203:沓澤康生の対話(後編)
「僕……中学の頃、学校で嫌な目にあって、不登校になってしまったことがあるんです」
熱に浮かされたまま、なおも口は動き続けていた。
誠秀さんは話題が飛んだにも関わらず、口を挟まずに、真剣な目で僕を見つめていた。子供だからと軽んじることなく、対等な人間の言葉として聞いてくれてるんだ。そのことが余計に僕を駆り立てて、
「高校は何とか通えてましたけど、当然、友達なんて居なくて。でもある日、星架さんに出会ったんです」
自分でもこんな事を聞かせるべきなのかどうかも分からないまま、それでも言葉を紡ぎ続けた。
「最初は……ガサツで、僕みたいな人間の遠慮とかを汲んでくれない人で、正直、相性の悪いタイプだと思ってました。でも……僕の作った物を、僕の仕事を、褒めてくれたんです。とても純粋に、とても真っすぐに。気付けば僕は中学の時の苦い記憶すら忘れたかのように、自分から彼女に何か作りましょうかと提案していました」
「……」
「たぶん、本能では分かっていたんだと思うんです。この人が手を差し伸べてくれる人なんだって」
僕は知らず拳を握り込んでいた。彼女の掌の感触を錯覚する。
「だけど星架さんは突然、僕を突き放しました。後から事情を知ったら気持ちは理解できたし、僕も知らず薄情なことをしていたと反省する所もありました。ですが、その時は本当にワケが分からなくて、正直もういいやって投げてしまおうかとも思ったんです」
体が熱い。喉がカラカラだ。
「でも僕は追いかけました。そしてそれをして良かったと今では心の底から思っています」
「……」
「僕のようなガキが一回の成功体験で何を語ってるんだと思われるかも知れませんが……居場所って、きっと最後は自分で作らないといけないんだって思うんです。中学ではそれが出来なかった。でも捨てる神あれば、じゃないですけど、高校でチャンスを貰えた。居場所になってくれるような人を見つけた」
夏の暑さと体の奥からの熱で、目の前が少しチカチカする。
「けど相手だって人間です。いつまでも無償に永遠に手を伸ばし続けてくれるワケじゃない。こっちからも掴みに行かないとダメなんです。そのことを強く実感させられた3カ月余りでした」
僅かに残った唾をゴクンと飲んで。
「掴めませんか? 星架さんの手は。あんなに優しくて義理堅くて一途な子は他に居ませんよ。そんな子があそこまで全力で手を伸ばしてくれてます」
「そんなことは……分かってる」
「分かってるなら! 掴んであげて欲しいです! 居場所になってくれます。居場所になってあげて下さい。星架さんはアナタの事、大好きなんです!」
僕はそのまま頭を大きく下げた。熱された頭を急に激しく動かしたものだから、クラっとした。足を地面に縫いつけんばかりに踏ん張る。噛み締めた奥歯がギチッと鳴った。
「お願いします! いきなり何もかも解決して欲しいだなんて言いません! ただあの子の笑顔を曇らせないため! その為だけでも今は良いです! 30日、来てください! お願いします!」
お願いします、お願いしますと、まるで信心深い参拝客のように。
どれくらいそうしていただろうか。数秒のようにも、数分のようにも感じられた。後頭部を真夏の太陽がジクジクと焼き続ける熱を感じながら……
やがて「はあ」と大きな嘆息が聞こえた。恐る恐る顔を上げると、誠秀さんはスマホを操作しているところだった。え? もしかして僕の話がダメダメすぎて、スマホを弄りだしたとか? 絶望に気が遠のきかける。
「もしもし。ああ、今いいかい?」
通話のために耳にスマホを当てる誠秀さんを呆然と眺めた。ダメだったのか? 届かなかったのか?
「……いや、別件だ。私用とも言うな。悪いが30日の会合の出席は私の代理でキミに任せたい」
「え?」
恐らく電話の相手も僕と同じように「え?」と言ったハズだけど、そこに含まれる感情は大きく違う。
「ああ、急ですまない。どうしても……絶対に外せない用事が出来たんだ。これを逃すと、私は一生後悔するかも知れない、そんな用事だ……とにかく、頼む」
喜び。叫び出したくなるような、腹から湧き上がるような。
誠秀さんが電話口の相手に挨拶をして、通話を切った。そしてポケットにスマホを仕舞うと、再び大きく息を吐いて、天を仰いだ。
「……誠秀さん」
「……」
「ありがとうございます!」
「キミは……すごいな」
「え?」
「キミくらいの年で、恋人の父親にこうまで正面切って話せる男は中々いない」
「す、すいません」
少しずつ冷静になってきている頭で、自分のセリフを反芻すると、外気温とは裏腹に、背筋が冷えていくような心地だった。
「無我夢中で。とにかく星架さんの為にってことしか頭になくて。暴走してしまいました」
改めて頭を下げようとしたけど、誠秀さんが穏やかに笑って、
「いや、キミはそれで良い」
と肯定してくれた。
「康生クン。娘をそれだけ想ってくれて、そして私の尻を引っ叩いてくれて、ありがとう」
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