206:溝口星架の対話(前編)

 <星架サイド>



 寝坊助たちを全員、家まで送り届け、最後にアタシをマンションまで送ってくれたパパは、


「また30日に」


 と言い残して帰って行った。客観的に見れば、久しぶりの親子の時間の終わりにしては素っ気ない挨拶かも知れないけど。でもアタシにとっては思わず踊りだしそうなほどに嬉しい言葉だった。本当の本当に、夢ではなく、結婚記念日を家族で過ごしてくれるんだ、と。

 出発前には胸に期するものと、不安とで頭の中が嵐のようだったけど、終わってみれば最良の結果を残すことができた。勇気を出して本当に良かった。そして多分だけど……康生がパパに話してくれた何かもまた、とても良い方向へ作用したんだろう。けどそれが何なのかは。


「気になるけど、やっぱ聞かない方が良いんだろうね」


 男にはカッコつけたい時がある、というのは莉亜からも聞いたことがある。そういう時はそっとしておくのがベターだとも。


 アタシはコンビニ(途中で寄ってもらった)で買っておいた夕食を冷蔵庫にしまう。昼が重かったから、月見とろろ蕎麦にした。


 シャワーを浴びて、自室には戻らず、リビングで過ごす。部屋でベッドに突っ伏したら、そのまま寝てしまいそうだからね。パパと話してたから車の中では眠気が来なかっただけで、どうやらアタシもかなり疲れてるみたいだ。


『……大手牛丼チェーン店の竹屋グループに対し、SNS上で、竹屋は嘱託社員の水増しの為に、海外からおじいちゃんを不正輸入し、おばあちゃんの数は粉飾している等といったデマを流したとして、横中市に住む無職の男を偽計業務妨害の容疑で……』


 つけっぱなしのテレビから下らないニュースが流れてくる。内容は一つも入ってこないけど、落ち着いた女性キャスターの声が子守唄のようにアタシを睡魔へと……


「ただいま~」


「……っ!」


 ヤバい。寝落ちしかけてた。ママが鍵を開ける音すら聞こえてなかったみたいだ。


「お、おかえり」


「あら? 待っててくれたの? というか……誠秀さんと一緒に食べてこなかったの?」


「……うん」


 少しだけパパの名前を出す前に間があったのは、どういった感情からだろう。アタシだけ素直にパパに甘えられるのが羨ましい? もしそうなら、自分だって素直になれば良いだけなのにね。或いは逆にパパへの警戒心? アタシまで取られてしまったら、ママは一人になってしまうから。

 ……その両方かも知れないね。複雑な感情が、きっとママの胸の内には渦巻いてるんだと思う。そんな面倒くさい絡まり方するくらいなら、仕事休んでママも来れば良かったのに。喉まで出かかったその言葉を、だけどアタシは飲み込んだ。


「ざるそば買ってあるよ。食べよっか」


「あら、ありがとう。お腹ペコペコだから助かるわ」


「何か作るつもりだった?」


 ママはよく見たらエコバッグを提げてる。軽く買い物してきたみたいだ。しまったな、ご飯買ってあるよって連絡するの忘れてた。


 ママは首を横に振って、


「まあ簡単なものをと思ってたけど、疲れてるし出来合いのものがあるなら、そっちの方が良い」

 

 そう言いながら、買ってきた食材を冷蔵庫にしまっていく。それらを見て、気付いてしまった。パパの好物、ハンバーグの材料だ。


 アタシはもどかしさで、胸を掻きたいような、喉を掻きたいような、或いはどこも痒いワケではないような、異様な感覚に襲われた。


 なんで? なんでこの健気さを、素直に出せないの? パパの前では隠してしまうの? プライドが邪魔するの? なんで家族同士でそんな競うようになってしまうの? 本音を見せたら負けなの?


「ふうううう~」


 長い長い息を吐く。危うく爆発してしまうところだった。


 冷蔵庫から二人分の夕食を取り出したママが、テーブルに着く。


「どうしたの?」


 容器の中の蕎麦に、添付のつゆをかけながら訊ねてくる。アタシの何か言いたげな様子に気付いたみたいだ。


「……」


 変なプライドが邪魔して素直になれないママをもう待ってはいられない。アタシの方で動かした。それを告げる。


「ママ」


「ん?」


「30日、パパ、うちに来てくれることになったから」


「え!?」


 驚いて、つゆの入ってるパックを取り落として、蕎麦の中に沈めてしまうママ。それにも構わず、


「なんでいきなり!? アンタが頼んだの?」


 捲し立ててくる。アタシの方は感情を抑えて静かに頷いた。


「どうしてそんな……」


「どうしてって……アタシは今のままじゃ嫌だからだよ。ママは今のままで良いの?」


「……それは」


 バツが悪そうにアタシの視線から逃れるママ。その態度に業を煮やしてしまう。アタシはテーブルの下でグッと拳を握った。

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