202:沓澤康生の対話(前編)

「居場所が……ないような気がしてね」


「え?」


「あの家に私はもう必要ないのでは、と思うようになったんだ」


 あの家、というのは沢見川のマンションのこと、というよりは麗華さんと星架さんの二人と過ごす家庭のことを指しているんだと思う。


「な、なんでそんなこと」


 あるワケがない。


「数日前、麗華が倒れたね」


「え? あ、はい」


 何事もなくて良かったです、と続けようとしたが、誠秀さんの横顔に哀愁を見て取り、口をつぐんだ。


「ショックだった」


「はい」


 それはそうだろう。いくら別居中とは言え、奥さんが倒れたとなれば。と思ったけど、ちょっとそれだけじゃないみたいで。


「……妻のこともだが、何と言うか、星架が真っ先に頼ったのが私ではなかったことが」


「……」


 その真っ先に頼られた人間としては、非常にバツが悪い。その空気を察してくれたのか、


「あ、いや。当て擦りのつもりはないんだ。キミには感謝しかない。それは偽りない本音だ」


 手をブンブン振りながら、そう言ってくれる。


「ただ、私の父親としての不甲斐のなさに、勝手にショックを受けただけの話だ」


 自嘲気味に唇を歪める誠秀さんに、だけど僕は同意しかねた。


「そんなことないですよ。僕が呼ばれたのは、家が近くて、夏休み中の暇人だったからです」


「……」


「それにいざとなれば、ウチの家族まで含めた援助が出来るからですよ」


 というか、現に病院へ連絡を入れてくれたのは母さんだし。


「そこまで……そこまで考えて選択したとは正直、思えない。あの星架が」


 誠秀さんが、ゆるゆると首を横に振る。だけどそれは古い情報だ。


「星架さん、だいぶ落ち着きが出てきたって、麗華さんも洞口さんも言ってます」


「そう、なのか」


 僕は大きく頷いてみせた。そして話を本筋に戻す。


「間違いなく、誠秀さんがお家に居たら、僕なんてお呼びではなかったですよ」


「……」


「それに、麗華さんも。倒れた時、一番にアナタの名前を呼んだらしいじゃないですか」


 僕は既知の情報を話したつもりだったけど、


「そ、そうなのか?」


 誠秀さんは驚いて、椅子の足で軽く地面を擦ってしまった。ガガッと音が鳴り、こっちに泳いで来ていた魚が逃げていくのが視界の端に映った。


 し、しまったな。星架さん、色々と慮(おもんぱか)って言ってなかったのか。これで変なことになったりしたら……いや、もうこうなれば開き直るしかないのか。


「……そうみたいです。きっと、麗華さんはまだ」


 麗華さんの気持ちまで代弁するのは、明らかに行き過ぎているとは自覚してるけど。


「……」


 そして、


「……戻ることは出来ないんですか?」


 星架さんを飛び越えて、言葉にしてしまった。


「何かあった時、頼って欲しいなら……でも二人からすると、傍に居てくれないと頼れるものも頼れません」


「……」


「あの時、もし星架さんの傍に誠秀さんが居たら、どれだけ心強かったか」


「……」


「それに僕を全面的に頼りにされても困ります。あの時は何もなかったから良かったものの、何か重大な病気だったら、僕なんかじゃ判断できないです」


 もちろん、出来る限りのことはするけど、所詮は16の子供だ。大人の、夫であり父である誠秀さんのには勝てるハズもない。覚悟も責任を果たす能力も。


「そう、だな。いくら娘のカレシとは言っても」


「はい。それに、さっきの星架さんの喜びよう、見てましたよね? 居場所がないなんて、そんな事あるハズないです」


 自分でも抑えが効かなくなってきてるのは自覚してるけど、どうにも胸の奥から衝動が無限に湧いてきて仕方ない。


「モデルの件だって、ずっと悩んでるけど、それでも続けてるのは、あの仕事が好きという以外にも、きっとアナタとの繋がりだから。そんな風に思うんです」


 星架さんはアナタが大好きなんですよ。そして家族3人で過ごせる日を待ってるんですよ。


「今年、どこにも帰省しなかったのは、誠秀さんと麗華さん、どっちも大切だから。自分のせいで壊したくなかったから」


「……」


「時々、パパの話も楽しそうにしてくれますよ。働いて自分を養ってくれていることに凄く感謝しています」


 思えば再会した5月の頃から、お金とか仕事に対する義理堅さというのは常に感じていた。その根底にあるのは離れて暮らす父親への恩義だったのかも知れない。


「忘れられたり、軽んじられてるなんてことは、絶対にないですよ。居場所がないなんてことは、絶対にないですよ」


 一息に話してしまった。誠秀さんはさっきから、ほとんど話さない。圧倒されたように僕を見ているだけだ。一方的に喋ってしまっている、とは頭の片隅で認識してたけど、熱暴走のように止まらなかった。

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