牛乳とあんぱん



藤川大地が自首してきてから2日が経った。


僕の予想通り、執行人を餌に藤川の逮捕は後回しになった。


彼には見張りが配置されているので、妹が危険に晒されることはないだろう。


火茂瀬 真斗:「いつ出てきますかね?」


火茂瀬があんぱんを口に含みながら呟く。


僕と火茂瀬は、文月奏、君島蓮、真南眞一郎の3人が仕事終わりに立ち寄った居酒屋を見張っている。


彼らは高世奈々美を『殺さなくちゃいけない』と言っていたのに、実際に殺したのは藤川だった。


なぜ殺さなくちゃいけなかったのか。


場合によっては、新たな犠牲者を出してしまうかもしれなかった。


四方木 梓:「まだ入って1時間も経ってないぞ」


火茂瀬 真斗:「昨日もこの店に入ってましたね。可愛いバイトの子でも居るんスかね?」


ズルズルとストローで牛乳を飲み干す。


四方木 梓:「仕事終わりはこの店に来ることが多いのかもしれない。昨日の事を考えると後1時間は出て来ないな」


助手席から溜め息が聞こえてくる。


火茂瀬 真斗:「明日も、朝から張り込みですか?」


四方木 梓:「当たり前だ。しばらく張り込みは続けるぞ」


火茂瀬 真斗:「そんなぁ〜」


火茂瀬は先程よりも大袈裟な溜め息を漏らす。


あからさまに肩を落とし、全身で残念がっている。


火茂瀬 真斗:「あ〜腹減ったぁ」


火茂瀬は自分の平らな腹を撫でる手を見下ろす。


四方木 梓:「あんぱん食べてただろ」


車内のゴミ箱に捨てられたあんぱんのビニール袋に目を落とす。


牛乳パックも捨ててあった。


火茂瀬 真斗:「張り込みと言ったら牛乳とあんぱんって定番じゃないっスか! でも俺、メロンパンの方が好きですし、パンよりご飯より麺派なんで、あんなんじゃ満たされません」


ギュルギュルと火茂瀬の腹の虫が鳴く。


我が儘を言っている火茂瀬を冷めた目で見つめていると、彼の頭の上で電球が光った。


火茂瀬 真斗:「よし!」


四方木 梓:「なんだよ、いきなり」


何か閃いたようだが、嫌な予感しかしなかった。


火茂瀬 真斗:「俺たちも居酒屋に入りましょう!?」


四方木 梓:「無理だ」


即答する。


火茂瀬 真斗:「お願いですよぉ。お腹ペコペコで死にそうなんですって。俺、餓死しちゃいますよ?」


四方木 梓:「餓死してろ」


火茂瀬 真斗:「ちょっ!? ひどくないっスか!?」


助手席から身を乗り出して運転席の僕に近付く。


四方木 梓:「接触したら勘付かれる」


火茂瀬 真斗:「近くの席に座らなきゃいいんスよ」


四方木 梓:「どこの席に案内されるかなんて――」


ギュルギュルと再び腹の虫が鳴る。


火茂瀬 真斗:「今の、俺の腹じゃないっスよ?」


火茂瀬は至近距離でニヤリと笑う。


不覚にも僕の腹が鳴ってしまった。


火茂瀬 真斗:「梓さんも腹減ってんじゃないスか」


クスクス笑っている火茂瀬を殴りたい。


僕は火茂瀬から視線を外し、フロントガラスの向こうに広がるアスファルトを見つめた。


四方木 梓:「胃が活発になってるだけで、空腹じゃない」


苦しい言い訳だ。


火茂瀬 真斗:「嘘は良くないっスよ? 体は正直じゃないっスか」


腹をツンツンされる。


四方木 梓:「……殺されたいのか?」


冷たい視線を浴びせ、僕の腹を突ついている火茂瀬の人差し指を握る。


火茂瀬 真斗:「イタタタタタタタッ!! 曲がっちゃいけない方向っスよッ!! 痛い痛い!!」


火茂瀬の悲鳴で耳が痛くなったので、人差し指を解放してやる。


火茂瀬は曲げられた人差し指を涙目で握り締める。


火茂瀬 真斗:「じょ、冗談じゃないっスかぁ〜」


四方木 梓:「僕に触るな」


火茂瀬 真斗:「すいましぇん……」


助手席で叱られた子供の様に小さくなる火茂瀬。


四方木 梓:「……ちょっとだけだぞ」


前方の居酒屋の出入り口から3人が出て来ないか見張りながら、隣の火茂瀬に言う。


火茂瀬 真斗:「へ?」


マヌケな声を出す火茂瀬が僕を見ている気配がしたので、隣に視線を向けると目が合った。


四方木 梓:「3人の様子を見に行くだけだ」


そう言うと一気に表情が明るくなった。


顔の周りに花が咲き、キラキラと効果音が付きそうな笑顔だ。


火茂瀬 真斗:「わっ! やったー! 梓さん、あざっす!」


火茂瀬が奇声を発しながら飛んで来た。


四方木 梓:「触るな! 離れろ!」


抱きついている火茂瀬を剥がしていると、外から声が聞こえてきた。


火茂瀬は気付いていない様だ。


文月 奏:「あ~、かわいこちゃん休みとか、ありえねぇんだけど……」


君島 漣:「そういや、藤川、見に行ったか?」


真南 眞一郎:「自首はしてなかったぞ。家居たし」


予想より早い時間に3人の声が聞こえてきた。


声のする方を見ると、居酒屋から出て来た3人がこちらに背を向けて歩いていた。


四方木 梓:「火茂瀬、いい加減離れろッ」


3人に視線を向け、出て来た事を合図する。


火茂瀬 真斗:「えっ」


抱き付いたままだったが、火茂瀬は僕の視線を辿り、3人を見た。


だが、車から漏れる僕等の声に気付いたのか、気まぐれなのか、銀髪男の文月が振り返ってしまった。


文月は僕等を視界に捉えた。


しまった!!


この状況をどう乗り越えようか考えていると、強引に顔の向きを変えられ、僕の顔に火茂瀬の顔が急接近してきた。


文月 奏:「うわ、ホモだッ!!」


文月の声に前を歩いていた2人も振り返る。


文月は前を向いて、先行く2人の元へ走って行ってしまった。


姿が見えなくなって、漸く顔が離れる。


唇は重なっていない。


四方木 梓:「僕は男に興味はない」


火茂瀬 真斗:「違いますよッ!! マジでッ!!」


……まぁ、危ない所だったから、不本意だが火茂瀬に感謝しよう。



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