)
だって、抱き付いて来たその相手は、この屋敷の主人の奥方であるレンティーナ様だったからだ。
意味が分からず、俺はドタバタしながら彼女の腕を抜け出し、ついでにベッドからも飛び降りた。そしてこの部屋が、見た事も無く豪華で、おまけにやたらと可愛らしい装飾をされている事に驚く。
(ど、どこだよ、ここは!?)
見回すと、戸惑いの表情を浮かべた人達が俺を囲むようにして見ている。屋敷の主人―――ドルトムント侯爵とその奥方のレンティ―ナ様。そして恰幅の良い医者らしき男と、メイド達。その中にエリックの顔を見つけて、俺は少しホッとした。エリックは俺と同じ年の執事見習いだ。俺は事情を聞こうと思って、エリックに詰め寄った。
「エリック、いったいこれは・・・」
どうなってんだよ?と言おうとして、思わず口を押えた。俺の声がおかしい。
「なんで!?声が変だ!」
まるで、女の子の様な声になってしまっている。
「なぁ、エリック・・・」
エリックは言えば、いつもはスカしているくせに、眼鏡の奥の青い目を見開いて、豆鉄砲を食らったような顔で俺を見ている。
(なんだってんだよ!?)
そう思ってふと自分の体を見てギョッとした。見た事も無いピラッピラのピンクのネグリジェを着ていたからだ。
「げぇ!何だこれ?なんでこんなもん着てんだ?俺」
そしてそのネグリジェを掴んだ自分の手を見て、さらに驚く。いつもの見慣れた泥にまみれたあかぎれだらけの手は何処にも無く、細くて折れそうなほど華奢な白い手・・・。
目を見開いて両手を見ていたら、顔の周りにさらりと長い黒髪が落ちて来た。
「う、うええ!な、なんだよ、これ!?気持ち悪ぃ!」
俺の髪の毛は冬の枯れ草みたいな灰色だったはず。何なんだ!?一体何が起きてるんだ?
呆然として周りの奴らの顔を見ると、レンティ―ナ様が震える手で顔を覆った。
「あああ、エルシー!どうしてしまったの!?」
そしてそのまま「う~ん」と言って倒れてしまう。
「奥様ぁ!」
メイド達が叫び、医者が慌てて駆け寄っていく。
「レンティ―ナを部屋へ!」
ドルトムント侯爵が指示を出し、慌ただしく奥様が運び出されていく。そして侯爵は俺の方を振り返ると、
「可愛い、エルシー!君はテラスから落ちた時に頭を打ったショックで、混乱しているんだ。休みなさい!眠りなさい!さぁ、早くベッドへ!」
「ははは、はい!」
侯爵の余りの迫力に、俺はベッドに飛び乗った。エリックが目を見開いている。
「おお!レンティ―ナ!」
侯爵は天を仰ぎながらそう叫ぶと、凄い勢いで部屋を飛び出していった。部屋に残されたのは、俺と執事見習いのエリックの二人だ。
「・・・では私も、これで・・・」
「ちょ、ちょ、ちょーっと待ってくれ、いや、下さい!」
気まずさからか、部屋を出て行こうとしたエリックを、俺は全力で引き止めた。そして自分の体をもう一度見回し、部屋にあった鏡に目をやる。
「う、嘘だろ・・・?」
鏡に映ったのは、灰色の髪と目の俺の顔では無く、黒髪に濃緑の瞳の年若い少女だった。
(何で・・・)
呆然とした気分で、俺は鏡に近付く。
「どうしたんです?頭打って、自分の顔を忘れてしまいましたか?」
エリックはそう言うと、面倒臭そうな顔を誤魔化す様に金色の髪をかき上げた。
(自分の・・・顔・・・!?)
俺はゆっくりとエリックを振り返った。この年若い執事見習いが、結構腹黒くて狡猾な事を俺は知っている。だけど、それ以上にお人好しで義理堅い部分もある奴なのだ。年下のお嬢様に声かけられて、無視して出てはいけないだろう。
「エリック・・・教えて」
「何でしょうか?お嬢様」
「おれ・・・じゃなくて、わたくしが、どうしてベッドに寝ていたのか、教えてくれ・・・いや、くれませんか?」
エリックは表情一つ変えずに、文章を読み上げる様に答えてくれた。
「お嬢様は、風に飛ばされて枝木に引っかかったスカーフを取ろうとして、手すりから乗り出し、2階のテラスから落ちられたのです」
「スカーフを取ろうとして・・・」
「はい」
「2階から落ちた?」
「はい」
「あほじゃねぇか・・・?」
「・・・ですね」
と言う事はだ・・・あの上から落ちて来た青い布・・・もといドレスの中身は、お嬢様だったってことか!貴族のお嬢様なのに、粗忽過ぎんだろ!
そう思っている内に、エリックがそっと部屋から出て行こうとしているではないか!
「あああ、ちょっと待って、エリック!」
「・・・何でございましょう。私も少々忙しいのですが」
面倒臭そうな顔を隠しきれなくなってきている。
「もう一つ教えて。お・・・わたくしが落ちた時、下に庭師の子供がいたでしょ?」
「アッシュの事ですか?」
「そうそう!そのアッシュはどうなりました?」
エリックはあからさまに顔をしかめた。その表情にドキリとする。
「まさか、死んだとか!?」
「勝手に殺さないで下さい。生きてますよ。ただ、彼も気を失っていたので、庭師のハンスが連れて行きました」
「そ、そうか・・・」
「では、私はこれで」
エリックはこれ以上引き止められてはたまるか、とばかりにさっさと部屋を出て行ってしまった。
俺は呆然としたまま、ベッドに横になっていた。もう一度、傷一つない真っ白い手を目の前にかざす。
(ありえない・・・でも、間違いない・・・)
俺はこの屋敷のお嬢様。エルシアーナ・ドルトムント侯爵令嬢になってしまっていた。
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