第3話 目覚め

(……みんな大丈夫か?)


 鍋島が重い瞼を開けてまわりを見渡す。頭がぼんやりとしているようだった。

 どうやら落雷のショックで意識を失っていたらしい。

 ようやく目が慣れてくると、鍋島は自分が皮の長椅子ソファに持たれかかって寝ていることに気がついた。


(どこだここは? 僕の部屋じゃないな?)


 赤い絨毯が敷かれた部屋の中には皮の高級そうな長椅子が二つ並べられ、壁や棚には銀製の彫像や風景の描かれた絵、綺麗な色の花を生けた花瓶などが飾られている。

 豪華な応接室といった感じの部屋だ。

 この部屋には香が炊かれているのか甘い香りが立ち込めている。

 鍋島が座ったまま自分の身体を調べてみると、白い長袖シャツと綿のようなズボンを履いているようだった。

 いつの間に着替えたのか、さっきまで着ていたはずのジャージ姿の部屋着ではない。

 しかも胸元には薄手の布を押し上げる見慣れない二つのふくらみがあった。

 膨らみの間には、鎖で繋がれた銀色の丸いメダルがぶら下がっている。

 その膨らみを両手で触ってみると、柔らかい水風船のような弾力があった。


(おいおい、なんで僕の胸が膨らんでいるんだ? 

 これじゃあ、まるで僕が女になったみたいじゃないか)


 鍋島の頭が混乱する。

 深呼吸をして気分を落ち着かせてから、状況をもう一度確認した。

 隣にはセクシーなドレスを着た長い髪の女性が横たわって寝ている。

 胸元を縛っている紐が今にも弾けそうなほど大きな膨らみだ。 

 向かいの長椅子には、均整の取れた筋肉質の男が一人、仰向けに眠りこんでいる。

 その横には同じく皮の胴着コルセットを着けた細身の少女が愛らしい顔で寝ていた。

(うーん、夢にしては現実感がありすぎる。

 どうなっているんだいったい…… ?)


 慣れない身体のせいなのか、鍋島が長椅子から起きようとすると足元がふらついて力が入らない。

 無理に立とうとすると膝が崩れ、そのまま大きな音を立てて目の前の床の上に倒れこんでしまった。


(なんてことだ? 痛みまであるぞ、この夢……)


 あわててぶつけた肘の痛みに耐えながら、鍋島はなんとか両手で起き上がろうと試みる。

 腕立て伏せのような姿勢で踏ん張っていると、部屋の外からパタパタと急ぎの足音が聞こえてきた。続いて勢いよく部屋の扉が開いた。


「今、大きな音がしましたが何かありましたか?

 あっ、セラ様っ! 大丈夫ですか?」


 可愛い声がする方に、鍋島が力を振り絞ってなんとか頭を向ける。


 そこには召使メイド姿の少女が、両手を口に当てて心配そうにこちらを見ている姿があった。

(見た目は小学生ぐらいか。セラ様? それが僕の名前?

 その名前どこかで聞いたような気がするが……)


 鍋島は少女にセラと呼ばれて記憶の糸を手繰ったが、すぐには思い出せない。


「セラ様、大丈夫ですか? さあどうぞ、あたしにつかまってください」


 彼女はそう言って座り込み、自分の小さな肩を差し出した。

 体が思うように動かない鍋島は仕方なく少女の肩を借り、なんとか半立ちでそのままゆっくりと元の長椅子へと滑り込む。


「ありがとう、助かったよ……」


 長椅子に寝そべり、一息つきながら少女に礼を言う。

 自分の喉から発せられた明らかに高い声に、鍋島は自分がなぜか女性の姿になっていることを認めるしかなかった。


「どういたしまして。

 ところでセラ様、どうして皆様は揃っておやすみなのでしょうか?

 ひょっとしてマッカラン様に何かいたずらされましたか?」


「マッカラン様って…… まさか宮廷魔術師の?」


 思わず、その名前に反応する。

 鍋島がE&Eの冒険でガイドとして使っているNPCのキャラクターの名前だからだ。

 レベル15の大魔術師アークウィーザードで、バルバレスコ公国の宮廷魔術師。

 いつも主人公たちに仕事を依頼してくる人物という便利な設定にしてある。

 由来はスコッチウイスキーからつけた名前だから偶然にしてはできすぎている。


「マッカラン様といえば、このスプマンテの街では宮廷魔術師のマッカラン様に決まっています。

 この街の魔術士大学アカデミーの学長であり、バルバレスコ侯爵様の右腕で街一番の英雄です。この街では5歳の子供でも知っているお名前ですよ」


「そ、そうだったね。くだらないことを聞いてしまったよ……」


 慌てて鍋島が口を押えて取り繕った。

 それを見た少女の顔がゆっくりと疑わしい表情へと変わっていく。


「……今日のセラ様は、なんだかへんですね。

 男性みたいな話し方といい、いつものセラ様ではないような……」


(信じられないことだが、この世界は僕がさっきまで部屋で遊んでいたエルダードラゴンズの世界みたいな雰囲気だぞ……

 う~ん、もしも僕の推測どおりなら、ここに寝ている残りの三人はあいつらだってことになる……

 とりあえずはこの場をなんとかごまかして、僕の想像が当たっているかどうかを確認しないと)


「いやあ、どうも、その身体の調子が良くないような……

 ゴホン、ゴホン。 

 ……その、あなたの、名前はなんだったか、しらね?」


 鍋島は使い慣れない女言葉でメイド姿の娘におそるおそる尋ねてみた。

 その質問を聞いて、たちまち少女の表情が不満の色に変わる。


「えーっ、ひどいですよう。

 そりゃあ、セラ様達が来られたのは二週間ぐらい前ですけど、

 早くあたしの名前ぐらい覚えてくださいよう。

 ……エルスです、エルス・メトロノームですよう」


 少女が泣きそうな顔をして目の前の鍋島に抗議した。


(この娘、エルスという名前が付いているのか?

 僕は屋敷に住込の召使姉妹二人っていう設定しか作ってなかったんだけどな。

 名前と姿は自動生成されたのか? だがこれで、なんとか名前を確認できたぞ)


「エルス、ごめんなさいね。

 ちょっとからかってみただけなのよ。

 えーと、そう…… 

 そう、あなたがあまりに可愛いらしいから……」


 鍋島は女神官のセラを演じながら、しらじらしい言葉でこの少女を言いくるめようとする。


(おや、なんかすらすらと言葉が出てくるぞ……

 まるでこのキャラクターの身体が覚えているかのようだ。

 それに女神官を意識してそれらしく振舞うと、全身に力も戻ってくるような……)


 力を取り戻す以外にも、彼女の姉がアルスという名前であることや、この屋敷で馬の世話をしている馬丁の老人がジュゼップという名前まで思い出してきた。


(わたしはセラ…… わたしはセラ。

 自分を神官のセラ・ラパーナだとイメージしてみると、このキャラクターが知っている記憶が思い出せるようになってくるみたいだ。

 このゲームが役割演習ロールプレイゲームだからなのか?)


「そんなあ…… セラ様に可愛いなんて言われると照れちゃいますねえ」


 エルスと名乗る少女は鍋島の考えをよそに、身体をくねらせて喜んだ。


(どうやらこの娘が単純な性格のようで助かった。まあ、まだ子供だしな。

とりあえずあいつらの名前も確認しておくか)


「ところで、ここにいるのは**……」


 鍋島は”小畑”と言いそうになって自分の声が出ないことに気がついた。


「セラ様? どうなさいました?」


 エルスがきょとんとした顔でセラを見ている。


「**……」


 試しに鍋島はもう一度”小畑”と言おうしたが、やはり口ごもってまともには声が出ない。


(まさかこの世界ゲーム内では現実世界に関することは喋ることができないようになっているのか? ならゲーム内のキャラクターの名前ならどうだ?)


「ところで、ここに寝ているのはアキラ……」


(よしっ、ゲームの世界観を壊さないキャラクターの名前なら問題なく言えるみたいだ)


「はい? アキラ様がどうかなされましたか?」


 エルスが何を今さらという表情で聞き返す。

 鍋島は気を取り直して、セラの声でゆっくりとエルスに語りかけた。


「ここに寝ているのはアキラ、メグ、ケイの三人よね?

 あなたに誰がそうなのか、正確に言い当てられるかしら?」


「え、セラ様はまさか、あたしを試しておられるんですか?」


「どう? 下の名前まで正確に当てられたらご褒美をあげるわよ」


「そんなの簡単ですよう。

 まずセラ様の隣のお方が魔術師ウィーザードのメグ・バーバラ様。

 向かいの素敵な男性が君主ロードのアキラ・シデン様。

 そしてアキラ様のお隣が頭目ボスのケイ・クラッカー様です。

 最後にあたしに意地悪な質問をされた方は、聖女セイントのセラ・ラパーナ様ですね」


(よしいいぞ、これで確信できた。

 ここは僕が遊んでいたエルダードラゴンズの世界に違いない。

 名前もランクも僕が知っている記憶とまったく同じようだ)


「よくできました。

 あなたにはご褒美にお菓子をプレゼントするわ。

 さあ、これで好きなものを買って来てちょうだい」


 セラが両手で小さな拍手をする。

 それから自分の腰の皮財布から金貨を一枚取り出した。


(女言葉で喋るのは少し恥ずかしいけど身体が自由に動くのは気持ちがいいな。

 この財布にはおそらく金貨が30枚ぐらい入っていることも思い出したぞ)


「いけません、セラ様。こんなに貰ったら

 高級な砂糖菓子スイートロールが10個も買えてしまいます。

 それにあたしが勝手にセラ様にお菓子をねだったなんて知られたら

 アルスお姉様にどんだけ叱られるか……」


 いきなり出された金貨に対してエルスは困惑の表情を見せた。


「それじゃあ、わたし達の分も買ってきてちょうだい。

 それにアルスとあなたの分、あとジュゼップの分もね。

 それなら問題ないでしょ?」


 少女はセラの提案を聞いて思わず生唾を飲みこんだ。


「た、たしかにそういうことなら……」


 セラが隙を見てエルスの小さな手にさっき出した金貨を素早く握らせる。


「ならば善は急げよ?

 お菓子と一緒にみんなの分の紅茶も入れてきてね。

 わたしにはミルクを多めにお願い」


「はい、わかりましたあーっ」


 少女は答えるやいなや、脱兎のごとく部屋を飛び出した。

 彼女の心の中では、すでに7人分の砂糖菓子が街の有名菓子店に売れ残っているかどうか、それだけが気がかりだったのだ。

 扉が勢いよく閉まるのを確認した鍋島は、長椅子からゆっくりと立ち上がり両腕を伸ばした。

 先程と違い、もう身体を自由に動かすのになんの問題もない。

(よし、これで邪魔者はいなくなった。

 彼女が戻ってくる前に全員を起こして、この状況を説明しておかないと。

 まず最初に起こすなら誰だ? やはり小畑か?

 こいつだけ身体が男のままだし、目が覚めた時のパニックが一番少なそうだからな)

 そう思った鍋島は、小畑と思われる正面の戦士の肩を両手で掴み、強く揺さぶってみる。


(かなり重いな。さすがに筋力ランクAの戦士だけあって見事に筋肉の塊だ)


 セラは一呼吸おいて引き続き激しく揺さぶってみるが、やはり小畑に反応はない。

 次に手のひらで強く頬を叩いてみると、景気のいい音と共にようやく小さいうめき声が聞こえてきた。

 小さな手応えに希望を感じ、さらに力を込めてみる。


(この体躯なら思いっきりやっても大丈夫だろう)


「おいっ小畑、起きろ、いつまで寝てる気だ?」


 それからセラは戦士の腹の上に馬乗りになると、シャツの襟をつかんで頭を後ろのクッションにぶつけながら、激しく前後に揺さぶった。

 その間にテンポよく思いっきり頬への平手打ちも追加する。

 まるで男女のSMプレイのような光景である。

 10発ほどの平手打ちで男の頬が真っ赤に染まった頃、ようやく男の目が開いた。

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